最終章:混乱混沌
葛城善はぼーっと天井を眺めていた。
何か考えていそうで、特に何も考えていない状態。実は深謀遠慮があるのでは、と思いきや全然全くこれっぽっちもそんなことはない。
本当に、何一つ、考えていなかった。
彼を隔離している部屋の外では、
「はい、ですから、その件については根も葉もない噂でしかありません。真に受けられるのは個人の自由ですが、こちらから何もお答えすることは出来ません」
「ここが警察だってわかってますか? どこの媒体です? あまりしつこいとこちらも出るとこ出させて頂きますよ」
連日連夜、怒涛の勢いで電話が鳴りやまぬ状況が続いていた。中には緊急連絡の番号で葛城善の件を問うてくる者までいる始末。
「署長、とりあえず電話線引っこ抜きませんか?」
「そういうわけにもいかんから、とりあえず出続けて」
「……了解でーす」
地獄の電話対応。不明瞭な噂話に尾ひれ背びれが付きまくり、もはや彼らはどんな荒唐無稽な話が出てきても驚かなくなっていた。
「頭痛い」
「葛城家、凄いことになっているみたいですね。そっちは不破警視正が向かったみたいですけど。ほんとあの人キャリアのフットワークじゃないですよ」
「若いよねえ。体力あるよ。こっちは老体だし、もう来年で定年なのに」
「最後の最後でどでかい爆弾が落ちましたね。ご愁傷さまです」
「逃げ切りたかったぁ」
まさに泥沼の混沌。たまに国際電話で外国からの電話もつながる辺り、世界中から注目されていると言って良い。政令指定都市の無い県の県警ではとうの昔にキャパオーバー。全員が死んだ眼をしていた。
「だーからー、あんたに何の関係あるんですか? 善良な市民? 鏡見てくださいよ。こっちも忙しいんで切りますね、はいさようなら!」
電話を叩きつけるように切った男はどす黒いオーラをまき散らしながら、一秒も間を置かず鳴り始める電話を取る。
「……気持ちはわかるけど、あれクレームの元だよねえ」
「でしょうね。苦言を呈してきます」
「あれも若さだねえ。あー、しんどい」
そんな地獄絵図が繰り広げられている中――
「…………」
葛城善はぼーっと天井のシミを数えていた。やることがなく、手持無沙汰なため、とりあえずの暇つぶしである。まさか家族にまで迷惑をかけているなど、露とも知らぬ男は暢気にボケっとしている。
実はホームレス殺害容疑の事情聴取なども受けているのだが、知っていることを話して、違うことを違うと言って、押し問答を繰り返すうちに相手が根負けしていた。ただただ愚直に要らぬことを交えず、真実だけを語る。
其処に矛盾は出ようはずがない。
『お前の血痕が出たんだぞ!』
『銃で撃たれたから出るぞ。その時の傷がこれだ』
『お前がやったのを見た者がいるんだ!』
『俺はやっていない。別の魔族に銃で撃たれただけだ』
押し問答、にせねばならない理由が警察側にもある。葛城善の証言を是とする場合、犯人が身内である可能性が出てくるのだ。それを現場の彼らは受け入れられない。ただ、県警の知らぬ水面下で、不破が証拠を固めつつあるのだが。
供述にブレがなく、揺さぶりも効かない。
「ブレないですねぇ」
「相当面の皮が厚いか、その逆か。どちらにせよ、厄介な案件だわ」
「ただでさえ扱いの難しいマル秘案件ですしね」
「煙草を吸う量が増すばかり、だ」
紫煙を吐き出し、ゼンを尋問した警察官はある男に視線を向ける。
苛立ちながら電話対応する男を――
「どっちが嘘ついてるか、賭けるか?」
「賭博ですよ」
「かたいこと言うなよ。煙草ひと箱でどうだ?」
「……たぶん、賭けにならないんじゃないですかね」
「まあ、そうだわな。日頃の勤務態度から、滲み出るもんはある、か」
彼らとて愚者の群れと言うわけではない。それなりに場数も踏んでいるし、嘘をついているかどうか経験則からある程度見分けることが出来る。まあ、それを断定することは昨今の世情が許さないが、それでもそれなりの精度はある。
そんな彼らの目に映る男の内側――
「ま、俺らが判断することじゃねえわな」
「それこそ上の判断、不破警視正様の采配次第ですか」
「今、うちから犯罪者は出せねえだろうなぁ」
「……でしょうね」
「これまたどっちか、か」
「これならまだ賭けになりますよ。擦り付けるか、行方不明にするか」
「やめとくわ。どっちにしろ、また幻滅することになるのは目に見えてる」
「正義って何なのか。ここにいるとそんなことばかり考えてますよ」
「定年まで働くつもりなら、その迷いは粗大ごみに捨てとくのをお勧めする。警察ってのは正義の味方じゃない。秩序の味方でしかないからな」
如何に賢しくとも、組織において立場が下であれば考えなどあってないようなもの。組織に生きる以上、下っ端の意見など塵芥にも劣る。ノンキャリである以上、警察と言う組織において彼らに発言権など生涯与えられない。
彼らも分かっていて組織の門戸を叩いたのだが――
クロをシロと言うのも、シロをクロとするのも、心が摩耗することに変わりはない。それで問題が起きたとして、斬られるのは彼ら尻尾。
そんな彼らにモチベーションを保てという方が難しいだろう。
「見ざる言わざる聞かざる、ですか」
「そういうこった」
鳴りやまぬ電話。摩耗する現場。
今度は秩序のために何を曲げるのか、彼らは考えないようにしていた。
○
連日徹夜続き、不破秀一郎は栄養ドリンクをがぶ飲みし、欠伸を噛み殺しながら情報をまとめていた。ホームレス殺人事件、その真犯人であろう男、彼と繋がっている組織が少し厄介であることに不破はため息を重ねた。
かつて西方諸国の裏側にはミノス・グレコと言う王がいた。見た目は若く、老いぬ怪物として三十年以上、君臨し続けた。その前を遡れば彼の父も田舎のマフィアでしかなかった組織を西方諸国有数の組織に引き上げた怪物。
親子二代で半世紀以上、悪を統御し、出過ぎた者を間引き、恐怖によって支配した。悪によって悪の制御が成されていたのだ。しかし、悪の王が倒れ、ある男が王冠を簒奪したことで状況は一変する。彼もまた王として結社と言う組織を築き、悪を制御しようとしたが、それに従わぬ者も大勢いた。
才があり、力強き彼にもまだミノスの持つ実績、悪に与える恐怖が足りなかった。着実に力をつけ、手駒は増えているが、溢した悪も多い。
その一部が中東、中国を経由し、此処日本に流れてきているようなのだ。思った以上にバックボーンは根深い。戦うにはそれなりの準備がいる。
それこそ、場合によっては一国の範疇を超える可能性すら――
「賢人会議、結社のリーダー、彼らを第一、第二とするなら、ミノスを討ち取りことを急いた理由はわかる。多くの悪が跋扈する状況を作ってでも、悪が死にあちら側の世界に召喚される可能性を極力排除したかったんだろう。こちら側の世界で出来る最大の援護が、それだからな。ミノスなら組織にとっての毒、有害の悪は殺して取り除いたはず。あの男が有害とする以上、世間的に見れば十分巨悪」
つまり、王クラスに変じていた可能性が高い。
それならば一連の流れに説明がつく。こちらの世界にとってはたまったものではない話だが、全てがリンクしている以上、彼らは大元である過去を取った。
その余波で今、状況は面倒極まっているのだが。
「ん?」
不破の携帯が鳴る。
「はい、不破です」
『葛城一家、保護完了いたしました。どちらにお連れ致しましょうか?』
「今は県警も目立つ。いずれ彼にも会ってもらうが、とりあえずは確保してあるセーフハウスでゆっくりしてもらえ。くれぐれも丁重にな」
『承知いたしました。身の回りのお世話も含め、最善を尽くします』
「ああ、任せる」
『失礼いたします』
年月が経っても自分を慕ってくれる元チームメイト。加納恭爾のフォロワーを駆逐した際、轡を共にした戦友であり、部下である。
当時の自分が認めた優秀な人材。これで当面は問題ないだろう。
「さて、と、俺も動くか」
とりあえず、動かねば何も始まらない。
武闘派半グレ組織『武鬼組』、そのトップである春日武藤がどういう意図をもって、リスクの高い商いに手を染めているのか。それ次第で組織を揺さぶることも、中から崩すことも不可能ではない。全面的に賛同している場合は、組織として戦うしかないが。その場合はバックボーンも含めて殲滅する覚悟がいる。
リスクを上に飲ませる算段も必要となってくるだろう。
「はー、忙しい忙しい」
そう言いながらも不破の眼はギラギラと輝いていた。先ほどの部下も、上司もそうだが、組織を変えるための動きは水面下で動いている。この混沌はそれを加速させる起爆剤になる可能性もあるのだ。ピンチはチャンス。
ここが勝負所、ここを上手く捌けば、バックボーンの大きさにもよるが、組織内での序列が入れ替わりかねない。大きなヤマである。
重くなり過ぎた組織を変えるチャンスなのだ。
そのための志高き者はすでに集っている。あとは機会、そして老人共を黙らせるほどの功績をあげて、無理やり席を奪うだけ。
○
春日武藤はアウトローである。始まりがどうだったかは覚えていないが、気づけば血濡れぬ日はないほど喧嘩に明け暮れた。体格にも恵まれ、それこそ小学生の時分から地元の中学生相手に暴れ回っていたほどである。
殴り、殴られ、あの頃はシンプルな世界だった。
しかし、義務教育を終え、十代を過ぎると、途端に世界は息苦しいものに変貌した。殴る蹴るでは通用しない世界で、それしか知らぬ男は我を通そうとした。実際に、春日武藤という男だけならばそれが認められていた。
裏格闘技、要人警護、ヤクザや半グレから彼自身は重宝されていたのだ。名のある喧嘩屋、表の有名な格闘家なども、持ち前の体躯とセンスだけで蹂躙する様は圧巻の一言。彼だけであれば、スペシャルな素材として可愛がられただろう。
だが、彼には彼と同じ性質のクズが集まっていた。
彼よりも弱い、凡人に毛が生えたような暴れん坊どもが。彼らを切り離せば春日武藤にも活路はあったかもしれない。しかし、彼がどういう考えに至ったのかはわからないが、彼は彼らを見捨てなかった。
その結果、不興を買い一度は世界から落伍した。
召喚されねば全員まとめてそこらの山に埋められていただろう。
組織の怖さは嫌と言うほど味わった。生まれ変わった今も、個の力だけで全てを蹂躙できるなど彼は考えていない。そこまで愚かではない。
だが、それでも――
「春日さん、お仲間がうちの商売、邪魔したようなんですよォ。彼から聞いてませんでしたか? こーいうお仕事、結構リスクがありましてね」
春日武藤の前には明らかにカタギではない金色のスーツをまとう男が立っていた。その両隣に控えるのはサングラスをした男たち。
武藤はひと目で彼らが同類であることを嗅ぎ取った。
「困るんですよォ。まあ、個人的にコラ! とお叱りはさせて頂きましたが、仲間である以上、春日さんにも今一度、組織を締め上げて頂きたいですねェ」
下品丸出しの金色男に武藤は嗤う。
結局、こちら側の世界はこんなものなのだ。
「俺は、お前らの仕事を邪魔する気はない」
「実際にされたのでねェ」
頭を下げろとでも言うつもりなのだろうか。まあ、組織の、自分たちの立ち位置、まさに底辺である自分たちは彼らに逆らうことなどできない。
生きるためには頭を下げる必要もあるだろう。
それがどんな理不尽なことであろうと。
春日武藤を慕う者たちは皆、一様に口をつぐんでいる。歯を食いしばり、黙り込んだまま。彼らにも理由があったのだろう。例えば、自分たちの知り合い、仲間まで薬漬けにし、顧客の一人とされていた、とか。
まあ、だからと言って武藤が不興を買う理由はない。
彼は一度として自分について来いとも、一緒に生きようなど言ったことはないのだ。彼らが勝手に集まって、勝手にチームを作っただけ。
彼らのために何かをする道理は、無い。
「不愉快だな」
「はて、聞こえませんでしたな。次は聞こえてしまいそうですがァ」
「貴様らのバックがどれほど巨大なのかは知らんが、俺の目の前にいるのはカス三人だ。何故、自分たちが安全圏にいると思っているんだ?」
春日武藤の全身に、紫電が奔る。
「おや、彼らもかなり強いですよォ。そもそも、私たちに逆らうというのがどういうことか、お分かりになられないはずもないでしょう?」
組織に潰された過去を、穿り返す男。性根から腐っているな、と武藤は嗤う。こんな連中と付き合わねばならないのが暴力しかない男の価値。
この世界においてアウトローなど塵芥ほどの価値もない。
「た、タケさん。大丈夫です、俺らは、大丈夫ですから!」
いつもは従うなと小うるさい男が、勝手な物言いである。何を勘違いしているのかは知らないが、これは己が気分を害したから喧嘩を売っただけ。
自分はアウトローなのだ。気が短くて何が悪い。
「どいつもこいつも、舐められたものだ」
椅子から立ち上がった男は、魔獣化し鬼と化す。
空が、急速に曇っていく。
「もう少し賢いかと思っていましたよォ。馬鹿は、要りませんねェ」
金色男は目で両端の二人に合図を送る。彼らはサングラスを外し、真紅の眼をさらけ出した。場数を積んだ強者の雰囲気が漂う。
彼らもまた魔人クラス、裏社会でもそこそこ名の知れた――
『豪招雷』
それが、刹那で消し炭と化した。
「へ?」
極太の雷、それが至近距離で降り注いだことにより、金色男の鼓膜が破れ、聴力を失う。肉が焼ける臭いが漂う。香ばしい、死の香り。
「カスどもはどうでもいいが、俺を舐めるな」
武藤は男の頭を小突き、地に叩き付ける。血を吐きながら、倒れ伏す男は恐怖に彩られた眼でその怪物を見つめる。桁外れの力を持つ、鬼神の姿を。
「理解しろ、劣等。俺が、最強だ」
武藤は男の頭に足を乗せ、理性ではなく本能に訴えかける。
「俺は邪魔をしない。俺を利用することも否とは言わん。だが、それは俺の知らぬところでやれ。俺の眼に入らぬところでこそこそやっていろ。俺の視界に入るな、俺の不興を買うな、俺の邪魔を、するな」
「しゅ、しゅいません、しゅいません、しゅいません!」
聞こえぬ男はただ謝るしか出来ない。
たった一瞬の攻防で、立場が入れ替わっていた。いや、初めから生き物としての序列など決まっている。武藤が牙を見せていなかっただけで、その牙の大きさを彼らが誤認していただけで、初めから巨大な溝があったのだ。
「失せろ」
魔獣化を解除、男を蹴飛ばし武藤は椅子に座る。興味など皆無とばかりに目を瞑り、そのまますやすやと入眠してしまった。
全ては些事、全身がそれを語る。
逃げ出す男に一瞥すら送らず、春日武藤はただ君臨する。
「タケさん、ありがとう、ございます。俺ら――」
「黙れ。俺は俺にしか興味はない。俺のやることに貴様らは関係ない」
「……わかってます」
暴力のみ、しかし桁外れだったそれは転生したことでちょっとした群れならば圧倒できる力を手にしていた。それですべてを塗り潰せるとは彼自身思っていないが、たかが千人程度であれば武装込みで跳ね返す程度の力はある。
彼らはそれを理解してしまっただろう。歯向かったからと言って反撃してくるかどうかは別。そもそもたかが一勢力を恐れて暴れなかったわけではないのだ。集団の恐ろしさは多数の勢力が入り乱れ、渦が大きくなることで顕現するのだから。
彼ら如きに自分は止められない。武藤はただ、力を誇示するのみ。
その牙が彼らの象徴なのだから。
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