第3章:絶望のワンダーランド
アストライアーでも最大の機動力を誇る『ヒートヘイズ』マリオ・ロサリオは絶望のワンダーランドに訪れていた。連絡不通、あるはずの定時連絡が無く、エーリス・オリュンピアの件で活気づく中、様子を見に来たのだ。
嫌な予感はあった。
それでも彼は第五位『キッド』、その取り巻きもまた彼の特別製。
他の誰がやられてもおかしくない状況だった。それでも――
「……まだ、ガキだぞ。ここまでやるか? 同じ人間だろーが。こんなもん、戦争じゃねえ。ただの、虐殺だ。笑えねえよ」
打ち震える『ヒートヘイズ』。彼は、ネフィリムとの取引、対話を経てどこか彼らに共感しつつあった。彼もまたかつてはスラム街で生まれ、貧困、餓え、略奪、殺人、サッカーと出会わなければ彼らと同じ地平線に立っていた自信がある。
そういう環境に生まれ、環境が人格を形成してしまうことも承知している。
それでもこれは、やり過ぎであった。
「……報告、ワンダーランドは、全滅だ」
『そうか。すまない、辛い役目を押し付けた』
「いいさ、オーケンフィールド。改めて理解した。これをやった奴は人間じゃねえよ。ギャングが天使に思えてくるぜ。ただただ、許せねえ」
ワンダーランドは『キッド』が世界中から集めた戦災孤児によって成り立っていた。天涯孤独となった彼らを束ね、力を与え、戦力とすると同時に『キッド』は彼らを守っていた。ここは子供たちにとって夢の国だったのだ。
今は、子供の声など一つもない。
ただ、眼前には腐臭を放つ死体が転がるのみ。皆、絶望に満ちた表情をしていた。誰一人として悔いなく死んだ者はいない。理解が及ばず死んだ者も、いない。ここまで徹底されているということは、故意なのだろう。
ここを潰した者は故意に、全員に絶望を植え付け、殺し尽くしたのだ。
一片の希望も残さぬように。
○
それは絶望の記録、記憶、もはやこれを成した男の脳にしか残っていない、凄絶にして愉悦に満ちた世界を浮かべ微笑む男、加納 恭爾。
「キャプテン! 敵襲です!」
それは突然現れた。
世界の裂け目から、『キッド』たちの前に。
「俺ァ、手伝わねえぞ。ガキは趣味じゃねえ」
「いいとも。これは娯楽と、試しだ」
第五位『キッド』、対生物に対して圧倒的強さを誇る能力を持つアストライアーの切り札であり、最高戦力の一人である。
(……『コードレス』が不通。何かされたのか、それとも――)
今までも襲撃は幾度かあった。彼の能力を完全に把握された後も、レイス種などの実体を持たぬ魔族や無機物によって構成された魔族など、『キッド』の弱点を突いた布陣で攻めてきていたが、それはワンダーランドの子供たちによって『キッド』に辿り着くことなく滅ぼされていた。ただの子供ではないのだ。
彼らは『キッド』の特別製、彼を補完する者たち。
「キャプテン、僕らが」
「いや、僕がやるよ。正面からなんてさ、随分と舐め腐ってくれたね。この『キッド』様を。これでゲームクリアだ」
シン・イヴリース、加納 恭爾の身体が爆ぜる。肉体の、血中の水分を操り、血管を破壊することも、臓腑を捩じ切ることも、彼なら何でも出来る。
人間ならば七割の主導権を握っているようなもの。魔族とて変わらない。
「ぐぶ、すばら――」
「一万回死ね、ザーコ」
容赦なく、『キッド』は能力を行使する。
彼が不死に近い存在であることは承知済み。それでも不死でなく、回数制限があるのであれば『キッド』なら問題なく屠れる。
一瞬で加納を血だるまに変える『キッド』。
「いはばや、ずばらじい」
しかし、加納もまた止まらない。見るも無残な破壊を行使されながら、笑いながら一歩ずつ距離を縮めてくるのだ。『キッド』はため息をつく。
「痛覚を遮断してるのか。狡い野郎だね」
「ぐぐ、ぞれが、わだじ、だ」
さらに一歩、破壊されながら――
「いいのかい、ニケ。ご主人様、死ぬぜ?」
「別に。好きにしろや」
動かぬ要注意人物のお言葉に甘え、『キッド』は破壊以外でも能力を使う。
「……!?」
「ぽん、眼球はほぼ水分だぜ。大魔王ゥ」
破裂した眼球、失った視界。その瞬間、ワンダーランドの子供たちはニケが「おお」と感嘆の声を上げるほどの速度で、鉄砲を引き抜き一斉掃射した。
それは古臭いカタチの銃であり、機能自体はただのモデルガン。大事なのは魔術式が施してあること、カートリッジに入った水を圧縮し、鉄をも切り裂くウォーターカッター、もとい水鉄砲として『水弾』を打ち込むことにある。
それは見た目以上の破壊力を秘めていた。
「ほぉ、噂の改造人間ども、か。いい趣味してるな、『キッド』ォ」
「不公平だからね。子供にだって力は必要だろ?」
ケミスト、『キッド』の手によって改造された子供たちは、皆一様に紅い眼をしていた。魔族の強靭さを骨格、筋肉に付与し、身体能力を限界まで引き上げ、内蔵魔力を一時的に限界を超えさせる改造を施していた。
ニケはそれを見てケタケタと笑っていた。人為的な限界突破、それをほぼリスクなく子供たちに与える『キッド』の研究。明日の時代の化学力。すでに飛び級の天才は化学に魔術を取り込んでいた。この進化は、ほんの少し前の時代を一笑に付すもの。この発展は信念の獣を嘲笑うものである。
ゆえに彼は笑う。否、嗤う。
「キャプテンの手を煩わせるな! 僕らでケリをつけるぞ!」
「あいあいさー!」
無慈悲なる遠距離攻撃。水が加納の身体をバラバラにしていく。
その時点で彼らはおかしいと思うべきだった。奇襲であればともかく、例え増幅したとしても、限界を超えたとしても、あのシン・イヴリースに攻撃が通っていることが、ありえないことであることを。
子供たちは気づいていない。
「そろそろ本気を見せてくれ、『キッド』君」
「なるほど、頭部から脳を移動できるのか。便利だね、その身体」
子供たちが気付いた時には――
噴水から空中に描く流れに乗り、空を舞う『キッド』と加納が攻防を始めた後であった。撃っているのは死肉であり、気づかぬ間に加納は砕けた肉片を本体とし『キッド』に接近を果たしていた。
油断なくそれに応じた『キッド』もまた隙無し。
しかして、七割を支配されてなお問題なく応じてくる加納もまた怪物。
「ちィ!」
「ごぶ、内臓破壊、か。ふふ、随分攻撃がこじんまりとしたものだ。さすがに冷静、私をバラバラにしてしまえば、どれが本体かわからなくなってしまう。嗚呼、ジレンマだ。重い攻撃を持たない君は出来る限り大きな傷をつけたい。だが――」
だが、そうしてしまえば子供たちを守り切る自信がない。自分だけであれば問題なく対応できるが、子供たちを盾に取られてしまえば厄介なことになる。
その手札を彼は先の攻防で突き付けてきたのだ。
「さて、天才である君は私を殺せるかな?」
メギドの大炎、掌に掲げた圧倒的熱量を『キッド』に向けて放つ加納。それを見て『キッド』は鼻で笑う。何の問題もないのだ。
「僕が何を操ってんのか、理解も出来てねえのか」
水が炎を包む。凄まじい勢いで蒸発していくが、蒸発した先から『キッド』の能力で気体から液体に変わり、メギドの大炎を包み込む。
それが炎である限り、燃焼する元を失えば火勢は衰え、消えるは道理。
「……炎じゃ、無い?」
「メギドの大炎はエーテルを、つまりはマナを燃やす。真空でも、宇宙でも燃える原初の炎だ。未達者の秤では解せぬことがある!」
その眼に浮かぶのは、加納とは別の執着。未達者の同類にマウントを取りに来るような別の意識がかすかに、浮かんでいた。加納は僅かに笑みを消す。
『先ほど』の戦いで意識が表層近くまで這い上がってきた。戦闘の度に近づいてくる足音、オリジナルの純粋なる復讐心が『加納』を焼く。
炎を消し、加納は真っ直ぐと『キッド』を見据えた。
「……そろそろ勝負をつけるか」
加納は世界を砕く。次元操作、直線上の『キッド』ごと砕く。
が、砕けたのは世界と『キッド』の、幻影。
「なるほど、いつの間に?」
「最初からだよ」
これが第五位『キッド』。『水鏡』のようなあらゆる事象への反射が使えるわけではないが、光学映像を水面に映し込むぐらいは出来る。
最初から、それを自然に行っていた『キッド』の手腕。
「この距離なら、そこそこ重いのが撃てるッ!」
ゼロ距離、加納の背に『キッド』の手が添えられる。
その瞬間、加納の全身が捻じれ、縮み、圧縮されていく。水分、七割を支配し全身全霊で圧していく。ずっと狙っていた勝機、ここでラスボスを討ち果たし、自分もまた英雄になるのだ。ずっと前から、成りたかった、自分に。
「滅べェェェェエエ!」
誰かを助ける存在に――
○
アストライアー第五位『キッド』ことロバート・キッド・ノイベルグは天才であった。物心ついた時には誰よりも先んじ、最高のギフテッドと称された。
天才の中でも突き抜けた彼は六歳で大学へ、十一で博士に至るも、その翌年には学術誌に論文を掲載するほどの超天才であった。国家は彼に万全のサポートを敷き、誰もが彼を特別扱いした。彼もまた自分は特別だと疑っていなかった。
ある日、彼の傲慢が砕け散る。自分なりの社会勉強、ルーティンから外れた行動をしてみようと地下鉄に乗ったのが運の尽き。彼は輩に絡まれてしまう。生意気な少年に見えたのだろう。分厚い専門書を広げ、自分はお前たちとは違う、そんな雰囲気を嗅ぎ取ったのかもしれない。酒臭い男は彼に絡んでくる。
自分は特別な存在であることを語るも、そもそも会話が成立しない。理解せぬ獣に何を説いても意味がない。むしろ状況は悪化するだけ。
向けられた拳が、凶器に見えた。自分が弱い子供であることを彼は今、初めて認識してしまったのだ。特別な環境が無ければ、ただの子供でしかない。
その事実を、実体験にて彼は知る。
少年は皆に助けを求めるが、見ず知らずの少年のために厄介な雰囲気の男に向かっていくものは皆無で、男の眼がどんどん据わっていく恐怖で圧し潰されそうであった。暴力への恐怖、初めて向けられる敵意に少年は震えていた。
だが、とある駅で薄汚い恰好の男が乗車してきた。
他の者は絡まれている少年に一瞥を寄越すだけ、関わろうともしなかったが、その男は一目見た瞬間、無言で酒臭い男を押しのけ、少年の前のつり革に陣取った。空いている席はあるのに、男はあえてそこに立っていた。
少年の盾になってくれたのだ。何も言わずに。酒臭い男は彼にも絡もうとするが、揺らがずに少年に前にただ立っている相手に根負けし、次の駅で降りて行った。心の底からの安堵、少年は生まれて初めて「ありがとう」と口にした。
そしてお礼にいくばくかの紙幣を差し出す。男の身なりを見る限り、いい暮らしはしていないだろう。お詫びとしては充分、むしろ過剰であった。
しかし、男は首を横に振り、ただ手を差し出してきた。
おずおずと差し出された手を握る少年に向け、にかっと微笑み男は力強く握り返してきた。大きな手だった。涙が出そうなほど、優しい手だった。
ウィンク一つ、男はその次の駅で降りていく。
何の見返りも求めず、ただ人を助ける男を見て、少年は自らの滑稽さを知った。何も特別ではない、無力な己にとって名も知らぬ彼がヒーローになった。
あれから一度として出会うことはなかったが、それは今も変わらない。
研究テーマが決まった。あんな風に強い存在になりたい。
何の見返りも求めることもなく、誰かを助けられるヒーローに。
そのために少年は自分なりのやり方で、それを目指した。
研究の過程、くだらぬプライドに凝り固まった大人に、足を引っ張られる日々によって彼はあの男のような存在は希少なのだと知った。
ゼンが好きなのは、どこか彼に似ているから。あんなに茶目っ気がある感じではないが、見返りを求めようとしない姿勢は彼を彷彿とさせた。
シンの軍勢によって家族を、家を奪われた子供たちは、かつての己とは比較にならぬほどの絶望であろうが、それでも重ねずにはいられなかった。
見返りなど必要ない。子供たちにとっての『彼』になろうと思った。
それが『キッド』である。
○
「素晴らしい!」
紙を小さく丸めるように加納を内圧にて潰す中、『キッド』は聞こえるはずのない声を聴いた。だってそれは、今目の前で潰れている存在で、声帯など存在するような形状ではない。こぶし大ほどのサイズにまで縮んだそれとは別に――
「キャプテン! ごめん、なさい!」
子供の一人と仲良く肩を組む、加納の姿であった。
それは生殺与奪を握っていることで、周囲の子供たちも手出しが出来ない。
「さすがは天才、水を操る能力でここまで応用するのは君くらいのモノだ。素直に称賛しよう。君は天才で、まさに、正義に味方だった」
「だ、った?」
過去形、瞬時に『キッド』は己の失着に気付く。
本体があちらに移動していたと思った。それゆえに、緩んだ。
こぶし大の肉塊から黒い球体が放たれた。それはルキフグスの偽造虚無、それが『キッド』の肉体を削り取り、絶叫と共に天才は墜ちる。
繊細なコントロールを必要とする能力が半ば解除され、流れが途絶え、圧縮が解除され、加納は再生を果たし、『キッド』はギリギリで水をクッションにしながらも、顔を歪めて地に堕ちる。もはや状況は最悪へと入れ替わった。
「ぐ、がは。まだ、致命傷じゃ、無いぞ!」
それでも『キッド』は戦意を失わず吼える。
「当然だ。あえてそうしたのだから」
「……ざ、戯言だ!」
「ふふ、良い貌になってきた。私はね、君をとても評価しているんだ。アストライアーの面々、その中で君は少しばかり異質だろう?」
「何の話、だ?」
「能力は強いが、君は強くない、という話、さ」
『キッド』の貌が、歪む。
「不破 秀一郎とは対極だねえ。嗚呼、彼は厄介だった。危うく詰まされかけた。能力は大したことないのに、だ。その差は何だと思う? 私はね、死への覚悟だと思う。そう、私が君を評価しているのは、まさにそこだ」
しゃべるな、とばかりに『キッド』は能力を行使する。
加納の頭部は爆ぜるも、すぐさま再生してしまう。
「不破 秀一郎には死への覚悟があった。それを組み込んだ策を用意していた。私は彼が嫌いだよ、他者のために自己を喪失するなどありえない。その点、私は君が大好きだ。だって君は、私と同じで自分が大好きだからァ」
「黙れェェェェエエエ!」
『キッド』、否、ロバート・キッド・ノイベルグは叫ぶ。力の限り能力をぶち撒け、加納を破壊していく。バラバラに、ぐちゃぐちゃに――
「死ぬのは怖いなァ」
「死にたくないと思うのは当然だ」
「人間も生き物なんだ」
「いいじゃないか。それが出来る方が、生き物としては壊れている」
加納 恭爾が、絶望が、増えていく。
「違う、僕は、アストライアーの、『キッド』なんだ。僕は、正義の味方に――」
「君には、無理だ」
加納 恭爾は『キッド』を抱きしめる。愛おしそうに。
「私が求める言葉、聡明な君なら、分かるね?」
「あ、ああ、ああああああ」
心が折れる。絶望が、あの人は比較にならぬ悪意が身を包む。
もう、能力を使うことも出来ない。
「……死に、たく、ない」
「ああ、わかるとも。君の気持が痛いほどわかる。伝わっているよ。もっと、もっと、高らかに叫びたまえ。心の底から。さあ、我が友よ」
「誰か、助けて! 僕は、死にたくない! 誰でも良いから、助けてよォ! ゼン! オーケンフィールド! 誰でもいい、誰か、僕を、助けて、ください」
「素晴らしいィ!」
加納 恭爾は極大の愉悦を浮かべていた。危うく絶頂しかけるほどの、アニセトを堕とした時と同様の快感が体を駆け巡る。
「子供たち、聞いたかな? 君たちのヒーローは、僕を、僕だけを、助けて欲しいそうだよ? 嗚呼、哀しいねェ。君たちは、要らないらしい」
「……あ」
茫然と、『キッド』は子供たちを見る。
其処にはくだらない大人を見る、まさに己と同じ眼をした者たちがいた。
「ちがう、ちがうんだ、僕は、ちが――」
遅いのだ。言葉は、零れたモノは、何もなかったことには出来ないから。
「では、私の友達が言ったように、キャプテン『キッド』君以外を殺すとしよう。そんなに睨まないでくれ。これは、私の選択ではないよ」
「裏切り者、お前なんか、キャプテンじゃない!」
「いやだ、死にたくない!」
「ママ、パパァ!」
散り散りに、子供たちが脱兎のごとく駆け出す。こうなってしまえば烏合の衆、先ほどの連携は見ることも出来ないだろう。
「狩りの時間だ。蹂躙せよ、我が軍勢!」
ワンダーランド、至る所で加納は世界を砕く。その先から現れたのは凶悪なる魔獣たち。あえて魔王、魔人クラスではなく意思無き魔獣を呼び寄せた。
慈悲なく、獣の理によって蹂躙するために。
「やめて、くれ。なんで、ここまで――」
ロバートは加納と眼があった。先ほどから何度となく視線を交わしているはずだったが、違ったのだと彼は思った。吐き気がするほどの邪悪。
理由なんてない。ただ、この地獄絵図が見たいから彼はそうした。
「嗚呼、素晴らしい絶望だ。たまには直に摂取するのも、悪くない」
再生速度が上がっていく。絶望の濃度に応じて――
子供たちの悲鳴が彼にとっては福音の如く響いているのだろう。視線が絡み合い、彼の一端を覗き見てしまった。それによって、『キッド』の心は完全にへし折れた。自分は正義の味方に成れないのだと、少年は知る。
夢から、覚めてしまった。
「最後に、何か質問があるかな?」
「……最初から、連絡が繋がらないのは、お前の仕業か?」
「その通り。ジャミング、というべきかな? どれだけ『コードレス』君が優れていようと、それがシックスセンスである限り、魔力を介したもの、だ。ならば周囲に魔力を遮断するフィールドを展開してやればいい。もっと精度を上げれば、そうだね、チャンネルを合わせることで敵の情報、魔力だけを遮断できる」
援軍は来ない。情報が伝わっていないから。自らはそれの試しに使われた。
絶望がロバートを覆う。もう、希望はない。
「何故、僕なんだ?」
「一番は君が私に似ているから。ああ、君の研究もいけないなァ。魔族を人族に戻す術理、完成されると少し、厄介だ。折角の魔力タンクがなくなってしまう。私はね、先を知るが故勝ち切る気もないが、負ける気はもっとない。絶望を彩る希望は許そう、それが影を濃くする。でも、本当の希望は、許さないィ」
ロバートは頬を撫でられ、小便を漏らしてしまう。恐怖で頭がおかしくなりそうであった。さっさと殺された方が良かった。対峙し続けるほどに、遠い理解に近づいてしまい、心が砕けながらもそちら側に――
頭を掴まれたロバートは、観覧車の頂点で加納によって掲げられ、絶望の景色を見せつけられた。救いのない物語を。
最後に彼が見た光景は子供たちの凄惨なる死。希望だった己が折れたせいで絶望を色濃くした哀れなる子供たち。救えなかった景色。
己がヒーローではない確かな証を刻み――
「僕は、クズだ」
ごきり、首を残して身体が地面に墜ちていく。
「良い貌だ。許されるならずっと見つめていたいほどに」
うっとりとロバートの死に顔を見つめる加納。その背後に着地したニケには目もくれない。彼にとっては自らの手で完成した絶望を味わう方が大事なのだろう。
「俺ァ、帰るぞ。胸糞悪いもん見せやがって」
「趣味嗜好は人それぞれだよ、ニケ」
「余裕ぶっこいてる風だがよ、あの分裂、意識の分割はやべえんじゃねえのか? 何しろさっき、別の意識に飲まれたばかりだろ?」
「ああ。あれをしないと殺されていた。強かったよ、『キッド』は。天才なんだろう。途中までは第一、第二の男に近い手応えだった。でも、彼らと違うのはやはり覚悟だ。彼らなら、二分割した際、二つ同時に相手取るか子供たちを見捨ててでも一つを滅ぼそうとしたはず。大のために小を切り捨てる覚悟が足りなかったねェ」
加納 恭爾は微笑む。保険は十全、賭けというほどではない。
それでも一つの芽を除いたのだ。
「帰る前に地下の研究施設、全部消しておいてくれ」
「……わーったよ」
足りなかったヒーローの成りそこない、その首を玩ぶ中――
朝日と共に、
「……アニセト君?」
このタイミングではありえないはずの、滅びを知った。オーケンフィールドが間に合うタイミングではない以上、あの場の戦力でどうにかしたということ。
本来ならジャミングが失敗しても、ワンダーランドかエーリス・オリュンピアか、オーケンフィールドに選択させることが出来た。失敗でも今回の侵攻は穢れ無き英雄の手を選択による血で汚すためのモノでもあったはずなのに。
ありえない、想定にない、何かがあった。
それはおそらく、またしてもあの男が関わっている、そんな気がした。
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