最終章:いつかの始まり

 魔王が討ち果たされ、英雄も去った後のロディニアは、戦後復興に皆が勤しんでいた。垣根無く、世界中の者が手と手を取り合い、明日を目指す。

 まさに平和であろう。

「……ロキ、エルの民と共に生きるつもりはありませんか?」

「ハッ、心にもねえこと言うな、ライラァ」

「私は、元々貴方のことは嫌いではありませんよ」

「……テメエも大概変わりもんだよ」

 ロキは苦笑し、目を合わせずに身を翻す。

「悪いが、俺は俺の道を行く。いずれ、テメエらとも敵対する時もあるだろう。俺は発展を生む者。望み、託す者とは水に合わねえ」

「……そうですか」

「俺たちからすりゃ束の間の平和。ほんの百年もすりゃ人は元通りになるぜ。賭けてもいい。良くも悪くも、それが人だ」

「また、魔王がやってくる、と?」

 ロキは少し足を止め、歪んだ笑みをライラに向ける。

「それはねえな。そんな救いは、今回限りだ」

「救い?」

 だが、それきりロキは核心に触れなかった。

「じゃあなァ。ガキでも生まれたら、俺が預かってもいいぜェ。魔族と神族のハーフ、育て甲斐がありそうだ」

「……なっ!? そ、そんなことないわよ!」

「くっくっく、そっちの方がらしいんじゃねえか、族長。今更カマトトぶっても、ババアの役割なんざ誰もテメエに求めてねえよ」

 ケタケタ笑い、ロキは去る。この里で育てられ、出て行った人と魔のハーフ。居場所はない。征く場所も、ない。

 あるのはただ、魔術の神髄を求めることのみ。

 それだけが彼の生きる意味である。


     ○


 武器作りから復興の資材作りへ転職を余儀なくされたウィルスやカナヤゴは連日ひーひー言いながら仕事に追われていた。ちょっと前までは需要しかなかった武器など、今の世には必要ない。ゆえに仕事にならない。

 良いことではあるのだが――

「ぶはァ、つまらん!」

 仮設の青空酒場で今日もカナヤゴは酒を飲む。飲みたい時が飲むべき時、ドゥエグなのだから仕方がないと彼女は言い切る。

 同じように手伝いをするドゥエグも気持ちよさそうに昼飲みしていた。彼女の言葉に嘘はない。全員まとめてのんべえなのである。

 昼も飲むし、夜も飲む。

「……飲み過ぎだ。仕事に差し障るぞ」

「こんなもん樽で飲んでも支障なんぞ出るか! 武器ならいざ知らず、釘や鉄材じゃぞ? 寝てても出来るわい!」

 仕事内容に不満まみれなカナヤゴをいさめるウィルスの言葉は、当然の如く彼女には届かなかった。まあ、鍛冶師として不満があるのは同じ、あまり強くは言えない。世の中の流れとしてはいい方向ではあるのだろうが――

「おー、昼間っから仕上がっている職人がいるぞ、見ろアルフォンス」

「そういう君も随分飲んでいるだろうに」

 べろんべろんに酔っぱらったレインに肩を貸すアルフォンスも酒場に現れる。どうやらこの店に来るまでに別の店で飲んでいたらしい。

「俺は一滴も飲んでいない」

「そりゃあいかんなァ。平和の時代、楽しむ心は大切だぞ。どれ、幼馴染が避けの楽しみ方を教えてやろう、ういっ、ひっく」

 断りもなく、どさりとウィルスの隣に座るレイン。慣れたものなのか、ウィルスはため息をつくだけ。アルフォンスはカナヤゴの隣に座る。

「良い時代だ。誰もが希望を胸に、明日へと向かっている。もはや英雄など必要ない。戦士もまた、不要。私もお役御免というわけだ。なっはっは」

「嫌なのか?」

「まさか。望んでいた、今日だとも」

 レインは心底幸せそうに天を仰ぐ。

「平和に乾杯! 我らが英雄、ゼンに、アストライアーに、乾杯!」

 その音頭に酒場中から無関係の者たちが「かんぱーい!」と叫ぶ。そのままレイン交えて飲み合戦が始まってしまうほど、皆浮かれていた。

 何度も言うが、まだ昼である。

「ずっとこんな様子だ。どうにかならないか、ウィルス」

「俺に言われても困る」

「幼馴染だろう?」

「幼い頃から知っているという意味なら、お前もそうだ」

「……お前たちほど、心の距離は近くない」

「近ければ、良いと言うものでもない」

 ウィルスはカナヤゴのジョッキを奪い取り、残りをごくごくと飲み干す。「ああ、私のぉ」と嘆くカナヤゴは無視して――

「俺は、あの日、奇跡を見た」

「ぶはは、私も見たぞぉ」

 誰もが見た、葛城善という奇跡。彼がもたらした奇跡、希望、それがあるからこそ今がある。明日に向かって駆け出す力が、湧いてくる。

 この世界の共通認識である。

「あの剣は、次々と溢れ出た、あれらは、凄すぎた」

「私たちの工夫なぞ、それこそ児戯と嘲笑うかのような、業物の数々。ぶは、あれには勝てん。生涯賭しても、届く気がせん」

 ただ、彼らだけは、剣鍛冶としてこの世界の頂点に立つ二人だけは、別のモノを受け取っていた。圧倒的敗北感、負けず嫌いが動かぬほど、他の者たちと同じように感動してしまった時点で、嫉妬が浮かばぬ時点で、負け。

「極めつけは、最後の一振りだ。あれほど見事な剣は他にない。俺たちもあらゆる方向から再生を阻害する機能を盛り込んだが、致死には届かなかった」

「貫いたんは世界中からかき集めた魔力じゃが、殺したんはあの剣の、エクセリオンの力よ。斬るたびに学習し、耐性を得る怪物じゃぞ。わけがわからん!」

 だん、と鼻息荒くカナヤゴはお代わりを飲み干す。

「負けじゃ負け。私たちでは届かん!」

「ああ」

 珍しいものを見ているな、とアルフォンスは苦笑する。カナヤゴのことはよく知らないが、彼らのような人種の負けず嫌いは承知している。今までどんな奇跡を見せつけられても諦めなかった彼らが、とうとう白旗をあげたのだから。

「ゆえに、俺たちは結婚することにした」

「そうか、それは……え!?」

 騎士アルフォンス、驚き過ぎて椅子から転げ落ちる。

「一世代では勝てん! が、鍛冶師として世代を重ねればわかるまい! 十、百、世代を重ねた先で、私たちはヴァルカンを超えるのだ! ぶっはっは!」

「そういうことだ」

 椅子に這い上がり、アルフォンスは立ち上がるも混乱の極み。

「い、いや、そこまでする必要は――」

「「負けっぱなしは嫌だ(じゃ)」」

 この二人、微塵も諦めていなかったことをアルフォンスは知る。

「ウィルス、お前、レインのことは」

「……あえて言うつもりもなかったが、そもそもずっと昔に振られている」

「へ?」

「自分より強い相手にしろ、と娘を溺愛していた御父上の遺言があるそうだ。頑張れ、アルフォンス。とりあえずあいつに勝てば条件達成だ」

「……ええ」

 何とも言えぬ心地のアルフォンスはとりあえず、

「……エール、冷えたのください!」

 酒に逃げた。

「ぶっはっは、まあ、別にお互い嫌いではないからの。あれに勝つにはそれぐらいせんといかん。髪色はどっちに似ても紅い髪だし、文句なしじゃ!」

 カナヤゴ、腕を組み大笑いをする。

 ちょっと常人にはわからない価値観であった。

「本当に、それでいいのか?」

「俺たちは、どうしようもなくクリエイターなんだ。人としての理がある一方で、造り手としての理もある。世界を救ってくれたことはもちろん、剣鍛冶一つとっても遥か先があることを示してくれた。俺たちはまだ遥か道半ば、ゼンという男の足元にも及んでいない。それはとても悔しいことだが……」

「私たちにとっては救いでもある。ぶは、生涯賭して届かぬ頂き、常に挑戦者として山巓に臨む喜び、私たちは感謝せねばなるまい」

「俺たちは二つ分の理をもって彼に感謝する。それを表す方法は、俺たちにはモノを造ることしか考えられない。いつか、追いつくその日まで」

「ぶはは、それが我らの矜持よ。同族としての、同じ志を持つ者としての、先んじた者への敬意と感謝。超えてこそ、届くのだ! 遥か遠きいつかに」

 共に工房で汗を流し、短い間だったが苦楽を共にした戦友。彼らにしか分からぬ絆があるのだろう。彼らにしか通じぬ表現があるのだろう。

 それをアルフォンスは少し羨ましく思った。

「君たちの血筋なら、本当に届きそうだな」

「ぶはは、ヴィシャケイオスだなんだと言っていた私が言うのもなんだが、血などどこかで絶えるものだ。そこにこだわりはない!」

「志さえ継いでくれるなら、人族でなくとも構わない。彼は人でもあり、魔でもあった。今更、そんなつまらん考えは持たんよ」

 固き決意を見てアルフォンスは問う。

「その志とは?」

 二人は挑戦的な笑みを浮かべ、

「「今より良きものを創る!」」

 葛城善の背を追い続けると、いつか超えて見せると、誓う。

 ここから彼らの物語が始まり、そしていつか、葛城善の物語に繋がる。

 それはずっと遠くの、果てしない道のりの先、であるが――


     ○


 魔界はしばらくの平穏の後、各地で戦いが勃発し始めた。

 ベリアルが深き眠りにつき、大戦で多くの主力を失ったベリアルの軍勢の影響力低下により、バランスを欠いた魔界は全土で火の手が上がる。

 彼らはもとより戦闘種族、これが日常ではある。

 だが――

『……随分と、生き急いでいるようですね』

『黙れ、小蠅風情が』

 近年、あまり動かなかった六大魔王が戦火をまき散らし始めたことで、ロキがこの地に現れた時以上の戦乱が巻き起こる。

 もともとそういう土地ではある。彼らもまたそういう生き物である。

『……ドラクルー。イヴァン様たち、遅いねぇ』

『そうだな。道にでも迷われているのだろう。少し、遠くへ行かれたからな』

『そっかー。その袋はなに? 食べ物?』

『……わからない。だが、大事なものなのだ。お二方に託された、とても、大事な。いつか、この地にも芽吹くと良いのだが』

『めぶくってなあに?』

『これは、地平線一杯に黄金が埋め尽くす、そんな夢の、欠片だ』

『そんなのうそだー』

 それでも、僅かでも、人々とのふれあいで変わった者も、いたのだ。

 魔界と言う世界においてひと握にも満たぬ数ではあるが――

『俺は止まらんぞ! 止めたければ、俺を殺してみろォ!』

『……ッ!?』

 されど戦火は拡大するばかり――


     ○


 フラミネスが離れたことにより、ロディナ・ルゴスは都市機能を別の場所へ移転する必要があった。未だ延焼を続ける極北の地がある限り、差し迫った問題ではないが、それでも居座り続けるわけにはいかない。

「……子どもたちの様子はどうですか?」

「離れたくないと駄々をこねる子もいましたが、ゼン様にゆかりのある土地なのでむしろ楽しみにしている子も多いです」

 大樹の都市を支え続けたフラミネスとその血脈に連なるフランセットが、今は主無きアストライアーの本部で話し合っていた。

「もはや、今の私にもう一度生存圏を拡張する大魔術を張る力はありません。いえ、張ったところで此度の戦で負った傷、治りの遅さからして私もまた生存限界を迎えつつあるのでしょう。皆には申し訳ありませんが」

「フラミネス様は充分尽力なされました。隠居されることに誰が反対できるでしょうか。後のことは皆で相談しながら進めようと思います」

「そうですね。ここから先の時代、私のようなものが前に出る必要はないでしょう。若き者たちの、時代が来ます。念願の、明日が」

 フラミネスは静かに涙を流す。人を支え続けるという重責、ようやく若き者たちに繋げ肩の荷を下ろせる安堵、全てが綯交ぜになり、涙が止まらない。

「いけませんね。歳を取ると涙もろくなって……貴女も子どもたちと一緒にティラナへ向かうつもりなのですか?」

「はい、そのつもりです」

「……ティラナの王は大恩ある英雄の子どもたちならば、手厚く迎え入れたいと言ってくださいました。もう、貴女が頑張る必要もないのですよ」

 一瞬、フランセットは目を伏せ、

「わかっています。でも、それでも私は、あの人の遺したものを守りたいのです。あの子たちが、私とあの人を繋ぐ、唯一の絆ですから」

 ぎこちなく、微笑む。強がりの笑み、フラミネスはため息をつく。

「もう、英雄は――」

「わかっています。わかって、いるんです」

 もう二度と会えることはない。頭では分かっているのだ。それでも、あの子たちと一緒ならば、あの時のように会えるのではないか。

 そんなか細い、希望に縋らないと、耐えられない。

 一言、たった一言、謝りたかった。

 あの人にとって良い思い出で、在りたかった。

 せめて、それぐらいは、そんなことばかり考えてしまう。もう一度会いたい。子どもたちを通して、でもいい。それでも、そう思う。


     ○


『随分と物騒な宝物庫だね』

『勝手に入って来てんじゃねえぞ。ようやくあの猫娘を郷里に叩き返したってのに、今度は人形がやってくるなんて聞いてねえ』

『言ってないからね。お、これはまた珍しい』

『触んな!』

 フェネクスと言い争いをしているのはライブラであった。常々、ゼンからレウニールの宝物庫について聞かされていた彼女は、いつか行ってみたいと思っていたのだ。そして、主がいなくなったと知るや否や、単身魔界へ乗り込み、館へ潜り込んだ。全ては知的好奇心を満たすため。

『魔界の波長を体得してんのがムカつくな、テメエ』

『郷に入らば郷に従え。神族の波長もいける口さ。これでもボクは――』

 そして不死鳥と機構魔女が邂逅した瞬間、

『……どういう、ことだ?』

『さて、ね』

 魔術陣が目の前に浮かぶ。レウニールのそれではない。英雄召喚のでも、転生ガチャ向けの転送術式でも、ない。

 これは世界の、A・Oの術式。

『入れってか?』

『そのようだ。ボクはとりあえず入ってみるけど、君はどうする?』

『特にやることもねえしな。暇つぶしに入っとくか』

『おや、その割には随分嬉しそうだけどね。この先に彼が待つとは限らないよ。いや、その可能性は限りなく低いと言って良い』

『うっせえな、解体するぞ、ガラクタァ!』

 そしてひと柱と一体は躊躇うことなく、その招きに応じる。

 果たしてその先に何が待ち受けているのか、それを知るのは只人が英雄となる物語を超え、エピローグの先の真実に至った時、である。

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