最終章:明日を目指す者たち

「……信じられません」

 シャーロットの説明を聞いて、顔を曇らせるサラ。アリエルはレウニールの話を聞いていたため、概要は把握していたが、それでも事細かに聞くとサラと同じような反応になってしまう。二人が言い淀んでいた時点で、あまり良い話ではないとは思っていたのだが。事実は想像を超えていた。

「大獄の先が、この地球で、文明は滅びていた。な、何かこう、現実味がありませんね。SF小説みたいで、その」

 サラが言葉を探してしまうのも理解できる。それほどに荒唐無稽な話なのだ。異世界に行ったという経験がなければ誰も信じないだろう。

「まあ、厳密には自分たちが見た範囲は、っすけど。とはいえ、あんな化け物がいるんじゃ、正直望み薄だとは思うっす」

「銀色の、化け物。シンの大敵、『レコーズ』」

「シャーロットさんの能力以外は通じなかったんですよね?」

「私の能力も、残念ながら通じたというよりも足止めに有効だった、と言うだけだろうがね。極低温で周囲の運動を、時を鈍化させる。絶対零度なら、一応時を止めることまで出来るわけだ。無論、融ければ動き出す程度のもの」

 大した意味はない、とシャーロットは首を振る。

「そいつらが文明を滅ぼす……論拠はレウニールの話とあんたの映画、だっけ?」

「ああ」

「でも、あの時は自分じゃないって言ってたっすよね?」

「あの時はね。でも、今は違う。全部終わって、ようやく気付いたのさ。あの映画は恋文だよ。私から、葛城善に向けた」

「ヒュー! 自分の知らぬ間に進展したんすね! 妬けるっすこのこのー!」

「え?」

「…………」

 喜色を浮かべシャーロットを小突くみずきの横で、呆然とするサラと脂汗を垂れ流すアリエル。特にアリエルの様子は尋常ではなかった。

「ふっふっふ、その観点から見ればあの映画は満点だったと言えるだろう。しかも、苦しみ、悩める彼へのエールにもなったわけだ。やはり……スタァ」

 際限なく、留まることを知らぬ圧倒的己惚れ。ここが公共の場でなければとりあえず一発殴って黙らせていた、と後にアリエルは語る。

「先日、その映画であろうオファーも受けたしね」

「受けたの!?」

 アリエル、こらえきれずツッコむ。

「嫌いな仕事ではないし、断る理由もないからね。何か問題があったかい?」

「あ、あるに決まってんでしょ! あんたが大獄の話をしたのも、ここに集まったのも、その未来を回避するためじゃないの!? あんたがそれを受けたら、また一つ未来が固まってしまうってことじゃない! 確かにあの時あんたは映画を撮るって言ったわ。でも、相談もなしにやって良いことでもないでしょうに!」

 アリエルの言葉は至極真っ当であった。未来を変えようとする試みの前に、数少ない未来に繋がる論拠を固めようとするのは愚の骨頂。

 まさに愚行でしかない。

「理解しているよ。でも、私はやりたかったのさ。やると決めた上での相談も、反対されるのがわかり切っている相談も、時間の無駄だろ?」

 理由にならぬ答え。それを堂々と言い放つ図太さ。すべて理解した上で、それでもやりたいことを優先してしまう、己がサガか。

「……す、すごい人だね、アリエルちゃん」

「ただの馬鹿よ。本物のね」

「あはは、少し、羨ましいなぁ」

「その気持ち、めっちゃわかるっす」

 三人が苦笑する意図を解せずに「?」と首をひねるシャーロット。

「まあ、それに関してはいいわ。別に映画に出たからどうこうというものでもないでしょうし、話の信憑性がさらに増したのも事実だから」

「そういうことさ」

「ドヤ顔してんじゃないわよ。マジで殺すわよ、あんた」

「……カリカリしてるね、あの日かい?」

「シャーロットさん、それは駄目っす。色々アウトっす」

 無言で殴りかかろうとするアリエルをサラが止め、みずきが本人を嗜めるも、本人は何が悪いのか微塵も理解していない様子であった。

「気を取り直して話を進めるっす。自分たちが体験してきたことはここまでっすけど、シャーロットさんから事前に教えてもらっていた『賢人機関』、『レコーズ』については少し、調べてきたっすよ」

「さすが私の親友、仕事が早いね」

「へへ、照れるっす。で、結論から言うと全然、まったく、これっぽっちもわからなかったっすね。表側で検索しても何一つヒットしなかったですし、ダークウェブ上にもそれっぽい語句はあっても、ほとんどゲームの攻略情報とか眉唾な話ばかりっす。その言葉から真相に近づくのは、難しいんじゃないすかね」

 ゲーム、その言葉が出て来た瞬間、アリエルとシャーロットの顔色が変わる。

「その話、詳しく聞かせてくれないかい?」

「まあ、良いっすけど……今流行りのゲーム内にいるんすよ、賢人機関って連中が。そのゲームのゲームマスターで、ただの管理者団体っすけどね」

「私たちも調べたけど、そんな名称はなかったはずよ」

「あー、表側にはないっすね。そのゲームのバグ利用者を処罰するための機関らしいんで、正規のゲーマーが遭遇する可能性は皆無っす。名称も表に出てないす」

 みずきの話を聞き、二人は貌を曇らせたまま考えこむ。

「彼らが表に出てこない理由は?」

「そりゃあバグ利用者を増やさないためじゃないっすか? 表沙汰になればBAN覚悟で面白がってバグを使うゲーマーもいるでしょうし」

「……なるほど、ね」

 一応筋道は通っている。そもそもたかがゲーム、それが世界規模の話になるとは思えない。思えないのだが、ここでもその話が出てきたのであれば――

「そう言えば、五輪代表に選ばれそうなんだって?」

「お、いきなし話が飛んだっすね。それを言ったらサラ氏なんて女性として初のNPB入りっすよ。自分なんて所詮、女子カテゴリーっすから」

「育成枠だけどね」

「それでもすごいっす! チートっす!」

 やんややんやとサラを褒め殺すみずき。それを見てアリエルとシャーロットは一つ、息を吐き、同調して笑った。

 さあ、世間話でもしよう、と。

「で、何で話そらしたんすか?」

「うん、不自然すぎだね」

「いやー、まさかとは思うんすけど、自分たちには輝かしい未来があるからこれ以上は、みたいな安っぽい同情されたとかじゃないっすよね?」

「ここまで来て、それは酷いと思うなぁ」

 みずきとサラは笑顔だが、その実咎めるような視線を向けていた。

 それに気圧される形で、アリエルが重い口を開いた。

「……少し前にね、元アストライアーの先輩と話す機会があったのよ。第七位だった『ヒートヘイズ』さん。今はマリオさん、か」

「ほほう。知ってるっすよ」

「私はアストライアーに入る前から。弟がすっごいファンで」

「色々話している内に、一つ気になることを言っていたの。第四位『斬魔』さんがようやく就職したって、話」

 何が出てくるかと緊張していたみずきとサラは腰砕けになる。そもそも二人は彼が無職であったことすら知らないのだ。ありていに言うとどうでもいい話である。

「その就職先が、某ゲームのゲームマスター」

「……む」

 しかし、ここでみずきの顔つきが変わる。

「それを斡旋したのが、セレナ・ウィンザー、知ってるかい?」

「英国王室の……継承権何位かは忘れたっすけど、結構上の方じゃなかったっすか? 超大物っすよ」

「……?」

 みずきは驚くが、サラは知らなかったようで首をかしげている。

「賢人機関についても、レウニールとの会話の中で彼女の口から出ていたからね。十中八九、彼女は絡んでいる。そして、そんな大物である彼女が無職救済のため、仲間であったとはいえ、さほど親しくもない間柄の相手を誘って、自分の持ち物でもないただのゲーム会社に勤めさせるかい? ありえないさ」

「この話を聞いたのは、今日集まると決めた後だったの。正直、迷ったわ。あっちでは名前に意味なんてなかったけど、こっちじゃそうもいかない。本当にウィンザーが絡んでいると分かった以上、ことの大きさは想像を超えるわ」

 その時の会話でマリオ・ロサリオもアリエルに気を付けろ、と忠告していた。『ヒートヘイズ』ならともかく、フットボールとロックをこよなく愛する小金持ちマリオなら絶対に近づかないヤマだ、と言っていた。

 アリエルも同感である。トップがウィンザーならば、まだ良い。

 英国王室主導の話であれば一国での話。

「そのゲーム、発祥はどこの国だい?」

「普通にアメリカっすね。サーバーは世界中にあるはずっすよ」

「開発、運営会社の資本は?」

「今調べてるんすけど、これ……マジすか」

「……そういうことよ」

「やっべー、知らなかったっす。自分、良ゲーよりクソゲー派なんで、このゲーム守備範囲外だったんすよ。いや、これ、洒落にならんすね」

 調べながらみずきの顔が青ざめていく。

「え、と、みずきちゃん、どういうことなの?」

「最初は、小さな会社だったんで、当然自国の資本だけなんすけど、大きくなるにつれて、不自然なほど均等に世界各国の資本が入って来てるんす。これ、このゲームの都市伝説にもなってるんすね」

「ええ、あまりにも雑多な資本流入、急速に拡大した市場、それらが実は均一に、平等に、行われていたとしたら、どう思うかしら?」

「冗談めかして運営を国連だと言うものもいるね。もちろん、国連はそれをきっぱり否定しているが、とどのつまり、これは――」

「英国主導、どころか世界規模の、超ビッグプロジェクト、すか」

「あくまで可能性よ。でも、無い話じゃなくなった」

「その運営が、賢人機関……だとすると、いち個人でどうこう出来る話じゃないっすよ! とりあえず『斬魔』さんに裏を取らないと――」

「もう取った。いや、取れなかった、か」

「な、なんでですか!?」

「守秘義務がある、と」

「な、なんすかそれ!? 世界が滅ぶかの瀬戸際っすよ! 皆で協力して対処しないといけない話じゃないすか! それを、守秘義務って」

 憤慨するみずきであったが、アリエルとシャーロットの表情は暗いが、落ち着いていた。サラは二人の様子を怪訝に思う。

 彼女と同じ反応をしても良いはずなのに――

「もう一つ、彼は言った。危機は承知している。自分たちが全力で解決して見せる。だから、近づかない方がいい、とね。君たちの言った、安い同情って奴さ。キングさんからすると、私たちも守るべき婦女子になるってことだね」

 遠ざけたのは、彼の、いや、彼らの正義。

 彼も正しいことのため戦おうとしているのだ。これもわかり切っていたことである。アストライアーのメンバーに悪人はいなかった。皆、馬鹿がつくほどのお人好しばかりだったのだ。今更金のために悪を成そうとなどしない。

 正義と信じ、そこに立つと決めたのだ。

「今思えば、シン・イヴリース、加納恭爾という悪と戦う、なんてシンプルな構図は滅多にない物語だった、と思うわね。何が正しく、何が間違っているか、とてもあやふやで、正解が見えない。難しい状況よ」

「……ゼンさんだったら、どうしたと思う?」

「いやー、十中八九硬直してぼけーっと天を見上げてると思うっすよ」

 みずきの辛辣な回答に三人とも苦笑する。

 絵面が嫌と言うほど浮かんできたから。

「それでもきっと、あいつは正解を掴むわよ。何となくだけど、そう思う」

「ああ。でもここに、ゼンはいない」

「シュウさんもいないっすねえ」

「オーケンフィールド様もね。ふふ、考えてみれば私たち側に、アストライアーを率いた、導いた者って、誰もいないのよね」

 分かりやすい構図であったとはいえ、それでも正義の味方を正しく導いた英雄たちがいた。言葉で、理屈で、背中で道を示した者たちが、いた。

 しかし、この世界に彼らはいない。

「いないのであれば私がなろう。スタァの宿命さ」

「あんたより私の方が適任でしょ。とりあえず、そういうことだから関わるなら覚悟した方が良いわよ。今ならまだ、引き返せる」

「正義の味方ってのにはピンとこないんすけど、このまま知らないで通すには知り過ぎたっす。眠れなくなりそうなんで、いっちょかみさせてもらうっす」

「私も、役に立てるかわからないけど、手伝うよ! ガッツはあるし!」

 迷いなく、彼女たちは机の上で手を重ねた。共に戦う覚悟、宿命に抗う覚悟、必ず明日を掴み取って見せるという、決意を胸に。

「今日から私たちがこの世界のアストライアーってことで」

「いいねえ」

「いいっすね!」

「賛成です!」

 今日この日、この時代にアストライアーが結成された。メイド喫茶の誓い、として後世には残らなかった、と言うよりも遺さなかった事実である。

「それじゃあゲームについてもう少し詳しく話そうか」

「あ、私そもそもそのゲームのタイトルがわからないです」

「ふっふ、不肖このみずきちが答えるっす。そのゲームの名は――」

 彼女たちもまた希望の明日を望む。


     ○


 アストライアー第四位『斬魔』であった男、キング・スレードはその光景に絶句していた。眼前に広がる景色は、どれも倫理観を著しく欠如した光景で、彼自身ことここに及んで自分が正しい道を進んでいるか、不安になってしまう。

「驚きましたか?」

「……はい」

「確かに、これは人の業です。間違っていると、私も思います。ですが、滅びを免れるためには手段を選んでいる余裕など、無いのです」

 歯を食いしばる彼女の胸には罪悪感が渦巻いているのだろう。彼女もまた遠き日の滅びを回避するため、泥を飲む覚悟をした者の一人。

 それを、その覚悟を、何故キングは否定できようか。

「私を手伝ってくれますか?」

 三度目の問い。

 一度目は保留にした。家に自らやってきてあのウィンザー家の者が自分に頭を下げたのだ。今と同じように手伝って欲しい、と。その時は剣のことばかり頭にあって、働く気など無かったのでとりあえず保留にした。

 二度目は了承した。概要を説明され、世界のためであることも熱弁された。通信越しであったが熱意は嫌と言うほど伝わってきたし、内容も捨て置けるようなものではなかった。自分が役に立つなら、と了承したのだ。

 そして今、目の前に広がる光景を見せて、彼女は三度問う。

 これでもまだ、共に歩んでくれますか、と。

「私は、私の生きる世界を、時代を、どうしても救いたいのです」

 熱き正義。そこに我欲などない。その程度、見抜けぬほど愚か者になり下がったつもりもなかった。ゆえにキングは心の剣を捧げる。

「承知」

 短くも、強き言葉。彼女の、セレナの眼鏡の奥が、揺れる。

「ありがとうございます、キング」

 二人は同じ方向を見つめる。

「共に、世界を救いましょう」

 手を取り合って、その手がどれほど汚れようとも、正義のために戦うと決めた。それがこの世界のためであると、信じると決めたから。


     ○


「キングの野郎がニートを脱却したらしいぞ」

「この前、メールを貰ったから知ってる」

「へ、そーかい」

 病院の個室、そこにはベッドで横たわる男と隣で椅子に座り器用にりんごを剥く男がいた。相当ナイフを使い込んでいるのか、するする刃を扱う。

「今までの見舞客で一番、りんごを剥くのが上手いね」

「そりゃあどうも。ま、ガキの頃からナイフは嗜みみたいなもんだ。主に護身用ってか喧嘩用に使っていたけどな。おかげで刃物への恐怖心はあんまねえな」

「……ひどい環境だね」

「お互い様さ。ほい、剥けたぜ。食いねえピアニスト」

「ありがとう、フットボーラー」

 手渡されたりんごに口をつけるのはやせ細り、鍵盤を弾けなくなってしまった孤高のピアニスト、ヴォルフガングであった。

 それを見て微笑むのは世界最強のストライカー、マリオである。

「体調はどーよ?」

「順調に悪化してる。たぶん、年は越せない」

「……そーか」

「別に覚悟してたことだし、こうなってしまったら、俺は死んだも同然だ」

「んなこと言うなよ。哀しいじゃねえか」

「何故?」

「戦友だからさ。俺らを言い表すなら、それしかねーだろ」

「……確かに。あっちはさ、楽しかったよ。子どもの時みたいに、いや、それ以上に、思いっ切り駆け回れたから。本当に、楽しかった」

「そうだな」

 もう戻れない彼らにとっての昨日。

「俺は充分、楽しんだ。満足だ」

 その笑顔に偽りはない。充分、と満足、は嘘だろうが。

「俺ァよ、現役を引退することにした」

「そうか」

「元々、目標全部達成しちまって燃える場所を見失っていたんだ。最後に、お前らと一緒に燃え盛れた。これで悔いはねえ」

「それは、よかった」

 もう少しで冬が来る。燃え盛った日々の残り火も、絶えようとしていた。

「俺は監督をやるぜ。目を付けていた小僧は、ケガしちまって選手としては駄目になっちまってたが、ここドイツにすげえガキがいるってんでな」

「なるほど、それを見に来たついでか」

「逆だ馬鹿。見舞いついでにそいつを見に行くんだ。ガキの頃、ド天才って言われた奴でも、ちょっとしたらクスんじまうのが当たり前の世界だ。正直、ガキ見てもよくわかんねえよ」

「超一流は、子どもの頃から抜けているよ」

「……そうであってくれりゃ、ま、来た甲斐もあるけどな」

 彼らは他愛ないことを話す。たぶん、これが最後になるだろうから。まだ選手である彼に自由な時間と言うのはあまりない。選手をやめたとしても彼ほどのスターであればしばらくは雑音がついて回るだろう。

 少ない時間、それでも彼はここに来た。

「キングのやつ、しんどそうな感じだったぜ」

「……そっか。大変なんだな」

「みたいだな。働いて、金貰って、これからどんどんしがらみも増えていく。俺やお前もそうだったろ? 気づけば身動きが取れなくなっちまうんだ。自分の生活もある。意に沿わないオーダーも聞かなきゃならねえ」

「そうだね」

「……そしてどっかで惑う。自分は真っ直ぐ歩いてきたつもりでも、どっかで曲がっちまったんじゃないか、と。純粋な想いも色んなもんにまとわりつかれて、純粋じゃなくなってしまう。怖いよな」

 マリオは眼を瞑り、喉元にまで出かかった言葉を――

「俺、ゲーム買った」

「ッ!?」

 飲み込もうとしたところでヴォルフガングが言い放つ。

「健康じゃなくても出来るみたいだし、何かするならこれしかない」

「無理しなくて良いんだぜ」

「無理はしない。と言うかできない。でも、出来ることはやるさ。俺もアストライアーだ。ピアニストの俺は死んでも、『轟』はまだ生きている」

 悪戯っぽい笑みに秘められた強い意志。

「……実は俺も、キングの話を聞いてこの前買ってな。ちょっと触っている最中なんだ。つーか最近のゲームってすげえんだな。正直舐めてたわ」

「俺はもう、領域外で遊んでる」

「領域外、なんじゃそりゃ?」

 ヴォルフガングは真面目な顔になる。

「このゲームは普通のゲームじゃない。領域外に出たら、わかる。そもそも、俺の感覚だとあれに近い」

「あれ?」

「俺たちも良く知る、異世界転移だ。いや、転生、かな」

「……どういう、ことだ?」

「こっち側に来ればわかる。俺たちは体験済みだ。そっちも面白いけど、こっちはちょっと別格。ちなみに海賊やってる」

「ちょ、待て、なんだ海賊って?」

「来たらわかる。今度裏抜けの方法教える」

「何だ裏抜けって? ってか待て、思考が追いつかねえ」

「バグ技」

「バグ技とかよく知らねえけど、悪いことじゃねえのか?」

「推奨はされていない。でも、禁止にもなっていない。咎める機関は存在するけど、俺には本気で止めようとしているように見えない」

「……それは」

「本当の遊び方は、こっちな気がしてる」

 ヴォルフガングの獰猛な笑みを見て、これが年は越えられないと言った男の顔かよ、とマリオは毒づく。まだ死んでいない。生きている限り、繋げる方法はある。

「まあ、とりあえず俺にも教えろ。その裏抜けって奴」

「わかった」

 かすかに、マリオの中で鎮火していた何かが揺れる。もう戦う側に回ることはないと思っていたが、最後にひと花戦友と咲かせられるかもしれない。

 そう思うと、消えていたものが刺激されるのだ。

 まだ、終わりじゃない、と。


     ○


 仄暗い研究室の椅子に座りながら、煙草をくわえる男。こんなもの吸う大人はクズだ、と思っていたモノを今、己が吸っている滑稽さに男は嗤う。

 これは弱さだ。己の心の、虚栄を捨て去った後に残ったからっぽ。

「やあ、研究の進捗はどうですか、我が友」

 そんな己の領域に土足で踏み込むのは今の自分の飼い主、アールト。男はこの男が苦手であった。全てを見透かすような、目が苦手であった。

「前と変わりませんよ。器の再生は、倫理感さえ捨てれば既存技術で問題なく出来る。問題は、その者を、その者たらしめる記憶、経験、それらのインプット」

「難しいですかぁ?」

「色々試してはいますよ。実際、器に疑似的な負荷をかけることで、器のボディメイク自体はある程度出来るようになりました」

「ほほう、それは素晴らしいですねえ」

「ただ、既存技術ではそこ止まりです。記憶の移植、もしくは創作、どちらにせよ、神の、シンの領域と言うやつでは?」

「ならば、ケミストでも届くと思いますがね」

 短い付き合いであるがこのアールトと言う男、お気に入りの部下には性能の限界を求める傾向があり、容易いタスクは死んでも課さない。

 結果として、短い間で随分やさぐれてしまった。

 まあ、成長の理由はそれだけではないのだが――

「とはいえ、君だけに頼りきりと言うのも少し酷かと思いまして、私も一つ方法を提案しにきたのです。さあ、おいで小さなレディ」

 アールトに手招かれ、現れたのは男が驚くほどの美少女であった。完全なる美、それを体現すれば彼女となるかもしれない。

 ほんの少し、どこか妖艶さも漂わせているのは、年相応には見えないが。

「お初にお目にかかります、プロフェッサー」

「僕が教授、ね。くく、皮肉が効いてる子じゃないか。で、この子は僕の研究の何に役立つんだい? とても研究室が似合う子には見えないけれど」

 ドレスを着て、社交場で踊っている方が向いているだろう、と男は思う。白衣や作業着を着ている様など想像も出来なかった。

「君も知っていることではありますが、昨今少しずつ魔力持ちが増え始めております。彼女も、その内に一人です」

「ふぅん、それはわかりましたよ。でも、研究の役には立たない」

「ふふ、早とちりですねえ。クララ」

「はい、アールト様」

 クララと呼ばれた少女のまとい持つ雰囲気が変じる。男にはわかる。男は自分を改造し、魔族化したことで魔力に対する器官を取り戻していた。

 だからこそ、この不気味な雰囲気が魔力によるものだと、わかった。

 わかったのだが――

「……なんだ、この、気持ちの悪い魔力は」

「彼女の能力は降霊、つまり今使っているのは、フィフスフィアです」

「……ありえない。葛城善は特殊な事例ですよ。魔力満ちていた世界でも到達者はロキぐらいだった。僕らは調律を受けていたから使えただけ」

「時代は進みます。常識に囚われてはいけませんよ」

「降霊など、実証しようがない」

「いいえ、彼女はもう、実証済みです」

 アールトはカバンから封筒を取り出す。それを男に渡し、中を開けてみろと勧める。恐る恐る、男はそれの封を開けると、中には書類が入っていた。

 そこには――

「ッ!?」

「彼女は、例に漏れず犯罪者です。厳密には、故意かどうか知る術がないため、立証は限りなく難しいでしょうが」

「事故で死亡した友人の魂を野良犬に移植? 知能の向上を確認。『事故』で死亡した両親の魂を祖父母に移植し記憶の上書を確認……その後、一年同居、はは、どうかしている。気が狂っているとしか、思えない」

 男も大概の研究内容であったが、それでも必要であるからやっているだけ。仕事として対価を貰いやっているだけである。

 だが、目の前の少女はそんなものなしに、それらをやった。

 様々な、手法で行われた『実験』の数々は、男から言葉を失わせるには充分な内容であった。小さな怪物、同じ人間とは思えない。

「……何故?」

「蘇らせたい人がいます。そのための、練習です」

 はっきりと少女は言い切った。練習、と。

「たまたま、彼女の蘇らせたい人物が私と一致したのです。それで、手を組むことにしました。彼女の身辺警護は私たちが請け負い、対価として私たちの研究を手伝ってもらう。ウィンウィンの関係、です」

 男は顔をしかめる。

「僕は器を創ればいい、と」

「彼女が通用するなら、そうなりますね」

「僕である必要を感じない。その辺の盆暗でも出来ることだ」

「いいえ。フィフスフィアを知り、化学を知り、それらをコントロールできる人材は君しかいません。期待していますよ」

「……ファーストロットはどうしますか?」

「一番成長している器でお願いします。確か、『彼』でしたよね」

「……わかりました」

「では、彼女は預けます。この研究は、私のエゴでもありますが、化学と魔術を合わせる試み自体はこれから先、必ず役立ちます」

 そう言って、アールトは去っていく。

 残された二人は――

「……お菓子でも食べるかい?」

「必要ありません。それよりも、私の練習台たちを見せてもらってもいいですか? 私、ワクワクしているのです」

「マッドサイエンティストの素質、あるよ」

 その言葉を聞き、少女クララは嗤う。何もわかっていない、と。

「私にそんなものありませんよ。だって、研究過程なんてどうでもいいですから。必要なのは結果です。ただ一人、ただ一人だけで、良い」

 怖気が奔るほどの妄執。男は生唾を飲み込む。先ほど感じた年齢のギャップ、今はさらに大きく感じてしまう。まるで少女の器に、何か別の者が入っているかのような、そんな違和感。それが怖い。

「では、拝見させて頂きますね」

「……ああ」

 研究所の地下、器を生成、成長させるための装置がずらりと並んでいた。見るものが見れば吐き気を催してしまうほど、禁忌極まる空間である。

 それでも少女は微笑んだ。まるで夢の欠片を見つけたかのように。

「この器ですか?」

「よくわかったね」

「一番、大きいですから。名前は――」

 器を納める装置のせいか、少女の笑みが歪んで見えた。

「ニケ。いい名前ですね」

 妖艶な、どこか夜のような、雰囲気で、獣のように嗤う。


     ○


 葛城善はぼーっと天を眺めていた。

 手にはトンデモサイズの串に貫かれたトンデモサイズの肉塊。これで十本目と言うのだから少々、物理法則を無視している。

「げっぷ」

 げっぷをすると、何故かお腹に空きが出来るんだなぁ、とゼンはしみじみ海を眺めつつ思い耽っていた。深いようで、凄まじく浅い思考である。

『いやー、いいねえ西海岸。最高に陽気だYO!』

「久しぶりに聞いたな、それ」

『流行はグルグル回るもんだYO!』

 アストライアーのメンバー、非番の者だけ集めて開かれたオーケンフィールド所有のプライベートビーチにて開かれたバーベキュー大会。

 イチジョーは手慣れた様子で串を焼き、皆を驚かせている。本人曰く、昔、屋台担当だったことがあるそうだ。掘り下げるのが少し怖い過去である。

 アカギは残念ながら所用で日本、会いたい人がいるそうな。

 ニールは砂浜で見事な城を築き、オーケンフィールドの妹から拍手喝采を浴びていた。さすが『クレイマスター』である。

 アーサーは水辺で遊ぶ『コードレス』ら少女たちを見て笑みを浮かべていた。見ようによってはただの不審者でしかないが、一応本人は親代わりのつもりである。

 スポンサーの一人であるアルファも忙しい合間を縫って顔を出し、助手席にはクーンもいた。後部座席にはクーンの面倒を見てくれている女性もいたそうな。すっかり立派なヒモに戻ったようである。二度エンストしたそうなので不運も継続中だとか。

 その他にも大勢が久方ぶりの休暇を楽しんでいた。

「や、ゼン」

「はろー」

「無理しなくていいよ。まだ慣れない?」

「外国語は難しい。日本人だからな、俺は」

「あそこは言語に関しては閉じているからなぁ。あ、串食べる?」

「食べる」

 もりもり食べ始めるゼン。この男、無限の胃袋を持つ。

「妹と遊んでくれたみたいだね」

「ん、俺が世話してもらっただけだ」

「凄く良い人だった、って褒めてたよ。お兄様より、ってのが結構傷ついたけどね。昔はハンスお兄様ーって慕われていたんだけどさ」

「長く留守にしたからな。俺も弟や家族とこの前温泉に行ったんだが、ギゾー監修の小気味なトークをする前に、何故か宣戦布告をされてしまった」

「兄妹は難しいよなぁ」

「ああ、兄弟は難しい」

 ぺろりと平らげ、二人は水平線を見つめる。

「大変か?」

「ん、ああ、大したことないよ。やりたいことをやってるだけ」

「……そうか」

「ゼンこそ働き通しだろ? 有給、使っても良いんだぜ?」

「今日使った。家族旅行にも」

「もっと小刻みにって話なんだけどね」

「お前が休むなら、俺もそうする」

「……それは、難しいなぁ」

 正義の味方、アストライアー。今は何とかその形態を保てているが、先日アールトに指摘された通り、各所にネズミが入り込んでいたことが判明。今は内外に敵を抱えている危険な状況であった。

 当然、リーダーであるオーケンフィールドに休まる時はない。

「これで、約束は半分だ」

「約束? 半分?」

『ハンスの兄貴ぃ、こいつやっぱ駄目だわ。そろそろ頭入れ替えないと』

「……?」

 ゼン、思い当たる節がない。

「誕生日、おめでとう」

「……?」

「うっそぉ」

『すまねえ、俺が一から教育しとくから許してくれぇ』

 やはり、思い当たる節がない。そもそも誕生日自体、今言われて気付いたくらいである。さすがの脳みそ、たぶん記憶容量が数ビットしかないのだろう。

 その分すべてが武器作りに使われていると考えれば、何とか釣り合いが取れるかもしれない。それにしてもあまりの記憶力であるが。

「ま、前に約束しただろ。誕生日会、やろうって」

「したか?」

『したっての。しまいにゃ泣かれちまうぞ、ハンスに謝りなさい!』

「……ごめんなさい」

『心がこもっていない! やり直し!』

「すいません」

 ギゾーに無理矢理謝らされても、謝罪になっていない気もするが、この一連の流れ自体がユーモアなのだとギゾーは語る。

「まあいいさ。あの時はボロボロだったしな」

「そうなのか、すまんな」

「その時、みんなで、って言ったんだ」

「アカギとかも交えてってことか? それは今難しいと思うぞ」

「そうじゃない。アストライアーみんなでってこと。二つの世界には大きな壁がある。常識的に考えて、難しいのはわかっている」

 ようやくハンスの言葉を解し、ゼンは眼を大きく見開く。

「でも、いつかやろう。やっぱりさ、勝利の美酒はみんなで味わわないとな。ゼンもそっちの方が良いだろう? 美女二人に注いでもらいたいだろうし」

「……そういうのでは、ない」

 かすかに頬を赤らめるゼン。それを見てハンスはいたずらっぽく笑う。

「おっと、九鬼君が何故かこっちに向かって突進してきた」

「何かしたのか?」

「んー、女の勘じゃない? 彼女はどこまでも乙女だねえ。羨ましい限りだ」

 ぱん、とゼンの背中を叩き、ハンスは拳を突き出す。

「まだまだ休まる時はない。それでも、一緒に戦ってくれるか、親友」

 ゼンは苦笑しながら、躊躇いなく拳を合わせた。

「もちろんだ」

「正義のためにね」

「俺のは偽善だ」

「まだ言うのか!? 前は正義って言っていたらしいじゃないか。『コードレス』に聞いたよ。凄い格好良かったって」

「……あれは、あの状況だからだ。俺だけの戦いじゃなかったから、そう言っただけ。俺は基本的に、偽善者でしかない」

『ここだけは頑固なのよ、相棒も』

「まったく。まあ、君らしいよ」

 鬼の形相で突進してくる九鬼の前に立ちはだかるは、意外と暇しているのかバーベキューセットを持参し、玄人感満載で現れた大星である。

 二人は浜辺でトンデモバトルを始める。

 皆、それを見てやんややんやと騒ぎだしていた。

「あっはっは、相変わらずなのは、みんな、か」

「くく、そうだな」

『類友ってやつだ、諦めな』

「「違いない」」

 つかの間の休息、未だ世界は混迷を増したまま。先々の見通しは立たない。今は世界中がアストライアーの創った流れに乗っているが、これがいつまで続くかもわからない。隙を見せれば、すぐに足はすくわれてしまう。

 戦いは続く。形を変えて。それが人の世、人の業なのかもしれない。だが、それで納得してしまえば、そこ止まりであろう。

 次のステージは、その先に在るはずだから。

 希望はきっと、在る。

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