第2章:いいくすり
「私はかつてバレエ少女でね。これでもプロを目指していたものさ。国内の同世代には向かうところ敵なし、ロイヤルのプリマになることに疑いはなかったよ。我ながら驕り高ぶっていたが、それなりの実力はあったのさ」
「……ああ」
「でもね、ある日私は本物に出会った。それなりに権威のある国際コンペに意気揚々と参加した時だ、誰にも負ける気がしなかった私が、初めて勝てない、と思った。それほどに美しく、可憐だった。今思えば業腹極まりないがね。誰だと思う? 君も知っている人物だ。今となっては見る影もないんだが」
「いや、全然わからない」
「正解はアリエル、だ。あの頃の彼女は神がかっていた。群舞にいようとステージの端にいようと、誰もが彼女にだけライトが当たっていると錯覚したし、私も彼女に神を見た。舞台の上で立ち、微笑む。その時点で決着。あとは熾烈な二位争いさ。無論、私が二位となったがね。何の意味もない二等賞だった」
「アリエルが、か。想像できないな」
『そりゃあ想像してるのがバレエじゃなくてバレーじゃな。いやまあ、今のアリエルちゃんだとスパイクかましてる方が似合ってるか』
ゼン、頭の中に疑問符が浮かぶ。同じ知識を共有しているはずのギゾーが察し、ゼンがこのざまなのは地頭が悪いと言うしかない。
「プリマの夢が砕け散った。そりゃあ彼女と違う団に入れば成れるとは思うが、でも、そんなプリマに何の意味がある? 一番じゃなきゃダメなんだ。少なくとも一番になれると思える世界でなければ成功などしない。私は、その瞬間、死んだ。敵に憧れてしまった。だからね、表彰式の後、声をかけた。どこの団に入るつもりなのか、師事している先生は、好きな演目、役柄、色々とまくし立てたよ」
シャーロットの眉間にしわが寄る。
「そうしたらあの女、誰? って言いやがった。い、一応、二位だったわけだ。それも、まあ、熾烈ではあったが、うん、そこそこ他を突き放した二位だったと思うよ。そりゃあ力の差はあったけどね。でも、誰? はひどいだろ!?」
「そ、それはひどいな」
『たぶんそれ、初対面で色々聞かれて面倒だったんじゃ』
「その時、傷ついた心が私をレッスンの鬼とした。基本何でも出来る私が全力で、ぶっ倒してやろうと本気の本気さ。で、次も負けた。その次も負けた」
『うわー、心折れそう』
「私の人生に彩が生まれた。嗚呼、楽しかったよ。挑戦に次ぐ挑戦、圧倒的な敵に挑み、敗れ、また立ち上がる。素晴らしい日々だった」
「『…………』」
こいつやべえ、ゼンとギゾーは同時に思った。
薄々勘付いていたが、この女ちょっとおかしい。
「だが、ある日、だ。プロになるためにそろそろ学校も考えないと、と思い彼女に問うた。どの学校に入るつもりなのか、と。そうしたら彼女は、バレエは家の習い事、プロになる気はない。私はミロワール家だから、ときた。信じられるか? 理解できるかい? 私は彼女に神を見た。それなのに、その神はいつか神をやめるし、家に引きこもって夫を支える貞淑な貴族の妻になるそうだ。反吐が出る」
それにしても本当につばを吐くことはないだろうに、とゼンは思った。当然口には出さない。ちょっと怖いなぁと思っていたから。
「最悪だ。もう、ね、バレエに対する情熱は消え去った。腹立ちまぎれに母の紹介でオーディションに参加して子役デビュー。いきなりデビュー作がギガヒット、世界中から愛されるスーパーヒロインの誕生、だ」
「ああ、みずきの言っていたやつか。俺も見たいんだが」
「……見たら殺す」
「……見ません」
沸騰していると思えばいきなり零度と化すテンションの高低。耳鳴りがするほどの高低差をジェットコースターもびっくりの速度行き来するのだ。
怖い以外の感想がない。ギゾーが黙っている時は本当にやばい時である。
「さすがの私も畑違いの映画の世界。勝手がわからず、不安だった。それで、ふと、思い出してしまったんだ。誰よりも輝く舞台上の彼女を。気づけば、彼女の真似をしていた自分がいた。それがスタッフに、監督に、世界中に、ウケた」
苦々しげに漏らすシャーロット。
「スーパーヒロインはあの女の真似でしかなかったのさ。それも出来の悪い、ね。何度見ても虚しさしかない。君には見られたくないね。それで褒められた日には死にたくなりそうだ。嗚呼、鬱だ、頭が痛いし胸が苦しい。病気かな?」
「安静にした方がいい。自分の部屋で」
「ふっ、心配してくれるのか。大丈夫さ、案ずることはないよ」
(案じているわけじゃないんだが)
あの映画を見た後、解散したゼンは部屋で武器の創造を訓練していた。より難しい意匠を、より素早く、より正確に、と集中していると――
シャーロットが当たり前のように部屋に入ってきた。
ノックもなしに。
そこからいきなり話し始め、今に至る。
実は自分の常識がおかしいんじゃないかと思うほど、彼女は当然の如くこの場に居座り、自らの部屋が如くふるまう。一向に帰る様子はない。
そもそも何の用で来たのかも未だわからないのである。
「とにかくあれを見るのはダメだ。まあ、この世界の私が同じ演技をしているかはわからないが、それでも嫌なものは嫌なのだ。理解したかね?」
根本的に理解できないが、たぶん言っても理解されないのでゼンは口をつぐむ。
『な、なあ、嬢ちゃん。ちなみに何の用だったんだ?』
耐えかねてギゾーが問う。
シャーロットはきょとんと首をかしげ――
「用がなければ来てはいけないのかね? 私だよ?」
一切の曇りなく疑問符を浮かべていた。戦慄するゼンとギゾー。
「い、いや、そんなことはない」
「ふふ、変な男だな、ゼンは。まあ、用がないわけではないよ。後学のためにね、君のことを聞こうと思ったのさ。謎の物体が現れた時、ロキのドッキリもそうだが、君はアストライアー上位陣であるシュウと遜色ない動きをしていた。経験なのか、それとも別の何かか、判断するためにまずは君を知ろうと思った」
「……大した話はないぞ」
「それを判断するのは私だ。君だけに聞くのはアンフェアだから、今、私は恥ずかしい気持ちを抑えつけ、君に私を教えたわけだ。この私の、恥ずべき過去まで、赤裸々に。ならば、君も話すべきだろう。すでに対価は払ったよ、私は」
「『…………』」
うっそだろこいつ、とゼンとギゾーは同時に思った。
唯我独尊、英雄の中でも結構やばい方であろう。ここまでの人物はゼンもとんと記憶になかった。オーケンフィールドでも、もう少し通じる。
シュウは悪ふざけでそう振舞うことはあれど、理解した上での悪乗りであるし、むしろ根は常識人の部類である。
だが、彼女は理解していない。本気でこれが等価交換だと思っているし、自分が押し売りしているという感覚も当然存在しない。
「さあ、話したまえ。存分に」
だから悪びれることはないし、そもそも自分のことを教えてあげた、良いことをしたな、まである。とてつもない未知を前にゼンは王クラスを前にしたような威圧感を覚えていた。あまり人をどうこう思わないゼンが苦手かもしれない、と考えている時点で相当の猛者である。凡人であるゼンとは噛み合わない。
「あー、ギゾー、代わりに」
「私は君の口から聞きたいのさ」
すっとゼンの左目の瞼を押さえつけるシャーロット。そのいたずらっぽい笑みを至近距離で見て、人間だった時の心がどくりと弾む。
『ま、いい薬かもな。劇薬だが』
ゼンが頭を抱えながら語り始めた。
〇
「ほー、自分のことを相手に教える、か。悪くないな」
「二人だけでずるいっす! 自分も参加するっす!」
シュウとみずきが仄かな甘みしかしない無味バーを抱えてゼンの部屋に現れた。
「……何故増える?」
「……ふむ」
心底状況が理解できないゼンと少し面白くなさそうなシャーロット。
しかしそんなことで止まるほど仕事明けのシュウと、接続がうまくいかず作業が煮詰まったみずきは甘くなかった。
「まずは自分っす!」
大獄の一角で混沌は加速する。
〇
「強い能力なのに、肝心の――」
黒い球体がバァル・ゼブルの顔を削り取る。顔の半分が消失した状態だが――
「――君が弱いんじゃ宝の持ち腐れだ。お嬢さん」
蠅の王は意に介すことなく嗤う。
ぶぅん、バァルの体が膨らみ、弾け飛ぶ。
ルキフグスは目で追うが、追い切れるのは精々百体が限度。しかし、バァルの体は千にも万にも分裂するし、そのすべてが雷速で移動する。
王クラス、六大魔王の知覚能力であれば決して追えない速さではないが、これだけの数がいるとそれは覆る。追い切れず、小さな雷を無数に浴びるルキフグス。能力は凄まじいが、基礎スペックは六大魔王最弱の彼女にとって、搦め手が多く如何様にでも応用が利くバァルは天敵とも言える。
「ぐぅ!? この、虫けらが!」
「無駄無駄」
黒い球体を避けるように体が蠢き、それは彼の体に当たることなく通り過ぎていく。どてっぱらに開いた風穴は彼が形成したもの、当然ダメージはない。
三日三晩の攻防。
六大魔王とはいえ互角というわけではないし、相性もある。
それに彼女は少し特別な六大魔王ゆえ、実力は間違いなく一枚落ちる。もちろん薄い一枚ではあるが、それでも長く戦えば嫌でも浮き彫りになってしまう。
だが、それでも彼女は魔界における六つの王。
そして王は――
「お待たせしました、姫様」
王自身が強くなくとも成り立つのだ。
「遅い! 殺すわよ、アスモデウス!」
初手で潰した最強の駒。そう、彼女も含めてルキフグス陣営最強がこの怪物、アスモデウスなのだ。第一世代でもトップクラスの武力を誇る存在。
真紅の巨躯。まるで熱された鉄のような色合い。通常は黒い肉体であるが、戦闘形態に移行すると彼はこうなる。そしてこうなってしまえば――
「そろそろおいたは終わりだ。雷坊主」
「さすがに回復するかァ」
天を焼くほどの爆炎。一瞬でバァルを、分厚い雲を、炎が飲み込んだ。
爆炎によって広範囲に散ったバァルは相当の痛手を負う。広範囲にバァルが苦手とする炎を撒ける以上、散開し続けるのは悪手以外の何物でもない。
ルキフグス陣営最強を前にして、バァルは体を集合させる。結集してなお基礎スペックではわずかに劣る。第一世代と第二世代の差。
だが、皮一枚。創意工夫でどうにでもなる。
「いかずちよ!」
「爆ぜろ」
魔界全土に激震が走る。
第三世代であるルキフグスが誕生するまで、六大魔王の一角であった『瞬滅』のアスモデウスと六大魔王でも若輩である『雷帝』が衝突する。
「少しは腕を上げたようだな。ベルの子よ」
「……さすがに、強い」
バァルの貌から、余裕が僅かに陰る。
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