最終章:春日武藤

 目を瞑れば思い出す。

 三つの記憶。

 一つは自分の始まり。奪われた公園を取り戻すため、ランドセルを背負った自分が学ランの集団を殴り飛ばし、公園を勝ち取った時の感触。

 夢中で殴り、蹴り、気づけば自分だけが立っていた。圧倒的な解放感だった。今思えば公園自体重要ではなかったのだろう。不自由を強いられ、自由を勝ち取った何物にも代えがたい、あの刹那が自分なのだと思う。

 二つは自分の終わり。ある時ふらりと現れた怪物に敗れ去り、最強である自分は終わりを告げた。誰にも負けず、全て拳で片をつけてきた自分が、何一つ通用せずに地を這っていたのだ。完敗であろう。

『かっか、俺と殴り合った、その勇気だけは認めてやる』

 自分が漠然と抱いていた最強を体現した男。敗北したことにさほどショックはなかった。悔しがるほどの僅差ではないのだ。

 問題は――

『最強から見る景色を、教えてくれ』

 その男が――

『……かっか、見りゃあわかんだろーが、同類なんだしよォ』

 とても不自由に見えたこと。今まで出会った誰よりも強い存在が、あの時の自分以上に窮屈そうに生きていたこと。それがショックだった。

 誰よりも強くなれば、全てを殴り倒した先に、在ると思った自由が夢幻なのだと知り、同時に自分の道もまた露と消えた。

 どこまで行っても、不自由しかない。

 この拳に先はないと知り、終わった。

 そして三つは――

「お休み中のところ悪いね」

「……誰だ?」

「警察のものだよ、春日武藤君」

 春日武藤は目を開ける。目の前には警察と名乗る男が一人、普段であれば問答無用で殴り飛ばしている所だが、今は比較的自由であるため機嫌は良かった。

「俺にかかわるな」

「そういうわけにもいかないんだよ、魔人クラスのタケフジ君」

 ピクリと眉をひそめる武藤。

「元アストライアー、不破秀一郎だ。シュウと名乗っていた」

「ああ、第六位だったか。有名だったな、あっちでは」

 不破を理解し、暗に武藤は善意で言ってやる。

 こちらでは敵ではない。失せろ、と。

「こっちでもそこそこ有名だよっと」

 意図を解していないのか、解した上でそうしているのか、不破はどさりとひとりを満喫する武藤の前に座る。武藤は無言で、拳を振るった。

 不破の眼前で止まる拳。轟、と風圧が不破を気圧す。

「もう一度だけ言ってやる。俺にかかわるな」

 鼻血がたらり、触れてもいないのに不破の鼻腔から零れる。

「クスリから手を引け。これは善意での忠告だ」

 しかし、不破もまた一歩も引かず姿勢を前かがみにする。

「……ふん、麻薬ごときで大仰だな。仮にも英雄として召喚された男がどさ周りとはご苦労なことだ。悪いが、俺にとってはどうでも――」

「そっちじゃない。魔獣化を促す方のだ」

 不破の発言に、武藤は目を見張る。

「初耳、か。驚いたな」

「……なるほど、大仰にもなるわけだ」

 くっく、と武藤は嗤った。

「笑い事じゃない。今回の件でもみ消しが作用しなかった以上、俺たちも今までのような手緩い手段を選んでいられなくなる。現代兵器の武力と組織の力を侮るな。吹けば飛ぶぞ、半グレ組織程度。理解しているはずだ」

「ああ。だからこそ、楽しみだ」

 凄絶な笑みを武藤は浮かべていた。虚勢ではない。

 自らの滅びを理解してなお、笑っている。

「……その挑発は無意味だ、春日武藤。君のことは調べてある。君がかつてどんな選択を取ったか、戻ってきた君が真っ先に潰した半グレ組織の生き残りから話を聞いたよ。残念ながら組織は、君を狙わない。まず、手足を削ぐ」

 不破の背後に、雷が落ちる。

 俯く武藤の表情は、見えない。だが、笑みが失せたことぐらいはわかる。

「君が知っている通りだ。君の望む戦いには、絶対になりえない。それが群れの戦いで、合理的な手段。行われるのは、狩りだ」

「俺の目の前にいるのは、カス一匹だ。口に気をつけろ」

 充満する殺意。それでも不破は退かない。

「手を引け。連中と関わるな。奴らのバックは巨大だ。ただの流れ者じゃなく、糸のついた擬態でしかない。擬態の一人は先日、山中で発見された。金色のスーツを着た男だ、覚えがあるだろう? 彼と同じ末路を辿ることになるぞ」

 いや、と不破は続ける。

「彼と同じ末路を、辿らせることになるぞ」

 その言葉は、腕一本程度を覚悟したものであった。それぐらい踏み込んだし、その程度でこの男を退場させられるなら安いものだとも思っていた。

 言動ほど愚かな男ではない。

 組織の恐ろしさを理解し、個人の弱さも理解している。どれだけ強くなろうとも、現代社会において個とは無力なのだと、わかっている。

 それでも道を変えられぬ不器用さと純粋さ、何よりも自らが最も忌避するであろう不自由を、自分のためではなく受け入れている姿は、不破にとって好ましいものであった。だが、それと組織の論理は別。立ちはだかるなら、蹂躙する。

「春日武藤、今が分岐点だ。君ならば――」

 不破の発言を、武藤は手で遮る。

「去れ」

「何故だ!? お前なら、わかっているはず」

「連中と袂を分かったとして、クズに生きる場所などない。遅いか早いかの違いだ。いずれ朽ち果てるなら、クズらしく派手に散らしてやるのも悪くない」

「いくらでも選択肢はあるだろうに」

「ないから、クズなのだ」

 重い、言葉であった。いくらでも選択肢を持っていた男は、持たない彼らのために選択肢を捨てた。不自由に縛られてでも、それを選んだ。

 今、その鎖に縛り殺されそうになりながらも――

「クズでも、変われる。俺はそれを知っている」

「ならば、そいつはクズではなかっただけのことだ。去れ、不破秀一郎」

 問答は無意味とばかりに武藤は目を瞑る。

 不破はそこに壁を見た。お前たちとは違う。俺たちクズのことなど貴様らにはわかるまい、と。自分の言葉はこの男に届かない。

 この男の、この男を取り巻く何かを変えられるのは――

「……葛城善を覚えているか?」

 春日武藤はまたも、大きく目を見開いた。

 忘れるはずがない。それは三つ目の記憶――

 負けるはずのない相手に、負けた記憶なのだから。

「彼は帰ってきたぞ。お前たちよりも強くなって。誰よりも強くなって、帰ってきた。そしてまだ、強くなる。ニケや加納恭爾を凌駕するほどに!」

 不破秀一郎は自分の発言全てに後悔する。こんなこと言う気はなかった。自分の胸の内にしまっておくだけの、本音だったのだ。

 抗争でよかったはずなのだ。避けたいモノであったが、別に警察内の改革派にとっては世の中が乱れてくれる方が美味しいのだ。自分は改革派で、組織の論理の内側、派閥の論理ではむしろ仕掛けるべき案件。

 今回の邂逅とて言葉で退かせられるとは思っていなかった。彼の立ち位置を確認し、状況をコントロールするためにやってきただけなのだ。

 それでも、言ってしまった。

「あの男が、最強を、最悪を、凌駕する? くっく、くく、くっはっはっはっはっはっは! 面白い冗談だ、不破秀一郎! 帰ってきたということは、くは、奴もまた俺と同様に負けたということだ。何が変わった? 同じ敗北者だ!」

「……ならば、確かめてみろ。己の眼で」

「言われずとも、そうする!」

 先ほどまで晴れ晴れとしていた空が、この男の胸の内に反して漆黒に包まれる。分厚すぎる、雷雲。王クラス無き世界において、それに比するこの男は――

「俺に火をつけたこと、後悔することになるぞ、不破秀一郎!」

 春日武藤の笑みと共に、一帯に雷が落ちる。

 雷を操り、インフラである電力を容易く遮断してしまう天災。

 愚かにもこぼしてしまった本音、何故止められなかったと不破秀一郎は顔を歪める。これ以上、なぜ自分は彼に背負わせようとしてしまうのか。

 その願いが彼の人間性を削ると、理解しているのに――


     ○


「夜か。だが、夜飯を食べた記憶がない。そもそも先ほど食べたご飯は昼飯だったのか、朝飯だったのか。……ギゾーがいないと忘れてしまうな」

 暗雲漂う中、葛城善はどうでもいいことで悩んでいた。

 当然、何が起こっているかなど理解の外である。

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