第1章:抗う意志

 サラは幻肢痛によって目が覚める。このところ一度として熟睡はない。身体に、心に、さいなむ痛みが彼女のすべてをボロボロにしていた。

「大丈夫? お薬、もらってくる?」

 逃避行では寝床を別としていたアリエルも、ティラナに戻ってからは本人たっての希望でサラと同室に戻っていた。痛々しい、変わり果てたサラの姿を直視し続けるのは酷だとライブラやニールは反対するも、ゼンはそうしたいならすると良いと賛成に回った。

「大丈夫です。もう、痛みはないので。メンタルが弱いだけですから。本当に、自分で自分が情けない。困難に打ち勝ってきたつもりでした。自分は、乗り越えられる人間だと。そう言い聞かせて、そう信じて、それが、このザマです。笑えますよね?」

「私は笑わないわ。私も、ニールさんも、他の英雄たちも、何かが出来ると思ってこの世界に求めに応じた。自分なら、助けられると思って。私は、何も出来ていない。救うべき相手を見捨て、戦うべき相手に背を向ける。それが今の私たち」

「今の、ですか。そうですね、アリエルちゃんには先があります。きっと、能力を使いこなして、いつかは、王たちとも戦える、強い英雄に成れます。私は、無理でしたが」

「サラ、貴女だって同じよ。同じ時期にこの世界に、人々の願いによって召喚された。きっとそこには意味がある。貴女が、貴女でないと駄目だった理由が」

「ありませんよ。もう、私には何もありませんから」

「ノン。貴女には命がある。私たちと同じように」

「安い言葉ですね。私のすべては右腕と共にありました。憧れも、希望も、全部、そこにあったんです。命よりも大事な――」

 アリエルは静かにサラの頬を叩いた。強くなく、あくまで言い聞かせるように。

「その言葉を最後まで吐いたら、貴女は二度と戻れなくなる。わかるでしょ、命よりも大事なモノなんてない。貴女が後生大事に持っている、その不格好なボール」

 アリエルの指摘にサラはびくりと体をこわばらせる。

「その願いに応える術を模索しましょう。貴女が誰かに憧れたように、きっと、そのボールの作り手も、貴女に焦がれたのだから。そうじゃないなら、ティレクに辿り着いて僅かな時間の間に、作ったことも、見たこともない異世界の遊具なんて作れないでしょ?」

 サラは、ボールを残された左手で抱き、涙する。

「目の前で、笑っていた子が、死んだんです。私は何も出来なかった」

「私もよ。目の前で大勢死んで、茫然としているうちに、もっと死んだ。取り返しはつかない。今もなお、たくさんの人が死んでいる。でも、私は諦めない。明日戦うために、一矢報いるために、休んで、考える。犠牲に、向き合うためには、それしかないから」

「強いね、アリエルちゃんは」

 アリエルはサラを抱きしめる。

「私じゃない。私は弱いもの。でも、前を向けるのは正しい在り様を示せる人がいるから。ニールさんも、ライブラも、みんな、気づけば彼を見て、正しくあろうと襟を正す。悔しいけど認めるわ。貴女の憧れは、きっと、正しく英雄だった」

「ゼンさんは、今も?」

「ええ。会議は時間の無駄だって。一人飛び出していった。多くを救うために小さきを捨て、大事を成すのも英雄。目につくものすべてを救わんと小さな手を伸ばして小事を成すも、英雄。貴女は最初に彼を理解した。私は、ずっと遅くになって理解した。だから、大丈夫。貴女はきっと、また立ち上がる。だって、貴女はあの男に憧れたもの」

 アリエルの言葉に、無言で滂沱の涙を流すサラ。口惜しさと無力感、刻み込まれた恐怖にすくむ心。複雑な思いに、壊れかけた心に、涙が満ちる。

 小さき英雄の姿が、その背中が、今はただただ痛い。


     ○


 街中がズタズタに切り裂かれ、至る所に裂傷が走り、痛々しい景色だけが残る地に、二人の怪物がいた。幾重にも切り結んだのだろう、鎧は砕け、剣は折れ、全身を覆っていた装備の大半が機能を失い、それでも血を流しながら立っている男が一人。

 そして、もう一人は――

「……強いな、葛城」

 国栖 一条という男は、八本の内六本を失い、片腕もズタズタに引き裂かれて機能不全、残ったのは片腕と片足だけという有様であった。ボロ雑巾のような姿には悲壮感すら漂うも、本人はほんの少しだけ晴れやかな顔をする。

「お前も強かった。スペック以上の強さだった」

『スペック的には中堅どころの魔人が、上の中下って感じか? まあ苦戦した方だろ』

 勝者は葛城 善。あえて失った、人だった頃の名を抱えて戦った一戦。

「ハッ、最下級のスペックに捲られてんだ。嫌味にしか聞こえねえよ」

 イチジョーは苦笑しながらゼンを見つめる。

「殺してくれないのか?」

「殺すための剣が折れた」

「出せばいいだろうが。今なら、前に使っていたクソみたいな鉈でも殺せるぜ」

「悪いが殺す気はない。俺もお前も咎人だ。どこかで楽になる道を、終われる日を待っている。だから、俺はお前を殺さない。お前を救わない。自分で変われ。自分で選べ。意外と、楽なもんだぞ。前に進むのは。進んでいる間は、悔いてる暇すらないからな」

 ゼンは人の姿に戻り苦い笑みを浮かべた。そこにはほんの少し、昔の面影が見受けられる。線が細く、繊細で、弱弱しい、普通の少年。だからこそイチジョーは――

「俺に、お前と同じ偽善者に成れってか? はは、ごめんだね。俺はそこまで馬鹿には成れない。それに、俺とお前じゃ決定的に違うだろ? お前は魔人化して以降、人を殺していない。俺は魔人化してなお、人を殺し続けた」

「俺だって、同類を何人も殺してる。元は同じ人間だ」

「うすら寒いこと言うなよ。死刑を執行する奴は悪か? 人間の命は平等じゃない。悪徳に塗れたやつの命に価値なんかない。殺すべきやつはいる。俺みたいなクズとか、な」

 国栖 一条、イチジョーは嗤う。

「お前は正しいよ。俺らみてえなクズが、人様の庭でやり直そうってのが間違ってる。テメエの庭でやり直せって話だ。機会なんていくらでもある。切っ掛けなんて自分で動けばどこにでも転がってる。そこから目を背けて、逃げだして、別世界の堅気に迷惑かけるなんざ、どんな言い訳したって通るわけがねえ。逃げなきゃよかった、そうだろ?」

「ああ、その通りだ」

「あの日、俺は自首すべきだったんだな。降りるべきだったんだ、負の連鎖を。そうしたら、こんな最悪にまで堕ちることはなかった。まあ、底がここまで深いなんて知らなかったけどな。きっと、俺は繰り返す。あの頃に戻っても、知らないから。救えねえなァ」

「俺もだ。言い訳の余地はない」

「だな。なあ、葛城。あの鎖、お前のか?」

「ああ」

『相棒! それは――』

 ギゾーが止めるも時すでに遅し。手札は隠しておくべきなのに――

「他にもあるのか? あの男を殺せる手札が」

「ある。当たりさえすれば」

「……そうか。大したもんだな。じゃあ、一個いいこと教えてやるよ。あの男の弱点――」

『あるのかよ!?』

「は、ないが」

『ないんかい!』

「今の状況の要は――」

 ゼンの目が大きく見開かれる。それは、絶望を引っ繰り返す一手へとつながる。


     ○


「へっへ、俺が嘘言ってるかもしれねえのに、ちゃちゃっと走っていきやがった」

 イチジョーは残った手でタバコを吸う。脱皮にもリスクが伴う。脱皮して数日は戦闘力が落ちるし、多少時間も要するためその間完全な無防備状態をさらすことになる。

 とはいえ、この状態では何もできないので、そうするしかないのだが――

「終われると思ったが、世の中そんなに甘くねえな。まあ、良いさ。どうせ潮時、とっくに器から色んなもんがあふれてる。善人にも悪人にも成れない半端モノ。実にらしい」

 夜の闇にたなびく紫煙。ほんの少しだけ、味がするのは気のせいか。

「あいつ、能力に何らかの制限があるんだろうな。だから、シンプルなモノか、デメリットを抱えた武装をチョイスするしかない。コスト、とか? アンサールの野郎が良く言う、重さってやつか? 背伸びの結果がそれなら、王殺しの武装ってのは、どれだけ――」

 理性をほとんど欠いた状態での戦闘だったので、曖昧にしか記憶は残っていないが、それでもかすかに残る残滓。凄まじい猛攻であった。攻防一体の鎧に任せて自分はリスク度外視の攻撃偏重。理性がないから、渡り合えたが、それを持った状態で果たしてあの怪物と渡り合うことができるのか。それを考える。

 痛みも、苦しみも、自らの死すら度外視で戦う痛々しい姿。

「同じじゃねえさ。俺は、今でさえ、傷つく道を選べない。痛いの、嫌いなんだよ」

 あれで凡人面しているのだから腹が立つ、とイチジョーは思う。あそこまで腹をくくれるなら才能なのだ。もはや修行僧や求道者の領域。自分じゃ到底至れない。

「……まあ、勝てるってんなら、乗っかるのもやぶさかじゃねえけどな」

 凡人であった男が用意した牙、果たして王に届くか否か。

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