第1章:王の盟約

 もしかすると――と希望が芽生えていた。この情報を持ち帰ってライブラやニールの知恵を借り、逆転の一手を模索する。そんな夢想が、あった。

 だが――

『相棒。無視は出来ねえ、わかってるよな? これは、絶対だ』

 目の前には朱色の紋様が浮かぶ。こちらへ来いと誘っているかのように。

「……だが」

『盟約だぞ! 奴とお前の関係は主従だ。拒否権はない。祈ろうが、請おうが、あの怪物が望めばお前は何だったしなきゃいけない。しないと、死ぬんだ。断る意味がねえ』

「わかっている。わかって――」

 紋様が薄くなる。消えたなら、それで本当の終わり。

『それに、これはチャンスだ。あいつから拾った情報はデカい。でも、逆転に繋げるには遠過ぎるのも事実だ。おそらく、あっち方面の穴はとうに解除してるだろう。あの魔術は固定し続けるだけでオドを食うオド喰い虫だからな。穴は使えない。手がねえんだ、現状。でもよ、『ここ』を乗り切れば、相棒、飛べるぜ』

 ゼンはハッとする。決して、状況は良くない。最悪にも近い。それでも、やり方次第で反転させることは、出来るかもしれない。尋常ならざる道。それでも、それしかないのなら、やるだけ。今までもそうしてきた。

『時間ねえぞ!』

「頼む、察してくれよ!」

 ゼンは手の甲に触れ、必要事項のみを伝達する。きっと彼女ならこれだけで理解してくれる。あとは、信じるしかない。こればかりは、背伸びした結果の対価だけは、仕方がないのだ。こうしなければゼンは舞台に立つことすら出来なかったのだから。

 紋様が消える瞬間、ゼンはそこを潜った。そして、この世界からゼンという男が消える。


     ○


 ティラナ王国は限界だった。すでに主要都市はすべて崩壊し、ロディニアでも有数の面積を誇る国家が、完膚なきまでに蹂躙されてしまったのだから。もはや救いはない。各国からわずかばかりの救援、騎士たちが派遣されてきたが――

「なんと、少ない。これで一体、あの怪物にどう立ち向かえと申すのか」

 ティラナの王はがくりと力なくうな垂れる。そしてもう一つの陣営、アストライアーでも異変が起きていた。何とか、会議に出てきたサラを追い打ちするような情報。

「昨夜、ゼンが消えた。盟約、必ず戻る、時間を稼げ、希望はある、とだけ残して」

「何よ、それ。夜出かけたのは、逃げるためってこと? ふざけんじゃないわよ!」

「違う! 仕方ないんだ。先に説明しておくべきだった。つい最近、君たちと会う前だった。スケルトンの魔人と交戦した後、招集されていたから、まだ先だと思っていたんだ。最悪のタイミングだけどね。本当に、悪魔的、だ」

 ライブラでさえ参っている。理解すれど、納得は出来ない。運が悪すぎる、と言うよりも図ったかのようなタイミング。ならば、そこに意思が介在していないと誰が言えよう。

「あの、どういう意味なんですか? その、盟約って」

 病み上がりのサラは、気落ちしつつも何とか冷静さを握り締めていた。ほんの少しでも緩めば、きっと、もう二度と立ち上がれない気がする。震える足を、隠しながら。

「偽造神眼を手に入れるために、ある怪物と交わした王の盟約、だ。対価があったと言っただろ? まだ、払い終わってないのさ。その怪物が乞うならば、ゼンはすべてを断れない。それが対価だ。怪物に忠誠を誓う代わりにギゾーを得た。七つ牙もその怪物が貯蔵する宝物庫にあったからね。避けては通れなかったんだよ」

 ライブラは自らの甘さを痛感する。こう成ることは予想できた。いつものスパンを考えたなら、さすがにこのタイミングは異常であり、内情を知っていたとしても彼女を責めるのは酷であろうが。それでも、事前の周知で気構えだけは出来たはず。

 それを彼女もゼンも怠った。

「血色の紋様が浮かべば最後、潜って怪物の『おつかい』をクリアしないと、ゼンは生きて帰ってこれない。最悪、さ。たぶん、間に合わない」

「それほど厳しいものなんですか? その『おつかい』とやらは」

 ニールの問い。さしもの男も動揺は隠せないのか、少しメガネがずれていた。

「そりゃ厳しいさ。何せ相手は魔界の王クラス、収集王レウニール。わかるだろ? 今、ゼンは魔界に召喚されている。任務も、魔界。敵は、本拠地での魔族。地上で戦うシンの軍勢とも違う。本当の戦闘種族だ。どんな任務か、話せない盟約だから聞いたことはないけれど、彼が万全な状態で帰ってきたことは、ない!」

 ようやくニールはゼンという男を理解した。地上だけで積み重ねたにしては、あまりにもゼンは戦いが巧すぎたのだ。遠、中、近、すべてをこなすオールラウンダー。種族の特性があるから、などと彼は言っていたが、そうではなかった。ミクロな技能はそうかもしれないが、マクロな動きは経験がものを言う。

 彼はそこで膨大な経験値を積んでいた。多くの死線を潜っていた。

「命が対価、ですか。なら、しょうがないですね」

 絶望がこの場を覆う。あと少しですべてをクリーンにした王がティラナ最後の都市であるここを攻めてくるだろう。丹念に積み上げ、熟成させた絶望を喰らうために。

『ですが、希望はあります』

「コードレス!? 珍しいね、君が発言するなんて」

 アストライアー全員の手の甲から声が発せられた。通称『コードレス』。性別不詳の英雄、彼、彼女の能力によって英雄たちの通信網は成り立っている。滅多に発言せず、自分の意見を言うこともない。ただ、ゼンはたまに話すこともある、らしい。

『詳しいことはわかりませんが、何か掴んでいたようです。ただ、短い時間のため、残せる情報に限りがありました。私の容量も、音声を残せるほど彼に割いていませんでしたので。申し訳ございません、お役に立てず』

 コードレスはそれきりいつも通り沈黙を貫く。確かに、最後に残していたのだ――

「希望はある、か。何の意図もなく、彼は残さないでしょうね」

 ニールは残った希望の灯を、心の中でかき集めて立ち上がる。

「……黙っていたのは許さないけど、それを咎めるのは全部終わってから。まだ何も終わっていない。まだまだ、私たちはやれるわ」

 アリエルもまた負けずに立ち上がった。騎士たちもまた、彼らに追従して立ち上がる。

 その姿を見て、ティラナの王も腹を決めた。

「多くの同胞が犠牲となった。我らが最後の砦となりて人類を守るのだ! 彼らに報いるためにも、我らは最後の一兵となるまで諦めぬ! 共に戦おう、我が騎士、そして異邦の英雄たちよ! どうか我らと共に、その力をお貸しくだされ!」

「共に」

 ニールは英雄たちを代表して応じる。元より自分たちは英雄、人の願いによってこの地に現れた。どんな絶望的な状況であれ、あきらめるなど――


 結集する戦力。少しずつだが、各国の騎士たちが救援に馳せ参ずる。近場にいた英雄たちもぽつりぽつりと姿を現し、ティラナの陣容は決戦にふさわしい威容を取り戻しつつあった。わずかな希望をかき集め、いざ、最終決戦の舞台へ。


     ○


「よォ、クソファッキン劣等種。マスターがお待ちだ」

『相変わらず下品の塊がメイド服着てやがるな、フェネクス女史』

 地味な装いのメイド。漆黒の髪を無造作に束ね、黒縁のメガネは地味さを加速させている。暗く、陰気だが、美人ではある。口は飛び切り悪いが。

「死ねカス。あと私はハウスキーパーだ死ねボケ」

『直球過ぎて俺ちゃん苦手!』

「時間がない。さっさと用件を聞くぞ」

「ハッ、随分舐めてんな劣等。そういう時に限って死ぬんだよ。特にお前らみたいな劣等種ってやつらは、な。マスターの玩具が粋がってんじゃ――」

「邪魔だ」

 ゼンの眼光を見て、フェネクスは薄く笑みを浮かべた。

「身の程を知らねえってのも才能だなオイ」

 口調とは真逆、流麗な所作でフェネクスが先を示す。扉の向こうに待つ怪物。魔界においてすらアンタッチャブルとされし、ひと柱の王。領土はこの館のみ。されどこの館を侵すものは誰もいない。割に合わないというのも理由の一つだが――

 扉が開く。その奥に鎮座せし怪物の中の怪物。

「さあ、返済の時間である。此度の願い、叶わばこの重さとする」

 ゼンの心臓がうずく。目の前にある簡素な秤。そこに乗せられた小さな炎。未だその秤は炎に傾き続けている。異形の怪物が秤に金のように見える金属を積む。金ではない。あれは人の重さを模したもの。分銅でしかないのだ。

「……その重さ、加える代わりに、願いを一つ聞いてほしい」

「……我に、願うか? それがどういう意味を持つか、わかって、言っておるのだな?」

「理解しているつもりだ」

「では、問おう。我が名はレウニール。緩慢なる生に飽き、思うがままに集め、飽くまで愛でるが我が在り様。汝、我に何を望む。収集王に何を乞う。対価は、如何ほどか?」

 異形が蠢く。統一性のない継ぎ接ぎの巨躯。気に入った魔獣を、魔人を、魔王を収集し、刻み、加え、己がボディとした怪物は嗤う。愚かな行為を嘲笑う。

「それは――」

 ゼンの解答。王の笑みが――深まる。

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