EX:血統が支配する世界

 ウェールズ王家に生まれた二人は仲の良い姉妹だった。姉は才色兼備で皆から慕われる根っからの指導者気質、対する妹は何でもこなす器用さはあるが自由奔放でヤンチャばかり、気質的にも序列的にも次期女王は姉を推す声しかなかった。

 妹としても女王になりたいなど考えたことはなく、むしろ姉にべったりと張り付き良く面倒を見てもらっていた。面倒見がよく世話焼きの姉と世話されたい妹、二人はいつも仲良しで、ずっとずっとがっちりと噛み合っていた。

 お互いが本音を言わず、求められる姿だけを見せていたことで。

「パァラスゥ!」

 魔獣化し竜と化してなおわかるほど、鬼気迫る表情を見てパラスは鼻で哂う。

「そんなに嫌いかよ、私のことが」

「ええ、貴女もでしょ?」

「……まあ、そうだわな」

 互いに鬼気迫る殴り合い。一切の躊躇なしに全力全開を叩き込む。とてもその姿は仲の良かった姉妹には見えなかった。

「何でアルトゥールを殺すことにこだわる⁉ アルカディアなんぞ歴史の裏側に引っ込んだ血統だぞ! 舞台から降りるってんなら、黙って降ろしゃいいだろうが!」

「本気で言っているの、パラス」

「混じりっけなしでな!」

「なら、貴女は思っていたよりも馬鹿、と言うことになるわね!」

 パラスの腹に尻尾による突きが入る。咄嗟に炎で減速しながらもパラスは地面に叩きつけられてしまう。そこに巨竜は炎を吐き出し、追撃をかけた。

 落ちてくる炎を見て、パラスは両手を突き出し、

「誰の炎だろうが!」

 直撃と同時に熱の塊であると同時に魔力の塊であるそれの支配権を探る。これはもう感性でしかない。指向性を持った炎、その芯を探り、御す。

「……本当に、そういうところが昔から、大嫌いだった」

 逆に熱量を周囲への攻撃に転じ、露払いに使う。パラス自身は軽度の火傷程度、相性があるとはいえあれだけの力をぶつけてこの戦果では、割に合わないだろう。

「でも、さすがの貴女も、魔力が覚醒したばかりじゃ――」

 天から舞い降りる巨竜の蹴り、それを拳で迎撃したパラスであったが、力は拮抗することなく地面に叩きつけられ、足蹴にされてしまう。

「この程度かしら」

「ケェ、貰いもんの力で、調子くれてんじゃねえよ」

「あら、御免あそばせ。そもそもこの身体が貰い物なの。今更、そこにこだわりはない。私は私の意志でここにいる。アテナ・オブ・ウェールズはね、死んだのよ」

「ハッ、ご先祖様の名が泣いてるぜ」

「それが私たちを、あの人を、苦しめた元凶よ。貴女は言ったわね、歴史の裏側に引っ込んだ血統など、と。何を勘違いしているのか知らないけれど、本当の意味で歴史を紡いでいるのはその裏側なの。東方も含めれば千年以上の積み重ね、支配層には血統書付きの人間がほとんどを占めている。それがこの世界の歴史。少なくともここ百年、貴女の言う表舞台なんてね、彼らが操作した結果発表の場でしかない!」

「ぐ、がァ!」

 地面に捩じり込むように、巨竜は、アテナは力いっぱい踏みつける。憎々しげな貌を浮かべていた。それはパラスではなく別のものに向けられている。

 妹には、そう感じられた。かつての自分と同じ眼。何から何まで似ていない姉妹なのに、こういう部分だけが似てしまうものなのだ。

「血があの人を縛っている。やりたかったことを諦めて、やりたくもない導き手を請け負った。あげくこうして死にたくないのに死ぬ羽目になる」

「勝手に、思い込んでいるだけだろうが……死にたくなければ、死ななけりゃいいだろ。誰も死ねなんて、思って、ねえだろうが」

「そう? 賢人会議にいたほぼ全員、アルカディアの血統自体絶えて欲しいと思っていたわよ。存在するだけで誰かが祭り上げるでしょう? まあ、それは賢人の全員に共通することだけれど……結局この世界は貴族主義を脱するどころか、むしろ色濃くなっているのが現状なの。建前で包んでいる分、そう言い切っていた時代の方がよほど潔い。蛙の子は蛙、ふふ、滑稽過ぎて笑えるわ」

 微笑みの欠片もなく、パラスを蹴り飛ばすアテナ。

「でもね、私は貴族たち自体、嫌いではないのよ」

 血を吐きながら一旦距離を取ろうとするパラスに、呼吸を整える暇すら与えずアテナが突っ込む。シンプルな力押し、これが一番厳しいのだ。

「が、は、こん、にゃろう!」

 パラスは炎による加減速で体勢を無理やり立て直し、そこからフェイントを見せ、フットボールのシュート、のような動きでアテナを蹴り返す。

 その動きはもう一つの世界のフットボーラーを彷彿とさせる。

「……へえ、それがあの世界で得た経験、ね」

「こんなのもあるぜ」

 パラスの身体が、揺らぎ、増える。陽炎による虚像、それを複数生み出すことで相手に的を絞らせないようにしているのだ。

 真理の探究者が得手とした小細工である。

「小賢しい。貴女らしくないわ」

「そうでもしねえと、人間と魔族の差は埋まらねえだろうがよ!」

「……そう」

 なればこそ、力押し一本。愚かだろうが何であろうが、戦いのセオリーとは相手がやられたくないと思うことをすることである。

 彼女はそれを生真面目に、忠実に行い続ける。

「……鉄の女め」

「あら、嬉しい」

 力が足りない。パラスは悔しげに顔をしかめる。工夫を凝らしているおかげで手数はある。攻撃を当ててもいる。だが、さほど効いていないのだ。

 所詮はまだ付け焼刃、そもそも戦いが成立している時点でパラスは充分怪物なのである。世界にとってごく一握りの天才、それをも圧倒する種族の壁。

「私が嫌いなのは貴女と同じよ、パラス。この世界に満ちる大多数の、弱き者。少し調べれば表の政治屋どもでさえ、血統血統血統。おかしいと思わない? 歪んでいると思わない? 国民主権を謳いながら、貴族が支配していた時代と何一つ変わらない構造を見て……何も感じないのであればそれで良し。だけど、大半の者はそれはおかしいだろうと思っている。歪んでいると思っている。でもね、だぁれも、なぁんにもしないのよ! 誰かに、正してくれ、やってくれと願いながら!」

 アテナの咆哮と共に凄まじい熱量が周囲一帯を焦がした。

「ハハ、アルトゥールは、そんな連中のために死のうとしてるんだぜ? なら、止めてやれよ。それこそ、日本警察が近衛のガキ、その存在を抹消して保護したみたいに。テメエらなら出来るだろうが、それだけの力が、あるだろうが」

「あの子自身の手は汚れていないのと、力がなく、禊を手足の贋物どもで済ましたから、見逃されただけ。現に私も貴女も、どこからかその情報を得ているのよ。極秘のはずなのに、ね。この世界に完全なる秘密はありえない。必ず漏れる。あの人の手は血で汚れている。力もある。頂点ゆえ、自分自身以外で禊をすることも出来ない。賢人会議が滅びるならば、そのトップはこの世界から消えねばならないの。全部変えようとしている時に、旧き時代が残ってなんとする!」

 巨竜の眼から涙が零れる。朱色のそれは、血と怒りに満ち満ちていた。納得などしていない。一生できない。それでも彼が望むからその手助けをする。

 そのために彼女は戻ってきたのだ。身体を造り替えても、彼の望むことをサポートするためだけに。それで愛する者自体を殺すことになっても――

「あの人を血の呪縛から解き放つことが出来るのは、死だけ。そうでないと言うのなら、今すぐ世界を変えてみなさい。誰かに何かをしてくれと願いながら、自分は何もしない無責任な羊共に、指揮棒の一つでも握らせてみなさい。羊が羊のままで、どうして羊飼いがその責務を放棄することが出来ようか!」

 賢人会議での手伝いを経て、彼女は奇しくもあちらの世界を経験する前の自分と同じ考えを得た。この世界には価値がない。厳密には価値がある者が少な過ぎる、であろうか。人の醜さ、愚かさ、そして姑息さ、彼らの多くは背負おうとしない。何かを任せるに足る人物など市井にどれだけいようか。

 そんな者のために女王になる気も起きなかったから、パラスはあちらの世界に逃げ込んだ。そして傍観者を決め込んでいたのだ。救う価値もないと思っていたから。

 姉妹で同じ結論に至り、そうであっても愛する者がそうすると決めたから、血の涙を流してでも自分を押し殺す。不器用で、愚か、死んでも変わらない姉を見て、パラスは笑うしかない。本当に死んだ姉なんだな、と不謹慎ながら、笑う。


     ○


 ずっと昔、パラス・オブ・ウェールズの初恋は歴史好きの男の子だった。暇を見つけては本を読んで、歴史の中に浸る。自分で歴史の本を書いたと言って、姉には見られたくないからと読んだのだが、驚くほどつまらなかったことを覚えている。

 この男にも出来ないことがあるのだな、と驚いた記憶がある。

『あたしが好きだって言ったらどうする?』

『丁重にお断りするよ。私じゃあ君を制御できないだろうから』

『んだよ。じゃあ、姉ちゃんだったらどう?』

 パラスはその時、初めてこの男が困ったような顔で、迷いを見せたので驚いてしまう。もうこの時点で決着はついていた。まあ、こういうのはいつものことなのでパラスは飲み込むしかない。いつだって皆、姉のことが好きなのだ。

『彼女はね、魅力的だよ。不器用で、真面目で、真っ直ぐな人だから』

『ええ、全然違うじゃん。姉ちゃんは何でも出来るスーパーウーマンだぜ』

『あはは、それは君にそう見せているだけだよ。お姉さんの意地さ。君たち姉妹とクラトス、ニケの兄弟は似ているんだよ。どっちも才能は下の方が上で、兄と姉が負けじと頑張っている。まあ、互いの差は、結構違うけれど』

『うっそだぁ。あたし何しても勝てた試しねえのに』

『ふふ、ニケと同じ反応だね。そういうところがね、彼や彼女の素敵なところだ。で、さっきの答えだけど、俺は誰かの想いに応える気はないよ』

『へ、なんで? 両想いじゃん』

『近代に入って、アルカディアの直系で天寿を全うした人間ってどれくらいいると思う? あはは、そんな困った顔をしないでよ。答えは、十人に一人だ。大体暗殺とか事故死、家族ごとね。表舞台では忌むべき血筋、裏は裏で自分で立つにしても誰かに利用されるにしても、力を持ってしまうから、やはり厄介とみなされる』

『へー、知らんかった』

『巻き込みたくないんだよ。それが好きな人であればあるほどに』

『まあでも、姉ちゃんはたぶん諦めねえと思うぞぉ』

『あはは、参ったね。跳ね除けなければいけないのに、だけど、嬉しいものなんだ。誰かに好かれるってことは』

『ふーん、姉ちゃんに言っといてやるよ』

『こらこら、内緒だよ内緒』

『じゃあ姉ちゃんが知らない秘密一個だけ教えて』

『……そうだね、じゃあ、実は俺、この世界が嫌いなんだって話はどう?』

『え、滅茶苦茶好きそうじゃん』

『俺が好きなのは歴史上の偉人たちだよ。優れた君主、指導者、彼らの努力が世界を導いた。その功績や物語が好きだ。でも、その地続きにあるこの世界は、どうしたってくすんで見える。時代も悪いのだろうけれど、今を好きになれる要素がない』

『へえ、博愛主義者だと思ってたら意外とドライなのな』

『博愛主義者なんて奇特な人はアールトさんぐらいだろうね。知ってる?』

『前、一度会ったけど、すっげえ変な人だった。ラジコンに乗って謁見に来たんだぜ、全員目ん玉飛び出てたよ』

『あ、あはは、変だけど凄い人だよあの人は。万物の良い所を見つける達人なんだ。普通の人が変なところ、悪い所だと思ってもあの人は面白がって好きになる。誰でも好きで、嫌いがない。だからとても視点がフラットなんだ。平等に世界を見ている』

『ふーん、変人だけど良い人ってこと?』

『良い人だけど、同時に恐い人でもあるよ。平等ってみんなが思うよりも優しくないからね。取捨選択にも迷いがない。好き嫌いがないから、全部が早いんだ』

『じゃあ、その人が次期賢人会議のリーダーなの?』

『可能性は高いと思う』

『やったじゃん。そうしたらウェールズに婿入りすればいいだろ。それで万事丸く収まるぜ。あたしも遊び相手が増えてラッキーってなもんよ』

『半年前、とある大企業一族に嫁いだおばさんの話する? 実はもう行方知れずになっちゃったんだけど。クルーザーがね、ぱっと消えちゃったそうで』

『……え』

『信じるか信じないかはパラス次第、かな』

 茶化したように言っていたけれどあれは事実だった。天寿を全うできる者はそういない。賢人会議を務めあげた者でさえ、その後隠居して平穏無事に暮らせるかと言えば全然そんなことはないのだ。良くも悪くも特別な存在。

 生まれた瞬間から普通に生きることが許されず、普通に死ぬことすら遠いのが彼らの一族、賢人会議と機構を生み出した設立者の業であるのだ。

 逃げることは許されない。今も昔も血を特別視する風潮に変わりはない。いや、むしろ一部では深まっていることすらあるだろう。かつてそれを否定するために這い上がり、天を掴んで証明した男は今の世を見て、何を思うのだろうか。

 それに翻弄される子どもたちを見て、劣等と蔑まれた血が特別視されている現状を見て、彼が何を言うのか、少し、考えてしまう。


     ○


 アルトゥール・フォン・アルカディアはこの土壇場で輝きを見せていた。アニセトから学び、共に研鑽した魔術のキレは使う度に増していき、本来凄まじく難易度が高い混合魔術すら易々と使いこなす様は、魔術時代の術士が見れば愕然としてしまうこと間違いなし、と言った仕上がりっぷりである。

 確かにアールトは素晴らしい。魔族になってそれほど日も経っていないだろうに、雷の魔術も含め相当使いこなしている。槍の腕前は元々達者であり、魔族の特性を絡めてこれまたうまく使いこなしている。

 それでもアルトゥールは手応えを感じていたのだ。フィフスフィアの性能で圧倒出来ていたあの世界とは違い、創意工夫を凝らして食い下がる感覚、脳味噌が沸騰しそうなほど思考をぶん回し、全力全開で戦う快感に、酔いしれる。

 最後くらいは――押し留めていた才能をも全て解放しよう。目の前の怪物は必ず受け止めきってくれる。苦虫を嚙み潰したような顔をしているが、これぐらいは許してほしいと思う。魔術は彼に血の呪縛を忘れさせてくれた。束の間の自由を謳歌する。

 だからだろうか――気づけなかった。

「あっ」

「ッ⁉」

 魔術のキレが増し、攻撃へも見切りも鋭さを増し、紙一重で回避し続けていたが、突如肥大化した攻撃を前に、成すすべなく右腕を持っていかれていた。

 持っていったアールトすら驚いている。

「……まさか、このタイミングで」

「マナの濃度上昇、場が煮詰まり、局所的にとうとうここまで……何とも締まらぬ決着ですが、こうなってしまえばもう、君に勝利はありません」

「ネーデルクスの至宝、ヘルマの槍」

「錆びず、折れず、曲がらず、頑丈なので振り回していただけなのですがね」

 先ほどまでとは異なる形状に槍が変化していく。大気中のマナに反応し、術式が稼働し始めていたのだ。魔術王エル・カインが発明した魔術を定着し、半永久化させる魔導技術によって生み出された魔術時代後期の兵器。

 魔装、それが意図せず起動してしまった。

 黄金の魔力が迸る。神族、天使、天族とも呼ばれる者と人のハーフである愛の国母ヘルマの力が込められた槍である。そのひと突きは彼女の拳のひと突きと同等の威力を誇り、あらゆる苦難を、障害を愛にて突破する。

「鉄の魔術、強靭なる鋼よ、重ね、在れ!」

 火と土の混合魔術、鉄の魔術によって幾重にも盾を展開するアルトゥール。だが、アールトは首を振り、哀しげな表情で言った。

「君との戦いは辛く、苦しかったです。だからこそ、とても素晴らしい時間でした。感謝いたします。あとは、お任せください」

 ただのひと突き、力の奔流が盾を打ち砕き、アルトゥールの左半身を消し飛ばした。あまりにも理不尽な破壊力であろう。これが魔術時代の兵器、今ほどではないが文明が成熟し、皆が巨大な力を振るっていた時代の名残である。

「……そうか、これで」

 肉体から、意志が消えていく。呪縛が、消える。

「ええ、終わりです。もう、何物にも縛られる必要はありませんよ」

 微笑みながら、アルトゥールであった者は崩れ落ちた。

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