最終章:不破秀一郎、と
とある県警はさる人物の来訪に大慌てとなっていた。
曰く、冷酷無情。
曰く、部下数十人更迭。
曰く、死刑囚コレクター。
曰く、完璧主義。
そんな人物が本庁からやってくるというのだ。主題はホームレス殺人事件だというが、今のご時世これ以上の事件もそこそこある。被害者も被害者なので、この件だけで本庁のエリート、しかもあの男が来るというのは異常事態。
「いやー、うち緩いから、何人かマジでクビ飛ぶかもなぁ」
「え、本気ですか? 所属が違うじゃないですか」
「バーカ。エリート様にそんなもん関係あるか。上に話し通されて一発アウトだよ。まあ、ミスの度合いにもよるけど、これぐらいって甘く見てると社会的に殺されるぜ。署長クラスなんて叩けば腐るほど埃も出てくるわけで」
「あー、だから上の人たちこの前からバタついてるんですね」
「所詮、地方のボス止まりの人たちだ。役職上は同等でも、実質的な立場は中枢のトップコースに乗った超エリート様には勝てないって話。世知辛いねえ」
「やっぱキャリアの人って凄いんですね」
「その中でも明確な実績を出した男だがな。神隠しにあったって噂も、実は特殊任務で不在にしてたって話だし、とにかく特別な人だよ」
とんでもない人物がやってくる。
上の人たちの焦りようを見るだけで、その恐ろしさは伝わってくる。
監査などという甘いものではないのだろう。
その男は、普段のうのうと椅子に座っている男たちを慌てさせるだけのことを成した。普段若造など、と嘲笑っている彼らから笑みを消すほどのことを。
署内の緊張がピークに達する。
「あ、どうもどうも。書類持ちますよ」
「あら、悪いわねぇ。あまり見ない顔だけどどちらさん?」
「あー、本日着任予定の若造です」
「そうなの。この署内のことはおばちゃんに聞いてね。お兄ちゃんみたいなイケメンなら何でも教えちゃう。おばちゃん、ここの生き字引だから」
「あはは、よろしくお願いします」
年配の婦人警官のデスクに書類を置いて、男はニコニコと奥へ歩き出す。まずは署長に挨拶、若い子なのに熱心ねえ、とおばちゃんはほっこりする。
ただ、誰も彼を知らない。
今日県警本部に着任予定だった者など一人しかいないのだ。
「本日こちらに着任いたしました!」
まるで若手のような振舞いで、威圧感皆無の立ち居振る舞い、前情報と違い過ぎる雰囲気に署長ですらぽかんとしていた。
「不破秀一郎です。役職こそ警視正ですが、まだまだ若輩者ですので先達方のご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
手伝ってもらったおばちゃん、驚き過ぎてすっころぶ。
署長以下、上の方々、噂と違い過ぎて腰を抜かす。
「あっ、交流会は何時からですかね?」
想像とかけ離れた男、不破秀一郎襲来。
○
「ふむふむ、背格好は俺より少し大きいくらい、か。紅い眼に、鼻の潰れた獣みたいな顔つき、ホームレスを殺害していたところを目撃して、威嚇射撃。その後逃亡、か。確かにマル秘案件だなぁ。君、勇気あるねえ。俺じゃあ撃てないよ」
署員と談笑を交え、事件のことについて調べる不破。
「い、いえ。自分も初めて撃ちました。未だに思い出すと震えますよ」
大卒の若手、温厚そうな青年を見て、不破はにこりと微笑む。
「俺もそうだよ。初めて現場で撃った時は緊張するよね。これで君も一人前、なんて旧い考え方か。どんなご時世でも撃たないのが一番。話してくれてありがとう。参考になったよ。難しいヤマだけど、皆で団結して乗り越えよう!」
「りょ、了解であります!」
「そんなに緊張しなくていいよ。歳だって十も離れてないんだし」
「そ、そんなわけには」
「あはは、まあ、その辺りの交流はおいおい、だね」
歳は多少離れているとはいえ、おそらく男には生涯辿り着けぬ地位に立つ男。ここの県警本部で一番偉い人物とすでに同じ地位なのだ。
あんな緩い雰囲気の男が、である。
(キャリアって言っても大したことねー。所詮勉強だけの頭でっかちだろ? 無能オーラ出まくってるわ。すでにババアにも舐められてるし)
とんでもない男が来る。
そう聞いて警戒していたが、実際は地位だけの若造だった。署長たちも気兼ねなく接しているし、もはや威圧感など皆無。若手の中には緊張も解けたのか自ら話しかける者もいて、マメに応じる姿からさらに侮られるスパイラル。
「ちょっと現場行ってきます!」
すたこらさっさ、と巡回のパトカーに乗り込み、もう何もないはずの現場に向かう。現場検証も、証拠品の回収も、遺体の処理も全て終わった後なのだ。
「あの人、ただのお調子者じゃないですか?」
「あー、拍子抜け、ではあるな。お歴々もほっとしてるぜ」
無意味な現場に赴く。その空回りっぷりは皆の笑いを誘う。
○
「……実務経験の浅い若手、遭遇して威嚇射撃、犯人は逃走。不自然な点はない。だが、時間帯と証言が少し引っ掛かるな。夜明け前、見え辛いはずなのに、よく見えている。見え過ぎている気が。気にし過ぎか、それとも」
不破秀一郎は本日の談笑、という名の情報収集を反芻する。
署員のパーソナルな情報や噂話等々。一見事件に関係ないことまで、と言うよりもほぼ無関係の情報ばかりであるが、これまた重要な情報である。
使える人材、など期待もしていない。
汚職や不正などは、どうせ油断させておけばいくらでも調べられる。かつての威圧して強権的に調べる方法よりも今のやり方の方が手っ取り早く、効率的。
些事に割く労力など少なければ少ないほど、いい。
「シュウさんなら、この時点であいつがホシだって言い切るんだろうな。あの人、アタリをつけてからその人物中心に動くって言ってたし」
悲劇の舞台、ホームレスが集う、集っていた河川敷。
被害者が被害者なので、ニュースの扱いも小さい。まあ情報自体、案件が案件なのでこちらが絞っていることもあるが、それがなくとも芸能人のスキャンダルにすら塗り潰される程度だろう。少なくとも多くの者にとっては他人事、である。
とはいえ二件目。次があればさすがに――
「でも、それは俺のやり方じゃない」
不破秀一郎は現場を、情景を頭に叩き込む。この景色があるとないで、情報に対するフックが変わってくるのだ。何と言うことのない情報であっても。
突如、携帯が鳴る。
「はい、不破です。はい、はい、そうですか、どの血痕ですかね? G? そこだけ? なるほど。大丈夫です。全部、頭に入ってますので。では、失礼します」
情報をイメージに追加する。
「ここに血痕。被害者の、誰のものでもない、血。相手が魔獣なら骨まで喰らった可能性もある。ただし、食用なら他の肉を放置し過ぎ、だな。もう一つは、犯人の痕跡である可能性。威嚇射撃がたまたま、当たっていた場合。立ち位置は、こことあそこか、高低差があり、打ち下ろし。いや、そうなると銃弾が見つかっているはず。打ち下ろしではなく、比較的水平、あの辺りかな? 犯人はどう逃げる?」
頭の中で現場を動かす。右へ左へと。
そして、突如目を見開き、不破は川っぺりに近づく。
「川へ、逃げた。地続きの血痕がない以上、ここしかない」
不自然、違和感――
(再生力の高い魔族なら、銃創ぐらいすぐに回復するだろう。だが、残っていた血痕はそれなりの量だった。人に近いサイズ、下級の魔族が犯人。もしくは、銃自体の威力が高い、可能性。そこそこ以上の魔族なら拳銃なんて脅しにもならないが、魔力で威力を増していれば、途端極めて殺傷力の高い兵器と化す)
不破は自らの手を見つめる。あの世界から戻ってきて、失った力。世界が変わったから、使えなくなった、わけではない。実際に魔族が魔力を用いた破壊を行ったという情報は彼の耳にも入っていた。人間だけが、使えない。
まるで封じられているような感覚。あちらで使っていたからこそ、感じる違和感。使えるはずの尻尾が、羽根が、もがれているような喪失感があった。
(背格好や顔を認識できるのに、威嚇射撃で大当たり、川へ逃げたなんて報告書のどこにもない。喰っていた場合は、他の被害者が綺麗すぎる。どちらにせよ、不自然。初期段階でこれか。ちょっと、わきが甘いなァ)
まだ、推測。固めていくのはこれから。全体を見て、真実を絞り出す。
それでも不破秀一郎の中では師と同様に――
○
和泉翼は本日何度目か思い出せぬほどのため息をつく。
教育実習で戻ってきたことは地元の誰にも伝えていないのだが、どうやらどこからともなく漏れたらしく、成人式ぶりに集まろうと同窓会が開催される運びとなっていたようだ。自分がきっかけである以上、乗り気でなくとも不参加にはし辛い。
最終的には地元に戻ることになる以上、むげにも出来ない。
「ハァ、しかも、中学三年のクラス、か」
欠席一が確定したメンバー。彼の行く末も気になる。
そんなこんなで気が重い週末であったが、授業自体はつつがなく終える。
電車に揺られ、市内を走るバスに乗り向かうは――
地元の繁華街。小さな居酒屋を貸し切った同窓会である。
「あ、和泉ちゃんだ! ひさしぶりー! 会いたかったー」
「久しぶり。私も会いたかったよ」
「うわー、相変わらずクールビューティ」
「こっちこっち、指定席あるから座ってよ」
笑顔でがっちり固めねば「うげ」としてしまうだろう寒いやり取り。大概さほど仲良くなかった相手がこうやってべたべたしてくるのだ。
と言うよりも今の相手はむしろ仲が悪かったはず。
「よぉ、久しぶりだな、和泉」
「……久しぶり、山内」
そして一番気が重いのは、一応彼氏である彼の存在である。高校二年から付き合いだし、遠距離に入って自然消滅するかと思いきや、別れ話が切り出されないので続いているだけの関係。何とも肩ひじ張る会になりそうだ、とため息を一つ。
「ほんと連絡しないよな、和泉は」
「必要な情報のやり取りはしているつもりだよ」
「……戻ってきていることは必要な情報じゃないのかよ」
「実習で予定が読み辛くてね。短いし、別にいいかな、と」
「ったく、俺じゃなかったらとっくに破局してるっての」
別に破局しても良いけれど、と口に出しそうになったが、こんな場所で言えるわけもなく張り付けた笑顔でやり過ごすしかない。
「あー、山内座ってないで準備手伝ってよ」
「なんで俺が。まあいいけど」
山内を引っ張る女子は先ほど、出鼻を威圧してきた彼女である。
クラスのリーダー格で、おそらくは山内のことが好き。当時は気づいていなかったが、どうにも彼は中学時代から自分のことが好きだったらしく、仲が悪かった原因を今更に知る。
彼はそんな機微、察してもいないのだろうが。
まあ、そのおかげで年がら年中図書室にいて、葛城善と交流することが出来たのだから、人生と言うのは不可思議なものである。
そんなとりとめないことを考えている内に続々と――
「あ、和泉来てんじゃん。もっとオシャレしてくればよかったー」
「ひさしぶりー。やっぱ東京行ってるとあか抜けてくるよなぁ」
「バーカ、お前があかまみれなだけだっての」
「ごぶさたー! 懐かしいー」
「成人式で会ったじゃん」
「成人式とかとっくに過去でしょ」
もはや名前すら一致しない男子御一行や女子御一同が揃う。
当時も馬鹿みたいに思えたが、今も相変わらず馬鹿にしか見えない。自分に色があると思っている凡人の群れ。そこに埋没してしまう自分もまた凡人。
類は友を呼ぶ。ここにいる時点で自分もまた彼らと同類。
「はーい、みんな揃ったー?」
「あれ、揃ってんのに、和泉の隣、一席多くね?」
皆、指定された席に座っているのにぽっかりと空いた空席。箸が用意されている以上、誰かは来ると思っていたのだが。
「実は男子一同に朗報です。知っている人もいると思いますが、本日、なんと、サプライズゲストが来てくれました!」
「おお!」
当然、和泉は誰が来るのかなど知らない。正直興味もない。
どうせ当時の先生とかそんな――
「我らが○○中学出身のスーパースター! 薙刀姫――」
和泉はびくりと青ざめる。完全に思考の外、彼女がこんな場所に来るはずがない。彼女がこんな凡人のるつぼに近づいてくるはずが、
「九鬼巴ちゃんでーす!」
ない、のに。
「ごめんなさい、別クラスなのに来てしまいました」
凛とした雰囲気。圧倒的なオーラが眼を焼く。
「すっげ、マジか!」
「うわ、情報聞いてたけど、それでも信じられねえ」
「頭、小さ!? 手足長ェ! 同じ人間じゃねえみたいだ」
(誰よ!? あんなの呼んだらあたしら立場無いじゃん!)
(ごめん。どうしても、釣りたい男子がいて。ダメもとで)
(それごと全滅するっての!)
(大丈夫、全員もれなく釣り合わないから!)
(ま、まあ、確かに)
騒然とする場を颯爽と抜け、
「お久しぶりです、和泉ちゃん」
「ひ、久しぶり、九鬼さん」
「さん付けなんて、同じクラスだったのに他人行儀ですね」
「ご、ごめん」
「冗談ですよ。お隣、失礼します」
和泉の隣に座る、九鬼巴。
その凛とした佇まいに皆の視線が引き寄せられる。中学時代は誰も視線に入れていなかった、背がひょろりと高いだけの少女だったのに。
背後霊だなんだと弄られていたのだが――
「あ、和泉ちゃん、まだ山内君と付き合っているんですか?」
耳元で小さくつぶやく彼女は、
「ま、まあ、一応ね」
そんな負の気配などおくびにも出さず、妖艶に微笑んだ。
「そう、ですか。よかった。来た甲斐が、あります」
刹那にだけ覗く、自分への敵意。これがずっと苦手だった。『原因』が理解できているから、なおさら距離を置きたかった。『原因』がなくなって以降も、逆に強くなったその視線は自分を委縮させ、気圧す。
「彼が好きなの?」
「ふふ、御冗談を。私、一途なので」
今、一番会いたくなかった相手が、隣にいる。
「何話してるのー?」
「高校時代の内緒話です。和泉ちゃんのうっかりエピソードですね」
「うわ、超聞きたい!」
「ご本人の承諾があれば」
九鬼巴が向ける笑顔には色がない。『彼』に向ける視線を知る己からすれば、そこに感情がないのは明白で、彼女にとってここにいる全員が本来、興味の対象外のはず。唯一例外があるとすれば、自分だけ。
それは自分が彼女の宝物に触れたから。ただ、それだけ。能力に関しては全て、在学中に見せつけられている。本物と偽物の差を。嫌と言うほどに。
九鬼巴こそ己に天才という生き物を教えた存在だから。
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