独白:罪
たくさん殺した。
最初は小さな村を襲った。
俺たち下級の魔族は存在が軽いため、小さな『ゲート』からでも出入りできる。大した抵抗も無く老若男女構わず殺し尽くした。戦いの高揚感、奪うことへの愉悦、醜悪な獣である俺たちはそれらに抗おうとすらしない。
命令されるがままに赴き、気の向くままに殺した。
獣である自分たちに自我と呼べるものはほとんどない。ただ、快感と欲望、邪悪な生き物であるからそうする。それだけのこと。
人間は殺すもので、喰らうものでしかない。老人はまずい。成人した男性も硬くて美味しくない。女は美味い方、子供はもっと美味い。女の子供は――嗚呼、本当に度し難い生き物であった。『今』だって生き物として変化したわけではない。
喰えば同じ感想を得る。それがこの上なく嫌になる。自分自身の存在に反吐が出る。
時には戦場にも赴いた。
ここは俺たちに限らず、誰にとっても地獄であった。この世界の人間、訓練した戦士は普通に俺たちと渡り合うし、『騎士』や『魔術師』などはもっと上位の連中とも戦える。つまり、此処ではオークなどただの雑兵、漫画的に言えば、モブでしかなかった。
『ギィ! 逃げろ、騎士が来――』
同僚の首が飛んだ。力比べでも、人間殺し競争でも、同じくらいの実力だった奴が『騎士』の進行方向にほんの僅か、近かったがために死ぬ。
魔術が飛んできても死ぬ。
魔力で強化された矢は固い外皮を持つ魔獣をも射殺す。そんなもの持ち合わせていない俺たちオークは当然、それを防ぐ手立てなど持ち合わせない。精々、急所以外に当たりますようにと祈る程度。まあ、魔族は祈らないし、戦闘中にそんなこと考えている魔族はいない。死を恐れるほど高尚に造られていないのだ。特に俺たちのような劣等種は。
それでも俺は運良く生き延びた。何かに秀でていたわけじゃない。たまたま、本当にたまたま生き延びただけ。その間に殺しの経験を積んで、戦場での立ち回りを覚え、生き汚くなった。運良く生き抜いた結果、より多くの犠牲が生まれることになったが。
さっさと死んでいればよかったと切に思う。そう思いながら、死を選択できないのが俺の弱さ。死を求めるふりをして、自死する勇気も無いクズ。
そう、中には自死した者もいた。
『ギィ、最近、夢を見るんだ。何か、とても幸せだった夢を』
『そりゃあ昨日あんなぷにっとしたちびちゃんを喰ったからだろ? 俺が狙ってたのに』
『……ああ、そうだね。たぶん、それが、原因だ』
何かの拍子で人であった頃の記憶が戻るケース。
グゥ、そう呼ばれていたオークがある朝、首を吊って死んでいた。化け物らしからぬ死に方で、地面に遺言を残して、まるで人のように死んだ。砕け散る前にそれを俺は見た。
俺たちはそれを笑って馬鹿にした。
その日の昼には誰もグゥなんてやつ覚えていない。明日には別の新入りにでもグゥって名前が付けられていたかもしれない。本当に思い出せないのだ。自分たちにとっても死は近過ぎて、誰かが死んだ程度の事、気にする奴なんていなかった。
そうして半年、一年と過ぎた頃には――
『隊長が騎士に殺されたって。次は誰だ?』
『ギィじゃね? あいつ一年以上生き延びてるぞ』
『マジで? じゃあギィで良いじゃん。つーか、隊長の名前何だっけ?』
ちょっとしたオークの群れを率いるリーダーに成っていた。ただ、長く生きただけ。それだけでも希少だった。それほどオークはすぐに死ぬ。すぐ殺されてしまう。
無駄に名が売れたのもその頃――
「ふざ、けんなァ。人間の癖に、よくも――」
魔人と騎士の激闘。その果てに生き延びた騎士。魔人を下したものの、相当消耗した様子で、今なら俺でも勝てる、そう思った瞬間には飛び掛かっていた。必死の抵抗にあいながらも遮二無二相手を刺し殺し、代償に左目を潰されたが、騎士殺しに成功。
隻眼のオークなどと揶揄されながら、戦いと略奪の日々を重ねる。
○
二年が経ったくらいか。もはや正確な日にちを知る術はないけれど、それくらいの時、俺もグゥのように夢を見た。見たことも聞いたことも無い世界で、母親と父親、弟に囲まれて手料理に舌鼓を打つ景色。あの頃はそんなもの、何の価値も無いと思っていたのに。
『どうしたギィ隊長?』
『何でもない。今日はあそこの村だな』
『ギャハ、この前の大侵攻のおかげで出来た新しいゲート様様だぜ。美味そうな匂いがそこかしこから立ち上ってきやがる。おっと、涎が』
『……ああ、そうだな』
『隊長テンションおかしくね?』
『だからって美味そうなガキを奪うなよ新人。あいつ昔自分が狙ってたガキを横取りした部下を喰っちまってるからな』
『マジか。気を付けよっと。ってか俺、結構老人系いける口なんで』
『そっちのがマジかって感じだぜ。イカレてんな』
いつもと変わらない風景。いつもと変わらない味。
「助けて!」「死にたくない!」「誰か!」
殺して、奪って、喰って、いつもは狂気する光景に、心が動かなかった。舌にこびりついた何かの残滓が、拭えない。人の肉でかき消そうとしても、消えない。
「娘には指一本触れさせんぞ化け物ッ!」
『煩い』
殺しても消えない。あんなに楽しかったはずなのに。
「こわいよ、ママ」
「大丈夫よアストレア。きっと正義の味方が助けてくれるから。貴女の名前は、別の世界の、正義の女神さまから頂いた名前なのよ。だから、きっと――」
立ちはだかる母親と思しき女性。その眼はとても強い色を映していた。
その眼に気圧されたのかもしれない。くらりと、立ちくらんだ瞬間、またも夢の欠片が頭に浮かぶ。母子の会話、どこかで、似たようなことが――
『お母さん、どうして僕は善って名前なの?』
『それはね、善が皆に善いことを、正しい行いをして、たくさんの人に信頼されて、幸せな人生を送れますようにって、パパとママが願ったからよ』
『……わかんない』
『いつか、分かる日が来るわ』
頭が痛い。ガンガン、鳴り響く。きっと目の前の『これ』が邪魔なのだとこの時の俺は思った。耐えられなかったんだ。父母の願いとは真逆に突き進み、人から奪うだけの獣と化した自分、その姿に。だから俺は――またも奪う。
「マ、マ」
少女は母の死を前に心が砕けた。呆然とする瞳に映るは獣が姿。醜悪な、自らが映っている。父と母の願いと対極の怪物。獣の姿を見て、俺は、とうとう、逃げ切れなくなった。
「あああああああアアアアアアアアアア亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜ッ!」
魔族に生まれ変わって最大の咆哮。
醜悪なる獣たちが集まってくる。
『なんだなんだ?』
『あれ、ギィか?』
『マジか、すげえ! 魔人に成ってる!』
何かの拍子で人であった頃の記憶が戻るケース。俺の場合は、魔人化であった。
『お、すげー旨そうな娘だな』
『俺にも腕一本分けてくださいよ』
続々と集まってくる化け物たち。そのギラギラした眼は、心砕けたはずの少女に再度怖れを抱かせるには充分な光景であっただろう。ぶるぶると震え、必死にしがみつく少女。よりにもよって少女は、両親の仇である俺に助けを求めていた。
「たすけてください」
死にたくないとその眼は言っていた。その眼に映る自分の姿を見て、葛城 善であったモノ、ギィであったモノは、積み重ねてきた罪の重さと少女の願いに圧し潰されそうになる。逃げ場はない。膨大な罪悪感が濁流のように正常な思考を塗り潰していく。
「……すまない」
ゼンは振り返った。背には少女、前には多数の同胞たち。正常であればそうなことはしない。自分はどこまで行っても彼らと同じ種族で、化け物なのだ。
それでも俺はこの時選択した。逃げてやる、と。
『やめろ、隊長!』
『正気か!?』
『ふざ、マジで、やめ――』
殺した。殺し尽くした。雪のように舞う欠片。俺たちはこの世界に残滓すら残さない。死ぬ時は砕け、光に成り、消える。俺はこの時、全員をそうした。半分は肉塊と化す。消えるのは俺たちのような異世界から来たヒト交じりだけ。
「…………」
「…………」
全てが終わった後、俺は少女と一緒に、自分が殺した者たちの墓を作った。少女は記憶が混濁しているのか、魔人の俺と魔獣であった頃の俺を別の存在だと認識しており、彼女の中では『今』も自分は救世主のまま。いつか伝えねばとは思っている。
彼女が自分の足で立てるようになったら――
そうして選択させるのだ。好きな選択を。例え俺が死ぬことに成っても。
「……来るか?」
無言で頷く少女を見て、疼くは極大の罪悪感。彼女の存在が罰なのだ。自分が犯した罪に対する罰。甘んじて受けよう。それが因果応報、世界はそうあるべき。
少女と共に自分が燃やした村を出る。それが俺の始まり。
『今』の俺へと続く物語。その序章。
これは正義の味方の物語ではない。これは咎人の物語である。血にまみれた手で、罪悪感を癒すためだけに戦うのだ。ならばそこに正義はない。
エゴイズムの極致、自己愛の到達点――
これは偽善者の物語である。
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