EX:マッチポンプ

「合理的でなく、理解に苦しみますが……まあいいでしょう」

 アールトはため息をつき、

「撤収です」

 潔く撤退を選択する。クラトスがあの剣を振るい、この地に立つ限りシュバルツバルトを得ることは叶わない。あれがあれば随分やるべきことを短縮できるので、ある程度の犠牲で獲得できるのであれば挑戦するのも悪くないが――

「よろしいのですか?」

「確率はゼロですよ。覚悟を決めた彼が守る限りは、ね」

 使えぬ道具にこだわるのは意味がない。アールトは側近を引き連れて闇に消える。フィラントロピーの面々も撤退していく。潮が引くようにあっさりと。

 残る者も中にはいたが――


     ○


 ロバートはゼンを踏みしめながらため息をついた。

「お祭りは終わりだってね。それにしてもゼンにはがっかりしたよ。元仲間じゃ本気になれない? たくさんの人を殺した連中の仲間でも? 言っておくけど俺の研究はさ、これからが本番で、ここからとんでもない数の人を殺すんだよ」

 ロバートの眼はゼンに自分を憎めと懇願しているようだった。それを見るとゼンにはわからなくなる。彼は加害者なのか、それとも被害者なのか。

 救うために排除すべき敵か、救うべき者か。

「君の両親が巻き込まれたら――」

「……ロバート」

 ゼンの眼に宿る純粋なる殺意。それを見てロバートは微笑む。

「そう、それ。次に会う時はさ、それを俺に向けてくれよ。実は仕事もひと段落してさ、ちょっと暇になるんだよね。それが、凄く怖くて」

 悪なのだ。悪に堕したのだ。ゼンは自分にそう言い聞かせる。

「夢を見るんだ。毎日、ワンダーランドの夢を。子どもたちがさ、みんな笑顔で俺に言うんだ。お前のせいだって、お前が弱いから僕らは死んだんだって、お前の弱さがこの悲劇を生んだんだって……血まみれになりながらさァ」

 ロバートは小さく、

「殺してくれ。頼むよ、ゼン」

 そうこぼして、空に舞い上がる。

「またね」

 空虚な笑顔、それを見てゼンは歯を食いしばる。自分もそう。彼もそう。今もなお、世界が断絶してなお、あの世界に縛られている。ゼンにとってそれは救いでもあるが、彼にとってそれは悪夢でしかないのだろう。

 この夢が醒めないのは、ゼン自身嫌でも理解している。

「殺すしかないのか?」

『それが救いになることもあるって、相棒ならわかってんだろ。なら、オイラはそこに口出しはしねえよ。相棒がやるべきと、思う通りにやりな』

「……わかっている」

 ゼンは頭に鳴り響く悲鳴を、一旦振り払う。自分はいつだって目先のことだけに集中してきた。明日を想像するほどの頭などない。手の届く悲鳴に応える。

 今、手を伸ばすべき悲鳴はそこにない。

 次の再会で、その答えを示す。


     ○


「動けよ、クソ姉貴」

「……好きにしていいわよ。もう、全部終わったから」

「せめてアールトについていくとか、なんかあるだろうが。アルトゥールが死んだらそれで終わりか? 何のために生き返ったんだよ⁉」

「さあ、何故かしらね」

 愛する人の望みを叶えるために自分の想いを押し殺し、愛する人と共に心もまた消え失せる。がらんどうとなった姉を見て、妹はやり場のない感情を押し殺すしか出来なかった。今の彼女にぶつけても、何もならないのはわかっていたから。

 それでも――

「私はさ、人間を諦めねえことにした。そりゃあクソな連中は多いさ。ただ黙って空に向かって口を広げている連中の多さは、絶望に値するわな。でもよ、その一端は賢人会議にもあると思うぜ」

「そうね、初志を失い、ゆえに滅びた」

「違う。その初志からして正しいとは限らねえって話だろうが。賢人会議って補助輪があって、そいつらの言う通りにすりゃいいから考えない。考えさせてえなら、学ぶのを待つんじゃなくて、補助輪外して放り出せばよかったんだよ」

「それで間違えたら?」

「間違えたって学びが残る」

「間違えた結果、滅ぶことだってあるでしょうに。今はスイッチ一つで都市が消える時代よ。個人に指揮棒を渡すなんてこと、愚行以外の何物でもないでしょうに」

「それで滅びるなりゃ、人間なんてそんなもんだった、ってだけの話だろうが。お前らも、アールトも、人間に対し優し過ぎるんだよ。私はそこまで人間が好きじゃねえからな。滅びるんなら好きにしろ、滅びたくねえなら頭使え。後者以外に私のリソースを割いてやるほど、私はお人好しじゃねえ」

 無理やり姉の肩を引っ掴み、背負って歩き始める。

「今助けても、私にそれほど多くの時間は残ってないわよ」

「知るか。お前らは甘ちゃんだが、頭使って明日のために動いている。そういう連中はな、法律がどう裁こうが私の正義の範疇だ」

 正義、それを恥ずかしげもなく掲げた妹を見て、姉は微笑む。

「変わったのね、パラス」

「別に……」

 そしてまた、空虚な眼になった姉を引きずり、パラスは戦場から去っていく。


     ○


 突如、アルファたちの前にニケが現れる。九鬼も、アルファも、即臨戦態勢を取ったが、彼が背負う人物を見て動きを止める。

「傷口を燃やして止血はしてある。死ぬか生きるかは知らんが、後は勝手にしろ。まあ、死ねと言っても諦めの悪い凡人だ、かっか、死にゃしねーだろうがな」

 片手片足を喪失した大星をアルファに投げ渡すニケ。一瞬、リウィウスを視界に入れるも、自分には関係ないとばかりに無視をする。

「ニケ、君は何を望み、何故蘇ったんだ?」

「さあな。もう忘れちまった」

 そう言って去っていくニケを見て、アルファは驚いてしまう。彼の知る『最強』であれば間違いなく、あの頂点に立つ男に挑んでいただろう。敗れても、勝算が無くても、むしろ勝算がなければないほどに、笑顔で立ち向かっていくはず。

 そんな彼がこの地にて最強となった兄に背を向ける。

 彼が望むのは『最強』ではないのだ。では、何が彼を冥府より引き上げたのか。何故彼はもう一度生にしがみ付こうと思ったのか。

 アルファにはわからない。それでも、寂しそうな気はした。待ち人を探して迷い続けているような、もう来ないと理解し諦めているような、そんな色合い。

 少なくとも、彼に次は無いのだろう。

 そんな気力はもう、垣間見えることもなかった。


     ○


 核兵器による都市壊滅、これによって世界は恐怖のどん底に沈んでいた。いったい何者が、どんな目的で行ったのかまるでわからない無差別の大量殺戮。どの国でも連日メディアによる憶測が飛び交い、世界中が右往左往していた。

 その中で真実を知る者は――

『と、言うわけで先日はご苦労さん。そっちも色々と忙しいだろうに、こうして対話の場を作ってくれたことに感謝する』

 今、対話の場を設けていた。アストライアーの面々、秘密結社『幻日』の首領クラトス、そしてフィラントロピーのメンバーであったアテナ。彼女は鎖で繋がれ、生気の欠片もなく繋がれているだけであったが。

「いえ。出来ればこのまま我らで協力し、フィラントロピーを打倒出来れば、と考えているのですが、如何でしょうか」

 オーケンフィールドの提案にクラトスは首を振る。

『悪いがフィラントロピーとの戦いに俺たちが協力することはない。まあ、戦力的にも剣が使えるのはこの地でのみ。そもそもアールトさんのやろうとしていることは、だ。本来俺がやるべき仕事だった。止める気はない』

「その、やるべき仕事を伺っても?」

『そっちのアテナは知ってると思うんだが……まあ、その女は言わねえか。あー、有り体に言えば準備だ。危機への備え、そのためのわかりやすい敵だな』

「危機、ですか?」

『そう、お前らも接触したんだろ? 大獄の先で『レコーズ』ってのに』

 クラトスの言葉に隅っこにいたゼンは目を見開く。

『それが危機だ。シュバルツバルトの演算では、まあ百年以内には必ず接触するとよ。残念ながら正確なリミットはわからん。演算する材料が少な過ぎるからな。これはアルトゥールも、おそらくアールトさんも知っている』

 百年以内、明確な数字が示されたことで場の空気感が張り詰める。あちらの世界で見聞きしたことはアストライアー内でもそれなりのポジションである者には周知共有している。『レコーズ』の名もこの場にいる者であれば知っている。

「それとフィラントロピーによる破壊活動が結びつかないのですが」

『あー、例えば、だ。百年以内に宇宙より危機迫る。その対策をしよう。これで金が集まると思うか? 人が集まると思うか?』

「……いえ、まさか、そういう、ことか」

 オーケンフィールドや察しの良い者たちは皆、これだけで理解する。フィラントロピーがやろうとしていること、世界における彼らの役割を。

 ちなみにゼンは何もわかっていない。隣にいるイチジョーもわかっていない。その隣にいるグゥも微塵も理解していない。だが、三人とも堂々とした顔つきであった。わかる者にはわかるが、わからない者には彼ら三人ともわかっている風に見える。

『まあ、御察しの通りだ。連中は仮想敵、巨大な魔王と戦う戦力は、そのまま危機への備えとしてシフトさせることになる。それがアルトゥールの考えだ。俺も、アールトさんもそれに賛同し、魔王役を拝命しようとして、まあ、俺はこの通り役を途中で下ろされたわけだ。向いてないって判断、だったんだろうな』

 壮大なるマッチポンプ、いつか来る敵に備えるための踏み台こそがフィラントロピーであったのだ。彼らが危機を煽れば煽るほどに、正義の側に人物金が集まる。彼らを中心とした戦力拡充に異を唱える者も少なくなるだろう。

 悪を創り上げることで正義の需要を、必要を生む。

「そのついでに環境整備もしてしまおう、と言う考えですか」

『さすがに聡いな。ま、そう言うことだ。賢人会議に限らず、成熟した社会ってのは必ずどこかしら腐っていくもんだ。本来は腐り果てた様を見て、民衆が我慢の限界を迎え、自浄するってのが理想的なんだろうが、その時間があるかどうかもわからん。わからんものに賭けるってのは、責任感のある奴なら避けたいわな』

 だからこそ、人の可能性に賭けるより先に彼らは動くことを決意したのだろう。多少の『犠牲』によって時を稼ぎ、準備に時間を費やすために。

「それで核攻撃たぁ豪勢だな、おい。悪の振りしてたら、マジで悪になっちまったんじゃねえか? 虐殺の暴君だってもう少し加減してたぜ」

 パラスが不愉快極まる、と言った表情でクラトスを睨む。

『俺もそこまでするか、とは思った。でもな、だからこそ俺やお前じゃなかったんだよ。それが出来るアールトさんじゃなきゃ務まらねえ、ってことだ』

「ふざけんな。答えになってねえ――」

「わかりませんか?」

 突如、姉であるアテナが口をはさんだ。

「無差別攻撃によって人は、より身近に死を、恐怖を感じることになるでしょう。他人事ではなくなるわけです。善人も、悪人も、平等に、どちらにも偏ることなく、全ての者にとって危機が自分事となる。貴女の言っていた補助輪ですよ、これは」

 乾いた笑み、姉のそれを見て妹は「クソだな」と言って吐き捨てる。今の世の中、人々に危機感を抱かせるのは至難の業である。漠然と何とかなるだろう、誰か何とかしてくれるだろう、文明の、社会の発展が、人々からそれを奪った。

 ゆえにアールトは最も雄弁な方法として核を選んだのだ。魔族と言う非現実的な怪物の脅威では足りぬと、万人の危機感を煽るために一つの都市を消す。ある意味でここまでアストライアーが機能し過ぎていたのも、この選択を選ばせた一因ではあったのだろう。彼らに任せておけばいい。守れなかった責任は彼らや政府にある。

 危機を他人ごとに出来る、逃げ道になっていた。だが、核攻撃は一瞬で都市が滅ぶのだ。逃げることも出来ない。アストライアーが間に合うこともない。

 逃げ道は無い。これで誰もが当事者となった。

「……だが、フィラントロピーの戦力はこの前の戦いなどで大きく目減りしたはず。世界中で彼らが巻き起こした騒ぎ自体は沈静化した。ここから先、そんなに大それたことが出来るのですか?」

 オーケンフィールドがクラトスに問う。

『正直わからん。が、あの人を侮るのはやめた方が良いぜ。勝算がなければここまで大それたことはしない。この前の戦いも、あの人は第一目標自体達成している。あっさり退いたってことは、一応それで事足りるってことだろうからな』

「……なるほど」

『それに今回、あの人は魔王って仮面を新たに設けた。ここからどう動くのかわからんが、しばらく表に出てくる気はないってことだろう。精々気合を入れるこったな。俺が動いたのはあの人にシュバルツバルトを与えてしまえば、どう足掻いても全部が掌の上になるだろうと思ってのことだ。それじゃあつまらねえし、人の行く末を占う意味でも、俺は紛れがあるべきだと考えた。それだけだ』

 仲間ではない。改めてクラトスはアストライアーとの間に線を引く。彼もまた元はこの件の黒幕になるはずだった立場である。むしろ心情的にはアールトに近いのかもしれない。だからこそ、今ここで線を示したのだろう。

『まあ、連絡はいつでも受け付けてる。暇だしな。爺さん連中はその辺で釣りをしてるしこっちは暢気なもんだ。じゃあな』

 通信が途切れ、その場は沈黙が支配する。『レコーズ』への備え、そのための悪役がフィラントロピー、いや、アールトなのだろう。

 またしても魔王を騙る者が相手、経験者たちは皆一様に顔を歪めていた。世界が移ろっても、敵対する相手は底知れぬ怪物なのだ。

 今すべきことは果たして何か――


     ○


 アールトは一人器の前で佇んでいた。名も無き器、もし中身が未練を持っていれば満たされることだろう。是非、そうあって欲しいと願う。

「プラント設備、すべて正常稼働だってさ」

「もうメンバーでないのに働かせて申し訳ありません。そして、ありがとう」

「いいよ。別に。最後のは悪い仕事じゃなかった。でも良いのかい、元々やろうとしていたことは諦めるってことだろ?」

「物事にはタイミングがありますからね。彼女が今では無理、彼岸の扉をこじ開けるには力の成長が必要、と言われてしまえばお手上げです」

「珍しいね。貴方が諦めるのは」

「もしかすると、彼が引き継いでくれるかもしれませんし、そもそも彼女が絶対に諦めないでしょうから、今ではないだけでいずれは叶いますよ。出来ればそれを私も見たかったですし、話したいことも多々あったのですが……」

「理解に苦しむね。冥府の底から昔の人間を引きずり出して、何の意味があるのやら。無意味だよ、貴方が唯一示したエゴは、何よりも貴方らしくないものだ」

「ふふ、それが私なのですよ」

 そう言ってアールトは立ち上がる。

「かつて我らの創造主ですら歯が立たなかった災厄『レコーズ』。君たちの大敵であった加納恭爾もまた彼ら相手では滅ぶしかないと判断していたそうですね。力だけではきっと、どうしようもないのでしょう。知恵はね、いくらあっても良いものです。案外、突破口は既に打ち捨てられた、旧きモノにあるかもしれませんよ」

 器の入ったポッドを撫で、アールトは無言で別れを告げた。

「暇だし手伝おうか?」

「いいえ。ここからは私一人で充分です。そう言っても聞かぬ愚か者は共に歩むしかありませんが、君はそうでないでしょう? 助けてもらいなさい。大丈夫です、きっと彼には伝わっていますよ。君の悲鳴はね」

「……貴方は知らないでしょうに、葛城善のことなんて」

「……そうでもありませんよ。私もアルトゥールも、ある意味で彼に背中を押された者なのです。彼の前ではね、我らの正義など浅く、狭いのですよ」

「意味深だね」

「ちょっとした布石、遊び心です。では、いずれ彼岸にてお会いしましょう」

「ああ、そうだね。俺の方が先だろうけど」

「ふふ、どうでしょうか。そこまで君の正義の味方は、優しいとは限りませんよぉ」

 最後まで底知れない男だった、とロバートは苦笑する。静かに踵を返し、自分に逃げ場をくれたフィラントロピーを後にする。やるべきことがなくなった今、残っているのは終わらせることのみ。終活のため、ロバートは動き出す。


 そして時を同じくして――

「やるか」

 ニケ・ストライダーもまた終活に動き出す。

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