第3章:絶望に抗いし者たち

 オーケンフィールドは静かに天を仰いでいた。

 無理な布陣であることは承知の上、それでも『キッド』を失ったのは大き過ぎる。個人的に依頼していた研究、ゼンを、転生させられた者たちをシン・イヴリースの手から救う算段もこれで失ってしまった。子供たちも『ヒートヘイズ』に聞く限りは凄惨な殺され方をした。誰も救えず、失ってばかりの今が痛い。

「ハンス。今、全体に伝えさせたぞ」

 第九位『ドクター』アストライアーの万能薬、アーサーが頭を掻き毟る。

 隅では第三位『破軍』大星が腕を組んで黙していた。

「どうなっていた?」

「そりゃあ混乱だ。どこもかしこも、な。あの『キッド』が落ちたんだ。小生意気な小僧ではあったが、実力は本物。デカい損失だな、これは」

「そうだね。その通りだ」

「攻め込む準備はどうする?」

「トリス様から連絡があったよ。正直ね、あの地形を見た時点で嫌な予感はしていた。狭間の世界は俺たちの母星、その衛星、つまり月だ」

「へぇ。そりゃあ……空気と重力はどうしてんだろうねぇ」

「おそらくはアルスマグナで環境を操作している。魔界ではポピュラーな環境整備の方法らしいし、魔王である彼もおそらくそれを使っていると考えるのが自然だ。これで、俺たちが攻め込む道は絶えた。振り出しだ」

 大星は伏せていた顔を上げる。

「何故、絶える?」

「簡単だよ、大星。シン・イヴリースの領域だから、狭間の世界は生物でも生存可能の領域となっている。裏を返せば、彼の差配次第で生命維持すら不可能な死の領域と化すんだ。その結果相討ちならマシだが、『キッド』の研究によれば魔族には真空でもマナを取り込み、生存し続ける機能が備わっていることも判明している」

 大星は歯噛みし、また顔を伏せた。

 全戦力を注ぎ込み、決戦を挑んだとしても、総力戦で優位に立ったとしても、一手で領域自体が瓦解してしまうのだ。これでは勝負にもならない。

「まるで最初から宇宙で戦うために創られた種族だな」

 アーサーはお手上げだとばかりにもろ手を挙げ、首を振った。

「こちらからの仕掛け、短期決戦が望めぬ以上、俺たちは判断を降さねばならない。シン・イヴリースの情けに期待し、現状維持の姿勢を取るか。今の配置を縮小し、生存圏を大幅に縮めるか、二つに一つ、だ」

「どっちにしろ、クソほど死ぬな、人が」

 アーサーは自家製の手巻煙草に火をつけ、天を仰ぐ。

「決めるのはオーケンフィールド、お前だ。俺は貴様の選択を全肯定し、この拳によって道を切り開くのみ。犠牲が必要な時だ」

 大星の発言にアーサーは彼を睨みつける。

「さすがだな、羊飼い気取りの連中に従う犬っころは言うことが安いぜ」

「大局を差配してこその羊飼いだ。大のために小を切り捨てる、当たり前のこと。いつまでも昔のことを根に持つな。貴様は女々しい。むしろ感謝すべきだろうが、誰のおかげで最善を選べたと思っている?」

「口に気をつけろよ、クソ犬。今は気分が悪ィ。俺が何も知らねえと思ってんのか? あの紛争が偶然あそこで起きたと未だに信じている阿呆だと思ったか? 混沌を創り、俺から選ぶことすら奪い、貴様らはッ!」

 アーサーのどす黒い恩讐、それを彼のオドが象る。

「必要なこと、だ」

 大星もまた一歩も引かず、組んだ腕を解く。

「殺されても殺してやる。俺に触れた時がテメエの命日だ」

「下らん男だ。俺を殺せるわけがないだろうに。そうやってまた間違えようとする。たかが二人の命、理解できんよ、俺は」

「テメエの家族『も』奪ってやろうか!?」

「それで大勢が救えるのなら、俺の手を汚すことも辞さん。それが覚悟だ」

 一触即発の雰囲気。溜り溜まった、膿。

 奪った側と奪われた側、如何に彼らが高潔な人物であろうと、それが並び立つことなど不可能。アーサーにとっても限界だったのだろう。

 この選択は、どうしても彼の傷を抉ってしまうから。

「事情は理解している。人目が無ければ、言い合いまでは好きにしていい。だが、戦うのであれば止めさせてもらう。どちらも貴重な戦力だ」

 静かに、されどはっきりと、オーケンフィールドは二人を諭す。

「犬が」

「愛をも捨てられる者こそが統率者たり得る」

「ハッ、本当に誰かを好きになったことがあんのかよ、テメエらは」

「……当然、だ」

 お互い、臨戦態勢は解いた。オーケンフィールドがいなければ間違いなくぶつかり、どちらかは死んでいただろうが。

「生存圏を縮める」

「それでいい」

「……人同士で争うことになるぞ」

 対照的な反応にオーケンフィールドは苦笑する。

「希望がないわけじゃない。エーリス・オリュンピア、あそこで得た希望は小さくないはずだ。新たなる戦力と、エクセリオンへの道。そして、大魔術師が遺した研究とシン・イヴリースの情報。失ってばかりじゃ、ないさ」

 一万五千もの新規戦力、しかも上位勢はその辺の騎士よりも強い。神族と化した『黒鉄騎士』ゼイオン、『双炎』のアルフォンス、この辺りはまさに一騎当千。王クラスにも匹敵する武力である。ストライダー、リウィウス、必要な駒は揃った。

 加えて、『水鏡』と『銀星』の成長は『キッド』の穴を埋めてくれるはず。

 その上で、今更ながら仲間となったアルファの指示によって、ライブラがアニセトの工房を調査し、驚きの事実がいくつも浮かび上がって来ていた。誰もが予想だにしていなかった秘匿された情報、極まりし魔術、それらが在ることを知っていたかの如く、アルファは情報拡散後も戦力全てをかの地に置き留めていた。

 彼がいなければ、彼がそう指示しなければ、おそらくは『キッド』と討ち果たした後、時を置いてシン・イヴリースが舞い戻り、工房を焼き尽くしていただろう。魔王の根幹を成す術理、それを組み上げた男の遺した情報なのだから。

「今は耐えるしかない。でも、諦めちゃいけない」

「わかっている。患者が出てきたらいつでも呼べ。死んでなければ治してやるよ」

「指示を待つ。常在戦場、俺の功夫は高まり続けている」

「頼もしいね、二人とも」

 まだ終わったわけではない。結果として短期決戦を仕掛けなかったのは正解だった。それが分かったのは苦しくとも一歩であろう。

 彼らは諦めず刻み続ける。一歩ずつ、希望となるために。


     ○


「いいのか?」

「ええ。工房はロキ殿の工房に移送済み。あとは専門家に任せます。僕は貴方の代理としてここの戦力を各地に振り分けましょう」

「すまんな。全部放り投げてしまうみたいで」

「構いません。適材適所、貴方は我らに戦う姿勢を見せてくれるだけで良いのです。その他の些事はお任せください。何とか回して見せます」

「ありがとう、アルファ」

「勿体無きお言葉。エクセリオン、期待しております」

「ああ、任された」

 エーリス・オリュンピアはアルファの指示により、一旦全戦力がこの場に留まっていた。それどころか『ヒートヘイズ』や『轟』などの上位陣も増援として守護に努めており、相手に総力戦を仕掛けられたとしても時間を稼ぐ力は備えている。

 全てはアニセトの遺産を繋げるため。

「なら、出発しよう。カナヤゴ、ウィルス」

「ぐごぉ」

「起きろ、出発だ」

「おご? ふわぁ、起床時間には早いぞ、リウィウス」

「ドゥエグの起床時間など知らん」

「ぶはは、無知め。ドゥエグは寝たい時に寝て、起きたい時に起きるのだ。まだ眠いから起床時間には早い、一つ勉強になったな」

「……怠惰な生き物だな」

「勤勉など穴倉に突っ込んでおけぃ」

 うっすらと傷は残ったものの、万全となったカナヤゴとウィルス。この二人と共にエクセリオンを探求する旅にゼンは出発するのだ。

「ドゥエグの」

「ぬ、エルの。ぶはは、ついて行きたくとも来れんぞ。何しろ穴倉巡りだ、エルの血は無用な反発を生むでな。私は気にせんが、老人が、の」

「わかっている。気をつけろ、それだけだ」

「ぶはは、そちらもな」

 カナヤゴとルーが会話している横で――

「アルフォンス、レインを頼む」

「ああ。俺の言葉など安く響くだろうが、最善を尽くす」

「そうでもない。お前の実力に疑いはない」

「そう言ってくれると少し、救われる」

「あれは炊事も洗濯も掃除もしない。頼むぞ」

「……え?」

 衝撃のダメ人間っぷりを暴露されたレインはどこ吹く風、気にも留めずに外壁の上で風に吹かれていた。監視などという殊勝な心がけではなく――

「くぁ、良い天気だ」

 ただのサボりである。

「ゼン、私たちも発つから」

 アリエルがゼンの近くにやってくる。その影には九鬼巴がこっそりと付いてきていた。ニケに対する醜態以降、顔を合わせるたびに申し訳なさそうな態度を取られるのだが、肝心のゼンに思い当たる節が無く、首を捻るばかりであった。

「あんたたちの旅は、おそらく人族の生存圏から外れたところでの旅になるわ。生き残ることを最優先、あんたたちが希望よ。この世界の」

「心得ている」

「あの子たちに何か伝えとく? 私とあの阿呆、一度ロディナに戻るから」

「……もう少しで、その、冬が来るから、温かくしろ、と」

「月並み過ぎてびっくりしたわ。了解、伝えとく。あとはでっかいお土産、子供たちに期待させとくわよ。希望って言う、お土産をね」

「ああ、頑張る」

 アリエルが握手を求めてくる。それにかすかな驚きを見せつつも、ゼンは笑顔を浮かべてそれを握り返した。あの新人がここまで成長した。サラの死を糧に、今となっては上位陣にも負けない圧倒的力を得た。

 この貴人が立つ限り、アストライアーは折れない。

 そんな気がした。

「こらこら、何をしているのだね、カエル女よ」

 その握手をすぱんと断ち切ったのは、満面の笑みを浮かべるシャーロットであった。無駄に鋭い手刀のキレ、先ほどまで朗らかだったアリエルも一瞬で三白眼となって睨み合っている。貴人対麗人、謎の戦争がまたしても勃発しそうである。

「ゼン、私の輝きを目に焼き付けたかね?」

「あ、ああ」

 そりゃああんなに発光していれば嫌でも目に入るだろう、と思ったがゼンとて愚かではない。口に出すべきでないことぐらいは理解していた。

「ならばよし、だ。忘れてはならないよ、君はこのスーパースタァの友達なのだ。死ぬことは許さない。どうにも私はね、見るのは好きだったんだが実際に体験すると、あまり好きではなかったようなのだ、悲劇が、ね」

「それはそうだ。誰にとっても」

「ああ、失うのはシュウとみずきで充分。私がいる限り、我が輝きの届く限り、大船に乗ったつもりでいたまえ。そのために強くなったのだから」

 いつもの演技臭い笑みではなく、素の笑みを見てゼンもまた綻ぶ。

「信頼しているよ、スーパースタァ」

「ふむ、握手では芸がないね。あの女と同じでは私の沽券にかかわる」

『こりゃあハグだぜ相棒。外国人のチャンネーはその辺緩いって――』

「ッ!?」

『――緩いって、もっと緩いんかーい!』

 まさかのキス。ゼンは目を白黒させる。アリエルは笑顔のまま硬直、背後の九鬼巴は何が起きたのか理解できず、というよりも心が理解しようとせず、見えない、聞こえない、知らないの姿勢を取っていた。

「ぷはっ、これで元気も出るだろう。あっはっは」

「この、状況を弁えなさいよ! クソローストビーフ女ァ!」

「おやァ、生娘みたいな反応だねえ」

「生娘よ、舐めんな!」

「私もだよ。まあ、キスは演技で何度もやっているがね。挨拶みたいなものさ」

「ぐっ、無駄に女優風吹かせやがってェ」

「見えない、聞こえない、知らない」

 何故か激昂するアリエルと心を完全に閉ざす九鬼巴。そして悠然と振舞いながら、頬をかすかに紅潮させているシャーロット。

 そして――

『うっひょー。やったな相棒、たぶん逆玉ってやつだぜこれ』

「が、外国人は挨拶ですると聞いた。そういうことだろう」

『えー? そりゃあないんじゃないのぉ、相棒ぅ』

 何故かはしゃぐギゾーと混乱の極みに立つゼン。ここだけ切り取るととても英雄とも希望とも思えなかった。ただの、普通の人。

 それこそが――

「ふふ」

「何がおかしいのだ?」

 白亜の髪を撫でつけながら微笑むアルファにゼイオンが問う。

「いや、僕は今まで英雄って言うのを力によって引っ張り上げる者たちだと思っていた。でも、そうとは限らないんだな、と思って笑ったんだ」

「彼の力、奇跡への可能性に皆惹かれたのでは?」

「さて、どうかな。今は立ち上がった凡人の健闘を祈ろう。僕らは彼らの時間を作る端役だ。覚悟はいいね、ゼイオン。死力を尽くしてもらう」

「承知している」

「共に世界を救おう。それがアニセトの望みでもあるはずだ」

「ああ」

 ゼイオンの覚悟に満ちた目。それを見てアルファは申し訳なさそうに目を伏せた。おそらく、ゼイオンと異なりアニセトにとって大儀とは、世界を救うこと自体はそれほど重要ではなかった。自らのエゴを、力を証明するための戦い。

 だからこそ道が拓けた。

 名も刻まれぬ墓標。それはゼイオンが用意したものであった。

 そこには花が一輪、添えられていた。

(貴方の仕込み、活かして見せます)

 ここまでが無情なる男の一手、それが導いた道であった。


     ○


「ああ、それと、私が遺した灯、とある男に注視してもらいたい。彼には悪いことをした。それでも、ああせねばならなかった。最善はね、彼に最後の一滴まで捻り出してもらうことだったから。だから、私は彼の背を押した」

 いつだって彼は悔い、罪悪感に押し潰されそうになりながら、選択する。

「アニセト、という人物だ。彼はあの時代における最先端、それでも徐々に減衰しつつあった。無意識に、己の着地点が見えてしまっていたのだろう。だが、まだイケる。私はそう判断した。ゆえに、消えつつあった火を、情熱を、煽った。彼を苦しめることになる、わかっていても、狂気でしか辿り着けぬ領域もあるから」

 白金の男は選択した。

 その男の人生、最後に向かって緩めるだけだったそれを、無理やり動かし、破壊する道を。それによって多くを救う道を、選んでいた。

「彼なら辿り着く、それを必ず取りこぼさぬようにして欲しい。悪意の王への刃を生み出すはずだ。悪意の王には気取られるだろうが、それでも隙はある。あの男が盤石の体制を築いた時、彼がそう思った時、そこから崩壊は始まる」

 白金の男は確信していた。

「希望を頼む。必ず、明日に繋いでくれ。私の望みは、ただそれだけだ。贅沢を言うなら、贖罪にもならぬだろうがアニセト君に花を一輪、送って欲しい。私は知っているよ。頂点に追いつこうとあらゆる手を使い、追いすがった執念を。種族の差を言い訳にせず、戦い続けた男だ。私ぐらいは、労わねば、いけないだろう」

 自己満足に映るかもしれない。元凶がそう言うのだ。今更何を、とアニセト本人なら言うだろう。それでも讃えずにはいられない。

「ご苦労様、私は君を尊敬する」

 彼は繋げし者への敬意を、感謝を、絶対に忘れないから。

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