独白:荷物
誰かを背負う責任、それは自分が担ったことのない重さだった。
衣食住、そもそも住は用意できず目的地のない旅を続けるだけ。衣も魔族と化して五感が鈍くなった己ではアストレアに必要な装いがわからない。食は今までの戦闘経験から材料を集めるだけならば何とかなったが、調理、味付けに関しては、元々料理は母親任せの高校生であったため上手くいかなかった。
自分の味覚が人とかけ離れていることもこのタイミングで理解した。
それでも試行錯誤を重ね、繰り返すうちに少しずつマシにはなっていく。
彼女も心を少しずつ開いてくれて、会話も増えた。
欲しいもの、自分とのずれ、少しずつ埋めていく作業。人との会話は少女相手とは心地よく、悪い気分ではなかった。
だからこそ――
「ハァ、ハァ、ハァ」
呪いのように刻まれた悪夢が今を苛む。
何度あの瞬間を見ただろうか。彼女の父親を殺した。彼女の母親を殺した。彼女すら、殺そうとした。その前にきっと彼女の知人もたくさん殺している。
彼女の住んでいた村を焼いたのだ。
彼女から自分は全てを奪った。
「……すまない」
何度謝罪しても拭えぬ罪悪感。
彼女には言えない。言えるわけがない。今、依存せねばならぬ相手を憎むことになれば、彼女は本当の意味で居場所を失う。自分だけではない。
彼女を守るために自分は黙し続けて――
「言い訳だな。くく、本当に、俺は、どうしようもない奴だ」
彼女についてだけではない。少しぼうっとするだけで今までの罪が思考を犯していくのだ。お前はこんな悪いことをやった、と突き付けてくる。
「逃げたい。でも、どこに逃げればいい?」
この世界のことは何もわからない。末端だった自分には情報など与えられていなかった。戦い方だけはわかる。自分の特性も、わかる。自分一人だけならばおそらくどうとでもなるだろう。生き汚い種族なのだ。
だが、彼女を背負うとなれば話は別。
何度も見捨てようと思った。この重さに耐え切れないと思った。
それでも――
「ママ、パパ」
「…………」
逃げられなかった。
放り出すこともできず、命を背負い続ける日々。自分の舌は当てにならない。彼女の感想だけを頼りに料理も覚えた。簡単な、本当に簡素なものだけだが。
「おいしい」
「そうか、なら、よかった」
責任感と罪悪感が彼女を、アストレアを手放すという選択肢を捨てさせた。
それに、彼女を守っている間は、戦っている間は、何かをしている間は罪悪感を忘れることができたから。いいことをしている。
善行を積めばいつか許してもらえるのではないか、そう思った。
いや、そう願った。
でも、当然の如くそんな日は来なかった。
それどころか――
「ゼン。あそこ、煙が」
「……ああ」
その煙が生活のためなのか、それとも闘争によるものなのか、判別がつかないような生き方はしていない。あれは略奪の煙、凌辱の炎である。
「ゼン?」
子供の透き通った眼が胸に刺さる。
見捨てるのか、そう問われている気がした。彼女にそんな気はなくとも、自分はそう思ってしまう。そう思えてしまう。
どうしよう、問いかける視線から目をそらし――
「様子を見てくる。隠れていろ」
「いっしょがいい」
「危ないぞ」
「おんぶ」
「……そ、そうか」
少女を背負い、布できっちり自らの体に縛り付ける。
結局自分は逃げられない。一人だったらいくらでも逃げられるのに、少女を拾ったばっかりに常に八方ふさがり。重苦しい、誰か助けてほしい。
それを奪った己が思うのだ。
(本当に、どうしようもない生き物だ、俺)
少女の命を背負って走り出す。
何があっても背を向けるわけにはいかなくなった。
であれば逃げ道もまた、ない。
〇
町は死体で溢れていた。
自分たち末端からは生殖機能は失われているが、魔王の軍勢であっても種族によっては備えている。現にこの町もそういった痕が見受けられた。
「目を瞑っていろ、アストレア」
「うん」
武器は何でもいい。種族の特性によって何でも使えるし、何を使っても大差がない。剣でも槍でも弓でも、こん棒だろうが棒切れだろうがそこそこ使える。
それが唯一の強みなのだ、オークという種族の。
『なんだ?』
「邪魔だ」
同じ低位の種族であれば魔獣のままである彼らと魔人となった自分では己が勝る。凄まじく大きな差ではないが、容易く埋まるほどの差でもなかった。
結局ここでも殺す。
自分は彼らが元人間であることを知っている。魔獣である以上、人間であった頃の記憶もないだろうが、それでも彼らは自分と同じ世界に生きてきて、連れてこられ、魔族とされた被害者であるのだ。
それを知った上で、殺す。
「……地獄だな」
「ゼン?」
「ん、何でもない。しっかり目を瞑っていろ」
「だいじょうぶ?」
「ああ、問題ない」
ケダモノの群れ。彼らに理性はない。凶暴性と引き換えに彼らは慎重さを失っていた。末端であるゆえに自らを惜しむ心もない。
だからこそ、大半は経験を積む前に死ぬ。
自分はたまたま生き延びて戦いの経験を積んだ。惜しむことなく狂気に身をゆだねる強さもあるだろう。現に自分はそれで運良く生き延びた。
しかし、理性を取り戻して、背中に責任を背負って思う。
それは行き止まりでしかない、と。
「何も、問題はない!」
自分が死んではいけない。彼女が殺されてもいけない。自分だけではなくなって、自分すらも捨てていた頃の戦い方は捨てねばならないと思った。
勝って、生きる。
その上で守り切る。
今まで容易く踏み込めていた至近距離が急に怖くなった。刺さっても笑っていた矢が恐ろしく感じる。だからこそ、どうすべきかを考えていた。
考えて考えて考えて、馬鹿なのは承知の上で、それでも考えて――
『くそ、裏切り者がぁ!』
『こんな世界なら死んだ方がマシだ。羨ましいよ、何も知らないってのは』
殺す。武器さえあればどのレンジも対応できる。強みはこれだけ。
これだけを駆使して勝つ方法をひねり出す。
「誰か、助けてください!」
「ゼン、あっちから声が」
「ああ、聞こえている」
勝てる。勝てない相手からは逃げればいい。二人ならそれも容易い。
戦って、勝って、生き残って、少しだけ自信がついた。
彼女なら、彼女だけならば――
「私は構いません。だから、この子たちだけは!」
彼女だけならば、今の自分でも守り切れると、思ったのだ。
「……っ、ぐ、ゥ」
一瞬、その光景を見て慄いた自分がいた。
自警団は死に絶え、ただ一人教会の前で立つ少女。魔術を駆使して戦っているが、どう見てもじり貧である。
その後ろには何人かのアストレアと同世代の少年少女たち。
まだあちらは気づいていない。逃げても、きっと分からない。
あんな大勢を背負うのは不可能だと思った。
今度こそ逃げようと、そう、思ったはずなのに――
「退けェ!」
足が勝手に前へ進んでしまった。
「あ」
囲みを切り払い、殺して殺して、彼女たちの前にたどり着く。
「この子を頼む。あとは、俺がやる」
「貴方は、その眼、どうして」
彼女はきっと知っていたのだろう。自分の紅い眼がどういう意味を持つのかを。そんな自分が魔族と戦うことの不可思議さを。
「逃げるに逃げられなくなった。それだけだ」
迷いを振り切るように声を振り絞って叫んだ。
上手く戦えば問題なく勝てる相手。自分と同じ最下級のオーク種の部隊。彼らの戦い方は心得ていた。やり口を熟知し、それを逆手に取れば多勢とはいえ魔人と魔獣、スペック差で押し切れる。それが位階の差である。
戦って、勝った。だが、その後が問題だった。
またも増えた荷物。一人でも重かった他人が、今度は何人も増えたのだ。
申し訳なさそうに、それでも彼女は頭を下げた。
自分しかいないのだと。ある場所にさえ辿り着けばこの子たち全員を何とかできるあてがある、と。ゴールのない道に終わりが見えたことだけが唯一の救い。
その日から狩るべき量が爆発的に増えた。
その代わり料理はあの中では年長者であった少女がやってくれた。
少し進んで、獲物を狩り、食べて、また少し進む。
悲劇に出会う度に道連れが増えた。重圧が増していく日々。逃げ出したい欲望に幾度駆られただろう。それでも彼らのか弱さを知っているからそれが出来ない。
「ゼン様、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
そう言うしかなかった。彼女は年長者だが、せいぜいがこの世界に来る前の自分と同じ年齢であろう。まだまだ若い。自分よりもか弱い。
ならばやはり、自分が担うべき。
いっぱいいっぱい、破裂寸前の風船のようなもの。無理やり立ち上がった。無理やり前へ進んだ。その余裕のなさが子供たちにも伝わったのだろう。
「ゼン」
「なんだ?」
「僕らは新入りだし、その、じゃまなら、言って」
小さな子供たちに気を使わせてしまった。それを恥じるよりも先に、子供たちの様子が瞳に焼き付く。震えながら、それでも弱い自分を気遣って――
「行く当てはあるのか?」
「それは、ないけど、でも――」
「なら、ここにいろ。俺は弱いが、そうだな、お前たちが自分の足で立てるようになるまでは、一緒にいるさ。お前たちが望むならば、だが」
わんわん泣く子供。いつの間にか子供をあやす立場になった。自分はまだ高校生の、子供のつもりなのに、世界はそう在ってはくれない。
抱きしめて、改めて思う脆弱さ。
こんな世界で生きていくにはあまりにも脆く儚い。
「ゼン!」
他の子どもたちも飛びついてくる。首に、背中に、腕に、足に、しがみ付いて大泣きし始めた。皆限界を察していた。自分の弱さを感付いていた。
いつか捨てられるのではないかと怯えていたのだ。
「大人気ですね!」
「どんな顔をすればいいのかわからない」
「ふふ、変なゼン様」
嗚呼、正しくはどんな顔をしているのかがわからない、だ。
いつか彼らに伝えねばならない。
自分は彼らに愛される存在ではなく唾棄すべき悪であったのだと。薄汚い自己保身のために偽善者ぶっているだけの殺人者でしかないのだと。
いつか伝えよう。
彼らが自分の足で立てるようになったら――
破裂の日は突如やってきた。
最下級の種族、いかに魔人とはいえ強い魔獣クラスと当たれば負けるのは道理。
それが己の種族としての限界。
『何故人の味方をする?』
通りすがりにすれ違っただけの商隊。守るべき理由などなかった。それでも見捨てる選択肢を持てない弱さが、破裂を呼んだ。
「ゼン様! 逃げましょう!」
少女の声が耳朶を打つ。子供たちの泣き声が耳に届く。
『その方が楽だからだ』
俺はきっと嗤ったのだろう。敵は自分よりも強い。分厚い外皮は自分の持っている武器では通らない。勝てる道理はなかった。勝てる気もしない。
自分が死ねば子供たちも死ぬ。
彼女の示した目的地に届く前に全滅。すべての終わり。
それはある意味で自分が望んでいた幕引きだったのかもしれない。
「皆、逃げろ!」
肩の荷が下りる。終わりを目前にして、軽くなったその身で思うのは――
『命乞いをすれば許してやる。俺は子供が喰えればそれでいい』
見透かされたような眼。敵にすら見抜かれる弱さ。
一蹴され、足蹴にされて、死を目前にして――生きたいと思った。死にたくないと思った。やはり俺はそれほど強くない。中身は弱いまま。
そんな醜い自分を嘲笑いながら、今から命乞いでもしようかと考えを巡らせていた。愚かで醜く、どこまでいっても弱いまま。
「ゼン!」
アストレア。
嗚呼、彼女の眼に自分の姿があった。這いつくばり、今にも砕け散りそうな弱い己。その奥には奪い続けた、考えることをせず、気づこうともしなかった略奪者、殺人鬼の姿があった。眼が罪を映す。
逃げられない、そう思った瞬間――
「ゥ、ォォォォオオオオッ!」
俺は自分を諦めた。
『旨そうな子供だ』
『テメエなんぞに喰わせるかボケ!』
クソみたいな強がりを吐きながら、俺は自分よりも強い種族に向かい合った。相手の足を退けるだけで傷を負う有り様。
足掻いた。足掻きに足掻いた。手足がきっちり片方ずつ折れて、それでもなお牙を剥いて噛みついた。それだけやってせいぜいが一矢。
矢の一本で倒れるほど魔族は甘くない。
『あーあ、お仲間を殺すなんて気が引けるぜ。弱いのに、頭も悪いんだな』
今度こそボロ雑巾のように倒れ伏す俺を見て、そいつは哀れなものを見る眼で語りかけてくる。お前が勝てるわけないだろ、と敵の眼が雄弁に語る。
俺もそう思った。
それでも体は勝手に動いたし、何なら口も勝手に言葉を紡いだ。
死ぬ。だからどうした。
『悪いな。馬鹿だからこうなった。でも、それってテメエも同じだろ? クズだから俺たちはここにいるんじゃねえか、なあ、オナカマ』
『そーか、じゃあ、死――』
敵が、爆散した。
衝撃で俺は血まみれになったが、それをした当の本人は衝撃波が吹き飛ばしたのか血の一滴すら付着せず自らが形成したクレーターの中より現れた。
突然の襲来、初対面なのに、一目で理解させられた。
長身痩躯、金髪碧眼の美丈夫。スクリーンから出てきたかのような甘いマスクを申し訳なさそうに崩しながら歩いてくる。
己にとって完璧なヒーロー像がそこに在った。
「やあ、すまない。少し前から見ていたんだが、なかなか興味深い状況でね。ついつい引き延ばしてしまった。だから、すまない、だ」
男が血まみれで腰を抜かす俺に手を差し伸べてくる。
「突然なんだけど俺と世界を救わないか?」
「は?」
これが俺と本物のヒーローの出会い。
ここから俺の物語は凄まじく加速する。
世界に選ばれた正義の味方と魔王に選別されたクズ、本来交わるはずのない二つが重なり、どうなるのかは何もわからない。
ただ一つ、わかるのは彼が本物で自分が『偽物』だということ。
ならば、きっと自分はどこまでいっても、どれだけ救っても偽善者でしかないのだろう。動機が不純すぎる。罪悪感を片時、忘れたいから、ただそれだけ。
ただそれだけが始まり、それが俺の物語である。
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