第1章:絶望――

「自殺者が後を絶たない。ティラナは死んだも同然だ」

 ティラナの王は憔悴しきった様子であったが、それでも民の前では強い言葉を投げかけ、必死に生きる気力を奮い立たせていた。それは苦しみを長引かせるだけかもしれない。未だ増援が来ない絶望を押し付けているだけかもしれない。

「だがな、生きている者がいる限り、余は、我らは倒れんぞ」

 絶望の淵にあって人の本性はさらけ出される。強い王であった。強い騎士たちであった。強い国であった。だからこそ、何とかしたいと英雄たちは思う。

「増援に来てくださったジャミルさんが息を引き取りました。これで、五人目です」

 サラは片腕でも出来る仕事を必死にこなす。伝令も、その一つであった。そしてそれによって彼らは英雄の死を、絶望の足音が近づいてくるのを、知る。

 その上で――

「陛下! 大変です! 見習いの召喚士たちが」

「……なんじゃと」

 絶望は連鎖し、加速する。


 ティラナの王はひざを折り、力なくうな垂れた。召喚陣の前で死に絶える年若い少年少女たち。親、もしくは親族か、騎士や貴族らの必死の叫びも届かずに、彼らは死んでいた。

「……英雄召喚をしようとしたのでしょう。自分たちに出来ることは、これしかないと。有志で集い、覚悟と共に散った。難しいのです、英雄召喚は。とても、とても難しく、未熟なものがしても、まず成功しない。そして、命だけが取られる」

 そう言って涙を流す大臣職に就く貴族の男。彼の娘もまた、あの中にいた。

 王が可愛がっていた末っ子の王女も――

「誰か、希望をくれ。何でもいい。余が、余が死んで、救われるのならば、いくらでもこの命、差し出そう。だから、頼む。神よ、どうか、お慈悲を」

 誰も悪い者などいない。この場の全員が明日を願い、希望を求めているだけ。それなのに神は何も与えない。奇跡の一つすら、この場に残してくれなかった。

「明日に差し障ります。英雄諸君、今宵は、お休みください。あとは、戦えぬ私たちが何とか致しますゆえ。力を蓄え、どうか、どうか、ティラナを、お救いください」

 英雄たちは己が無力を噛み締める。血が滲むほど、何も出来ぬ己の弱さが、憎い。


     ○


 アンサールと剣を交えるのは新人英雄アリエルであった。明らかな挑発行為、魔獣化して反射してみろと、誘った上での構図。だが、此処にいる全員にとって願ったりかなったりの状況でもある。彼女をどこでぶつけるか、ロン・ヴェールを喪失した以上、王クラスにダメージを通せる可能性は彼女に絞られた。

「ぐ、ぐァァァァァアアア!」

「いいぞいいぞ。思ったよりもずっと持つ。良い能力だ。この戦の中でも成長したのだろう。素晴らしい、とても素晴らしい」

 爆発的に増大するアンサールの力。相手の反射ごと圧し潰す勢い。アリエルの気合が迸る。ここで勝てなきゃ、勝ち目はない。ここでやらなきゃ自分がここにいる意味がない。ここまで温存されてきた、意味が――ない。

「何が素晴らしいって、今ならば、容易く可能性を摘むことができる、と言うことだな」

 切っ先に集中させた能力が、剣ごと圧し潰されて――

「わた、しはァ!」

 諦めない。その眼はただ真っ直ぐに王を射抜く。

「……飽きた。さっさと、折れろ」

 ぐしゃり、剣が潰れ、その破壊にアリエルも巻き込まれ――

「させんよ!」

 ニールが済んでのところで足元の土を操作、アリエルを救出した。だが、アンサールの攻撃は当然、止まることはなく破壊の衝撃はティラナを貫いた。また、何百人も、死んだ。

「あーあ、哀しいなあ。英雄が避けるから無辜の民が死んでしまったァ。アーメン」

「貴様が、神を」

「おいおい勝手に不信心だと決めつけるな。宗教は良いぞォ。金になる。しかも弱者から搾り取った金だ。最高だろう? それを裏で回し、兵器を買って神を信ずる素晴らしくも哀れな連中を吹き飛ばす。俺に娯楽を提供してくれるのだ。ゆえに俺は、神を愛す」

「……外道が」

「さてな。勝手に俺のルールを無視して、ルールを押し付けられる身にもなれ。汝、隣人を愛せよ。何故誰も疑問に思わん? 対価は? 俺に何の得がある? 誰も答えられまい。くだらん。俺ならこうする。汝、隣人から奪え、と。それが弱肉強食、奪った方が正義、それこそが道理、だ。シンプルで分かりやすい」

 この男には確固たる理屈があった。ゆえに揺らがない。どんな言葉を投げかけても不変。信じているのだ、自分こそが正しいと。世の中こそが間違っていると。奪い続けたものが強者で、勝った者が正義なのだと。

 だからこそ――この怪物は王として再誕した。

「真理は一つ、奪った方が勝者、だ」

 アンサールは空に浮かぶ。翼をはためかせ、ティラナの民を見つめる。熟成された絶望があった。英雄たちを殺し、主要な騎士どもを殺せば、あとは魔獣たちでぐちゃぐちゃにするのも一興。一応、オークの裏切り者を警戒していたが、この局面でも姿を見せない以上、おそらく逃げたのだろう。ならば、やはり気をもむ必要はない。

「絶望せよ! 俺こそが王だ! このアンサール・アリ・シャッビーハが! 慄け、そして理解せよ! 貴様らは俺に奪われるために生まれ、奪われて死ぬ。哀れなるものたちよ、全てを諦め、そして、無様に乞うが良い、許しを。さすれば、俺も悪魔ではない。救いの一つや二つ、くれてやらんこともないぞォ」

 ティラナの民は顔を上げる。目の前に垂らされた蜘蛛の糸。

「先着順だァ。そこの公園に集え。そうさなァ、百名、百名限定で、救ってやる」

 それは――

「……いかんぞ」

 民を暴走させた。魔王が垂らした蜘蛛の糸、それを必死で掴まんと人々が魔王が指した公園に向かう。その醜さ、その強さは、生への執着。イチジョーは乾いた笑みを浮かべる。この先なんてわかり切っている。それでも、人は、その糸に縋ってしまう。

 それが絶望。それが――人の性質。

「止まってください! 罠です! あの魔王が人を救うはずありません! 止まって、お願い! お願いします!」

 必死で止めようとするサラを押しのけ、必死に生きようとする者たちは公園を目指す。手を伸ばしても、彼らには届かない。必死で声を張っても、やはり、届かない。

「ひい、ふう、みい、嗚呼、良いなあ」

 それらの貌を見てアンサールは恍惚の笑みを浮かべていた。生きるために仕方なく、彼らは人を押しのけ、弱者を切り捨て、子供を蹴飛ばし、我こそは、我こそはと救いを目指す。本性が其処にあった。建前を消し飛ばした、本当の姿。

「丁度、百。さあ、我を称えよ。貴様らを救うは誰ぞ!」

「アンサール様!」

 その場所を奪い取った者たち。我こそはと集いし、人間たち。

「エクセレント。よく出来ました。ハナマルをあげましょう!」

 ずどん、一瞬で、公園が消し飛んだ。救いを求め、救われると安堵した愚か者ごと、大地が消し飛ぶ。底が見えぬほどの、大穴。魔力の奔流にのまれ、全てが消し飛んだ。

「……許せない」

 サラは、この光景を生み出した根源を睨む。何も出来ぬ。そんなことわかっている。自分の武器は、もうない。それでも、それでも、こんなのあんまりだ。

 ただただ、許せない。

 ずん、その重さ、一瞬、彼女が放った重さに、アンサールは目を向ける。自分に危害を加えられるほどではない。それでも、一瞬だけ、ほんの刹那だけ、自分を除くこの場全員よりも、その娘に重さを感じた。

「消しておくか」

 鎧袖一触。自らに届く前に杞憂は払う。王は慎重で、冷徹なのだ。

「私は、貴方を、許さない!」

 アンサールの指に力が込められる。開放するだけで、あの娘は死ぬ。

「良い声だァ。来世で会お――」

 サラの知覚よりも遥かに速い速度で、オドは打ち出された。本来であれば、彼女は知覚する前に死んでいたはずである。だが、攻撃は彼女より少し離れたところに落ちる。無人の、家屋に。あの怪物がそんなミスをするだろうか。

 民は皆、絶望の中で与えられた希望を掴まんと奔走し、それが断たれたことを知って、俯いていた。希望はない。どこにもない。救いは、ないのだと。

 ニールも、アリエルも、他の英雄たちも、騎士たちも、全員、俯いていた。

 だから気づかない。

「……はは、マジかあいつ。やりやがった」

 敵方であるイチジョーは見ていた。あの魔王が茫然と、視線を向けている先で、世界が叫び声をあげている様を。崩壊の衝撃で大地がめくれ、上に造っていた砦が崩壊し、重力に逆らいゆったりと上昇していく様を、見ていた。

 それは――

「イチジョー!」

 アンサールと言う王のみならず、世界中に突如湧いた魔族たちにとっても衝撃の光景であった。あの崩壊が起きている場所、そこは、彼らにとって最大の要衝。秘した最重要地点。大陸の南側にしかないはずの、王クラスすら出入りできる『ゲート』。

「大のために小を切り捨てる。英雄様らしいぜ、葛城」

 イチジョーは嗤う。自分のもたらした情報で、世界が引っ繰り返ったのだ。

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