EX:変わりゆく世界
アストライアー本部の病室にて、二人のおっさんが寝転んでいた。
「……いやぁ、手足ってくっつくもんなんですねえ。魔族の身体が凄いのか、現代の医療が凄いのか、とにかく感謝感謝」
「俺の手足は瓦礫の下敷きになっていたらしい」
「……そ、そりゃあ申し訳ない。まだ身動きが取れないんでそちらの様子がわからなくてですな……失礼しました」
「いや、構わん。それほど重要なことでもない」
「うへぇ、さすが達人ですなぁ」
赤城勇樹と大星は現在、緊急手術を終えて目覚めたばかりであった。赤城勇樹は両手両足の欠損、大星は片手片足の欠損、どちらも失血が多過ぎたのかあれから一週間たってようやく目覚めた形である。
魔族である赤城も損傷を受けた武器の特性か、回復速度が著しく低下し両手両足の接合手術がうまくいったのは医者の技術と損傷部分が比較的綺麗であったから、らしい。主治医の『ドクター』が自慢げに言っていたそうな。
「赤城勇樹ほどの使い手が手足の欠損か。何者だ?」
「よくわからないですし、何を言っても言い訳になるので、ここはひとつ黙秘と言うことでお願いします。今は少し、自分の弱さが許せなくてですね」
「……そうか」
赤城勇樹が知る由もないが、敵は九龍、『幻日』のトップ層と並んでも遜色がない武の怪物たちであり、その彼らが魔族化してなお三対一で渡り合い、彼らにとっても予想外であった魔装の発動までこらえたことは彼にしか出来ないことであっただろう。当てず、当てられず、寸止め空手と揶揄されがちな伝統派にしか出来ぬ戦いであったのだが、そんなこと赤城勇樹にとってどうでもいいことである。
脳裏に浮かぶは応援してくれた幼馴染の子どもたち。
(どうやら、枯れたつもりがどうにも、枯れ果ててはいなかったようで)
手に力が入らぬ代わりに、歯を思い切り食いしばる。ニケに敗れた時と同じ、自分の無力が嫌になる。いくら斜に構えても、枯れたと、燃え尽きたと思っても、誰かとの触れ合いでくすぶっていたものが再燃してしまう。
まだ手足が動くのならば、生きているのならば、今度は絶対に負けたくない。
「もう一度、一から型の練習でも始めましょうかね」
「ああ、基礎こそが、己の地金だ」
あの日子どもたちから譲ってもらった炎は、敗北を経てさらに燃え盛る。
○
その頃、表舞台ではニケや彼に付き従う者たちが暴れ回っていた。ニケと共に戦うは、フィラントロピーの母体であるグレコファミリーの中で、手の付けられない暴れん坊たちである。戦うために生き、戦いの中で死ぬ。
そんな彼らが止まらない。
『彼らが魔王、なのでしょうか。彼らは何も語りません。ただ、暴れ回り主要各国の軍事施設に攻撃をくわえ、甚大な被害をもたらしております』
何も語らずに暴れ回り、去っていく。まるで天災のような振舞いは世界中に波紋を呼んだ。彼らが魔王なのか、核攻撃をした者なのか、軍隊は何をやっている、何とかしろ、そのための税金だろうに、と様々な『言葉』が飛び交っていた。
軍人も人である。圧倒的な暴力と無責任な雑言の数々に大勢が職を辞していた。どの国の武力も機能不全を起こす。強権を持つ国でさえ、歯止めが利かない。一度そう言う流れが生まれてしまえば、止まらないのが人である。
「……酷い有り様だな」
ニケたちの動きは神出鬼没であり、規則性がなかった。何とか彼らを咎めようとアストライアーも対策を打つが、場当たり的なものではニケ相手ではどうしようもないというのが現状であった。こちらの仕掛けに乗ってくれたなら、ゼンを当てることも出来るのだが、彼らは乗ってこない。一度ゼンとニアミスしたこともあったが、その時はニケが戦う前から撤収し姿をくらました。
行動の理由もわからずに、ただ刹那的に暴れ回る悪。アストライアーは対策を講じなければならない。日に日に問い合わせが増えてくる。誰かの悲鳴で埋め尽くされた世界、誰も彼もが助けを求めていた。
「ニケは何故、クラトスと戦わなかった? ニケは何故、この前の遭遇戦でゼンを避けた? いったい、何を考えているんだ?」
オーケンフィールドは頭を抱えていた。ニケだけが問題ではない。今、動きが見えてこないアールトのこともある。ニケの動きに便乗して悪に走る者も現れ始めている。終末思想に侵され、社会全体がどす黒く染まりつつあった。
「お疲れみたいだね」
「アルファ君か。いや、すまない。俺がこんな調子じゃ皆の士気にかかわるね」
「いや、僕の前ではそこまで張り詰めなくて大丈夫だよ。大変なのはわかっている。社会が限界に達しつつある。既存の価値観は破壊され、自己防衛が求められた中世以前に逆戻り、だ。これは果たして前進か、後退か」
アルファはオーケンフィールドに差し入れの缶コーヒーを手渡す。
「ニケ?」
「ああ、正直意図がわからない。かつての彼ならば必ずクラトスと戦っていたはずだ。そうでなくてもゼン相手に逃げを打つなんてありえない」
「だね。僕も驚いたよ」
「フィラントロピー本体の動きも気になる。ふとした時に後ろから刺されそうでね。戦おうにも相手が見えないんじゃ戦いようがない」
「なら、ニケの件から先に片付けよう」
「そうしたいのは山々なんだけどね」
アルファはあの時にニケが見せた貌を思い出す。クラトスでもない。ゼンでもない。彼が待つのは、そう考えた時、答えはもう一つしかなかった。
「……ニケにはおそらく時間がない。もう、何度も戦うことは出来ないのだろう。見るたびに白髪も増えているし、老けているみたいだからね」
「老衰待ち、か」
「それも一つの選択肢だ。でも、もし君が、本当の意味で解決したいと願うなら、きっとハンス・オーケンフィールドにしかニケは止められない」
「……え?」
アルファの言葉にオーケンフィールドはぽかんとする。何を言っているのか理解できなかった。何故、『今』の自分が彼を止められると言うのか。
「僕はそれほどニケと深い関係じゃない。それでもまあ、多少は知っている。で、その彼がらしくない貌をしていた時期がある。アストライアーと戦っていた時、だ。もっと言えばオーケンフィールドが率いていたアストライアー、か」
「……今の俺にあの頃の力はないよ」
「それは彼もわかっている。だから、何も言わないし、君にそれを求めようともしない。だけど、うん、理屈じゃないところで、彼は君を待っているんだと思うよ。第三の男、ハンス・オーケンフィールドを」
「……それは、だが――」
自分にはアストライアーを運営する責務がある。やるべきことは山積みなのだ。諸外国、各団体への折衝、各種根回し――
「必要ならばしばらく僕が代わるよ。今の君の役割を」
その言い訳が通じないのだ。彼にならそれが出来てしまうから。
「何故、君はそんなに?」
オーケンフィールドの問いにアルファは少し考えこんでから、
「別に僕はニケの友達じゃない。何なら正直、嫌い寄りだね。でも、まあ、昔から少し哀れには思っていたんだ。凄まじい才能が有りながら、それを活用する場所がない。いつも競っていた兄がアルトゥールと張り合うようになってからは、本当につまらなそうだったよ。昔はもうちょっと謙虚だったし、口も悪くなかった。気づけば誰彼構わず煽り、力を誇示するようになったんだけどね」
苦笑しながら語り始める。
「今思えば構って欲しかったんだろう。競い合って欲しかったんだろう。あんなガタイで寂しがり屋なんて笑っちゃうけどさ。でも、君だってわかるだろ?」
秀でた者、秀で過ぎた者の悲哀。誰と話しても噛み合わない。心の中で何故こんなことも出来ないのか、と思いながら笑ってきた。笑顔の下にいた自分は無情、それがかつてのハンス・オーケンフィールドだった。
いつも笑顔で、皆を率いる頼りがいのあるナイスガイ。そんな仮面をつけて暮らしていた。誰とも分かち合おうなんて思わなかった。
その時の自分ではきっと、ニケの気持ちを解することは出来なかっただろう。
でも今は――
「今ね、無意識に俺はゼンに連絡しそうになったんだ。答えが欲しくて、どうすべきかって……ふふ、何とも情けない話だ。聞かなくたって、わかるだろうに」
「……オーケンフィールド」
誰かが悲鳴を上げている。それがニケだとしても、きっと葛城善は手を伸ばす。彼の理屈なら、そこで迷わない。それと同時に組織の長として、オーケンフィールドの理屈も合致する。この状況下、ニケを倒さねばアストライアーに先は無い。
「少し任せて良いかな? 溜まった有給、全部使っておきたくてね」
「アストライアーにそんなものがあったとは驚きだね。了解、任された」
ハンス・オーケンフィールドはコーヒーを一気飲みして立ち上がる。シン・イヴリースに敗れ去ってから、一度も自分は戦っていない。あの時の力はない。魔力に覚醒したところでたかが知れているかもしれない。
だけど、アルファを通してニケの悲鳴が聞こえた気がしたから――
「やるぞ!」
ハンス・オーケンフィールドが、第三の男が動き出す。
「……引継ぎは、して欲しいかなぁって」
勢いよくアルファを置き去りにしながら――
○
ハンス・オーケンフィールド育成計画第一弾、
「では、参りますね」
「ああ、頼む!」
鬼教官九鬼巴による組手、気絶するまでコースである。魔力に覚醒した九鬼巴の証言をもとに作成したプログラムであり、何か魔族にボロボロにされたら魔力が覚醒しました、というヒントからとりあえず極限まで追い込むことになった。
「が、は⁉」
「受けが甘い。捌きもどっちつかずです。受けるなら受ける、かわすならかわす。そこの判断、生死を分けますよ?」
「ぐ、が、わかっている」
「錆びついていますね。本当にこの程度の人が第一位だったんですか? ちょっと幻滅ですね。推してたアリエルさんの目利きを疑ってしまいます」
「あ、あの、身体は追いつめて欲しいけど、心は、その」
「はあ、特に変な発言をしているつもりはありませんが?」
「そ、そうか」
「続けますよ。とりあえず血反吐撒き散らしてからが本番です」
「ガハァ!」
容赦ない攻撃。冷酷無慈悲なる攻撃がオーケンフィールドを襲う。元々、溢れんばかりの才能が有りながら極端に召喚が遅かったグレーゾーンの女である。葛城善以外に手心を加えることはないし、加減するなと言われたらその通りにするまで。
一日目は何と、きっちり血まみれにしながら気絶させて終わった。
○
とある国の雪降る街、そこから少し外れたところの山中にある橋の上で、少女が死んだ眼をしていた。手すりの上に立ちぼうっと下を眺め続け、しばらくしてから目を閉じて飛び降りた。どうしようもない現実とお別れするために。
僅かな浮遊感、しかし、いつまで経っても終わりの時は来ない。少女は目を開けて辺りを見渡した。信じられないことに少女は浮かんでいたのだ。
「え?」
何かに支えられながら――
「おやおや、こんな星も出ていない夜に、身投げをするなんてもったいないですよ。折角ならばもっと、美しい世界で死にたいではありませんか」
その男は金髪で、赤い色の眼をしていた。そして、驚くべきことに彼のお尻から尻尾のようなものが生えていたのだ。それが今、自分を支えている。
「放してください!」
「ノン、それは出来かねます。私、見ての通り悪人なのですがね。実は意外と誰かの死には抵抗がある方なんですよ。これは二人の秘密でお願いしますね」
ふわり、少女は尻尾に放り投げられ、宙を舞う。
そして、男の腕の中にすぽりと入り込んだ。
「私はもう、生きていたくないんです。辛くて、苦しくて、逃げ場も、なくて。世界中で悪い人が暴れて、滅茶苦茶な世の中になっているのに、ここには悪い人が、来てくれないんです。全部、全部、ぶち壊してほしいのに」
「申し訳ございません。力不足でした」
「……放っておいてください。私、もう、耐えられない」
「一日だけ生きてみませんか? もしかしたらちちんぷいぷい、魔法で悩みも吹き飛んでしまうかもしれませんよ。人生、何が起きるかわからないものです」
「でも、だけど」
男はぎゅっと少女を抱きしめる。
「大丈夫、明けない夜はありません」
そしてゆっくりと少女を橋の上に降ろして、自身は空に舞い上がる。
「では、おやすみなさい。よい夜を」
謎の男は夜闇に消える。少女は一人残された。折角してきた覚悟も全部なくなってしまった。どうせ何も変わらない。これはきっと、弱い自分が見せた夢。
死ぬことすら出来ない自分に、彼女は泣き、嗤う。
とぼとぼと帰路につき、また地獄のような明日を迎えるのだ。何も変わらない。変わるわけがない。誰も助けてなどくれないのだから。
翌日――
「ゾーヤ!」
「ど、どうしたの、ママ?」
「ごめんなさい、助けてあげられなくて。無力な親で、本当にごめんなさい。許さなくてもいいわ。一生恨んでくれてもいい」
「なに、どうしたの?」
「もう、全部終わったの。もう、誰も、貴女も傷つかなくていいの」
少女は母に抱きしめられながらテレビに目を移す。そこにはローカルニュースが映っていた。安っぽい帯に踊るのは大量殺人の文字。
そして、そこに並ぶ名前を見て、少女は目を丸くする。
朝起きたらこの街が、この市が、世界が魔法のように変わっていたから。
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