第3章:超越者アニセト

 それは巨大な肉塊であった。

 高さは百メートル近く、重さは計り知れない。内蔵するオドの総量は今の加納やニケを超えている。デカく、重く、当然、強い。

「オ・ミロワールッ!」

 虚無によって失った剣ではなく、掌で水鏡を発動し、敵意に反応して放たれた熱線を弾き返した。それはアニセトだったモノの巨体を貫くが、アリエルの貌に笑みはない。手に残る重さが、レベルアップした今でもギリギリだと告げる。

 しかも、そのギリギリの内訳は彼女も絡んでいるのだ。

「これはまた、笑ってしまうほど大きいね」

 シャーロット・テーラー。自分に自信が持てなかったスーパースタァが、自信と共に手に入れた力があってこそ、今の攻撃を跳ね返すことが出来た。

 彼女の能力は熱量を奪うこと。奪った後に無駄に発光して放出するのもセットだが、後者に関しては本当に一切合切戦力向上には役立たずの能力である。まあ、それゆえに彼女の能力、その規模は器に縛られていないのだが。

 大事なのは熱量を奪うこと、凍ることなどはただの結果である。もっと言えば、ただの過程でしかない。熱、エネルギー、広義で言えばオドも含まれるそれらを奪う、奪った先で輝きながら撒き散らすはた迷惑な能力こそ彼女の真骨頂。

 熱量が小さければ完全停止、絶対零度による時間停止も可能であるが、それが出来ずとも途上で十分役に立つ。肉の、血の、オドの流れを阻害し、減速させる。運動機能を低下させ、オドの流れを減速させることで反応から防御への時間を引き延ばす。攻撃もまたしかり。つまるところ彼女の能力は熱量簒奪による――

「まだまだ輝くぞ、私ィ!」

 デバフ。攻防含めた対象の弱化である。

 グロムとは異なり、彼女の力は魔族に限らずありとあらゆる局面、対象に作用する万能性を持っている。スーパースタァとはより多くに作用するモノであり、彼女の能力に差別はない。生きとし生ける者、生きていない者でさえ――

 彼女の能力からは逃れられない。

 『銀星』、二番星とかたくなに己を卑下する一等星、それが彼女である。

『■■■■■■■■ォ!』

 貴人と麗人、二人の英雄を前にアニセトは吼える。

 閃光が大地を焼き、天を焦がす。

 エーリス・オリュンピアに向かうそれだけを跳ね返し、奪い、彼女たちは躍動する。シャーロットの能力によってアニセトの機動力は低下している。さすがの巨体とエネルギー量により停止にまでは到底足りぬが、それでも十分な効果である。

 そしてアリエルもまた己の能力を全開にする。

 シャーロットに己のイメージを魅せ、それを具現化しアニセトへの攻撃として使う。魅せる相手は対象である必要はない。もちろん、効果は低下するし汎用性は落ちるが、反射以外でも有効打があるのは大きい。

『■■■ッ!』

 雷の矢がアニセトの巨体に突き刺さる。幾重にも、幾重にも――

 しかし、それでもアニセトは振り返らず、あくまで喰らうべきエネルギーに向かっていく。アリエル、シャーロット、能力は強くオドも他者と比べると桁違いだが、街一つ分となると、残念ながら天秤はそちらに傾くようである。

「こんの、止まりなさいよッ!」

「おかしいねェ、活火山も完全停止させたんだけどなァ」

 超越者、怪物、如何に彼女たち二人が強くとも、足止めすらままならない。

 しかも――

「なんだい、あれは?」

「……雲が、渦巻いて」

 夜闇を覆っていた曇天が渦巻き、地上に墜ちてくる。

『ナルギ』

 咲き誇るは水仙。雲という巨大な水の塊を魔術にて行使する極大魔術である。スペックを得るためにアニセトはユピテル族となり、雷を操っていたが――

「魔術師アニセトが得手とする属性は、水だ。転生ガチャの基礎を、自らを神族とした術式をも組み上げし、生命操作、その魔術の腕は本物だよ」

 茫然として美しき魔術を見上げていた二人を、彼女たち自身の影に飲み込ませ、無理やり場所を移したのは機構魔女ライブラ。

 比較的英雄の中でも重い二人を移動させたことで、一気にオドを消費してしまったが。複数回、これをやればすぐにでも枯渇してしまうだろう。

「助かったわ」

「……あれを喰らったらどうなっていたんだろうね」

 地面に落ちた水仙は大地に命を芽吹かせる。

 木々が伸び、様々な種の花が咲き乱れる。まるで天国のような光景が広がるも、あそこに自分たちがいた場合を想像すると笑えない。

 おそらく、大地であろうが、獣であろうが、人間であろうが関係なく、あの術に触れたモノは新たな命を育む母体とされるのだ。

 残酷で美しき魔術である。

「水と地の複合魔術、ナルギ。美しい術式だよ。これだけの規模はああなったからこそだが、術自体は普通にやってくるからね、これ」

「意識があるってこと?」

「君は踊る時、一々思考する? 走る時、歩く時、考えるかい?」

「……息を吸うように当たり前ってことね。了解」

 ロキと渡り合っていた男の矜持、何もこんな時に発揮しないでも、と思うが意識がない相手に言っても仕方がない。蠢く肉塊はあくまで防衛本能に従って熱線を、魔術を行使しているだけなのだ。それが強く、厄介なのだが。

「対策は?」

「正直、僕にはお手上げだ。魔術師としても張り合えるのはロキくらいのもの。ナルギをこの速度で展開できるなら、ちょっと手札は想像もつかない。エネルギーは破格で、ほぼ無尽蔵みたいなものだし、悔しいが何も考えつかない」

「……じゃあ、私たちと同じね」

「でも、希望はあるよ。僕らの英雄は、どうにも諦める気はないらしい」

 ライブラの言葉に二人は笑みを浮かべた。

「ふふ、さすがゼンだね。良いだろう。もう少し暴れてみようか!」

「……そうね。やってやろーじゃん!」

「あと二回、『影穴』での移動はそれが限界だ。ちなみに僕がそこまで傷一つない状態での計算だから、スクラップになったら許してね」

「「スクラップになったらぶっ壊す」」

「……肝に銘じておこう。肝なんてないけどね。機構魔女だから」

 全力で行使した上で、勝ちの目は見えない。

 かつての己たちであれば途方に暮れていただろうが、今は支えがある。あの背中は絶対にあきらめない。それが在る限り、彼女たちは笑うことが出来る。

 立ち上がり続けることが、出来る。

 貴人と麗人は舞う。それを下支えする機構魔女。

 そして怪物は、それらをも飲み込むのだ。


     ○


 集中の質とは深度である。

 深く、深く、独力でのトランス状態を経て、さらなる深みへと向かう。

 底の見えぬ大海、個の中に広がる海の広さは世界に等しく、ゆえに全と個は表裏である。集中の先にて遭遇するは世界の深淵。つまりは個の終端。

『集中には段階があると言われています。ただ一点を除いて何も感じなくなる、世界を断絶しそれのみに注力する、これが初期段階。徐々に深みへ至ると一点から広がり、逆に世界と繋がっていきます。これが第二段階。ここに至った時点で例外なく天才です。私も入り口ですが、ここに当たります。そして第三段階』

 表裏が融けあい、消える。稀に世界から役割を与えられ、魔法使いとして個を取り戻す者もいるが、それはあくまで第二段階の延長線でしかない。

 それは、人としての可能性、その消失でしかないのだ。

『世界を己で塗り潰す。これがかつて大和国と呼ばれた我らが国の武家に伝わる秘奥です。全の中にあって確固たる己を築き上げる。言うは易し、行うは難し。個とは世界という大海に落とされた水滴です。表層で浮かぶだけであれば問題ありませんが、深みに至れば至るほど、融け出してしまうものですから』

 彼女の言葉は難しく、理解できる気がしなかった。

『己の在り処を問え。稀代の業師、龍造寺国綱が遺した言葉です。葛城君、貴方はきっと第二段階に至る。そして、私と違い進む勇気がある貴方は、歩みを止めない。だから、私が言えるのは一つです。自分を、問い続けてください』

 やはり、言っている意味は、難解で――

『葛城 善を、決して手放してはいけません』

 でも、少しずつ、理解できてくる。

 嗚呼、ここは、あまりにも広くて、遠くて、優しい。広過ぎて、遠過ぎて、一滴など大海の前では何でもない。嫌なことがあった。辛いことがあった。欲望があった。救いを求めていた。そんな自分が、消える。

 拭い去れぬ罪があった。それもまた、消える。

 だから、優しい。だって仕方がない。たかが数十人、精々百人、世界にとっては端数ですらない。何の意味もないのだ。その生き死にに。

 そんな罪など飽和して、消え去るのみ。

 でも――

『ゼン!』

 嗚呼、この声が消えるのは――

 初めて己に与えられた枷、罪の象徴であり、救わねばならぬ庇護すべき対象。父に、母に、世界に、守られ続けてきた己に与えられた守るべきモノ。頼られるのは大変だったが、どこかくすぐったくて、胸の奥が温かくなった。

 これまで失うのは、少し、己のような矮小な者が、咎人が、言える立場ではないのは百も承知で、それでも言って良いのなら、許されるのであれば、忘れたくないと思った。いつか彼女に裁かれるその時まで、背負い続けたい。

 それは咎であり、彼にとっての救いだったから――

 それが葛城 善の全てである。


     ○


 凄まじい速度でアニセトへと突っ込んでいくのは藤原 宗次郎。今までよりも、より魔獣化を進めたその姿はまさに神話の『麒麟』そのもの。手には黒き刀、オークカタナを握りて雷光と化し、瞬く間に到達する。

 我流の剣は無駄も多いが、彼のセンスが絶妙な繋ぎを見出し、結果的に剣技としてそれを成立させていた。荒れ狂う雷光、タケフジとはまた違う鋭く自由奔放な雷はアニセトを引き裂いていく。オドの総量はニケらより上だが、巨体過ぎるがゆえ、決してダメージが通らないわけではない。密度は彼らほど高くないのだ。

 それでも再生速度は尋常ならざるものであり、斬ったそばから再生していく。だが、宗次郎は意に介さず暴れ回る。シン・イヴリースに突き付けられたかつての己、先ほど竜二に守られた弱い己、全てを怒りに、力に変えて。

『オレ ハ ジユウ ダッ!』

 紫電まとわせしオークカタナ、雷が付与された刃は鋭さを増し、容易く超越者の肉を断つ。そして、『麒麟』の速度はこれまた容易く超越者の防衛機能を凌駕し、まるで攻撃が追いついていない。縦横無尽の攻めが止まらない。

『リュウジクン ノ カタキ!』

 刃を肉塊に突き立て、吼える宗次郎。もちろん竜二は死んでいないし、何ならアニセトは彼の傷に何ら関与していないが、八つ当たりには関係ない。

『ガァァァァアアアアアアッ!』

 宗次郎は渾身の紫電を肉塊に叩き込む。遠目で見てもよく分かる、莫大なエネルギーが肉塊の中を蠢き、一部が大きく焼け焦げ、爆ぜた。

 されど――

『ニュンパエア』

 肉が、刀を伝い、宗次郎の腕に接触する。

『グ、オッ!?』

 宗次郎の腕に、睡蓮の華が咲く。防衛機能であるアニセトの魔術、自らの肉を種とし対象の肉を媒介に花を咲かせ、同時に相手を植物へと変換する魔術である。これもまた生命を操作し、しかも自らへの過度な接近を阻害する彼の十八番。

 防御術であり、同時に攻撃ともなるのだ。

「これは、いけないな」

 しかし、それは突如現れたレインによって切り裂かれる。

「こ、の、痛いな、ブス!」

 宗次郎の腕ごと。

「……助けたのに酷い言われようだ。私は、悲しい」

 そしてまた、彼女は消える。ゆったりとしているのに、見つめると消えてしまう。そこから別の場所に現れ、最初からそこにいたように佇む。

 そして、遅れて斬撃がアニセトを刻む。

「風は自由で、雷は遅れて聞こえるものだ」

 彼女の名はレイン・フー・ストライダー。自らを愚者(フー)と名乗る彼女の力は疾風迅雷、風と雷の魔術を得手とし、高速移動と自在な動きが持ち味であった。言ってしまえばセンス、魔術を行使し相手の意識の外へと逃れる才能。

 中でも絶妙なのは緩急。ゆったりとしているようで、次の瞬間には雷の如く移動する。風の魔術によって宙に浮いたり、三次元戦闘を行う彼女にとって戦闘とは立体である。平面で捉えようとすると、すぐに消え失せる。

 トリスとは異なる意識に残像を残す、幻影使い。

『ニュンパエア』

 先ほどと同じように肉がせり上がり、レインを捉えようとするが、ただの防衛機能に捕らえられるはずもない。すり抜け、逆に断ち切る。

「さあ、英雄の力、存分に示せ」

 レインは獰猛な笑みを浮かべながら、敵の只中にて視線を外し、『彼女』を見た。少ない手数で彼女を見抜いたのは敵だけでは、無い。

 視線が彼女に吸われる。今、彼女が表現しているのは――

「なるほど、どん欲だな、アストライアー」

 笑いたくなるほど、それはあっさりと生み出される。シン・イヴリースの技、メギドの大炎。無論、あくまでそれは彼女の認識、表現物でしかなく、本来の機能は備えていないが、単純に火力だけでも相当なものであった。

 分かりやすく強く、この肉塊には効果的。

『■■■■ッ!?』

 中央で炸裂した、超火力にさすがの超越者も揺らぐ。

「多少は、どうだ?」

 レインの期待は――

『ウイシュゲ・ベアタ』

 足元に展開された魔術式によってかき消える。

 エーリス・オリュンピアに展開されたそれと似た、また別の魔術。効果自体は同じ、相手からオドを徴収する能力である。違うのはその『相手』。

 都市で発動した術式は刻印を媒介としていたが、今度のそれは刻印を中継せずに直接、効果範囲内全てから奪うという効果。都市で発動した魔術のオリジナルであり、わざわざ刻印を介したのは微調整が効かないから。

「ぐ、ぬ、これ、は」

 凄まじい速度で力が抜けていく。離脱する余力ごと――

「借りは返すぞ、ブス」

 宗次郎がレインを抱え、全力でその場を離脱していく。宗次郎が動けたのは魔人クラス上位のオドがあったから。吸われ切る前に何とか効果範囲から脱出する。

 ギリギリ、であったが。

「刻印抜きの方が凶悪、か。理性無き魔術師の恐ろしさよ」

 レインは苦笑する。あれほど腐り果てたと思っていた男であったが、こうして理性を剥ぎ取られた力を見ていると、あれでも己を律していたのだと分かる。

 そして、それを失った今、間違いなくあれは人類にとっての天災と化した。

「人類が死滅するまで、あれを用いて吸い尽くすか。それをシン・イヴリースは高みの見物、くく、全くもって地獄だね、このままだと」

 ライブラもまた苦笑いを浮かべる。シャーロットがいなければ、もう少し難易度が上がったであろう攻防であったが、彼女がいてなおこのザマである。

 時間が経てばたつほど、この差は広がっていく。

「ゼンは?」

「準備中、だよ。僕も時間稼ぎのつもりだったんだけど、近寄れないんじゃね」

「剣士はお手上げ、だ」

 宗次郎とレインは首を横に振る。

 アニセトを内包する超越者の力、彼らの言に相違なく、対シン・イヴリース用の戦力なのだと皆は知る。今はまだ、総合力で届いていないだろうが、それもまた時間の問題。都市を、国を喰らえばすぐにでも抜き去るだろう。

「まだ、まだァ!」

 先ほどから直視できないほど輝いているシャーロットであったが、動きを制限することしか出来ていない。そもそもあれを制限出来ている時点で、破格の力なのだが本人に満足の色はない。むしろ歯噛みし、不満一色であった。

 届かない。既存の手札では、どうしようも――

『■■?』

 肉塊に、虹の矢が突き立つ。それはアステールの矢である。ルーが使っていた時と矢の形状は異なり、雷を帯びているも間違いなくそれ。

 アニセトが緩やかに、そこへ視線を移す。

「おい、死ぬ気か!? 力を入れ過ぎだ!」

「私には、役目が、あるッ!」

 乾坤一擲、全てを賭した一矢を、咆哮と共に放つ。

 幾重にも――

 死をも覚悟した翡翠の髪が、色褪せる。

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