第2章:かこがたり

「自分、長距離走ってるっす。この前、一万メートルの日本記録出したっす」

「普通に凄くてびっくりした」

「すごい」

「素晴らしいね」

「大学行くか実業団入るかで悩んでるんすけど、どっちにしろ自国開催のオリンピックまでには日本代表入りするつもりっすね。そこは最低ラインす」

「ほほー、じゃあ最高の目標は?」

「そこで世界一になることっすかね。それで両親や応援してくれてる近所の人たち、ちっこい町なんすけど、みんなが応援してくれてるんで、期待に応えたいんす」

 みずきの圧、のようなものが膨れ上がり、張り詰める。彼女にとってオタク趣味は遊び、走ることはすでに仕事、誇りであるのだろう。

 明らかに今までの抜けた空気感とは違った。

 世界一になること、それが彼女の目標であり到達点。それによって喜ばせたい人も明確に定義付けられている。

「正直、呼ばれたのは光栄なんすけど、本当のところはこんなことやってる場合じゃないんすよ。今はもっと走って、研ぎ澄まして、自分を高めなきゃいけない時期なんで。実績も積まなきゃ選手にもなれないっすし」

 少し申し訳なさそうに言うみずきにシュウは笑い飛ばす。

「みんな言わないだけで良くいるよ、そういうタイプ。この世界の人間を守りたい! なんて純粋に思ってるやつはいないんじゃないか? 縁もゆかりもないもんな。ゼンは罪悪感、俺はあっちでやりたかったことをやってるだけ。意外とアストライアー内でも人助けの優先順位が低い奴は多いさ。それを卑下することもない。こう言っちゃ元も子もないが、そもそも論としてこの世界の人間が欲張った結果が今の状況だ。シン・イヴリースが例え俺たちの世界出身だ、なんて言われてもお前らが欲張らなきゃ、そもそもそいつ現れなかったんだぜ、って話だろ? 頑張らなきゃいけない道理はないし、生きるため、戻るために戦うってのは至極当然だ」

「意外とシュウはドライなんだね」

「人によってやりたいことも優先順位も違う。それを差し置いて一応みんな同じ方向を向いてくれているだけでも、元の世界よりも幾分マシさ。良い奴らばっかりだよ、癖は強いが、それでも、人間捨てたもんじゃないって思える」

「そう言ってくださるとありがたいっす」

「でも、なんで狼に変身するんだろうな? 走るのが得意ってのはわかったが、それと狼、ネコ目イヌ科イヌ属ってのが全然結びつかねえ」

「確かに、持久力に優れているイメージはないね」

「あー、たぶん、ちっちゃい頃に犬の散歩してたからっす」

「……え、それで能力になるのか?」

「お互いチビの頃から散歩してたんすけど、まあ、馬鹿犬だったんでずっと走ってるんす。で、自分も馬鹿なんで一緒になって走ってて。過疎化が進んでる町で、比べる相手もいなかったんで、犬だけが勝負相手と言いますか。いやー、そのおかげで小学校に上がった頃には人間相手じゃ敵無しだったっす。あっはっは」

「なるほどなあ。そうしたら犬、結構いい歳じゃないのか?」

「昨年死んだっす。だからこそ、誰にも負けたくないんすよ。人間の中でくらい一等賞になっとかないと、ライバルに顔向けできないじゃないすか」

「……能力になるわけだ」

 幼いころから競い合ってきた好敵手であり、無二の親友。脳裏に焼き付いたそれが能力として発現したのだろう。成り立ちが違うオーケンフィールドを除けば、基本的に英雄の能力は人物固有の個性や逸話に結びついている傾向が多い。

 あくまで傾向なので一概に全てがそうと言うわけではないが。

「自分はこれで終わりっすね。お次はゼンさん!」

「俺はさっき話した」

「自分は聞いてないっすよ? まあ、良いっす。シャーロットさん!」

「私もすでに済み、だ」

「だから自分が聞いてないんすけど。ゼンさんはともかくシャーロットさんのは自分凄く興味があるっていうか、魔法学校にようこそについて――」

「絶対に言わない。口が裂けても、天地がひっくり返っても、言わない」

『残念だなみずきち、バッドコミュニケーションだ』

「自分、悔しいっす! じゃあ、シュウさん、おなしゃす」

「露骨に興味なさそうだな、おい」

「どうせあれっすよね。ヒーローショーのスーツアクターみたいな、そんな感じじゃないっすか? 本物と戦ってみたかった的な」

「いや、全然違うけど。まあ、おっさんの過去なんて聞いても仕方ないわな。そうしたら今日はこの辺で解散にしとくか」

「そうでもないよ。アストライアー六位がどんな人物か、知りたくないと言えば嘘になる。この任務に就くまで私の上長は七位だった。相性もあるが、私は彼にしばらく勝てるビジョンが湧かない。聞くに彼も大層な経歴の持ち主だったよ。ならば、その上である超正義の逸話は、傾聴に値すると思うがね」

「六位と七位なんて誤差誤差。過大評価だって」

「ちなみに七位から上は全員王クラスとの交戦経験がある。打倒したのは一位と五位だけだが、それ以外も皆、負けてはない」

 ゼンの捕捉にシャーロットとみずきは眼を見開いた。ここまで六大魔王も含めそれなりの魔族を見てきたが、プルートニオンでもちらほらいた王クラスはやはり別格に感じたのだ。それこそ感覚が麻痺しそうになるほどの圧があった。

 それと張り合う存在、それがアストライアーの上位陣。

「勝ち切れなかった時点で負けと一緒だよ。ったく、勤勉だねえ。王クラスだってピンキリ、俺が戦ったやつならニールでも少しはやり合えただろうし、基礎スペックが高いアンサールだと俺も少し分が悪い。大物狩りは『斬魔』辺りの仕事だ」

 少し分が悪い。そう、勝てないとは言わないのだ。

 実際に上位陣が一人でもいればあの場は大きく変わっていただろう。それが魔人クラスに何人か止められていた事実の方が信じ難いとされていたのだ。彼らにとって最悪の相性であり、最強格の魔人を当てられたわけだが。

「あー、まあ、別に黙ってることもないし、折角だから話すとするかね。まず、俺の職業は警察官だな。公僕ってやつだ」

「おー、言われるとそんな気がしてきたっす。いいっすねえおまわりさん」

「俺も派出所でお巡りさんが良かったなぁ。俺の師匠がまさにそれでさ、色々教えてもらったんだ。まあ、俺は、派出所勤務は出来なかったんだが。そっちの世界と同じかは知らないけど、師匠の勧めもあってキャリア採用だったからな」

「自分の世界と同じかは知らないっすけどめっちゃエリートじゃないすか」

「これこれ、世界一になろうという少女が何を言っていますか。世界一はナンバーワンでありオンリーワン。警察官のキャリアなんて毎年採用してんだから大したことはない。少なくともこの世界に呼ばれた奴の中じゃ平凡極まりないだろ」

『相棒はあれだな、何も言えねえな』

「俺は英雄採用じゃない」

『……ちょっとおもしれえじゃねえか、相棒のくせに』

 シュウは咳払いをする。

「まあ、あれだ。ちょっと今からつまんねえ話するぞ。能力に起因する、と思う話だが、おっさんの過去語りだからな。覚悟しろ。で、俺は昔から要領が良い。物覚えもな。大抵のスポーツはすぐに周りよりも出来るようになったし、ガキの時分はめちゃくちゃ天狗になってた。あとモテたな。めちゃくちゃモテた。バレンタインなんてよ、チョコの山が築かれていたもんだぜ」

「本当につまんないっすね。ちなみに自分ももらってたっす。女子から」

「あっはっは。それ日本の風習?」

「別世界でもあるんだな、バレンタイン。俺も小中と下駄箱に入ってたな。あて名は書いてなかったけど。未だに誰のかわからない」

「「「……え?」」」

 三者三様、驚くポイントは違えど、ゼンの発言に目を剥く。

「も、貰ってたのか?」

「ああ。誰のかわからなかったけどな」

「そ、そうか。怖いな。ちなみに、食べたの?」

「食べた。美味かった」

「そ、そうかぁ」

『他にも中学時代は二年次と三年次にとある女子から貰ってたぜ』

「今考えれば彼女は俺をからかっていただけだ」

『またまたー、一緒に勉強して同じ高校に行こうとしてたじゃない』

「彼女は優秀だった。どう転んでも俺とは釣り合わない。終わった話だ」

『んもー、本当のところ、は――』

 おしゃべりギゾー、横槍が如し零度の視線を浴びて沈黙する。何故か彼女の周りが沸騰し始めているように見えるのは気のせいだろうか。空気を冷やすと各ガス微妙に沸点は違うが、液化するのは知っての通り。

 丁度、その温度を保ち彼女は感情を表していた。

 冷たい沸騰、素晴らしい能力のコントロールである。無駄遣いとも言うが。

「あ、あー、話がそれたな。とにかく俺は調子に乗ってた。何でも出来るってのがまた、質が悪くてな。勉強も、出来た。正直、未だに出来ない奴の気持ちはわからない。師匠曰く、お前には一生分からないし気にする必要もないって言われたけどな。そんな秀一郎少年が中二病を併発すると、何故か半グレの親玉になっていたんだ。今思えば幼稚だが、出来過ぎてつまらないって斜に構えてたんだな。何でも出来る俺がこいつらと横並びでいる必要はない、と思いっきりレールの外に飛び出した」

「うわー、やんちゃ自慢っすか? 流行らないっすよ」

「馬鹿たれ。反省してるんだよ、こっちは。薬こそやらなかったが、まあ、色々やったわな。あの時が俺、一番金持ってたんじゃないのか? で、せっまいせっまい街のボス面してた時に、あの人に出会ったんだ。平塚 修造、俺の師匠に」

「なるほど、だからシュウさん呼びを嫌がってたのか」

「その通りだゼン。俺が、その人をシュウさんって呼んでたんだ。粋がってた俺をさ、思いっきりあの爺さんぶん投げやがってさ。喧嘩だって負けたことなかったんだぜ? それこそその辺の部活レベルなら無双だ。でも、負けた。しかも何で負けたのかもわからなかった。目が覚めたよ、一発で、ガツンと」

 シュウは思い出を噛み締める。

「つまらないと思っていた世界が一気に広がった。次の日には半グレのチームを解体してシュウさんのところに向かったね。もう一度勝負しろってさ」

 言いながらシュウは頭を撫でる。

「気づいたらまたぶん投げられてたよ。達人ってやつさ。警察官の中でも伝説級の人だったんだぜ。稽古場では警視総監すら頭が上がらないって噂もあった。警察官としても優秀でさ、色んな事件を解決してた。でも派出所勤務、現場から離れる気はないって昇進も断り続けて、ほんと、全部が全部格好良かったんだ」

「俺、知ってるかもしれん。前、ニュースで――」

『相棒、おい、その記憶、ガチ、か?』

 ゼンの顔色が一気に悪くなった。

「どうしたんだい、ゼン」

「いや、記憶違いだと思うんだが」

「言ってみ、ゼン」

 苦笑しながらシュウが促す。

「その警察官、確か、自殺、していた、気が」

「ああ。首吊りだ。第一発見者は、俺だ」

 ゼンは初めてシュウの本当の貌を見た気がした。凄まじい愛憎が入り混じり、今にも全てを破壊しつくしそうな衝動を、彼は普段律しているのだ。

 見えていなかった英雄の一面。

「シュウさんには本当に世話になった。柔道も教えてもらったし、剣道だって教えてもらった。一度も勝てなかったけど、シュウさんのアドバイスがなければ俺はここに呼ばれていない。シュウ坊、お前はスペシャリストにはなれないが、究極のジェネラリストにはなれる。色んなものを吸収しろ。それを正義に使えって」

 だからこそ彼は誰よりも多くの格闘技を修めたし、誰よりも広く勉学に勤しんだ。尊敬する人のアドバイスを愚直なまでに信じて。

「俺の能力はオーケンフィールドと同じもの、オドの活性化だ。出力からすると劣化版も良いところだが、俺個人の汎用性は誰にも負けない。履修したもんは全部達人一歩手前。カードは誰よりも持っている。それが俺の武器だ」

 汎用性こそが六位の真骨頂。

 未だ新人二人にその実力は見せていないが。

「その人は何故、自殺したんだい?」

 シュウはポリポリと頭をかく。

「シュウさんはずっとある事件を追っていた。当時は、一つの事件とすら認識されていなかった大量殺人の。あと一歩だった。シュウさんの残した手記を読んで、俺は悔やんだよ。俺だって、誰だって、そんなことないって、言ってた」

 徐々にその力が強まっていく。ガリガリ、と掻き毟るように。

「さすがにゼンでも知っているだろう?」

「……さすがにな」

「な、ゼンさんが知っているレベルっすか!?」

「それは大事件だね。いや、馬鹿にしているわけではないが」

「誇張抜きで世界史に刻まれたよ。日本の司法が、たった一人の男によって破壊されたんだからな。完全冤罪、それがその男が成した大量の完全犯罪だった。シュウさんが唯一捕まえられなかったホシ。大勢の人生を狂わせ、悲劇を、絶望を、日本中に振りまいた正真正銘の悪魔。あの男がシュウさんを殺したようなものだ」

「……完全犯罪と言うなら何故その手口が明らかになったんだい?」

「時効成立後に判明したんじゃないすか? 自分たちの世界だと殺人は時効適用外っすけど。シュウさんたちの世界は時効の対象、とか?」

「いや、殺人や凶悪犯罪は適用外だ。本当に似てるな、お互いの世界は。まあ、どちらにしろあの世までワッパかけに行くわけにもいかないだろ? 判明したのは、ホシが老衰で死んだあと、だ。そいつの死後、あるノートがネット上に公開されるよう仕掛けてやがった。そこに全部書かれていたのさ。犯行の詳細が。無関係で無実の人々をどうやって陥れたのか、事細かにな。もうとっくに死刑執行されてる人も大勢いた。その親族も悲惨さ、死刑囚の家族として石を投げられ続けた人ばかり。皆、人生めちゃくちゃ。それを誰よりも知っていたシュウさんが自責の念で自殺したのも、あながちおかしな話じゃない。世界中でニュースになったよ。それを単身追っていた、怪しいと踏んでいたシュウさんは頭のおかしな老害から一転、悲劇の英雄扱いだ。ほんと、酷過ぎて笑えてくるよな。犯行の動機は人の不幸は蜜の味、それを間近で見るために裁判官にまでなった、本物のクズだ。そりゃあ否認するよ。やってねえんだ。当たり前さ。どんな気持ちだったんだろうな、どんな気持ちで刑を執行されたんだろうな」

 想像を遥かに超える悪意を前に全員、押し黙る。

「シュウさんはあと一歩まで辿り着いていたが、もし、辿り着いていたとしても、おそらく上から揉み消されていただろう。真犯人は身内にいて、しかも半数近くは手遅れ。残りだって十年、二十年と人生を罵声の中、浪費させられた人々、だ。取返しなんてつくわけがない。皮肉にも奴が皆に絶望を与えるための種明かしが、ある意味で正義の鉄槌になったんだ。最悪の話だがな。もう二度と、こんなことが起きないように、風通しを良くするために俺はキャリアの道を選んだ。今は別の世界で少し休職中だけどな」

「なるほど、だから、超正義、か」

「まあ、な」

 少し複雑そうな表情のシュウ。

「結論としては元々天才だったから今も強いってことになるのかな?」

「馬鹿たれ。あの時、シュウさんに鼻っ柱をへし折ってもらってなければ、今頃は小器用な奴どまりだった。きっと、俺はあっち側で呼ばれてたんじゃねえかな? 人との出会いで心は変わる。心が変われば、人は変わる。変われるんだ。俺は、自分の実体験と、この世界で出会ったやつを見て、確信した」

 ちらりとゼンを見るシュウ。ゼンは首をかしげる。

「まだお前たちも出会ってないだけかもしれない。何か、思いもよらぬ出会いで、能力が飛躍することだってあるだろ。焦る必要はない。足を止めない限り、お前たちはきっと強くなる。俺にはわかるんだよ、おっさんだからな」

 彼女たちは可能性の宝庫。

 自分が手放した『もの』もまだ、彼女たちは握っているのだから。

「そう言えば随分モテていたみたいっすけど今はどうなんすか?」

「ふっ、仕事が恋人だったから」

「……うわぁ」

「三十代はセーフ!」

「アウト!」

「セーフ!」

 シュウとみずきの言い合いを見てゼンは微笑む。

 ゼンでも知っている大事件を間近で見ていた男。大事な人を失ってきっと彼は強くなったのだろう。そのおかげで今、この世界にアストライアーは存在する。

 ゼンとオーケンフィールド、ライブラの三人で勧誘に行った時、彼が仲間に入ったことで動き出したのだ。

 この世界の希望は。


     〇


「演算完了。獣共は予想通り躍ってくれるだろうが、人間は厄介だ。彼らが絡むと演算がブレ過ぎる。どうにかしたいが、なるほど、シン・イヴリースはケミストではあったがエンジニアではなかった、と。彼女ではこれが限界、か」

 それでも必要な未来は計算し尽くした。

 あとは所詮、些事。

「ロキを解体して完全な不老不死を模索する。それが私の望みだ。より多くの絶望を見つめるために、私には永劫が要る」

 魔王は嗤う。愉悦に満ちた歪んだ笑みを。

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