第4章:竜の明日は――
「……これは」
『とんでもねえな、こりゃ』
竜族の宝物庫、そこには一面の金銀財宝で埋め尽くされていた。ただの金銀ではなく、すでに失われたはずの神話の遺産である。
『昔、こういうの好きな奴がいてなぁ。こういう石ころのために神族に喧嘩売ったり、徒党を組んでシンに喧嘩売った馬鹿もいたなぁ。懐かしいぜ』
ゼンは自然と笑みが零れていた。きっと、他の二人がいても同じ表情を浮かべていたことだろう。鍛冶師、もしくはニール辺りはここに住みたいと言い出すかもしれない。輝ける栄光の残り香、もはや名すら失った物言わぬ存在。
『感謝する、イヴァンさん』
『礼はいい。それでイヴリースに勝てるならなァ』
『……確率は、上がったと思う』
見て、触れて、感じる。
どんな形状で、硬度で、熱に強い、弱い、どういう魔力を秘めているか、様々な要素がゼンの脳裏を駆け巡る。ギゾーは乱さぬよう、珍しく口を閉ざす。
ふわり、立ち上る気配にイヴァンは目を細めた。
かすかな、奇跡の香り。あの頃は嘲笑っていた見えぬ力。自らの力を誇示し、いずれ何物をも超えて見せると勇み、そして絶望に塗り潰された。
種としての限界、まざまざと突き付けられた、造物の限界。勝負になっていたと思っていたのは彼らが手を抜いていたから。進化を促進するために。真価を発揮すれば手に負えない。あの三柱でさえ、自らのアルスマグナが輝く領域で敗れ去ったのだ。本気の、シン・イヴリース。今思い出しても怖気が奔る。
しかし、皮肉にも力が敗れ去った後、人界で人族が奇跡を成した。自らの命を賭して突破口を作り、そこで奇跡の剣、エクセリオンが貫いた。
バァルの眼が映し出した奇跡の瞬間、遠目でイヴァンたちも目撃した。くだらぬプライドが、与えられた絶望と共に崩れ落ちた。あの日から心は凪いだまま。
三度の飯よりも大好きだった喧嘩の味が薄れた。戦場では勝利の味よりも失われる同族の命が気になり始めた。無為な消耗、気づけばいずれぶっ飛ばそうと思っていたルシファーと同盟を組み、安全圏を求めていた。
自分たちのためではない。自分たちは何処でも生きていける。でも、弱き子供たちは、孫たちは、その下の世代は、きっと生きられない。
ゼン、あのか弱き存在から立ち上るそれは奇跡の気配。
『くっく、他力に願うようになっちゃ雷竜帝も終わりだぜ』
こう願うこともきっと、あのシンはお見通しなのだろう。
バァル、ベリアル、彼らがかすかにでも期待してしまう気持ちは、あの日奇跡を目撃した者が共有する思いである。そして同時に、畏怖もある。
その大小で立ち位置は大きく変わってくるのだ。
『どうだ、ゼンよォ。満足したかァ』
『あと、少し、時間をください』
『へいよ』
魔界において警戒すべきはシンの軍勢ではない。その傾きが自分たちとは別に傾いてしまったもの。今は、彼らのプライドが、矜持が動くことを良しとしていない。人族を羽虫程度にしか思っていない者たちなれば当然であろう。
羽虫を潰すために自らが手を下す気はない。今は、だが。
『シャイターン、アスモデウス、プルートゥ辺り、だなァ』
日常的に戦いが巻き起こるのは魔界の常なれど、六大魔王や第一世代が本腰を入れて戦うことはそうない。かつてはあったが、あの日以来極端に減った。
次に動く時はきっと無事では済まない。
誇りと願い、庇護、生存本能、掲げて彼らが立つ日は来る。
『ありがとうございました。充分、です。どうしました?』
『んあ、考え事だァ。安心しろ、お前さんにゃ関係ねぇよ。期待してるぜ、今世の奇跡って奴を。あのガキどもにも見せてやりたくてよォ』
『……善処します』
『頼りねえが、ま、そういうもんなんだろうなァ』
イヴァンは苦い笑みを浮かべていた。
未だに自分たちが劣る理由はわからない。きっと、死ぬまでわからないままなのだろう。だから自分たちはいずれ滅ぶ。彼らは自らの生存限界を受け入れていた。
最後に一族が繋がれば良いな、とは思ってはいるが。
○
ゼンのお別れ会、と称したただ飲み会。お酒大好きな竜族が彼をだしに楽しんでいるだけなのだが、その中で今日一番の盛り上がりが巻き起こる。
『……珍しいな、イヴァン様が舞われるとは』
『どこかで見たことがあるような?』
『竜族に伝わる舞踊だ。見たことなどあるまい。イヴァン様は龍舞の名手でな。滅多に踊られることはないが今宵は気分が良いのだろう』
確かにあれほど洗練された動きは見たことがない。
(あ、アバドンがやっていたやつか)
『それ言うなよ、相棒。竜族はこういう儀式にうるさいんだ。他の種族がパクったってなったら戦争が起きるかもしれねえぞ』
(そんなに狭量とは思わないが……というかそれでなくとも何か、似てるな)
『…………』
どことなく既視感のある光景。
『おい、ゼンも踊れェ!』
「ぬっ!?」
『俺も踊る!』
『りゅーちゃんも!』
『がぶ!』
急に皆の前に立たされ、ちびっ子たちと踊らされるゼン。当然、出来ないはずなのだが、何となく形は真似れてしまう。
(はて?)
と、首を傾げるゼン。
『コラァ! 祈りが足りねえぞォ! あれだ、センスがねえ! カタチは悪くねえのに、こう、クるもんがねェんだよなァ!』
『仕方ないだろう。見様見真似だ』
『カタチだけじゃなァ』
ゼンはイヴァンのツッコミで思い出す。
大星が皆に教えていた動きに似ているのだ。流れるような感じや、地面を踏みしめる足捌き、全部同じではないし、おそらくは大星の方が丁寧で練達の域にあった。大星のは武であり、これは舞なのだろう。合理的ではないのだが――
『ちびっこども、教えてやれ!』
『『『はーい』』』
イヴァン号令の下、ちびっこによる舞踊指導が始まる。要領が悪いと蹴ったりかじられたり、種族差かチビでもそれなりに強い彼らにそうされるのはスリリングではあるが、それ以上に武より舞の方がすっと感覚に沁み込んできた。
もちろん、一、二日でどうにかなるものでもないが。
『センスはない、か?』
『俺様に比べたらな』
『ぶふぉ、ぶふ、いや、面白いぞ、イヴァン』
『きめーんだよ、テメエの笑い方はよォ、ヴントゥ』
『それ言ったら戦争だぞ』
『うるせえ』
普段なら即座に喧嘩するふた柱であったが、あのたどたどしい舞を見ているとそんな気も失せてしまう。ちびっこたちの思い思いの言葉に右往左往しながら丁寧に飲み込んでいくゼン、それは微笑ましく、その真面目さは気持ちの良い。
『いつかよ、こんなもんでも繋がると嬉しいよなァ』
『ここ数日で老けたな、イヴァン』
『へっ、うるせえよ』
遠く果てない明日、そこに何かがあれば、それだけで――
生きる意味はあるのだと、彼らは想う。
○
『いつまでチンタラしてんだ、クソオーク』
まさかの迎え、しかもフェネクス直々である。レウニールからの命令なのか、寝起きの彼女の不機嫌さはゼンも良く知るところであった。
『すいません』
『すいません』
とりあえずゼン、ギゾー共に謝る。
『ふん、テメエらまだくたばってなかったのか、イヴァン、ヴントゥ』
『テメエらみたいなか弱い生き物じゃねえんだよ、阿呆鳥』
『ぶっ殺すぞトカゲ野郎』
『アアン』
メンチ切り合うフェネクスとイヴァン。このふた柱は魔界最速を賭け亡きベルも交え競争していた過去を持つ。当然、仲はすこぶる悪い。
喧嘩をすればイヴァンが強いのだが、フェネクスも食い下がる程度の実力はあり、回復手段を持つ彼女は長期戦にめっぽう強い。いく度か持久戦の末フェネクスが勝利を掴んだ経験もある。その時は決着に数百年かけていたが。
『さっさと行け。長い時間待つ御方でもないだろうに』
ヴントゥの指摘に『ぐぬ』と言葉を詰まらせるフェネクス。
頭の出来はイヴァンと同程度である。
『おら、行くぞクソオーク』
『『『あああああああああ』』』
『なにガキに惜しまれるほどトカゲどもと仲良くなってんだ殺すぞオイ!』
『いやぁ』
『照れてんじゃねえ!』
普通に蹴り飛ばされるゼン。忘れていたがこのメイド、死ぬほど短気である。
『また来いよ、イヴリースに勝ったらなァ』
『その時のために竜酒をしこたま用意しておこう』
『お世話になりました』
のっそりと起き上がりながら頭を下げるゼン。『テメエ、トカゲに――』と言いかけたフェネクスだが、ゼンと彼らの眼を見て押し黙る。
『行くぞ、クソオーク』
『ああ』
そう言って炎と化したフェネクス、不死鳥は一瞬で彼方まで飛翔する。
『あんにゃろう、一丁前に嫉妬してたぞ。同種のつもりかね』
『あれで寂しがり屋なんだろう。生い立ちを考えれば仕方ない。俺たちのように好き好んで魔族を選んだわけではないからな』
『ま、そうだわな。不死鳥なんて群れてなんぼ、それをここまでひと柱で突っ張ってたんだし、多少の不敬はあれだ、許してやろうじゃねえの』
『老けたな』
『あん?』
『俺たち』
『……ああ』
魔界にも朝が来る。輝けるようなそれではないが、時は進んでいるのだ。
今はぼやけているように見えても――
○
「テメエはあれだぞ、レウニール様のしもべだ。命握られてんだからな、そこんとこしっかり理解しとけよ。魔族にゃ派閥があるんだ、古式ゆかしいのがな」
「あ、ああ」
「テメエはレウニール様派だ。ベリアル、レヴィアタン、この辺としかつるんじゃいけねえし、こいつらは馬鹿と昼行燈だから付き合いは避けるべきだ」
「……誰ともつるむなってことか?」
『……すげえこと言ってる自覚あります? 姐さん』
「殺すぞ!?」
不死鳥、館に帰還。
そして飛び出してきたミィを見てゼンはぽんと手を打つ。
「ああ、ミィがいたか」
『…………』
なぜか不機嫌なフェネクスはミィの首根っこを引っ掴み、
『掃除だゴラ』
『ふにゃあああああ!』
と引き摺って行く。
「納品して人界に戻るか」
『せやな』
まあいっか、とゼンは竜の巣から頂戴してきた『王の牙』を納品するため、レウニールの館に足を延ばした。難易度が高いと思っていたおつかいであったが、蓋を開けてみると命の危険は大変少ないおつかいであったと言える。
イヴァンらが本気で迎撃していれば数秒で消し炭であっただろうが、たらればで慄くほど数々のおつかいをこなしてきたゼンの神経は細く出来ていない。
最悪無我があるので無問題、である。
閑話休題、おつかい編終わり。次回から本筋へ。
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