第3章:光と闇

「喰うのが遅ェ。あと少ねェ」

 理不尽な蹴りがゼンの後頭部に炸裂する。

「結構早くなったと思うんだが」

「自分に甘ェな、小食クソオーク。まずもってテメエは魔族にしては喰わな過ぎなんだよ。認識が人族のまま、だ。折角強靭な消化吸収機構があんのに使い切れてねえ」

『あー、それはあるな。相棒っつーかシンの軍勢産魔族全部がおそらくそうだ。食事を人と同じに考えてる』

「わかってんなら言っとけクソ目玉」

『へい、すいやせん姐さん』

 叱責され、またも沈黙するギゾー。おしゃべりキャラだったはずがすっかり沈黙慣れしてしまっていた。大体相手が怖いからである。

「人族がオドを回復する方法は主に睡眠、時間経過だ。大気中のマナを呼吸と共に取り込み、時間をかけて自らのオドに変換してる。魔族も同様の機能は備えてるが、そもそも容量がデカい連中はんなもんじゃ足りねえ」

 フェネクスは喰いながら聞け、と視線で促す。

 ゼン、黙々と食事を再開する。

「だから、魔族は敵を食って回復するための機能が生来備わっている。足りない分を補うためにな。魔族が闘争を好むのはこの性質にも基づいてんだよ。喰って寝る、二重の回復手段で魔族は自らを癒す」

 まあ、そもそも戦わなければ消耗しないので、やはり闘争の補助機能としての側面が強いのだろう。

「つまり、オドに変換している分は腹の中で消えてんだよ。魔族の中には自分の体積を遥かに超えるサイズをぺろりと食べるやつもいる。構造的に魔族ならそれが可能だ」

 ようやくゼンにも話の内容が理解できた。

「あと、オドを取り込んで循環させると再生力も上がる。ま、あれだ、今は回復しないと死ぬから先にしてるが、本来は喰っちまってからの方が効率がいい。欠損、欠乏による身体の緊急事態に際して吸収力が跳ね上がるからな」

 物理的に不可能だとセーブをかけていた本来の性能。

 特に戦闘後、先ほども七つ牙をふんだんに使い二匹目を撃破した際、死亡寸前の状態であればより食事効率は上がる。

 もちろん、死ねば再生もクソもないので今は先に回復してもらうしかないが。

「とりあえず戦闘時はオドは絞りつくせ。で、もっと喰え。その回転がデカければデカいほど、効率がいい」

「ぐむ、ありがとう、フェネクス」

「黙って喰え。死ぬ気がねえならさっさと終わらせた方が得なだけだ」

 ゼンはその話を聞いて、一心不乱に食らい続ける。

 どこかセーブしていた部分はあった。胃袋には限界がある、その当たり前が食事ペースを緩めていた部分はある。

 魔族ならばもっと入る。理屈を聞いて、おバカなゼンは際限なく喰えると自分を奮い立たせていた。

 二重であるだけで無限ではないのは話の中でわかるはずなのだが――

『いやー、見事な喰いっぷりだね、相棒』

「やれんならさっさとやっとけやボケ」

 どこまで行ってもデレてくれない、鉄の監督官の下、ゼンは必死に食べていた。

 ちなみにフェネクスの説明には一つ間違いがある。

 人族にも同様の機能はあるが、保存、保管、調理という文化によってその機能が退化し、名残り程度にしか残っていない、が正しい。


     〇


 シュバルツバルトの深奥、泉から伸びる流体に触れるアリエル。

 そこからいくつも展開される窓、膨大な情報が文字通り手に取るように理解できてしまう。

 UIが彼女たちの時代よりも格段に進化していた。

「……まるで未来ね」

「あはは、異世界だというのにね。不思議なものだよ」

「ええ、本当に」

 アリエル自体は決して情報の世界に詳しいわけではない。人が使用感を極めたらこうなるのは必然、なのかもしれない。

 だが、同時に思う。

 このシステムの基幹は自分たちの世界から連なっているのではないか、と。

「凄いわね、今世界中で起こっている出来事が逐次記録されているなんて」

「演算するために多くの式が、情報が必要なんだ。今この瞬間もシュバルツバルトは学んでいる。来るべき時に備えて」

「ふーん、でも、収集できていない情報もあるのね」

「おや、そこまで調べて欲しいって頼んだかな、僕」

「気になるじゃない?」

「んー、まあいいか。シンに関わる出来事は保存こそしているが僕でも閲覧不可能だ。つまり、シン・イヴリースの情報は追えないってわけ」

「何? 個人情報保護っての?」

「かつての僕らはいくつかのチームに分かれていた。思想の違いもあった。研究テーマも違うし、最後には目的すらまちまち、共有化できない、したくない情報ってのも出てきたわけ」

「なるほど。だから閲覧に制限をかけた、と」

「最低でも当時、この地にいたシン、半数の承諾が必要だった。共有化したい情報があった場合、ね」

「つまり――」

「そ、今はもう誰もシンの足跡を閲覧することは不可能ってこと。まあ、プロメ君なら突破できると思うけど、僕らじゃ無理だね」

「箱舟ってところの情報もその範疇?」

「……うん。その通りだよ。やっぱり気になる?」

「まあ、多少はね」

「んー、もっと積極的になった方がいいと思うよ」

「ハァ?」

 突然のシュバルツバルトの発言に眉をひそめるアリエル。

「まだ手が届く内にさ、後悔のないように、した方がいい。それはとても大事なことだ。この時間はね、永遠じゃない。黎明期も後僅か、世界を介した英雄召喚も人々の祈りの結晶である英雄召喚も、どちらも世界にとっては補助輪のようなもの。時が来れば嫌でも外さなければならない」

「そうするとどうなるの?」

「元の世界に戻る。ただし、これは此処だけの話にしてほしい。いつ、その時が来るのかも言えない」

 突如、降って湧いたかのような元の世界に戻る手がかり。

「君はもう少し素直になるべきだ。そうしないとさ、おばあちゃんになっても、ずっと遠くを見つめ続けることになる。会えるはずのない何かを求めて」

「……何の話?」

「哀しくて切ない、お話だよ。まあ、ただの一般論さ」

 シュバルツバルトは哀しげに微笑んだ。


     ○


 炎の鳥、その進行方向にいくつかの影が浮かんでいた。

 見る見ると距離を縮めてくる無数の巨影。

『神族だぞ』

『魔界に何用だ?』

 それは――

「竜族、ですか」

 ドラゴンの群れであった。視線の遥か先に伸びる高き山、その山頂に渦巻くは竜の巣。凄まじきマナの乱気流と風、雷が渦巻く結界。

 至るには強靭さが求められる。

 それこそ彼ら、竜族のような。

『殺すな、若い衆。ルシファー殿の客だ』

『しかし、我らの巣でなくとも共有の領域に神族の末席など』

『同盟相手のルシファーが招いて俺たちが許可した。なァ、お前ら、いつから俺たちの決定に口出せるほど偉くなった? ナァ!?』

 竜の巣から雷鳴が轟く。

 ドラゴンは皆恐れおののく。群れを率いる先頭のふた柱こそ竜たちの王なのだろう。金色の鱗を持ち雷を纏いし雷竜、翡翠の鱗と疾風をまといし風竜。

 いずれも格別の王クラスである。

『ドラクル、案内してやれ』

『承知!』

 ひと柱の黒竜がエル・ライラの前で首を垂れる。

「久しぶりですね、ドラクル」

『ご無沙汰しております、エル・ライラ様。今、ルシファー様の下にご案内いたします。少し乱暴ですが、ご容赦を』

 ドラクルと呼ばれた黒き竜は咆哮と共に場を歪める。

 歪みの中心には黒き球体。

『ちっ、ルシファーの犬が』

 仲間に悪態をつかれても気にせず力を増すドラクル。歪みが増大する。

 群れはそのままライラの上を通り過ぎていく。過ぎ去っていく群れの目的は彼女ではなく、領域付近で戦う二つの存在に対してなのだろう。

 そうでなければあのふた柱が出張るはずもない。

「私のせいで、ごめんなさい、ドラクル」

『いえ、元々そりが合わぬのです。では、参ります!』

 第三世代の年若き竜族、ドラクルは世代随一の力を持っていた。それは歴戦の第一世代にも匹敵しうる力、ルシファーと同じ超重を振るう唯一の竜族。

 光を飲み込む闇がエル・ライラを飲み込んだ。

 自らもまた展開した闇に沈む。


     ○


『久方ぶりだな、ライラ』

「お久しぶりです、ルシファー様」

 超重が生み出す即席の『ゲート』を超えた先、其処には魔界屈指の圧を持つ存在が玉座に在った。かつて魔界最強と謳われた超重の王、ルシファーである。

『ドラクルも世話をかけた。良い顔はされなかっただろう』

『構いません。元よりそりが合いませんので』

『イヴァンとヴントゥならば勝手知ったる仲ではあるのだが、若い彼らとは溝が出来てしまったな。俺のせいだ。許せ』

 最強の王は立ち上がり、ライラの前に立つ。

『少し背が縮んだかな?』

「いいえ、木の葉一枚分も変化はございません」

『そうか』

「ルシファー様の体調は如何ですか?」

『知っての通り良くはない。六大魔王の中ではおそらく、最初に俺が滅ぶことになるだろう。それほど時間は残されていない』

「おばさまから聞いた話ですが、若い頃やんちゃをし過ぎたツケですね」

『くっく、メールめ、存外口の軽い女だ』

 ルシファーは相好を崩しながら、

『して、用向きは如何に?』

「用がなければ来てはいけませんか?」

『メールが許すまいよ。それにトリスまで出張ってきた、尋常ではない』

「……私も正直概要を掴んでいるわけではありませんが、箱舟内の時を操作して欲しい、とのことです。詳しい概要はトリス様らが直々に話すと」

『……箱舟、と来たか。何と懐かしき響きよ。ならばレウニール様とシュバルツバルト様、になるのだろうな。錚々たる面々、気後れしてしまう』

 かの王をして気後れしてしまう。彼らはそれほどの存在なのだ。

 何故か女子二人とチェスを楽しんでいたが。

『ならばしばし待とう。あのふた柱が向かった。すぐに終息し、戻ってくるはずだ。それまでは他愛のない会話で時間でも潰すとしようか』

「承知いたしました。では、まずは私の持ちネタ、おばさまのアンチエイジング秘話をば披露させて頂きます。ここだけの話ですよ」

『それはまた、後が怖い話だ』

 緩やかで穏やかなる時が二人の間で流れていた。

 種族も年齢も、何もかもが違う二つの存在。魔族と神族、相反するはずの存在がゆっくりと混じり合う。かつて、シン・イヴリースとの決戦、相反し反目していたはずの両者はたった一人の、共通の友人によって仲を取り持たれたのだ。

 究極の一を討ち果たした人族の勇者、ストライダーによって。

 光と闇が静かに語り合う。小さな、奇跡の時間がそこに在った。

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