最終章:時計の針、進む

 和泉翼の借りているアパートに九鬼巴が正座する。

 天地がひっくり返っても無いと思っていた光景が其処に広がっていた。

「……なるほど、学校で。盲点でした」

「本当に神隠しがあるとはね。しかも、英雄に魔族、か。にわかには信じられないけれど、実際に私は見てしまったわけだ」

「葛城君が怪物を倒す姿を、ですか。一応、補足しておきますがあの怪物は雑魚です。本来、葛城君が手こずる相手ではありません。あしからず」

 互いに情報交換を終え、咀嚼し終えた両者。

「それを私に主張されてもね。何か飲む?」

「結構。敵地で茶をシバく趣味はありません」

「随分嫌われたものだね。大分、高校時代は猫を被っていたようだ」

「それが一番、効果的だと思ったまでです。私が貴女を嫌いなことなど、それこそ中学時代からご存じでしょうに。ただの、嫉妬ですが」

 高校時代、さんざんマウントを取られ続けてきた本物の天才。だが、最初にそれを取ったのは自分なのだ。彼女の視線に優越感を覚えたことは間違いなく、それを遮り一部の隙も与えなかったのもまた自分。

「とりあえず、葛城君と遭遇したのが貴女でよかった。初期対応感謝いたします。あとは私が何とか致しますので、教育実習頑張ってください」

 九鬼は聞きたいことは聞けたとばかりに立ち上がる。

「何とかって、警察相手だよ?」

「たかが凡人、数百人いようと関係ありません。全て蹴散らし、疾く葛城君を回収します。二人での逃避行、素敵ではないですか」

「…………」

 和泉は呆れ果て、言葉を失っていた。

「……君は、彼が絡むと途端に馬鹿になるんだね」

「ハァ? 私が馬鹿ですか? 言っときますが私一度も貴女に文武で負けたことないですけどね。もう忘れたんですか? また勝負します!?」

「ご家族に迷惑がかかるよ。九鬼家も、葛城家も」

「あっ」

 頭に血が上り過ぎて考えが至らな過ぎたことに、九鬼はしょんぼりと肩を落とす。彼が絡むとポンコツになるのもまた新鮮であると和泉は笑う。

 互いが絡むようになったのは『彼』と言う存在が周囲から消えた後。別の学校に行ってしまい、異世界へと消えてしまった後からの付き合いなのだ。

 こんな彼女を和泉は知らなかった。

 あの天才がこうも崩れるのか、と笑ってしまうのも無理はない。

「ど、どうすべきでしょうか?」

「……警察なら、下っ端も下っ端だけど、一応知り合いがいる」

「すぐに連絡を取ってください。戦は時との勝負です!」

「ただ、まあ、山内、なんだけどね」

 一瞬の静寂、九鬼は先ほどの己の行動を顧みて、

「……ふむ、ここは和泉ちゃん、仲直りしましょう。今更仲違いしてもつまらないでしょうし、人類皆兄妹ということでここはひとつ」

 華麗に和泉に擦り付けようとする。

「どう考えても修復不可能だと思うけど?」

「いえいえ、彼は卑劣な策を講じてまで和泉ちゃんとねんごろしたかったわけです。一途で素敵ではないですか。素晴らしい人だと思いますよ」

「私が無理だって話だけど」

「ちょっと頭殴ったら忘れてくれますか?」

「……忘れるわけないだろ、旧いゲームじゃあるまいし。それに、忘れても意味はないよ。正直、付き合っているって言っても形ばかり。高校を卒業した時点で終わっていたようなものだし、次に会ったら別れるべきかな、と思っていたから」

「はぁ、じゃあもう力ずくしかないってことですか。面倒ですけど手足の二、三本へし折って、熨斗つけて山内君にプレゼントしましょう」

 先ほどまでは微笑ましかったポンコツぶりも、実力行使に移行しようとすると途端に笑えなくなってしまう。冗談だろ、という視線を向けても小首を傾げるだけ。目に一切の曇りがない。迷いもなく腕まくりをする段階で――

 アパートのチャイムが鳴る。

「……命拾いしましたね」

「頼むから冷静になってくれ。そもそもこんな時間に誰が――」

 外を確認できる画面には二人の男が映っていた。

 一人はこれ見よがしに警察手帳を見せる濃い顔の男。そしてその少し後ろでばつが悪そうな顔をしているのは話題の山内である。

「……よかったね、九鬼さん。警察の方から来てくれたよ」

「包丁あります? 一応場合によっては使うかもしれないですし」

「あっても今の君には握らせないよ。はい、今行きます」

 和泉は「厄日だね」とため息をつきながら、玄関に向かう。


     ○


「いやー、あの九鬼巴ちゃんがアストライアーのメンバーだったなんてね。本当、有名人だよね。薙刀姫、おじさん写真集買っちゃったよ、道着姿の」

 和泉翼の借りているアパートに堂々と居座る男は明るく振舞う。ただ、和泉はどうにも目の前の男がそのまま明るい人間だとは思えなかった。

 何故かそれが仮面のように見えたから。

「その写真集が出た時、不破さんはあちらにいらしたと思いますが?」

「え、そうだっけ?」

「……神隠しのリストに載っていたんですね、私」

「まあ、その通り。察しが良くて助かるよ。おうちにまでは行ってないから安心して。君の能力を見る限り、英雄側だと思ったからさほど掘り下げてないし」

 不破秀一郎は苦笑する。

「君の召喚がもう少し前だったら、俺も把握出来ていたんだけど、生憎取りまとめ役を方々引き継いだ後だったからね。まあ、どちらにせよ重要なのは魔族側だ。俺たちは知っての通り、こちら側で力を使うことは出来ない」

「魔族は、出来る」

「その通り。正直、情報を封鎖し続けるのもそろそろ限界だと思っている。日本の警察もそれに向けて準備しているのが実情だ。それがあるから俺も秘密任務で海外に行っていた、という体で今もポジションを確保してもらっている」

「あちら側の情報を持つ、貴重な人材だから、ですか」

「そういうことだね」

 不破は少し考えこみ、主に九鬼を見て頷く。

「伝えるか迷っていたんだけど、おそらく君は前情報以上に一途、というか入れ込み過ぎているようだから、先んじて伝えておくよ。これは内密な話だが、葛城善にはホームレス殺人の容疑がかかっている」

 その瞬間、九鬼巴の五体から殺意が迸る。実際に幾重にも切り裂かれるような錯覚を見せるほど、明確に殺害方法まで込められた殺意であった。

 だが、その刃は全て――

「……チィ」

「はは、おじさんをいじめないでくれ」

 微笑む不破、渋面を浮かべる九鬼。

 和泉と山内には理解できないやり取りである。

「あの、それは何かの間違いではないですか? 私は彼がそんなことをするとは思えません。それに、先ほども子どもを庇っていたように見えましたし」

 和泉は葛城のフォローをしようと不破に問いかける。

「ああ。俺も彼がやったとは思っていないよ。別人の犯行を擦り付けられただけ。ただ、状況証拠が整うことになるから、しばらくは警察にいてもらうけどね。これまた正直に言うと、犯人の目星はついているんだ」

「だったら、すぐに釈放してください。うちなら道場もありますし、私自身も不本意ながらお仕事を頂いておりますので当面の衣食住は保証できます。落ち着くまでは、合理的に考えて九鬼家に来ていただくのが最善かと」

 誰もが呆然とする九鬼の意見。山内など「こいつ欲望全開じゃねえか」とつぶやくほどである。先ほどからポンコツぶりを余すところなく見ている和泉はもはや何も聞こえないと虚空を見つめる。不破ですら、ちょっと引いていた。

「いや、まあ、別件ではないけど、もう少しはこちらで預かるつもりだよ。ゼンに用があると言うよりも、擦り付けた犯人に対して思うところがあってね。こちらを背景含めて、根こそぎ駆除したいと考えているんだ」

 九鬼は平然としているが、和泉は一瞬彼が覗かせた冷徹な一面に身がすくむ思いであった。やはりこの男、口調ほどに軽くも明るくもない。

「ホームレスを殺害するのに背景があるんですか?」

「そっちは、たぶん趣味、だろうね。問題は、俺が目星をつけている男の金回り、だ。明らかにここ一年、収入と支出が噛み合っていない。これは何かあるな、と思って調べたら、とある半グレのグループとの付き合い、お薬関係が浮かび上がってきたわけ。あ、ちなみにまだ身内にも伝えてないことだから、内緒ね」

 重い事実をあえて漏らすことで、他の情報もまとめて抑えつけるやり口。そもそもすでに犯人を特定しそこまで調べ上げている事実だけでも、この男が恐ろしい存在であることが嫌でも理解できてしまう。隠し事は出来ない。

 不破秀一郎の笑顔、その下には怪物の片鱗があった。

 九鬼にも感じた、凡人の境界線を遥かに踏み越えた、隔絶の雰囲気。

「あの、なんで、俺や和泉に、こんな話を聞かせるんですか?」

「山内巡査。それは君たちが葛城善と無関係ではないから、だよ」

 不破の視線、それを見て山内は目を伏せる。

 この男もまた九鬼同様、知っているのだ。一介の巡査でしかない自分とは格が違うキャリア組、若き警視正が自分の罪を知っている。

 その恐ろしさたるや――

「そう怖がらなくていい。私はね、過去の行いを咎めるつもりはない。もちろん葛城善、葛城家が訴訟を起こし、民事での裁判、という可能性はあるだろうが、それは君たちの話で、警察という組織にとっての問題ではないからね」

「は、はあ」

「ただ、知って欲しかっただけだ。君の、君たちの行いの結果を。私にとって彼は正義の味方の理想像で、とても残酷なことを言えば、葛城善という男を形作った君には感謝しているほどだ。君が与えた傷が、彼をあちらの世界に連れて行き、人であることを奪われ、罪を重ね、正義の味方と成った」

 山内は奮える。改めて自らが犯した罪の重さを知り――

「この前、一介の警察官の体で葛城家にお邪魔したんだ。行方不明者の捜索をしていると言うと、感謝されたよ。良いお母様だった」

「……知って、ます」

「君たちの話も聞いた。とてもよく出来た子たちだった、と。一生懸命探してくれた、と。君がお母様に、自分が主犯であることを告げたことも知っている」

 和泉が震える山内を見つめる。知らなかったのは、自分だけだったのだ。

「私が先に君の罪を知っていなければ、お母様が知っていることを聞き出すことは不可能だっただろう。誰にも言っていない、墓場まで持っていくつもりだと気丈に笑っていたよ。若く、思春期、色々ある、とおっしゃっていた」

 彼もまた、かつて下心から和泉に、葛城家に近づき、彼らの必死な姿を見て罪と向き合うこととなり、耐えられなくなって吐露した過去を持つ。

 罪は消えない。彼らの優しさがある種の棘となって彼を苛み続けた。言うことが出来なかった和泉にも、踏み込み切れなかったのは罪の意識があったため。

「君たちが始まりだ。葛城善という正義の味方、その物語の」

 自分ばかり見つめ寄り添えなかった和泉。好きだった和泉と仲の良い葛城への嫉妬から愚行に走った山内。自分に自信がなく拒絶されるのが怖くて近づけなかった九鬼。何か一つ、ズレていれば彼は生まれ出でなかった。

 特に珍しくもない小さな物語から、彼は今に至る。

 その不可思議に不破は苦笑する。

「だからと言って君たちに何かをさせたいとは思っていない。むしろ、九鬼ちゃんに関しては何もしないように、と念押しのつもりで早めに来たわけだ。葛城善の名を世に出す気はない。まあ、出す気があっても揉み消されるだろうがね」

 好きにすると良い。不破はそう言って懐に手を伸ばす。

 先ほどから幾度か着信が――

「……警視長?」

 普段、滅多なことでは電話をかけてこない相手。

 直属の上司の名がそこに在った。嫌な予感が奔る。

 すぐに不破は折り返す。

『秀一郎か!? 今まで何をしていた!?』

「少し所用で。どうしましたか?」

『マル秘の画像、動画も含めて削除されなかった。今はいつもより下流の方で削除済みだが、おそらく今までの比ではない規模で情報が流出している。一部では葛城善の名前まで出回り始めているほどだ。状況が大きく変わったぞ』

「……馬鹿な、ありえない」

『俺も我が目を疑った。だが、事実は事実だ。一番センシティブな時期に、最悪の爆弾を除去せずに爆発させやがった。賢人会議のクソどもめ』

「……すぐ、対応いたします」

『現場は荒れる。県警の盆暗共にどうこう出来るヤマじゃない。務めを果たせよ。俺も上のケツを叩いて出来るだけ援護する。お前だけが頼りだ』

「承知いたしました」

『よろしく頼む』

 不破の会話を聞いていたのか、和泉がPCを立ち上げ状況を確認していた。九鬼の貌が紅潮するほど、和泉や山内が顔をしかめるほど、

 葛城善の戦いが大勢の知るところになっていた。

「何を、考えているんだ?」

 不破秀一郎もまた意図が掴めずに顔を歪めていた。


     ○


「テメエ、何考えてんだ?」

 電話一本で世界のバランスを崩した男はまだまだ下の見えない回廊の縁に立つ。常人なら危ないと思うところだが、やっているのは羊飼いを自称する世界の王、部下である二龍も彼を良く知るクラトスも心配などしない。

 心配しているのは世界の方である。

「私は時計の針を進めただけ。これをどう利用するかは、彼ら次第だ」

 アルトゥールは縁を踊るように進む。

「極東の島国から世界が動き出す。私もね、楽しみなんだよ。彼らがどう選択するか、どうやって世界を破壊し、創造をもたらすのかを」

 そして、縁から足を踏み外し――

「ここからは彼らの時代、だからね」

 宙に浮き、笑う。

「……二龍、李白の爺さんよぉ。これはどういうことだ?」

「見たままでございます。濃いのですよ、ここの空気は。いえ、マナ、と言った方が通りが良いですかな。そして、近い内に世界がこう成ります」

 驚く様子も見せない二龍、李白の笑みを見て、クラトスは苦い笑みを浮かべる。ここが世界の中心、何が起きてもおかしくはない領域である。

 気づけば何と言うこともない話。

「使えるのか? 能力が」

「使えない。フィフスフィアはね、到達点なのだと思う。武にしろ、魔にしろ、本当の意味で己に辿り着いた者だけが使える、人の極み。魂の形」

 クラトスは李白に視線を向ける。彼もまた首を横に振る。一龍を務め、長年賢人会議のトップを支え続けた男ですら、足りぬ到達点。

「おぼろげなままでは、届かない」

 アルトゥールの身から溢れるは白金の光、以前見た時よりも色濃くなっているのはこの領域のせいか、彼の成長か、それを知る術はクラトスにもない。

 だが、どちらにせよ能力は発現していなかった。

「私や、君でも発現せぬ力、調律抜きに辿り着くのであれば、それは自らを極めた者のみ。私には、無理だなぁ」

 哀しげに微笑む男の背にクラトスは王の悲鳴を見た。

「さあ、滅びゆく時代を乗り越えて、明日へと辿り着け」

 それでも男は王として在る。

「明日の名はアストライアー、良い響きだね」

 次の時代、その踏み台となるまでは。


     ○


 男は警察と言う組織に飽き飽きしていた。年功序列、成果は見え辛く、評価などあってないようなもの。そもそもノンキャリでは到達点も見えており、数年もいれば自分の老い先など嫌でも見えてきてしまう。公務員の哀しいサガである。

 それを安定と取るか退屈と取るかは人それぞれだろうが。

 男はそれを退屈と取った。

 そして自分はもっと凄い存在なのだと、特に理由もなく信じていた。

 もっとお金が欲しい。もっとちやほやされたい。

 身の丈に合わぬ欲望だったが、数週間ほどの短い記憶を取り戻し、本当の自分を思い出してから世界が変わった。そういうコミュニティから自分に接触してきた。お前は特別なのだと言われ、彼らの仲間に入った。

 立場を利用し、警察の情報を流し、組織の信頼を勝ち取った。

 やはり、自分は特別なのだと彼は理解する。

 力はこそ、目の前の怪物と比べて劣るが――

「クスリのアガリ、結構好調ですね。このまま稼ぎましょう」

「ああ」

 知恵ならば負けるわけがない。ろくに稼ぐ術も持たなかった半グレ程度。

「俺たちの組織に入るメリット、お分かりいただけたと思います」

「……ああ」

「よかった。これで百人力だ。貴方が協力してくれ――」

 男の目の前で紫電が弾け、焦げ臭いにおいが辺りに充満する。

「百人?」

「い、いえ、千人、万人、億以上の力ですよ」

「……好きにしろ。俺は戦い意外に興味はない」

「タケさん! こんな奴の言うこと聞くんすか!?」

「なら、貴様らはこいつらほど稼げるのか? 逆らいたいなら俺よりも力をつけるか、こいつらよりも稼いでみせろ。出来んなら黙っていろ」

「ぐっ」

「俺を利用するのは構わん、公僕崩れ。だが、容易く制御出来ると思うなよ。俺は強い。俺こそが、最強だ」

 男はただ、力でのみ君臨する。

「わかっていますよ、春日さん」

 雷の鬼神、春日武藤は「ふん」と鼻を鳴らす。

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