最終章:昨日を生きた者たち

 レウニールは紅き星、レヴィアタンが守る海の底に辿り着いていた。あの館を作り出す前はここが彼の本拠地であり研究施設であったのだ。

『守護は要らぬぞ』

『言われなくてもする気なんてないねェ。子は親を選べないけれど、面倒見てやるかどうかは子が選ぶことさね』

『ぐがが』

 海溝の底、光差さぬ深淵にてそびえる黒き城、長く開かれていなかった扉が主の来訪と共に開け放たれた。

 だが、開け放たれても海水が入ってくることはない。この城もまた周囲が真空状態でも、鉄を潰すほどの圧にも耐えることが出来る仕様。当然である。

『……さて、眠りにつく前にひと仕事しておくか』

 埃一つ存在しないクラスゼロのクリーンルーム。彼の専門は化学ではないが、それでも多少の知見はある。魔族も幾柱か製作している。

 中心に鎮座する作業台、そこにレウニールは別次元からするりと何かを取り出し、台に据え付ける。それは消滅寸前の『絶望』の肉体であった。

『イヴ、悪いがまだ永眠はさせんぞ。我らには、残された者としての役割がある。ゆるりと再生し、その時に備えよ』

 肉体から彼女のアルスマグナを抽出し、装置に設置する。『絶望』の肉体、加納恭爾のそれは砕け、滅びたがイヴリースだけは残った。

『これは何も出来ずに、後世へ託すしかない我らの罪だ』

 そして、研究室を出てレウニールは城の玉座に赴き、座り込む。とうの昔に肉体は限界を迎えていた。だが、延命は出来る。

 それどころか長い時間をかければ、生存限界を伸ばすことも可能。そもそも永遠の命、何の損傷もなければ万年、億年生きる設計なのだ。

 果てしなき寿命が削れ、絶えるほどの損傷。地獄のような戦場。

 情などない。彼らにそんなものは存在しない。そこに在るのは一方的な絶望、押しても引いても何の手応えもない、無限。勝てるはずがないと諦めた。希望を抱くには、あまりにも無限は遠過ぎたのだ。

 諦めなかった者たちが遺した、やり直しの人類。自分たちと言う到達点を否定するやり方で、積み重ねてきた全てを投げ捨てるに等しい。あの時は正しいとは思えなかった。あまりにも婉曲した道のり、無駄に引き延ばしただけ。

 だが、結果はおそらく――

『辿り着いて見せよ、我らが至らなかった地平へと』

 そう呟き、かつて戦士であった男、レウニールは眠りにつく。

 その胸に、かすかな希望を抱きながら――


     ○


 加納恭爾はそこいる人物を見て、苦笑する。

 どこまでも、死んでなお、自分などよりもよっぽど変わらぬ、不変の男。

「……加納」

「お久しぶりですね。随分待ったでしょう?」

「テメエを止められなかったのが、俺の弱さだ。絶対テメエだと思っていた。それが分かっていながら、俺は辿り着けなかったんだからな」

「だからこそ、完全なる冤罪なのですよ」

 男は悔しげに、顔を歪める。

「違うな。テメエは必ず、どこかに綻びを設ける。絶対に、相手の勝ち筋を全て潰すことまではしねえ。剣の時と同じだ。テメエはいつも、負けたがっていた」

 そんな戯言を聞き、加納は首を振った。

「買い被りですよ」

「テメエが綻びを設けてくれていたおかげで、ある程度物証は揃っていた」

「ごはんに誘っても断られた時、嗚呼、終わったかな、とは思いましたねえ」

 男は地面を、殴りつける。

「だが、俺は――」

「修造さんのせいではないですよ。警察にしろ、検察にしろ、政治家にしろ、多くを見逃していた証拠など、有って良いはずがありません。握り潰すでしょう、私と引き離すでしょう、関わるな、と言うでしょう」

 加納は哂う。

 秩序を守るはずの組織が総出で、秩序の破壊者を守る羽目になった。その皮肉。物事が大きく、取り返しがつかなくなって、黙らせるしかなかった。

 追い詰めていたはずの男を地方に飛ばし、追い詰められていたはずの男にそれなりのポストが与えられた。互いに何もするな、という圧力。全てを闇に葬ることを条件に、加納恭爾は生かされた。いや、厳密には殺せなかったのだ。

 幾度か殺そうとして、下手人が返り討ちに合ってしまったから。しかも、巧妙に赤の他人へ罪を擦り付けた上で。この時点で全てを明るみにすることなど出来なくなった。政府主導で暗殺しようとしたなど、口封じしようとしたなど、言えるはずがない。結果、その冤罪は不自然なほどスムーズに犯罪と成った。

 加納は無敵のカードを手に入れたのだ。

 それでも彼らが正義を貫けば、加納を終わらせることが出来た。傷つくのを顧みず猟犬と共に刺すことが出来たのだ。正義の刃であれば、殺せた。

「私は守られ、病で死にました」

「そして、最後に連中をテメエの悪が一掃した。ひでー話だぜ、良なんざ先代の警視総監の罪を被ることになっちまったわけで」

「あはは、良さんは持っていませんねぇ」

「笑い事じゃねえよ、ったく」

 男は立ち上がり、加納の襟元を掴む。

「俺はテメエを許さねえ。テメエを止められなかった俺も、許さねえ。どんな手段を使っても、組織に泥を塗っても、やるべきだった」

「……ですねえ」

「それだけ言うため、ここに残っていた。じゃあな、クソ野郎」

 手を離し、男は加納から視線を外す。

「いつになったら許してくれますか?」

「永劫許さねえよ」

 そして、男は歩き出す。加納の征く道とは、別の道を。

「それは、素敵ですねえ」

 永遠の憎悪、それを突き付けられ加納は心の底から笑みを浮かべた。彼は振り返らない。本当にこの宣言のためだけに、残っていたのだろう。

 死してなお、自分だけは――

「修造さん、また、ごはん奢ってください」

「ふざけんな、阿呆」

 その反応に加納の口角は上がるばかり。

 去って行く背中を見つめながら、加納は噛み締める。

「……永劫、と来ましたか」

 葛城善に出会い、人の可能性に触れ、改心まではせずともかすかに揺れてはいた。だが、彼の宣言で加納は今一度思い出すことになる。

 人が変わろうとも罪は変わらない。正義に触れ、変わりました、改心します、これからは正義を胸に……殺された者にとってはある意味で最も胸糞悪い光景であろう。ある意味では最も悪辣な手段での悪、と言えるかもしれない。

「ならば私もまた、不変であり続けましょう」

 加納は変わらぬことで、悪として在り続ける。

 誰かに裁かれる日を待ちながら――

「さて、私も征きましょうか」

 加納恭爾は変わらない。変われることから目を背けていた昨日までとは違う。変われると知ってなお、変わらぬことを彼は選択したのだ。

 自分は悪であり、誰かにとっての『絶望』であるのだと。

「……おや、何故、君が其処にいるのですか?」

「……まってた」

 長き旅路、ゆるりと一人で満喫しようと思っていた矢先に、加納は道の隅でうずくまっていたドゥッカと出会う。

「……私は君を利用していたのですよ。他の者と同じように」

「名前、くれた」

「いい名前ではありません。忌み名と言えるでしょう」

「わたしは、すき」

「……君は私の指示で、多くを奪いましたが、それはあくまで白紙の君にそうさせた私の罪。君はこちら側に来る必要はありません」

 ドゥッカは無言で首を振る。そして、加納の袖を握って離さない。

「私は、人から好かれる性質ではありません。私が成したことに心酔していた者たちも、死して私の中身を知り、見限っています。実に正しい思考です。私は悪の王と言うにはどうも、美学が足りない」

「それは、どうでもいい」

「……私の征く道はきっと、良いものではありませんよ」

「それも、どうでもいい」

「……参りましたね」

 これまた揺らぐ様子も、変わる様子もない。

「キョウジはわたしに光をくれた。音をくれた。匂いをくれた。おいしいも、あったかいも、くれた。だから、すき」

 自分の悪意が彼女に多くを与えた。真っ白なキャンバスを悪で塗り潰した。彼女に既存の倫理観はない。ゆえに加納を嫌悪することも出来ない。

「……そう言えば、いつの間にか話せるようになったのですね」

「おぼえた。みんな、意味同じなのにべつべつの振動を出していて、最初は難しかったけど、キョウジのだけにしぼったら、かんたんだった」

「……日本語、そこまで簡単ではないと思うのですがね。まあ、いいでしょう。飽きたら、愛想が尽きたら、いつでも去って良いですよ」

「たぶん、ない」

 まさか、こうなるとは、と加納は身から出た錆を受け入れた。

「では、行きましょうか」

「うん」

 風変わりな関係の二人は、不変(かわらず)、深淵へと歩む。


     ○


 日本、首都東京の一角に目立つ二人組がいた。

 頭身、ゆうに九、下手をすると十近くあるモデル体型の美女二人。道行く人が二度見三度見するのだが、一番目立ってはいけない方が隠れる気皆無のため、もう一人の苛立ちは幾度も振り切っている。

「すいません、遅れました!」

「いやー、東京の電車は田舎者にはきちーっす」

 そんな二人の前に現れたのは、これまた彼女たちに比肩するほどの体格、頭身こそ及ばずとも身長ではむしろ上の人好きのする少女と、小柄でスポーティな少女のこれまた二人組であった。

「あの、もしかしてシャーロット・テーラーさんですか?」

「ふふ、スーパースタァのオーラが出てしまったかな。内緒だよ」

「きゃああああああああああ!? 大ファンです!」

「サインください!」

「あっはっは、順番順番」

 スタァ、勝手に路上でサイン会を開始。片方の女性はもはや完全に無視して「久しぶり」と挨拶もそこそこ、スタァを置いて歩き出す。

「あ、あの、良いの? あの人」

「いいのよ」「いいんす」

「あっはっはっは!」

 そんなこんなで色々ひと悶着、ふた悶着、み悶着を経て――

「……あんたほんと死んでくれない?」

「それは世界的損失だよ、アリエル。ありえない、あっちゃいけない」

「いやー相変わらずっすねえ」

「……す、すごい人だね」

 何とか電車に乗り込み移動、まあ電車でも目立ってしまうのだが。

 美女四人組、アリエル、シャーロット、みずき、サラは都内の某所に訪れていた。奇抜な格好の女性たちが客引きする未知の空間である。

 シャーロットは好奇心に目を輝かせ、アリエルは真顔。

「いやぁ、東京は苦手っすけどここは居心地良いっす。数も減ったんすけど、こういう路地一本奥まったとこに面白い店があるんすよ」

「ほほう、それは実に興味深いね」

「あんた機械類なんて一つもわかんないでしょ。この前、別の国にいた私をテレビの設定で呼んだこと、忘れてないわよ」

「あっはっは、もう忘れたとも、そんな細かいこと」

 そんなずっこけ四人組は、店選びは任せろ、と豪語したみずきの案内によって奇抜な格好をした店員がケチャップ片手にハートをバラまく異空間に突入する。

「これぞ日本の文化、ジャパニーズメイドっす!」

「何で使用人がこんな動き難そうな格好してんのよ」

「フェネクス辺りが見たら激怒しそうな光景だねぇ」

「は、初めて入りました。メイド喫茶」

 都内在住ではないのに、何故か常連っぽい感じに店長と談笑するみずき。ひとしきり話した後、店内の奥まった席に案内される。

「……どういうコネクションよ?」

「ただの常連っすよ。こっち来た時は寄ってるんす」

「本当に常連なんですね、と、東京なのに」

「東京でもこの街だけは別腹っす。池袋は、自分とはちょい毛色が違うんすよねえ。それ言うと友達と喧嘩になるんで言わないんすけど」

 何を言っているのか微塵も理解できない他三名。

「飲み物出たら、メイドさんはもう来ないっす」

「メイド喫茶でメイド抜き。な、何故か凄い玄人感が出てます!」

 謎の感動を覚えるサラを無視し、出されたドリンクに手を出す三人。少し歩き疲れたのか、結構な勢いで飲んでいた。

「改めて、お久しぶりっすね」

「私はアリエルちゃん以外に会うのは初めてですね。小西沙良です! ポジションはピッチャー、よろしくお願いします!」

「私はシャーロット、こっちはみずきちだよ。よろしくね」

「アリエル・オー・ミロワールよ。初めまして、みずきちさん」

「まあ、みずきなんすけどね」

 改めて挨拶を終え、四人は苦笑しながら向かい合う。すでに通話などではそれなりに交流していた四人であったが、こうして対面すると何とも言えぬ違和感があった。服装など、あちらの印象が残っているので仕方がない。

 ここはもう、彼女たちが出会った世界ではないのだから。

「さて、まず議題は、私とみずきちが体験した大獄の件、だ」

「そうね。随分、もったいぶっていたみたいだけど」

「話すべきか、悩んでいたのさ。私も、みずきちも、ね」

「っすね」

 運命と戦うため、メイド喫茶の片隅で話し合いが始まる。

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