第3章:修行修行修行
チェス、全戦全敗。実家が貴族の末裔であるミロワール家も、何だかんだと英国上流階級の出であるテーラー家も、たしなみとして娘たちにはチェスを学ばせていた。それこそプロのレッスンを受けさせるのが当たり前の世界。
そんな彼女たちの棋力はプロ並みではないが、其処らのアマチュアには負けない程度の実力はある。つまり、彼女たちの時代の尺度で言っても、シンなる者たちは図抜けた指し手ということになる。それこそプロが可愛く見えるほど。
「……負けました」
「仕方ないよ。僕らは人とは演算能力が違うから。アリエルさんは強いけど、僕らはこの程度の範囲、簡単に計算出来てしまうからね」
「絶対なの?」
「んー、物事に絶対ってのはなかなか言い切れないけれど」
「なら、諦める理由にはならないわね」
「うわーお、本当に負けず嫌いだなぁ」
理屈を一蹴し、アリエルは駒を並べ直す。再戦かな、とシュバルツバルトは考えるも、並べ終えてアリエルは彼を見つめる。
「この前、教えてくれたわね。ゼンが今何をしているか、を」
「トリスが何も教えていなかったのは、そうだな、必要ない、と思ったんだろうね。何だかんだと僕らに近い思考回路だからさ、あれも」
「別に拗ねてないわよ。ただ、あいつ、死に物狂いでやってるんでしょ? ここら見て回ったけど原初の魔獣って全部、あいつより強い感じがしたから」
「ええ、強いですよ。死に物狂いって言うか死にかけてるでしょうね。そのための不死鳥でしょうが。それで、チェスばかりじゃ物足りなくなった、と」
「あんたが私に大したことさせてないのは分かった。チェスも暇つぶし。なら、暇つぶしに私の修行、手伝ってくれてもいいんじゃない?」
「あはは、そうですね。では、二つの選択肢を提示しましょう。一つは簡単お手軽に強くなれる方法で、もう一つは――」
「後者」
「その心は?」
「上手い話には裏があるでしょ? それに私、楽して上手くなるとか強くなるとか、クソだと思っているから。積み重ねなくして人は立たないの」
「本当に、素晴らしい。貴女はきっといついかなる時でもアリエル・オー・ミロワールなのでしょうね。わかりました、くだらない甘言を振りかざしたことを謝罪いたします。そして、付き合って差し上げましょう。なに、簡単なレッスンです」
アリエルの体が突如、崩れ落ちる。チェス盤が、綺麗に並んでいた駒が、机や地面に飛び散ってしまう。だが、アリエルは何も言うことが出来ない。
体が動かないのだ。指一本、動かせない。
「僕たち新人類がシックスセンスを鍛える際、用いられた訓練法です。身体機能を限定し、機能が封じられて状態で動く、という至極簡単な方法ですね。より高度になってくると呼吸器や心臓まで止めてしまうのですが、あくまで今回は初級編。筋肉の収縮、限定部分以外への脳からの信号途絶、程度ですかね」
アリエルはオドを体に張り巡らせる。今までのような大雑把な、肉体強化程度のコントロールでは指一つ動かすのに時間がかかってしまう。
「僕らは調律されていますので、元々我々の認識における最大値まで拡張されていますが、逆に言えばこれぐらいは人間やろうと思えば到達出来るものです。マナに満たされている黎明期、発展、転換期の間は、ね」
ようやくコツを掴み、立ち上がろうとするも、途中で腰砕けになって倒れてしまう。立つことすら難しい。何故今まで出来ていたのか不思議なほどに。
「人間の体って良く出来ています。立つ、歩く、走る。跳ぶ。それらは無意識に出来てしまうことですが、プログラムとして組むと相応のものが必要になる。要は身体機能とは補助輪のようなものです、シックスセンスの観点から言うと」
ようやくアリエルはこの修行の意図を掴んだ。ただ、日常生活を送れるようになるだけで良いのだ。それだけでオドのコントロールは飛躍的に向上する。身体機能に頼らずに体を動かす、それによって出来ることは確実に増えるだろう。
体の構造上、不可能な動きも可能と成るはず。
「上等、じゃない」
「おや、もう話せるようになりましたか。上々な滑り出しです。では、今日中にここの後片付けをお願いしますね。さあ、夕餉が待ち遠しいものです」
どこか楽しげな様子に心の中で苦笑するアリエル。いたずら坊主がとうとう仕掛けてきたのだ。どうにも年上だという気がしない相手だが、今はそれどころではない。とても分かりやすく、理に適った訓練を行えるのだ。
無理やり身体機能を制限できる荒業あってのものであるが、これほどわかりやすい訓練はないだろう。これだけでここに来た甲斐がある。
強くなって見せる。友の無念を背に、アリエルは訓練を開始する。
同時刻――
「ぐがが、無様だな」
「…………」
アリエルと全く同じ流れでレウニールに身体能力を制限され、まさに芋虫と言った状態のシャーロット。それを肴にレウニールは赤色の液体を流し込む。
「掃除に洗濯、炊事もあるか。ハウスキーパーの仕事も楽ではないなァ。現在、この場所には貴様一人、仕事は山のように在るぞ、ぐがががが」
レウニールは実にいい笑顔であった。
『にゃ! ただいま帰ったにゃ!』
「え?」
「……?」
半年以上かかる行程だったはずのおつかいを、どういう方法を用いたのかクリアし、トラブルメーカーが帰ってきた。レウニールの、シンなるモノの想定すら上回る、悪運。今回はレウニールが被る形で、振れたようである。
『くんくん、あ、ゼンの匂いがするにゃ! どこ行ったのかにゃ?』
『……奴は今いない』
『誰かにゃ? レウニール様は、いないみたいだにゃ』
『我がそうである』
『にゃははははは! レウニール様はおっきくてぶっさいくだにゃ』
『ぶさ!? ……あの姿、格好良いと思っていたのだが』
『フェネクスさんもいないし……遊ぶにゃ!』
『待て!』
『にゃははははははは!』
強制的に止めることも出来たが、無理に止めると殺しかねないほど脆弱な種族。あの姿であればともかく、今の姿ではなかなかに難しい。
「な、何なのかな、彼女は」
「……もう一人のハウスキーパーだ」
「私の目には、散らかしている、ように、見える、がね」
たどたどしい口調ではあるが、この短時間で言葉を紡げるのはさすがのセンス。レウニールは気を取り直してあれの有効な利用方法を考えた。
「貴様に任務を与える。奴らが戻ってくる前に、あの女を制御して見せろ。方法は問わない、その状態で、屋敷を在るべき姿のまま維持せよ」
「……現れて、数秒で、相当散らかって、いるが?」
「任務だ。我は奥で休む」
「ちょ――」
『あ、何か倒れてるにゃ』
好奇心の塊がシャーロットの近くにやってきた。ここに来て初めてシャーロットは恐怖を覚えた。あのレウニールでさえ制御不能な存在である。
『落書きするにゃ』
「やめろぉ!」
『何言ってるのか全然わからないにゃ』
達成困難な任務がやってきた。ほっぺに髭を書かれたシャーロットは静かに復讐の時を待つ。ちなみにこのペン、魔術道具であり魔力の流れを刻むためのモノ、解呪せねば消えない厄介な代物であった。
フェネクスは解呪できる。レウニールはしない。つまりフェネクスが帰ってくるまでこの髭と付き合うことになるのだが、それはこれからの話である。
○
食事量も増え、効率は微増し続けている。
すでに中では一年が経過していた。フェネクスは不死鳥という特殊な種族ゆえ、感覚は神族寄りであり、優れた記憶能力と演算機能を備えている。体感時間こそ魔族ら悠久の時を生きる種族であるが、時間管理自体は容易い。
あまり考える意味はなく、レウニールが出すと言うまではそのままなのだろうから、演算する理由もないのだが、監督役は監督役で暇なのだ。
一年止まることなく喰い続け、明らかに苦戦の回数が減った。相当のダメージを負うのはいつものことであるが、回復せずに食事へ移行するケースも出てきている。勝てる相手を見極められるようになってきた面もあるが――
(それ以上に、戦い慣れてきやがったな。使っただけで下手すりゃ死ぬ武装だ。ほぼ実戦での投入機会はなかっただろうに。馬鹿でも阿呆でも、使えば覚える。七種、きちんと使い分けできるようになって、生存率が上がった)
安定感が増している。元々実戦経験自体は豊富であったが、七つ牙を用いた戦いはそれこそ数えるほどである。リスクが大き過ぎた。
今も大きいが――
(何よりも体が出来てきたからか、どうにも負荷が減少してやがる。炎の奴だけは結構喰らってるが、それでも生焼け程度、オークなら唾つけときゃ治る。まあ、そんなもんに何日もかけてられねえから私が回復するんだがな、ファック)
それらは減少傾向にあった。ベース能力の向上があらゆる面で功を奏し始めていた。もはや一年前とは別物、性能としては微増であるが効果はてき面。
「……眠い」
「おう、喰ったら寝ろや。その間に回復しといてやる」
「いつもありがとう、フェネクス」
「……さっさと喰え」
消化吸収能力も元の性能を取り戻し、その上で拡張を始めていた。胃袋同様、限界値はあるがそれなりに伸びる項目ではある。喰ったそばから消化が始まり、戦闘で欠損したオドや肉を補い始める。この速度感覚であればまだ食事量は増やせる。
「ぐがぁ」
「くっく、寝付くのが早ェんだよ、クソオーク」
喰って寝る。オドにしろ肉にしろ、明らかに再生速度が上がっていた。元の性能を考えれば、明らかに異常な変化である。一年、これを長く見るか少なく見るか、魔族であればまさに瞬く間であろう。変化は百年、千年単位の話。
少し引っ掛かりはあった。変化の速さに。
「……どうせ回復するし、良いか、別に」
寝ているゼンの首筋に口づけするフェネクス。
ただ、それはロマンチックなものではなかった。首筋にかぶりつき、そのまま噛み千切った。もぐもぐ咀嚼するフェネクス。ゼン自体は蚊にでも刺された程度にしか感じていないのだろう。首なので結構血は出ているが。
そこはフェネクスの翅を一振り、炎を撒けばはい元通りである。
「……魔族、ではある。七つ牙の行使で欠損しつつあった魔素も十二分。だが、どうにも妙だな。この感じ、私と同じになってねえか?」
神族と魔族の特性を併せ持つ存在。其処に元々の人も、在る。
「いや、違うな。テリオンだ。テリオンに近づいてやがるのか。神性は私の炎から、人は元々の性質。テリオンに成りつつ、魔素も保持させる、ね。なるほどな、マスターにしろトリスにしろきな臭ェな。全部掌の上って感じだ」
この繰り返しを経て、彼は人からより遠くへと変化するだろう。もし、後の世で魔族から人族へ戻す方法が見つかったとしても、彼だけは絶対に戻れない。傷つき、回復し、傷つき、回復し、その度に進化しているのだ。
あらゆる要素を取り込み、別の生命体へと。
「テメエも大変だな、クソオーク」
何か大きな運命の輪に飲み込まれているような感覚。鈍感故気づくことはないのだろうが、それでも哀れに思うのだ。この男が本来平凡で、クソ詰まらない人間であることは、彼女も十分理解できた。それが何を間違ったかこんな世界に来て、色んな意味で怪物どもに囲まれ、彼は戦っているのだ。
本当ならクソみたいな普通の人生を、彼女らが望んでも手に入らない、小さくとも幸せな生涯を送るにふさわしい平凡さ。
フェネクスは無理やりゼンの左目をこじ開けた。
「気づいているか、クソ目玉」
『何だい姐さん』
「こいつ、もう千年二千年じゃ死ねねえ体に成っちまってるぞ」
『ああ、気づいてるよ。だから、尚更馬鹿になっちまってんだ。この一年、それこそ姐さんたちみたいに瞬く間、だった。相棒の体感時間はな。しかも、少しずつ伸びてやがる。最近愚鈍さにも拍車かかってんな、って思ってたんだよ』
「私もここに来る前の時点で、何度かこいつを回復させちまってるからな。普通なら問題なくとも、人と魔の複合体、特異な存在であるこいつとテリオンの七つ牙での欠損、私の炎、それらが絡み合えば、か。嫌な感じだぜ」
『まったくだ。相棒を何だと思ってんのかね? そりゃあレウニール様にとっちゃ造物の一つなんだろうけどよ。こう見えて繊細な生き物なんだぜ』
「逆だ。そうと分かってんのに乗り気じゃねえのが気になる。今回の件もトリスが仕掛けなきゃ動かなかっただろ? マスターらしくねえ。乗り気じゃねえのにやらなきゃいけない、あの御方に限ってそんなこと、あり得るのか?」
『それを言うならアリエルちゃんとシャーロット嬢への対応もおかしいだろ。あの二人だって普段は礼儀をわきまえてる。それがあんなラフな対応になって、それをあのふた柱が受け入れてんだぜ? 異常だ。何から何まで、よぉ』
疑問は尽きない。何か分からない流れがある。逆らおうにも全容が見えねばどうしようもなく、今はただこの修行を繰り返すしかない。それは分かっている。
分かっている上で、思うのだ。
『俺はただの道具だ。何も分からねえ。でもよ、相棒は良い奴だ。馬鹿みたいに良い奴さ。そこら辺のガキ拾って、頼られ慣れてねえから気張って、破裂しかけて、それなのに喜んでる。いつか復讐されるかもしれない相手を、愛してる。馬鹿だぜ、今だって、ほんと、それだけのために頑張ってんだ。そんな馬鹿、いねえよ』
「阿呆だな、アホオークだ」
『頼られて嬉しい。自分が守らなきゃいけない。そういうのってよ、普通親になって知ることだろうに。この馬鹿ちんは先に知っちまった。理屈じゃねえのさ、本人も言語化できてない。でも、死んだってこいつは止まらねえよ』
ギゾーは知っている。子供たちに飛びつかれ、本気で抱きしめたら砕け散ってしまうほど弱き存在たちに愛され、言語化できない感情が渦巻いている相棒の胸中を。分かっていないのだ、この男は。その感情の名を。
『俺ァ相棒の味方だぜ。何処まで行ってもよォ』
「そうか。分かりやすくていいな、テメエは」
『姐さんは?』
「マスターには借りがある。返し切るまでは奉公し続けるさ」
『その先は?』
「うるせえクソ目玉。テメエも寝てろ」
左目を閉ざし、静かに天を仰ぐ不死鳥、フェネクス。
長い人生、ろくなことがなかった。いつも周りに振り回され、能力目当てに数多の種族が自分たちを狙い、その度に仲間を減らした。不老ではあるが不死ではなく、王クラスの中でも再生効率がダントツで良いだけ。
出涸らしになるほど能力を使われ、死ぬ。ふざけた一生である。回復薬扱い、どいつもこいつもろくな連中じゃなかった。だからこれだけひねくれてしまった。レウニールに庇護され、怠惰なる時を過ごした。
そして今、自分と同じ哀れな存在に出会った。
「世の中クソばかりだ。テメエも長く生きる以上、まあ、クソなもんばかり見ることになるぜ。保証してやるよ、この世界はクソだ」
誰かに利用され、擦り切れるような目にあって、それでも誰かのために立ち上がる。自分と同じような境遇なのに、まだ世界に絶望していない。
充分クソみたいな目にあっているはずなのに――
「たまーにテメエみたいな面白生物も出てくるがな」
ゼンの額に軽く口づけするフェネクス。
「どこまでそのまま進めるか、精々足掻いてみろや、ゼン」
そのまま隣で彼女は眠る。ずっと独りぼっち、レウニールに庇護された後も寝るのは当然ひとりきり。こうして誰かの隣で眠ることなど、それこそかつて同族がたくさんいた時代、皆と一緒に巣で寝ていた時以来のことであった。
「他意はねえぞ、カス」
こうしていると少しだけ温かいのだ。
「ごぶ!?」
ゼンが痛みで目覚めると、腹には踵が突き刺さっていた。よく見ると体には青あざだらけである。幾度も殴打され、微妙に強化された程度の回復力では追いつかないほどのダメージである。寝ている間に何があったのか混乱してしまう。
だが、原因だけはくっきりはっきりしていた。
「ぐがぁ」
『姐さん、寝相悪過ぎだぜ』
「……痛い」
きっちり着込んだ服がはだけるほどの寝相、および攻撃性能。普通の人族ならたぶん死んでいるだろう。今ほどオークであることを、強くなったことを喜んだ日はなかった。死因が隣で寝ている人の寝相、などいくら何でも酷過ぎるから。
ちなみに起きた後、フェネクスは嫌にご機嫌だった。久しぶりに熟睡したから絶好調だとのたまう彼女は沢山原初の魔獣を釣ってきて、危うくゼンを殺しかけたとさ、めでたしめでたし。
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