最終章:『希望』
レウニールは眼の端で自身の愛する者が散る姿を捉えていた。黄金の時代であったのだ。葛城善、その名だけは知っていた。自分に立ち方を教えてくれた美しき人が愛し、焦がれ、想いに焼かれた男の名だけは。
見たこともない名、存在しないとすら思っていた。自分に父がいると慰めるためについた嘘、そう思っていたこともあった。
だが――
『ここにテリオンの七つ牙があると聞いた。借り受けたい』
突如、自分の前に現れたのだ。
とうにかすれ果て、忘れかけていた、幾星霜の果て――
『ぐが』
笑う。笑ってしまう。大笑いしなかっただけ褒めて欲しい。
あの人が言っていたことは真実だった。ただ、だからと言って特別扱いまでする気はなかった。別に七つ牙、偽造神眼自体に思い入れはないが、彼女から守って欲しいと言伝を授かってもない。むしろ、彼女の苦悩を思えば抹消するのも一興、とすら考えていたほど。ゆえに他の者と同様の扱いをした。
命を担保に『おつかい』をさせる。
大抵の者はこなせない。レウニール自身は死力を尽くせば超えられるハードルしか設定していないのだが、そこを幾度も超えてくる者と言うのがそういないのだ。どこかで必ず緩む。緩んで、踏み外す。
葛城善もまた例外なく緩み、踏み外した。それも、他の者よりも少し多いペース。本当にこんな男が彼女を、などと何度思ったことか。
だが、男は踏み外しても、ずっこけても、ギリギリで生き残り続けた。何という生命力か、と苦笑いしている頃には、嗚呼、見惚れていたのだろう。
新人類の秤でなくとも、男は凡夫であった。力があるわけではない。知恵が回るわけでもない。それでも生き残り、経験さえ積めば存外人は伸びるもの。それを見るのが楽しくなっていたのもまた、事実。
牛歩のような歩みだが、積み上げる様には胸が躍った。とうの昔に凍てついたと思っていた感情が、ほんの少しずつ溶け出していく。
『……!?』
『ぐがが、無理とは、言うまいなァ』
さあ、次はどんな無茶ぶりをしてやろうか。そんなことを考えていた。
そして、葛城善が魔界に彼女を連れてきたのだ。まだ年若く、レウニールの知る彼女よりも溌溂としているが、その時点では同一人物とは思えなかったほどである。虚栄、自らを良く魅せる術に長けただけの――そこそこ止まり。
自分の思い出補正だったかと思ったが、大獄から出てきた彼女の変化、そして友人を失ったことにより、生まれた陰が、かつての彼女を彷彿とさせた。
レウニールが知るのは彼女の完成形。そして彼女は、この地で、何かを得て、何かを失い、創り出されるのだと、知った。
美しく、されど苦い、黄金の時代。
「こんなものか、イヴ!」
彼女の去り際、とても美しい退場であった。主役ではなくとも、この物語における役を務めあげた彼女はまさに名女優であろう。それでもまだ完成はしていない。それはこれから先の、長き時が彼女を育むのだ。
その苦悩を想うと――
「ぐががががが!」
『■■■!』
倦怠になど身を任せていられない。人々の、世界の営みには極力干渉しまい。それが諦めた己に課す唯一のルール。そう決めていた。
そう決めていたのだが――
「超重、光速、どちらもあの男の『重さ』を分解した権能か。ぐが、どこまで引きずる。とうの昔に奴は負け、収集されておると言うのに!」
『■!』
気づけばここにいた。仮初めの器に自らを繋ぎ止めるだけの、もはや力無き身体を引っ張り出し、最後の場所をここに決めた。
目の前には、
「ぐがが、そう怒るな。器が知れるぞ、イヴ!」
愛する者の喪失に耐えられず、自らの器に見合わぬ張りぼてを築き上げた愚か者。自我を失ってなお、力を求めた哀れなる女。
そして、自身が愛した、女性。最初から割って入る気も起きなかったし、諦めるなどと殊勝なことが言える立場でもない。
それでもあの時――
『なんで、なんで、あの人を助けてくれなかったの!?』
『やめろ、イヴ。レウは誰よりも戦った。誰も責めることなど――』
『あなたは強いのに、どうして、どうして!』
『…………』
何も言えなかった。何も言わなかった。
『私は究極の力を手に入れる。奴らを根こそぎ駆除するための、力を』
『ぐが、無限相手に力押しほど無意味なこともあるまい』
『手伝って。あなたの力を、私に貸して』
『……無意味だ。断る』
『そう、そうね。賢いあなたなら、ふふ、そう言うわね』
何故、共に抗わなかった。何故、力ずくで止めなかった。行着いた先で、遅過ぎた時間稼ぎ。何の意味もない。もっと上手く出来たはず。
「イヴリース!」
過ちを埋めることなどできない。所詮、己は諦めた者。あの日、おぞましき銀色が母星を飲み込むさまを見た。守るべき者を根こそぎ奪われた。
星系を埋め尽くすほどの、無限。人知の及ばぬ、宇宙の理。
それでも、自分は立ちあがるべきだったのだ。葛城善のように、シャーロット・テーラーのように。彼女たちの仲間、アストライアーのように。
「許せとは言わん。だが、最後に正す! それが、我の役目だ!」
万能の能力、
「その座に興味もなく、一度も言っていなかったが、我はただの一度としてアポロンに劣っていると思ったことはない。我は、強いぞ! 究極と言うのなら、挫いて見せよ! 我が名はシン・レウニール、万能の戦士である!」
今度は正しく、使って見せよう。
○
ゼンは今、凄まじき集中の中にいた。死地にて見える走馬灯、その中から必要な要素を抽出し、拾い集めていく作業である。途方もない作業、しかもその中に正解があるとは限らないのだ。だが、在ると信じて探す。
砂漠の砂粒を洗い出すかのような気の遠くなる作業を、レウニールの助力が生み出す時間に行わねばならない。汗が滴る。
労苦の汗か、焦りの冷や汗か――
『……相棒』
これはクリエイターの領分、ギゾーには手伝えることはない。巨大な魔力を操作することで常に損傷し続けるゼンの体を癒すフェネクスも、その領分に踏み込むことは出来ない。彼だけの、孤独なる戦い。
英雄たちが授けてくれた最後の灯、絶やすまいと――
「……ぐ」
次元を切り裂く、すり抜ける。空間をずらし、接触する場所をずらす。相手が固めた防御とは別の場所に当てる。確かに効果的かもしれない。
だが、同時にこれでは勝てない気がした。
勘でしかないが、あれは獣であり加納恭爾でもある。あの男が、こちらの考えつくような小細工にかかってくれるとは思えないのだ。
最後の最後、超えねばならぬ隔絶したスペック差。
ずっと苦悩してきた。最初からそれは大きく横たわっていた。アンサールとの戦いでも痛感した。ここまで工夫で乗り越えてきたが、最後にその面で隙の無い相手。最初の壁が、最後に聳え立つ。
未だ、明確な答えは見いだせない。もしかすると、自分の中にはないのかもしれない。皆の期待に応える、希望の糸が。掴むべき答え自体が、無い。
「そんなことは、そんなことだけは、認めるわけには――」
シンプルな壁が、葛城善を阻む。アストライアーを、挫く。
認められない。それでも現実は非情。
常に正しき志を持つ者が、勝利を掴むわけではないのだ。必死に努力しても、届かない壁はある。誰もが夢に届くほど、世界は甘くない。
だからと言って――
「……えっ?」
絶望するのは、早い。
○
英雄たちの壮絶なる最後は最も近くで彼らを見ていた者たち、満身創痍の戦士たちの心に火をつけた。限界ギリギリ、持てる魔力すべてを投じる。
人も、
「ライラ」
「エルの名に恥じぬよう、皆、死力を振り絞りなさい! エル・メール・インゴットが後継、エル・ライラが命じます!」
「承知!」
神も、
『……驚いたな』
『黙れ。今回、だけだ』
魔も、
死力を尽くし、底を尽きかけた塵のような魔力である。
だが、塵も積もれば――山となる。
「……皆さん」
呆然と、世界を繋げている彼女はつぶやく。
戦場に残った者たちだけではない。もはや尽きていた。そう思っていた地域からも供給が再開し始めていたのだ。流量は、各地微々たるもの。やはりとうの昔に送れるだけは送っていた。それでも、残りカスでも、届ける。
自分たちも、限界まで戦うのだと、ただ魔力を絞り出すぐらい、死ぬ気でやってやる、と。世界中が奮い立つ。希望を届けてくれた等身大の英雄へ、別の世界のために命を賭してくれた高潔なる英雄たちへ、全てを捧げる。
「こんなに……ありがとうございます! 無駄にはしません。絶対に、絶対に繋げます。私の全身全霊をもって、必ず!」
世界中の魔力が今一度、集う。
「ゼン、フェン、がんばれー!」
遥か遠き北の果てから、
「陛下、これ以上は危険です!」
「黙れ! 我らを救ってくださった英雄が、今、戦っているのだ! 尽くすとも、命もゆる限り、それが今を生きる我らの役目ぞ!」
かつて滅びかけた人類の生存圏、現在の南限の国まで、
「……シュバルツバルトまで介入するのは、如何なものかと思う。思うのだが、すまない。気づけば手を貸していた」
「申し訳ございません、我ら影もまた、命令をいただく前に――」
「そうか。ああ、いいさ。今の僕に与えられた力など、さしたるものではない。ここに無でもあれば第七法で有、魔力を生むことも出来るが、無いのであれば趨勢の影響を与えるほどの力はないからね」
「それでも、貴方様は彼に賭すのですね」
そして、観測者でしかない黒き森の彼らもまた力を貸す。
「ぶはは! 気合入れんかバカモン!」
「……もっと、一滴まで、絞りつくせ」
彼の同胞である鍛冶師たちも絞り出す。
蒼き星、その総力がこの地に結集しつつあった。微力を集っただけ、されどその大きさ、高く、強く、アルスマグナを輝かせる。
「これ、なら」
届くかもしれない。『コードレス』はロキに力を――
『最後っ屁だ、大将!』
そんな彼女の目の前に、満身創痍という言葉が可愛く見えるほどボロボロのベリアルが副将であるベレトの手によって投げ込まれた。
「……あとは、任せた」
カラカラの雑巾から最後の一滴を絞り出すが如く、鬼の形相でベリアルは虚空を殴りつける。そしてそのまま、地面に突き立ち、うつ伏せに倒れ伏す。
もう動けない、全身でそう語りながら、彼は眠りについた。
そんな彼が殴りつけた空間が、砕ける。
その先にはこれまたボロボロ、死屍累々の魔族たちがいた。
『全てとはいかない。何しろ、戦いの成り立ちが成り立ちだ。そもそも魔族にそう言った同調を求めても、実利ですら動かん連中ばかり』
彼らの中心に立つ蠅の王、雷帝、バァル・ゼブルは微笑む。
『だが、葛城善を知る者、連なる者であれば、別だ。随分駆け回ったようだからね。私はただの、サポート役さ。彼が築いた風変わりなコネクションを、繋げる者である君に紹介するための、ね。どうぞ、お好きに繋がりたまえ』
バァルのサポートを得て、『コードレス』は目を丸くする。魔界でのおつかいはかつての『コードレス』では知る術はなく、彼自身も語らなかったため、詳細を知るのは盗み見た件のみ。驚くしかない。
彼はずっと、こんなにもたくさんの魔族と、交流を深めていたのだ。かなり血生臭いものも多いのだろうが、魔族にとってはそれこそが重要なコミュニケーション。自分に勝った者が、出し抜いた者が、誰かに負けるなど許せない。
自分が殺すまで死ぬな、そう思うのが魔族である。
「う、そ」
莫大な魔力が、溢れ出す。『コードレス』があまりの流量に顔を歪めるほど、凄まじい魔力が迸り、アルスマグナが虹色に瞬く。
蒼き星と紅き星の、色が混ざり合って――
『な、んと、こんな、ことが』
砕け散る寸前のトリスメギストスは、信じられない光景に顔を綻ばせていた。いつか、こんな夢想はしたことがある。ただの夢幻。人と魔が、世界を隔てた者たちが繋がることなど、永劫ないと理解していたのだ。
実際に理解し合ったわけではない。どちらの要素も持つ男がコネクターと成り、ただひと時同じ方向を向いただけ。それでも、この瞬間はあった。
『……貴方の、見たかった景色は、きっと』
トリスメギストス、長きを生きた真理の探究者、導き手は、自らの最後の輝きを世界に返すのではなく、人の夢に託すことにした。
『この世界に、光在れ』
砕け散った彼は、とても幸せそうな顔をしていた。
二つの世界の希望が煌々と輝く。
「ロキさん、一気に投げます! 覚悟、いいですか!?」
『楽勝だ。俺様たちを誰だと思ってんだ、アア!』
「はい!」
世界中を繋げ、魔界にまで能力を拡張したことで、彼女自身もオーバーフローしてしまっていた。痛みはある。頭が焼ける。それでも彼女は嬉しかった。
ようやく世界に明日が来る。そう信じられる奇跡が、在ったから。
「託します、ロキさん、ゼンさん!」
そして彼女は満面の笑みで、砕け散った。最後の仕事を終えて――
それでも彼女の能力はむしろ拡大し、蒼き星に、紅き星に、これから起きる奇跡を見せつける。一緒に見ましょう、と。
○
ゼンの悩みを一瞬で消し飛ばすほどの魔力が集う。操り切れない、最初はそう思ったが、膨大な魔力は自身の魔力以上にゼンの意に沿って機能してくれていた。ロキの調整以上の、何かがゼンに味方する。
『はは、すげえな、こりゃ』
「……やれる。これでやれなきゃ、嘘だろ!」
今ならば届く。ならば、届けるための工夫は必要ない。あの『絶望』を打ち払うことにだけ全力を注げば、良い。それならば、出来る。
自信をもって、確信をもって、
「俺の、俺たちの全てを、ここに!」
『長き旅路の総決算、見せてやるぜ凡夫の一念!』
『希望』を、打ち鍛える。
○
シュバルツバルトはスフィアを見て、微笑んだ。
英雄たちのフィフスフィアが集い、彼と共に在った。それが繋ぎと成って世界中の祈りを、願いを、希望を繋げたのだ。
そこに刻まれた文字は『希望』。
「……読み方は、ふふ、愚問だね」
シュバルツバルトは自身の祖父である、と言い聞かされた男を見つめる。あの人の言う通り、抜けているのに、最後は決めてくれる人。
その背中はとても大きく見えた。
「君が、君こそが、本当の意味で、シンなる者、だ」
さあ、『希望』よ。『絶望』を打ち払え。
○
レウニールは嗤う。この程度で行動不能になってしまう己に、ではない。加納恭爾だけであれば多用していた偽造虚無、この姿になってから一度も使わなったそれを、あれを察知した瞬間、『絶望』は躊躇なく使ったのだ。
イヴリースの残留思念、彼女の側面が強まったことで、無意識に避けていたのだろう。これも織り交ざられていれば、もっと戦いは短かったはず。
それをこのタイミングで、あと僅かで倒し切れるというところで、使った。その理由は貌を見ればわかる。怖れを浮かべた、貌を見れば。
『■■■!』
「……勝てんさ、イヴ。もう、この世界に、絶望している者など、いない」
虹色の、巨大なる剣。それを見て『絶望』は咆哮する。
突進しながら、叫び、威圧するように今まで秘していた力を引き出し、天を焼くほどの巨大なる獄炎を生み出した。
『■■!』
さらに、そこに『重さ』も加える。超重量、空間を捻じ曲げるほどの、重さ。それは一つの恒星の如く、全てを引き寄せる。
巨大な引力を発生させる、太陽を重さそのままに縮ませたような、理を超えた『絶望』。これ以上はない。この先はない。
『■■■!』
絶望せよ、そう言っているように聞こえた。
だが、眼前の男には何一つ響かない。巨大なる剣を突きの姿勢で固定し、あの矮小なる身体で、あろうことか究極の器目がけて突っ込んできた。
ありえない。在ってはならない。
この超炎は、何人たりとも阻めない。『絶望』の怪物は、誰の手でも止められない。それが理。負ける要素など、無い。
加納恭爾を、『絶望』を得て、究極の一は完成したのだ。
これで勝てねば、全てが――
「『これで、終わりだァァァァアアア!』」
個での勝負ならば、絶対に負けない。まさしく、究極であった。
だが――
『■■■■■■■■■ッ!』
彼らは一人ではなかった。
「『ウォォォォォォオオオオッァ! 貫けェ!』」
希望に縋るのではなく、希望と共に立つ。それによって彼はこの世界にとっての『超希望』となった。これがこの世界の、この時代の、英雄象。
人々が彼と共に明日を迎えたいと、願った。
『シン・エクセリオン』
究極至高の超炎を貫き、消し飛ばし、勢いそのままに『絶望』の全戦力を賭した受けをも打ち貫く。止まらない。止められない。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ァ!?』
声なき声が、絶叫が、断末魔が、世界に轟く。
「……俺たちの勝ちだ」
虹の『希望』が、昏き『絶望』を貫いた。
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