最終章:決着
世界に轟く断末魔、誰もがその光景を見ていた。『コードレス』が散り際に遺した能力が『絶望』を打ち砕く『希望』を世界に届ける。
世界中が歓喜に包まれていた。
長き戦いであった。第一の男が現れたのは十年以上前、彼が現れるよりさらに前からこの世界を覆っていた『絶望』。確かに、因果応報ではある。元は人の欲望が、新たなる領土への野心が、欲望が、彼を招いた。
それは曲げてはならない。先に魔族を踏みつけ、世界に覇を唱えたのは人なのだ。善人ばかりではない。今、心の底から希望を願い、喜びの涙を浮かべる者の中にも野心はあった、欲望はあった。
人には汚い一面がある。同時に美しい一面も、ある。
それだけのことなのだ。
○
ゼンは先ほどまで海の上で立っていたはずなのに、どこかで見たような空間に立ち尽くしていることを驚いていた。手には剣がない。
片眼は、がらんどう。義手も、無い。
そして眼前には、人の姿に戻った加納恭爾が同じように立っていた。
「どういうことだ? ここは、どこだ!?」
「まだ、君にはわからないところですよ。君は私を介して迷い込んだだけ」
ただ、ゼンと加納の違いは今の状況を認識できていないか、認識できているのか、そこだけである。そしてそれは、大きな隔たりなのだ。
「学習機能を逆手に取った、免疫機能の極活性化、ですか」
「……わかっているなら、対策をしたらどうだ?」
「ふっ、その機能を切れば、先ほど私が打ち払った剣で、貫かれるだけ。毒と薬、両方には対応できません。そもそも、その機能はイヴリース由来のもの。残念ながら、私にオンオフの権限はありませんので」
加納はくっくと哂う。
「それに、もう遅い」
「何の話だ?」
「……くっく、成長しても察しの悪さに変わりはない。変わるものもあれば、変わらぬものもある、ですか。まったく、最後まで飽きさせてくれませんね」
加納はゆるりとゼンの近くまで歩む。警戒するゼンであったが、フィフスフィアどころか魔力すら出せぬ状況に、困惑は深まるばかり。
「君は勝った。私は負けた」
「いいや。まだ、お前はここにいる」
「おお、察しは悪いですが、不思議と良いセンつきますね。そう、私はここにいる。ですが、同時にもうここにはいません」
「……何を言っているんだ?」
「いずれ分かります。ただ、今この時のことは覚えておいた方が良いと思いますよ。今の私たちをシュバルツバルトは観測出来ていない。それが可能性です」
「意味がわからん」
頭の中が疑問符だらけのゼンを見て、加納は苦笑した。
「時間もないでしょうし、まあ、いくつか負け惜しみと予言でもしておきましょうか。近い将来、人は再び無と遭遇することになるでしょう。君がこちらに持ってきたあの義手、あれは危機に対する備えだと思います。科学と魔術の複合、着眼点は悪くありません。おそらく、第一の男辺りの計画かと」
「……今、義手の話をするのか?」
「ええ。今回の戦いで一番引っ掛かりましたので。君があちらの世界に戻って、もし、こちらと同じ時間が流れていたとすれば、実戦投入可能な段階に調律できていることなど、ありえない。君が考えているよりもずっと、シックスセンスを別の物体、人物に適合させることは難しいことなのです」
何故加納が今、こんな話をしているのか、ゼンにはわからない。
悪意を感じないから、なおさら――
「新人類でも時間のかかること、おそらくはまだその域にも達していない文明レベルで、あれが短期間で存在していること自体、大きな謎です」
郵送で送られてきて、馴染んだから使っていただけの義手に、まさかこれほど加納が喰いついてくるとは思わなかった。
「あまり、良いことではないと思いますよ。魔力の流れを見るに、恐ろしい精度でした。まるで、最初から君に合わせて造られたモノの、ように」
「義手なんだから合わせて作られるだろ」
「ええ、問題なのは時間軸、ですがね。まあ、いいでしょう。重要なのは、そんな玩具では彼らに抗う力足り得ない、ということです。あくまで計画の一部なのでしょうが、どちらにせよ力で対抗する術、それでは絶対に勝てません」
「無、というやつか?」
「そうです。私は存外、彼らの在り様は嫌いではありませんが、多くの者にとって彼らは最悪の災厄となるでしょう。有限の者が力で適う物量ではなく、有限の道理が通じる相手でもない。勝ち目はありません。今の手札の中には」
「随分と言い切るんだな」
「私はイヴリースの記憶、知識を引き継いでいます。旧人類がどのようにして発展し、どのように滅びたのか、全てではなくとも知っているので」
旧人類、シュウの推測を思い出し、ゼンは顔をしかめる。
「旧人類と私たちの時代、まあ、私は少々前に亡くなりましたが、皆の記憶から鑑みるに現状大きな違いはありません。むしろ、裏側は遅れているまで、ある」
「裏側?」
「賢人会議と賢人機関、奇しくも自らを賢しいと騙る者たちの群れです。その差はまあ、人の差ではなく知恵の実に直接接続しているか、シュバルツバルトというフィルターを介しているか、その違いでしかないのでしょうが」
加納は目を細める。
「双方にさしたる違いはない。ならば必然、結果は同じ」
「……俺には、あいつらが負けるとは思えない。希望はあるはずだ」
「ありませんよ。私の進退に関する記録はありませんでしたが、アストライアーに所属していた面々がここでの経験を通し、彼らの時代の中心になっていく記録は残っています。足掻き、もがき、そして、諦める」
「お前相手でも諦めなかった奴らだぞ!」
「私相手? ふっふ、いやいや、やはり君はまだ甘い。そして青い。人にとっての最大の敵を知っていますか?」
「……その、無という奴らか?」
加納は満面の笑みを浮かべる。
「いいえ、人です」
その笑みに、ゼンは何故か気圧された気がした。
「私のようなマイノリティではなく、マジョリティの中にこそ真の敵はいます。共に戦い、手を取り合った者同士、同じ正義を志す者でも、割れる。君たちアストライアーに所属していた者も、例にもれず割れました。片方は災厄を退ける力を求め、片方は融和の道を模索して、双方共倒れ」
「そんな、馬鹿な」
「敵がいることは、人にとっての救いなのです。ある意味で無もそう。本当の地獄は群れの敵を欠いた凪の時代にこそある。平和は人を腐らせる。君もいずれ知るでしょう。人間という存在がどれほど醜く、薄汚い存在であるかが――」
ゼンはたまらずに加納に掴みかかろうとする。
「お前が、お前がそれを言うな!」
だが、その手はするりと抜け、掴むことは出来なかった。
同時にゼンの身体が、薄れ始める。
「私の力は、私だけが育んだものではありません。私が生きた時代、戦争のない国で、何不自由なく暮らし、それなりの立場を得たモノの目に映った世界そのものです。確かに私は歪んでいます。間違いなく、悪です。そこを否定する気はない」
ゼンは顔を歪める。それを語る加納に貌に、僅かでも悪意があれば否定することも出来た。僅かでもあれば、負け惜しみの戯言だと笑い飛ばすことも、出来た。
だが、その眼にはもう、無いのだ。何も――
「ただ、本当に怖いのはマイノリティでしかない悪ではなく、常にマジョリティであることは覚えておいた方が良いですよ。君がこれから先、その生き方を貫き続けるのだとすれば、必ずそこに突き当たり、知ることとなる」
ゆえにこれはただの、
「何故、俺にそんな忠告めいたことをする?」
加納恭爾という悪意の獣が、自らを終わらせた者に対するひと握の善意なのだ。
「私に勝利した者が、容易く折れてもらってもつまらないでしょう? 君は素晴らしい人物に多く出会ったかもしれません。ですが彼らは、ある意味で私同様のマイノリティでしかないのです。社会に置いて彼らは異質で、決して主流になることはない。彼らは弱さを、醜さを共有できないから」
ゼンの身体がどんどん薄れていく。
「君もまた可能性ではあるが、現状ではただの例外。妬み、嫉み、些細な感情で揺れ、本能に抗えぬ獣こそが人の本質、圧倒的大多数。それは変わらない」
「違う!」
ゼンは加納を否定する。否定せねばならぬと、思った。
それを聞いて、加納恭爾は微笑む。
「ならば、君は曲がってくれるなよ。私を永劫否定し、君という生き方を貫き、そして人を変えて見せろ。今のままでは早晩、滅ぶ。同じ明日が待っている」
薄れゆく視界の中、その笑みを見てゼンは歯を食いしばる。
そして、ゼンは――この場から姿を消した。
「変わった君が、変わらぬことを祈りましょう。まあ、長い旅になると思いますので、精々、観劇し、楽しませてもらいましょうか」
加納恭爾は身を翻し、『道』を歩き始める。
「もっと早く修造さんに出会っていれば、もっと早く葛城善に出会っていれば、美しい人間、変われる可能性……嗚呼、いけない」
ようやく終わることが出来た。
「私は私の選択の結果、ここにいる。美しい人間がいた。変われる可能性があった。それを見ようともせず、存在しないと断じ、『絶望』に呑まれたのは、私自身の選択であり、結果は変わらない。変えては、ならない」
そして堂々と、歩き出す。
「私はクズで、世界の悪。ゆえに征く道は、一つ」
悪の王として、歪んだ笑みを浮かべながら、舞台を降りる。
○
「……ッ!?」
ゼンは意識を取り戻す。手には剣が、義手もある。
何よりも、何かを貫いた手応えがあった。
「ギゾー! 今、どれだけ俺は意識を失っていた!?」
『あ、何言ってんだよ? 今、それどころじゃねえよ。でっけえ声で耳がキーンってなってんだから。まあ、俺、耳ないんだけどねー』
「いったい、何が?」
眼前には、天を仰ぐ『絶望』が在った。加納恭爾など何処にもいない。加納でも、イヴリースでもない、何か。
彼は言った。この醜き獣もまた、人の一面であると。
「……勝った、のか?」
『油断大敵ではあるけどな。つーかすげえな相棒、立派にお勉強を生かした剣を造りやがって。お受験に失敗した相棒が、うう、立派になって』
ゼンは険しい表情で剣を引き抜く。
びくりと跳ねた身体は、力無く天を仰ぎて崩れ落ちる。
黒き血が、噴き出した。
『うぇ!? なんじゃこりゃ、出過ぎだろ!?』
凄まじい勢いで傷口から血が噴出する。見る見る足元の海が黒色に色を変え、どんどん広がっていくほどの流量。
『ヒェー、身体のサイズに合ってないだろ、こんなん。怪獣だってもう少し慎ましやかな出血になると思うぜ。相棒はどう思うよ?』
「あ、ああ。変なことを聞いていいか、ギゾー」
『あん?』
「さっき、加納と話した気がしたんだが、俺の記憶、お前にはどう見える?」
『ったく、相棒のことはあれだぜ、赤ちゃんの頃から何でも知ってるんだ。夢だってばっちしコンプリートよ』
「そ、そうか。なら――」
『そりゃあ気のせいだよ、相棒。そもそも、そんな時間なかったしな』
「……なん、だと」
彼が言った通り、シュバルツバルトも認識していない何かが在った。状況から鑑みるに物理的にもあの会話はありえない。それでも現象として、ギゾーが観測していないことでもゼンの記憶であれば彼は網羅できる。
その機能が、取りこぼした事実。
「俺は、加納恭爾という男が、死ぬほど憎かった」
『そりゃそうだ。誰だって憎いぜ、あん畜生のやったことを考えればよ』
「だが、今は、わからない」
『おん? 何でだよ?』
「それを判断できるほど、俺は奴のことも、世界のことも、知らないからだ」
『どうしたんだよ、急に』
「……いや、ただの、自戒だ」
ゼンは未だ絶えぬ血を噴出し続ける怪物に一瞥し、そして身を翻した。彼は間違いなく悪であった。だが、その悪が溢した本音。
それを戯言だと切り捨てる気には、なれなかったのだ。
(正義に理由があるように、悪にもまた理由がある。それが道理に基づくか否かは関係がない。そこに無理矢理照らし合わせようとしたから、俺はあの男を理解できなかった。そもそもその道理自体が、多数派の規範でしかないのに)
正義とは何か、悪とは何か、ゼンにはわからない。
今日、間違いなくゼンは正義を成した。悪を滅ぼした。
(ただ、それは俺が守りたい側にとって、か)
『考え過ぎだぜ、相棒』
「……それを間違えたら、俺は今日、ここで戦った意味を失う気がする。俺は俺のエゴであの男を倒した。たまたま世界と思惑が合致した。それだけだ」
ゼンは静かに歩き出す。
黒き血によって生み出された天を衝く十字架。それはまさにこの怪物がため込んだ『絶望』そのもの。そしてそれを創り上げたのは、人の情念。
それを膨らませたのはあの男なれど、人の想いにこれだけのポテンシャルがあるのもまた事実。『希望』と『絶望』、表裏にさしたる差はないのかもしれない。
そんなことをシリアスに考えていると――
『で、トコトコどこまで歩いて行く気だよ、クソオーク』
呆れたフェネクスが声をかけてきた。
『……あっ』
確かに、と立ち止まる姿に最強の悪を挫いた男の雰囲気は皆無。
『ぐがが、とりあえず目障りよ。疾く失せろ』
ゼンの身体を中心にいつもの紋様が浮かび上がる。
「あっ」
という間にゼンの姿が、消えた。
『マスター』
『貴様も解雇だ。そも、我も余暇時間を使い切った。あとは危機に備え、最後の時を待つとする。ゆえ、面倒は見れぬ』
『……お世話になりました』
『あの屋敷はくれてやる。しばらくは好きに使うと良い。まあ、いずれ巣立ちの時は来るのであろうがな。ぐが、ではな』
レウニールは『絶望』の遺体と共に、するりと消える。
彼が本気で隠れたのであれば、彼女では見つけることなどできないだろう。静かにフェネクスは主に頭を下げた。自分を保護してくれた恩人に向けて。
そして彼女もまた飛び立つ。
屋敷へ戻る前に、見ておきたい景色があるから。
○
ゼンはどすんと尻もちをついた。いつになく荒い転送である。
「……ここは?」
周囲を見渡して、すぐさまゼンは自分のいる場所を理解した。見間違えようがない。巨大な樹が街を形成している場所など、ここだけ。
「ロディナ・ルゴス、か」
その都市には、彼女たちがいる。
『相棒……その身体、どうなってんだ?』
「……せっかちだな」
役割を終え、質量が減衰し始めた。時間がないのは明白。
最後の時、葛城善は如何に使うか。
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