第3章:明日への希望
数年前、男は緊張の面持ちである場所に呼ばれていた。
もう二度と会うことはないと思っていた人物、意思一つで世界を捻じ曲げることが出来る怪物、そして、男にとっての幼馴染。
「まさか、貴方に御呼ばれする日が来ようとは」
「それは哀しいことだ。君は友人だ、会いたいと思うのはいけないことかな」
「……光栄です」
長身痩躯、長い白金の髪はひとふさに束ねられ、瞳の奥は静謐なる深淵が漂う。
何故かキューブ状の遊具がお気に入りのようで、先ほどから崩しては直し、崩しては直し、を凄まじい速さで続けている。頭の体操、なのだろうか。
眼前の男は哀しげに微笑んでいた。それが演技とは思わないし、多少選択肢を誤ったところで機嫌を害する狭量な器でもない。己如きが何を言おうと、どう振舞おうと、この男が揺らぐことはないだろう。
覇王の血脈、歴代で最も黄金の王に近い男。
「とはいえ、用があるのは事実だ。君の力を借りたい」
その言葉に男は驚いた。
「僕の、力を、ですか?」
男には才能がなかった。彼のような人を率いる才能が。どれだけ羨んでも、自分の持つ才能は今の世で輝くモノではない。どれだけ弓が上手くとも、世界一に輝こうとも、マイナースポーツの頂点でしかなく、世界にとっては無価値に等しい。
今の時代に必要なのは武ではないのだ。
「そろそろ君の番だと思ってね。ああ、巷で噂の神隠し、というやつだ。私なりに見出した法則と、世界中で輝ける人々の序列を鑑みるに、時は近い」
男は顔を歪めた。当然、男とてその件に関しては理解していた。表側でこそまだ凪いだ世情であるが、裏側の混沌は凄まじいものである。
黒き男が率いる『結社』以外、どの組織からも中核となり得る者が消えている。獄中で姿を消した怪物など、未発表の大事件は枚挙にいとまがない状況であり、敵対組織などは夜も眠れぬ日々が続いている。
ほぼ悪人、もしくはクズとされる人々。
ただ、例外もあり――
「もちろん、英雄としての召喚、だがね」
「英雄? それは、どういうことですか?」
男の問いに白金の男は「ふむ」としばし考えこむ。
「難しい問いだ。そしてそれは答えたところで意味がないものでもある。君の力が生きる場所、とだけ伝えておこう。君ならば召喚を断ることはしないだろう。人々の願い、苦しみ、怒り、多くの才人が応えたように、君も応える」
「意味が、わかりません」
「その時になればわかる。君がやるべきことは」
白金の男はキューブを崩し、またしても色を揃える。
「その上で、私から君に頼みがある。ハンス・オーケンフィールド、第三の男に手を貸してほしい。彼はいつか、私の席に座る男だ」
突然の発言に男は大いに揺らぐ。
かつて、その席に着いた者はアルカディアの縁者がほとんどであり、稀にストライダーが座る程度。オーケンフィールドも新天地の中では多少歴史のある方ではあるが、世界の中心であるこちら側では木っ端も同然。
ありえないことなのだ。
「盛者必衰、アルカディアは老いた。私は努めて新しく在ろうとしたが、積み重ねがそうさせてくれない。時代は次のフェーズに移ろうとしている。旧い血は淘汰されるべきだ。その前に、上手く繋げる道を築くのが私の最後の仕事だろう」
誰よりも先を、遠く見ていた男がこぼす、弱音。
「我らにとっての憧れがそうしたように、私もまた破壊する。賢人会議を刷新し、新たな血を強制的に入れる過程で、世界は揺らぐだろう。神隠しによる揺らぎ、これは好機だ。そういう意味ではあの男もまた世界にとって必要だった」
白金の男は苦笑する。
「その先で彼は頂点に立つ。それだけの器量があり、人を惹きつける素養もある。嗚呼、私と違い、夢見る心も残っているだろう」
キューブの色を揃え、それをめちゃくちゃに崩し、彼は放る。
「彼を助けて欲しい。そして、彼が見つめる存在も、君が見定めて欲しい。それが……そうだな、くく、面白ければ、素晴らしい、かな。どうあれ、彼がこの世界の主役になることはほぼ決定事項だ。逆に言えば、英雄は別にいる」
男は頭が回らない。何を言っているのか、頼まれていることぐらいしか。
「ふふ、それもまた旅をすればわかる。楽しんでくると良い。良い世界だよ、英雄の時代より前、魔術時代の黎明期。好きだったろ、歴史」
「貴方も、そうだったはずです」
「私はもう、個人を捨てた身だ。嗚呼、でも、席を立った後は歴史を探求するのも悪くないな。開示されていない歴史は多く、私とて知らぬことは多い」
まるで届かぬ夢を語るように白金の男は言葉を紡ぐ。
おそらく破壊の後、彼は生きるつもりがないのだ。何事にもけじめはある。時代の分岐点、アルカディアという国を滅ぼした男は賢人会議を創り、頂点を譲った上で誅殺された。歴史を紐解けば枚挙にいとまがない、血の継承。
「共に繋げよう。かつて、君の一族が管理するあの屋敷で、私たちは知った。歴史とは、無為に積み上げられたモノではないことを。丁寧に、丹念に、次に繋がるように、命を賭して積み上げたものなのだと。あれは素晴らしい日々だった。皆、輝いていた。謎を解き、歴史に辿り着き、心が震えた。私の青春だ」
白金の男は最年少、二十歳で賢人会議の頂点に立った。十年ほど前、一年不在にしていたこともあったが、それ以外一度として彼は自由であったことなどない。
全てを世界に捧げた。そしてこの先、命も捧げる気なのだ。
「私と同じ感動を知る、君にしか頼めない。助けてやって欲しい。無駄なことなのかもしれない。何をしても繋がる可能性もある。君とこうして語らっただけで、世界が断絶する可能性も、ある。それでも私は、語りたくなった」
昔のように。それぞれ受け取り方はまちまちだったが、白金の少年と翡翠の少年は同じ眼で、キラキラした眼でそれを受け取っていたのだ。
「昨日を頼む。私は負けた。私はもう介入できない。だから――」
白金の男は頭を下げた。そして、翡翠の男は何も問わず、受け取る。
願いは変わっていなかった。立場が変わろうと、自分だけではなかった。
ならば、己もまたそうするのみ。
「ありがとう、友よ。助かるよ。あの演算装置が閲覧させてくれたら、こうやきもきすることもないんだが、まあ、これもまた試練、だ。どちらにせよ、戦いの明日は近い。もう戻れぬ以上、私はそちらを見つめるとしよう」
やはり何を言っているのか、分かり辛い男である。
「ああ、それと――」
先に進んで、嗚呼、そういうことだったのか、と思うのだ。
○
「ああああああああああああああああああああああああああッ!」
エルの民が造る弓、アステールはオドの矢を放つ弓である。その際、オドを活性化させ、増幅して放つのが特徴であるが、その分負荷も大きい。
ゼンも弱かった頃は多用していたが、強くなった今ではテリオンの七つ牙よりも負荷が大きくなった。
加えて、オークの頑丈さ、鈍感さを持ち合わせていない男にとっては一射一射が地獄の苦しみであろう。反動による痛み、指先が燃えるように熱い。
しかも、それを絶え間なく撃ち続けているのだ。
血をまき散らしながら、それでも弓兵の所作は美しく芯が通っている。
「貴様、死ぬぞ! おい、聞いているのか!?」
ハーフエル、ルーが止めようとするが、言葉に意識を割くことすらしない。
この危機は、最後に告げていた通り、彼が招いたものであった。彼の干渉によって揺らぎ、変貌した大魔術師の姿。こんなものを残す気にはなれない。
それに、彼の言っていたことも理解できた。
最初から先ほどまで、目を向ける気にもなれなかった平凡なる男。
それでも彼はまた、物語の中心に立つ。実績から鑑みても、そういう男なのだ。
何よりも先ほどの背中が雄弁に語っていた。見定めるには充分である。
ならば尚更、ここで手抜きなどできるはずがない。
死んでもやり抜く。ただ、それだけのこと。
「私が、僕が、アルファ・レイ・キテリオル・ゼークトだァァァアア!」
反動で、指が千切れ飛ぶ。それでも、翡翠の髪の男、アルファは弦を口にくわえ、無理やり矢を放つ。口の端が切れる、血が噴き出る。
だからどうした、とアルファは続けようとする。
「……こいつ」
鬼気迫る雰囲気、誰がためでもない。あの時、心が振るえた、あの感動を繋げるため、己のエゴのために彼は此処に立つ。
彼と同じ、自分もまた――
「指を癒す」
銀の炎が、アルファを包む。その発生源には満身創痍のアルフォンスが立っていた。彼の血統、そのオドは特殊であり、破壊の特性を持つ金の炎、イグニス・ゴルディアスと祝福の特性を持つ銀の炎、イグニス・シルファリオを持つ。
アルビオンが名家とされる理由の一つが特殊な炎にあった。
「感謝するッ!」
口を使って撃ちながら、再生する指を見つめるアルファ。
「先ほど炎を使ったばかりだ。それほど使えない。それに――」
再生したばかりの指で矢を番えようとするアルファだったが――
「間に合ったみたいだな」
「……あ」
弓兵の目が、アニセトの天頂より降り注ぐ何かを捉えた。
「……そうか、まだ、ここじゃ、ない、か」
それを見て、崩れ落ちるアルファ。
翡翠の髪は色を失い、まっさらな白髪となっていた。
「俺は、君ほどに足掻いたか。愚か者め、俺は、愚かだ」
赤みが混じった金髪を掻き毟り、アルフォンスは舞い降りるそれを見つめた。戦いの終わりが、来たのだ。それはこの虚構の都市の終わりでもある。
気づけば立ち上がることが出来た武人たちが、都市の外縁に立って静かにその時を見つめていた。諦めた奇跡を、諦めぬ何かが、為さんとする瞬間を。
きっとそれが彼らの始まりなのだから――
○
天を駆けるは、ほぼ翼竜と化した竜二であった。
胴には未だ再生し切らぬ風穴があるも、その眼は爛々と直下を見据える。
黒き翼竜は顔を歪めていた。
『あの兄さん含め、もう限界ですぜ、ゼンの旦那ァ!』
「わかってる!」
蒼が、揺蕩う。
未だかつてなく集中できている。神を断つ剣、それが叶うカタチを、材料を、工法を、今まで培ってきた全てで組み上げる。
しかし、足りない。まるで知識が足りていない。
カナヤゴらと共に素材を再生させ、鍛冶師として研鑽した後であれば、今更こんなくだらぬことを悔いている。今まで、戦う者としては最善を歩いてきたかもしれないが、鍛冶師として最善であったか、ゼンは自信を持てない。
『相棒! 今更だぜ! やるって言ったんだろ? なら、捻り出すのが男ってもんだぜ! 気張れ、ここでやるしかねえんだ。あいつがしばらくうろついて喰い漁れば、じきにオーケンフィールドでも手出しできなくなる。終わりだ!』
「それもわかっている!」
深く深く、己の深淵を辿る。人生全てを、アスファルトの匂い、錆びた鉄柵、朽ちたコンクリート、田畑があって、蛙がいて、土の匂い、この世界と同じ、匂い。初恋の人と別の学校に、自分では届かないことを知った。いじめられた、苦しい、助けて、辛い、誰か、俺を――
掴んだ糸は地獄の始まりで、多くを殺して絶望を振りまいた。何故俺がこんな目に、何度思ったことだろう。あの男が憎くて仕方がない。怒りが、胸を焼く。
でも、希望もあった。アストレア、子供たち、フランセット、オーケンフィールド、ライブラ、コードレス、ドクター、シュウ、アストライアーの面々。
俺は彼らのおかげでこうして立っていられる。
彼らが俺にとっての希望だ。
そして地獄の如し魔界、レウニール、フェネクス、おつかいの日々。嗚呼、よく考えるとこちら側の特殊な素材は知っている。おつかいの目的だったから。
多くの宝物、魔界にしかない一点もの。ガープの眼もそう。
その先に――
「ッ!?」
輝けるアルスマグナ、奥に眠る、かつての奇跡、願いの欠片。
それを骨子に今までの全てを繋げ、練り上げ、叩き――
「…………」
血が、鼻から、眼から、口の端から零れる。頭が焼き付くほど、ゼンは振り絞っていた。溺れるような感覚があった。溶け出すような何かもあった。
だが、とてもそんな気にはなれない。
だってそれじゃあ救えない。彼女たちに明日が来ない。
ならばその道は間違っている。どれだけ心地よくとも、罪から逃げる唯一の道だとしても、そんなもので捨てる気にはなれなかった。
この罪は罰であると同時に、彼女たちとの繋がりでもあるから。
ゼンは世界と隣り合い、釣り合う。表裏に至る。
まだ不安定なれど――
「……待たせた」
ゼンは眼を見開く。ギゾーとは逆の眼、彼自身の色が確かに宿っていた。
個性、雰囲気、それの結晶化。誰もが持つ力である。ただ、誰もそこに在ることを知らない。それだけのこと。個と全、表裏を解した時、体内で流転するオドと反応し、その人物の魂の形を象る。それがシックスセンス。
それが――フィフスフィア。
己への理解に彼は近づいた。未だ、不安定。それでも確かに至った。
『背中越しでも感じまさ。大した旦那だ。んじゃ、行きやしょうかァ!』
黒き翼竜は咆哮と共に直下へと加速していく。
「十秒だ。それで、カタチを保てなくなる」
「……充分だ」
空の上に在りながら、竜の背に乗りながら、瞑想し集中力を高めていたウィルスが開眼する。彼もまたこの世界における剣の一族。
不安定なる虹の剣を剣士に手渡し、ゼンは静かに目を瞑った。
至った気配は消え、雰囲気は霧散する。
『チィ、真上にも反応するんですかい!?』
アニセトの頭部、と思しき部分から何かが生えてくる。口のような形状となり、熱量が宿る。誰が見ても何か、発射する準備であろう。
『剣士の旦那!』
「なんて?」
「間に合わないと言っている」
「なら、撃ち出せ」
『何て言ってやすか!?』
『俺を吹っ飛ばせ、だと』
『そりゃあロックでさ。片道切符ってか。旦那ァ、男ですぜェ!』
竜二は背中に手を回し、ウィルスを掴む。今から行われることは無謀、それでもこの場の三人、全員に揺らぎはなかった。
やるべきことをやる。それだけの、こと。
『ウォラァ!』
竜二、渾身の投擲。真下に向かって、落下の勢いを遥かにしのぐ『力』でウィルスを投げ飛ばした。ウィルスもまた風の抵抗を受けぬ姿勢を保ち、猛烈な加速に身をゆだねる。熱量が高まる。やはり、突っ込むだけなら迎撃されていた。
不安定なる虹の剣、されど命を託すには充分過ぎる。
「こんな気分は、久しぶりだな。明日が、待ち遠しい」
彼と、カナヤゴと、大勢と奇跡を模索する。それの何と胸躍ることか。
新たなる奇跡、その予感を握り、レイを継ぐ者は静かに虹を腰に添えた。不合理であっても願いの所作、祈りの、集中の儀式。
このルーティンを経て、レイの居合術は完成する。
『■■■■ッ!』
迎撃は、間一髪、間に合った。熱線が放たれる。
が――
「希望があれば、俺たちは戦えるッ!」
刹那、オドが究極に高まり、虹が、熱線ごと全てを断つ。
刹那の芸術、レイの秘技がさく裂した。
アニセトの巨体を、百メートル近いそれを、縦に両断してみせたのだ。
信じ難い手応え。丁度十秒、砕けるそれを見て、ウィルスは苦笑する。胸に宿るもう一つの感情に。自分にもまだ、こんな心が残っていたのだ、と。
「希望に嫉妬できるなら、俺もまだ、道はある、か」
とはいえ、一秒もしない内に自分は落下死してしまうだろうが――
「んぶ!?」
どぷん、と自らの影に墜ちるウィルス。その出口で飛び出すと、逆に重力が自らを縛り付ける感覚を得る。何とか着地できる高さまで飛んだウィルスはライブラの作った『影穴』を通って難を逃れていた。
逆にゼンと竜二はアニセトの肉体に突っ込み、それをクッションとしながらも凄まじい衝撃音と共に地面に叩き付けられていた。
魔族でなければ粉々に砕けている勢いである。
「いやぁ、あの二人に使っちゃったらパンクしちゃうし、省エネ省エネ」
悪びれず、ライブラは勝利の様子を眺めていた。
再生しようとするアニセトであったが、切断面が繋がらない。そうこうしている内に血のようなモノが、オドが、空気中に垂れ流されていく。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ァァアアッ!』
超越者の断末魔。無敵であるはずの身体が、ただの一閃によって滅ぶ。
「……ハハ、凄いな。これは、凄い」
レインは笑う。腹を抱えながら、笑う。目の端に涙を浮かべながら、もう二度と現れぬと思っていた奇跡を目の当たりにして、笑っていた。
「ああ、凄いな。そして、悔しいと、思う」
ウィルスは尻もちをつき、手に残る感触を忘れぬよう刻む。
あの虹を、心に刻む。
それは彼らだけではない。外縁にて眺める者たち、この世界に絶望し、奇跡の到来を信じることなく仮初めの世界に浸っていた、全ての者たちに刺さる光景であった。諦めるな、さすれば奇跡は、エクセリオンは現れるのだと。
この光景が雄弁に語る。
「……奇跡だ」
誰かが、こぼす。そして流す、後悔の、そして覚悟の涙を。
希望があれば人は絶望の中でも立てるのだ。
それを今日、見出した。
「……我が主、申し訳、ございません。このゼイオン、確かに見てしまいました。主の御業を断つ、奇跡を、希望を、エクセリオンを。確かに」
見た者全てに明日を想起させるそれが放たれた時、丁度、夜明けが来た。
朝焼けが世界を染める。
虚構の都市に明日が、来た。
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