第3章:帰ってきた英雄

『ほう、素晴らしいセンスだ』

『本当に』

 守護者や獣たちが見守る中、アリエルとシュバルツバルトが組み手をしていた。互いに細めの剣を構え、突き主体の剣技であった。どことなく剣の筋が似ているのは、偶然かそれとも必然か。流れるようなやり取り、その美しさたるや――

「ふふ、随分上達したものだね」

「チェスは負けてもこっちで勝つ!」

「足元がお留守だよ」

 シュバルツバルトの足払い、相手への攻撃ではなくバランスを崩すことが目的であり、タッチ自体は優しく傷つく要素はない。

 ただ早く、的確なだけ。

「なんの!」

 完全にバランスを喪失し、両足が宙に浮いた状態。普通なら攻撃どころかこのまま尻もち直行コースであるが、アリエルは平然と空中で体を捩じるように蹴りを放つ。ありえない動き、人間はこう動くようには出来ていない。

 だが、出来るのだ。

「うん、いいね」

 魔力を、オドを駆使すれば、空中にいながらも無理やり稼働させ加速を得ることが出来る。シュバルツバルトはそれを腕で受け、受けた瞬間アリエルの体が其処を起点に跳ね上がる。そして今度は別角度で捩じり、かかと落としに移行。

「ひと月前は片付け一つできなかったのにね」

「半日で出来たわよ!」

 回転、さらに回転、足が、剣が、様々な軌道を描いてシュバルツバルトを攻め立てる。彼女の身体能力は依然として零、オドを解除すれば糸の切れた人形の如く崩れ落ちる。しかし、今の彼女にそのような不安定さは見受けられない。

 完全なる制御、イメージ通りに体が動いている。

「美しい! だが、まだ先があるだろう? アリエル・オー・ミロワール!」

 もはや身体機能を主としていた時よりも動けている。

「ハァ?」

「鏡の前を思い出せ、本当の君は、どこにいる!?」

 アリエルの眉間にしわが浮かぶ。このひと月、幾度も感じた違和感。まるで自分のことを知っているような、それはまだわかる。シュバルツバルトの管理者、己が尺度で測ること自体意味がない。だが、自分よりも自分を知っているような――

「私は、ここにいるわよ!」

「誰も君に貴族の令嬢は求めていないよ。君の家族以外」

 自分の底を覗かれているような不快感。

「無駄を削れ。完璧を求めろ。本当の君はもっと美しかっただろう? ただのアリエルで良い。かつての君が辿り着き、いつかの君が捨て去った幻想」

 不愉快極まる。神とて――

「理想、だ」

 許し難い。

 かつての己が追い求めていた妖精。自由の象徴、いつか極めれば羽ばたけるのではないかと願っていた。己の出自を、血を、誇りに思う。其処に揺らぎはない。だが、その反面もう一つの感情があった。

 それを彼女は言葉ではなく体で表現した。

「……」

 無言、本当の自分は語らない。芸術に言葉は要らないから。全身で、明朗に語ってこその芸術。鏡の前の自分は表現者、中に浮かぶモノを『本物』とするための影。成るのだ、他者に、英雄に、お姫様に、人外に。それが当たり前。

 人を超えた動き、オドで制御しているから、出来る範疇すら超えている。シュバルツバルトは微笑んだ。そう在るべきなのだ。折角、この世界には彼女を縛るものがないのだ。自由に、さらけ出して良い。

 一挙手一投足に物語がある。攻撃と攻撃、その隙間にすら意味がある。余白、息遣い、髪の毛一本ほどの無駄もない。

 物語が、シュバルツバルトを圧倒する。

 鏡の中の自分。頭のてっぺんからつま先まで完全にコントロールして表現する、芸術。妖精が舞う。可憐に、はつらつと、人の身では不可能に近い動きを、彼女はしていた。あの天才をも魅了した、『本物』。

 至高のバレエダンサー、それに成るはずだった、ただのアリエル。

 シュバルツバルトの演算をも超え、そのつま先は彼の喉元に突き付けられていた。

 美しく、可憐、重力を感じさせない動き、積み上げられ続けた技術と血反吐舞う努力、そして彼女の才覚、全ての結晶。理想であり、幻想。

 武ではなく舞、彼女の眼が蒼く輝く。

「それでいい。そんな君だからこそ届く場所がある。この世界は己を偽ったまま勝ち抜けるほど甘くない。黎明末期、分岐点に至った二つの世界、その代表が集まった。本当の君ですら端役だ。昨日までの君じゃ役すら貰えない」

「……何の話よ」

「君にはヒロインになって欲しいなぁ、ってお話さ」

「意味わかんないし」

 アリエルはつま先を下ろす。組み手を始めたのが一週間前、とうとう制限されている違和感すらなくなった。寝起きでも問題なく動ける。

 むしろ動けなかった頃の意味が分からない。

「今のシン・イヴリースは強いよ。身体能力でも、内蔵魔力でも、彼よりも強い生物はいる。オリジナルだった彼女の足元にも及ばない。でもね、彼は彼女よりも強いのさ。圧倒的なまでに。この世界に生きる全ての生き物よりも」

「貴方より?」

「もちろん!」

「……なんで嬉しそうなのよ」

「僕らの仮説が正しかったことの証左だからね。いや、僕らのリーダーの、か。欠けたる生命、欠けたる世界、完全を超えるには悲劇がいる。多くの悲劇が、苦しみが、憎しみが、物語が、その奥にある何かが、要るんだ」

「神様気取り」

「うん、だから僕らは滅びた。いや、滅びる、か」

 シュバルツバルトは天を仰ぐ。黒き森の狭間より見える、蒼空を。

 自分たちの世界とは少し異なる、空の色を。

「君に会えてよかった、アリエル」

「……何か気持ち悪いんだけど」

「あはは、傷つくなぁ。でも、仕方がない。こればかりは、ね」

 シュバルツバルトは悲しげな笑みを浮かべ、彼女を見つめる。

「シン・シュバルツバルト様!」

 守護者の一人が影より出でる。

「……さすがに慣れたけど、もっと普通に現れられないの?」

「こちらの方が早いので。ご報告です、シュバルツバルト様。世界各地に亀裂が、イヴリースの軍勢が動き出したものと思われます」

「うん、大丈夫、分かってる」

 シュバルツバルトの視線、黒き森の空にも巨大な亀裂が走った。

「なっ!?」

 亀裂の先から、黒き球体が無数に降り注ぐ。

「狙いはこの森か!? シュバルツバル、ト、様」

 シン・シュバルツバルトの眼が金色に輝く。寿命の短い守護者たちは知らぬ状態。黒き森の獣であっても古株以外、やはり見たこともないモード。

「レプリカとて侮るな。彼らの恐ろしさは量だ。この程度、造作もない」

 何かが、黒い球体を阻む。シン・シュバルツバルトが放つ何かが。

「物真似なら、この星系一つ無に帰してみろ。話はそれからだ」

 そして、全てが消え失せる。

「なんだったの、今の」

「戦いの狼煙だ。世界中、全てがシン・イヴリースの射程圏内。それを知らしめるためのデモンストレーション。もちろん、アストライアーも予見し、実力のある者たちを散らしている。だからこそ、守れるが拮抗してしまうのだがね」

「いや、一瞬溢れた、黄金の気配のことは」

「今の君が知る必要のないことだ。いや、君の知ることのないお話さ」

「……まあ、良いけど」

「アリエル・オー・ミロワール、最後に問う。僕ならば君に最強の刃を与えることが出来る。無敵の力が、無限の時が、君の前にあるとする。君はどうする? 全ての危機を前にしても、君はその力に手を伸ばさずにいられるかい?」

 世界中で悲鳴が生まれつつある。悲劇が芽吹かんとしている。

「それがパッと咲いてパッと散るものなら、受け取ったかもしれないわね。でも、永遠に興味はないから。私は儚くて美しいモノが凛と立つ様が好きなの」

 その眼は迷いなく、神を拒絶する。

「君は永劫後悔するよ」

「そうなった私は、貴方の言う『本物』なの?」

「……っ」

「私の何を知ってるのか、貴方が何を知るのか、どんなことが出来るのか、私にはわからないけれど、とりあえず感謝しとくわ。勉強に成った」

 シュバルツバルトに背を向ける彼女、その絵面に――

「制限を解除。うん、これで君は自由だ」

 アリエルの体に力が戻る。

「あっは、逆に不自然かも」

「すぐに慣れるよ。さあ、君の物語を再開しておいで。敵は巨大、かつ邪悪で掴みどころがない。それでも勝たなきゃいけないんだ。可能性を繋げるために」

「よくわかんないけど、ま、正義は勝つって決まってるってね!」

 だん、と彼女は踏み出す。この森にいたことで彼女は人除けへの耐性がついた。来た時の恐ろしさはない。今は急ぐべき時。錯綜しているであろうコードレスはしばらく当てにならない。ならば、目の前の危機をとにかく救う。

「……へえ、マジで強くなってるじゃん、私!」

 景色が飛ぶ。今までにない加速が彼女を運ぶ。

 黒き森の外へ、そして遥か遠く、悲劇を生まぬために水鏡の乙女は駆けた。

「……素晴らしい時だった。本当に、素晴らしい」

 彼はこの身体になって初めて流れたそれを拭う。

「さあ、僕も観測を続けよう。来るべき時のために」

 それは遥か先の未来のため、彼らに選択肢を与えるための知恵の実。

 その時が来るまではただの演算装置であり、集積装置でしかない。


     ○


『ふにゃ!?』

「甘い。ふっ、我が才能が恐ろしいね。こんな状態でも暴走猫娘を捕らえるのは造作もない、ということだ。しかしあれだね、君は全身が柔らかいね」

『にゃあああああああ!?』

 立派なハウスキーパーと成ったシャーロット。フェネクスばりにミィを抑えつけ、ふにゃふにゃの肉体を堪能する彼女は新たな扉が開きかけていた。

『ぐがが、ぐが』

 レウニール、爆睡。ここが彼のいけないところ、物事の秤を自分基準にしてしまう。地上の危機、正直彼にはどうでもよかった。どうせ本気ではない。あくまで集金のための急襲である。彼はすでに加納 恭爾の性質を理解していたのだ。

 彼のフィフスフィア、その性能をも。

 すでに手は打ってある。時間も十分に与えた。

 そして、今日の主役は送り届けてある。

「塵一つない。猫娘も紐で縛った。完璧だ、完璧過ぎる。自分が怖いね、私は」

 だからレウニールはわざわざ起きないし、語らない。

 つまり――

「さて、次は宝物庫でも掃除してやるとするかね」

 シャーロットは地上の危機を知らないままである。

 蚊帳の外の天才は、颯爽と宝物庫に向かう。


     ○


 再建したティラナ王国の頭上、その亀裂より炎をまとう怪物が現れた。

 無数の部下を引き連れて、悪意が降り注ぐ。

「屈しはせん! 我らは希望を知っている! 皆、武器を掲げよ! 我らは逃げぬ。あの日、黒き十字架を、奇跡を、正義を成した彼のように!」

 ティラナ王以下騎士団一同一斉に剣を抜く。

『無意味だ。俺はアンサールほど甘くはない。望み通り、滅ぼしてくれよう』

 当たり前のように王クラス。

『我が名はウコバク・フレムベル。全てを焼き尽くす者であるッ!』

 火柱が堕ちる。『クレイマスター』の助力によって再建した都市がまた、焼ける。されど、滅びる時であっても、せめて彼に恥じぬよう――

『姐さんも意外と薄情だなぁ。ついてくるかと思ったんだが』

「それはないだろう。手を借りれただけでも僥倖だ」

『まあ、そりゃあそうだな。ちなみに相棒はあの中に何日いたと思う?』

「ぬ、半年くらいだと思う」

『ったく、時間感覚だきゃあ王クラスだな。十年だ、馬鹿野郎!』

「……そうか。まあ、あんまり変わらん」

 火柱を遮る、盾。

 ティラナの民は、またも奇跡を目撃する。

『何奴?』

「ただのオークだ」

 じゃらり、鎖がウコバクを拘束する。

『ッ!?』

「ウォラ!」

 地上にいる魔人クラス中堅上位の男は鎖を振り下ろす。拘束されたウコバクごと、それは地面に突き立った。炎が爆ぜる。爆炎で鎖が蕩ける。

『この我を、地に落とすかカス虫がァ!』

「俺に羽根はないんでな」

 紅き剣がすり抜けざまにウコバクを断つ。浅いが、傷が浮かぶ。

(カスの割には、速く、強い)

 だが、所詮は魔人クラス。己の敵ではないとウコバクは振り返る。炎をひと撒きすれば蒸発する程度の敵、敵とも呼べぬ脆弱な存在。

 そうであったはず、なのに――

「テリオンの七つ牙が一つ」

『魔を砕く大斧』

「『オリゾンダス』」

 その男が担ぎ上げる巨大な、身の丈の数倍はある大斧を見て怖気が奔った。敵、否、天敵が目の前にいる。一瞬で裏返る戦力予測、ほぼ反射であった。

 意図せずに、恐怖から『炎の王』ウコバクは横に跳んだ。

 恥も外聞もなく、ただその威容から逃げるためだけに。

 大地が、割れる。ティラナが、揺れる。

 立っていられないほどの破壊規模。地割れが数キロにわたって続く。打ち所が悪ければティラナにまで及んでいたであろう破壊。一応計算はしている、はず。

「……腕が痺れる」

『前は持てなかったもんな、成長成長』

 ウコバクは胸中に渦巻く恐怖を押し殺し、

『何だ、貴様は!?』

 叫んだ。目測から大きく外れた敵に向かって。

「ただの――」

『偽善者だってな。んじゃ、いつもの行くぜ、相棒!』

「ああ、偽善を成すぞ!」

 斧を解除し、黒き鎧を身にまとい、暴風の槍を旋回させる偽善者、ゼン。

 スペックアップし、七つ牙を自在に操れるようになった最下級種族、オークの男。かつて奇跡を成した場所で、今度はそれを必然にするため戻ってきた。

「我らの英雄が、来てくださった!」

 その背は英雄のそれである。

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