第1章:雷神招来

「死骸を調べてきた。ほとんどがオークとオーガの混成部隊、鬼種だ。近隣の穴倉をつついてみたが編成はほとんど同じ。おそらくボスも鬼種の上位種、オーガだろう」

「それなら何とかなりそうですね。私とアリエルちゃんは一体倒しましたし」

「かもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「含みのある言い方ね」

 アリエルはジトっとした眼でゼンを睨む。上がったり下がったり中々面倒な娘であり、すでにギゾーは空気を読んでお口チャックをしている。面倒ごとには首を突っ込まない、道具の癖にこの辺りの知恵は主よりも優れている。

「オークも多少種類によって差異はあるけど、上位種であるオーガの幅はその比ではないからね。角の数、色の違い、特性もまちまち、戦力のブレ幅も、ね」

 ライブラの言葉にゼンも頷く。

「ただ、話を聞く限り『水鏡』は強能力。『一球入魂』も癖は強いが強力な遠距離武器だ。相性も悪くないし、互いを補えるなら、少しくらい強くても勝てるだろ」

「当然ね。なかなか見る目があるじゃない。底辺にしておくのが惜しいほどね」

『この嬢ちゃん頭大丈夫か?』

「何か言った?」

『いいえ、何にも』

 おしゃべりギゾーを黙らせる理不尽。

「まあ、遭遇して見れば嫌でもわかるさ。良い経験の範疇か、逸脱しているか、は」

「そうですね! 当たって砕けろ、勢いでいきましょう!」

 まさに体育会系のノリで立ち上がるサラ。その眼は闘志に燃えていた。

「良い経験で収まれば言うことは無いのだけどね」

『ま、そう言ってるときに限って――』

 ギゾーはしみじみと――


     ○


『――こうなるんだよなあ』

 立派に積み上がったフラグが回収されていく様子を眺めていた。

 突如、レバナの上空に暗雲が立ち込め、雷雨が吹き荒れ始めたのが一時間前。敵の軍勢が目視できたのが三十分前。そして、ただ一人前に進み出て落雷を浴び、薄闇の中誰よりも光り輝く男の姿を見て、全員が理解した。

「……ウソでしょ。天候を、操るなんて」

「し、信じられません。これじゃあ、戦いの規模が違い過ぎる」

 男が天に指をさし、指揮者が合図を送るかのように一振りするだけで、レバナにいかずちが落ちる。ぐうの音も出ない、力の差。騎士がどうこうできる次元ではなかった。

 さしもの英雄二人も軽口一つ叩けなくなる。

「くそ、何故なんだ!? 何故、こんなにも奴らは強い!?」

 レバナの守備隊長である男は悲壮感漂う顔で嘆く。

「魔族が強いのは知ってる。だから俺たちは死ぬ気で技を磨いたんだ。なのに、何でこんなにも差がある!? 何故、シン・イヴリースの軍勢だけ、こんなにも強いんだ!?」

 都市の守備隊長を任されている男は歴戦の騎士でもあった。今と成っては苦い思い出と化した地上での掃討戦にも参加し、それなりに功もあげた。魔族を相手にやり合えた自負が彼にもあった。だが、シン・イヴリースの軍勢はそれらを根こそぎ消し飛ばす。

「シン・イヴリースの軍勢だけ、強い?」

 アリエルの引っ掛かり、サラもまた同じところに引っ掛かりを覚えた。

「ライブラ、あれは王クラスなの?」

 ゆえにアリエルは問うた。

「いいや、上位だろうけど、魔人クラスさ」

「この上があると仮定するなら、そもそもこの地上が人間の生存領域に成るはずがない。戦力差があり過ぎる。素朴な疑問なんだけど、何故彼らはこれほどまでに強いの?」

 アリエルが辿り着いた至極真っ当な思考。先のオーガでさえ騎士たちは劣勢だった。であれば目の前の怪物相手に抗する術など無い。しかし、それはおかしな話なのだ。人間は一度地上を制覇している。魔族もいたこの地上を、人界を手中に収めたはずなのだ。

 ならば――この差はありえない。

「あとで話そうか。今は目の前の難敵をどう捌くか、重要なのはそっちだろ? それとも、ビビっちゃったかい? アリエル・オー・ミロワール」

「……くだらない挑発ね。やってやろうじゃない。私だって英雄――」

 さあ、やるぞ。そう思った瞬間、目と鼻の先にいかずちが落ちた。雷速、人類では対応不可能な速度で襲い来る、不可避の一撃。焦げ臭さが伝わって来るほどの距離。人であったものが自らの死を知覚する前に、残酷なオブジェへと変貌していたのだ。

 アリエルは込み上げてくるものを気合で押し留める。人の死に慣れていない彼女たちには重過ぎる光景。サラもまた青ざめた顔色で『それ』を見つめていた。

「俺様の顔に泥を塗った、アストライアーとやらは、どれだァ?」

 大気が震える。怪物の声を伝える大気中の魔力(マナ)が振動している。

 世界の想定を超える力が其処にあった。

「く、う、あああああああああああッ!」

 格の違いに、誰よりも早くビビった二人。優秀ゆえに、才能があるからこそ見える絶大な差。今の自分では勝てない。だからこその全力投球。自らが抱いた恐怖と畏怖を消し飛ばさんと叫び、全てを一撃に注ぐ。

 炎の球。それは真っ直ぐに紫電まといし男に向かい殺到し――

「惰弱」

 直撃すれど、無傷。サラは、愕然とする。目の前に広がる距離以上の差。

 アリエルもまた大きな差に動くことが出来ない。サラ以上の火力を自分は出せないし、雷速相手にカウンターを決められる気もしない。これほど自信を削がれた記憶は生まれて一度としてなかった。それはサラも同じ。

 自分が通じない経験。それを糧と出来るか折れるかは、彼女たち次第。されど今は、その時ではない。成長を望むには壁が近過ぎた。

「まさか、今のがそうじゃあないだろ?」

 誰もが怖気づいて動けない中――

『誰でも最初は一年生ってなァ!』

 ただ一人、ゼンだけはすでに動き出していた。闇夜を利用して、気配を断ち、大回りをしながら誰にも勘付かせず接敵。手には大ぶりの鉈。

 両手で容赦なくフルスイング。

「……あン?」

 砕けるは鉈。ゼンは手に残る痺れから彼我の戦力差を推し量る。

『うっひょー、こいつつえーぜ相棒』

「何だ、このカスは?」

 男が無造作に振るった拳。紫電まといしそれは凄まじい破壊の奔流と化してゼンに殺到する。通常速度では対応不可能な速さ。だが、ゼンの身体に文様が浮かんだ瞬間、一気に加速し、攻撃をかわしながら、さらに接近。

「これも駄目、か」

 砕ける槍の手応え。まだ足元にも届いていない。

「その槍、どこから取り出した?」

「さあ、何処だろうな?」

 男が攻撃するたびに轟音が響く。当たれば即死の破壊力、それを前にゼンは絶対に距離を空けなかった。彼の戦闘経験が言っているのだ。遠間は敵の領域、雷速を超える覚悟無くば、今の距離を維持する必要がある、と。

「いつの間に!?」

 遠くから攻防を見つめるアリエルたち。

「連中が現れた時には動き出していたよ。同じ魔族だからね、しかも近似種ときた。ある程度は見ただけで分かるし、匂いで嫌でも理解させられるそうだ。危険度ってやつが」

 五年の経験値を積んだ男は、彼女たちではまだ届かないと判断し単独で動いていた。その判断の迅速さと正確さ、何よりもあそこで戦い続けていると言う事実に、アリエルでさえ悔しさよりも感嘆が勝る。

『相棒、離れるなよ!』

「わかっている!」

 果敢なる近接戦。奇襲にも似た形で距離を詰めた。馬力の差はデカ過ぎるが、それでもなお此処しかないのだ。この怪物の、オーガの中でもトップクラスの戦力を誇る男の、特性を考えたなら、離れれば離れるほどに危険度は増す。

 雷速に対応することは難しいが――

「小癪な」

「これでも駄目か」

 魔人上位の速度域であれば何とか喰らいつくこともできる。

 すでに幾度目か、今度は斧が柄から折れる。まともなダメージは未だ無し。そもそも近接戦、工夫を凝らしてなおクリーンヒットすら無し。

『馬力が足りてねえぜ相棒』

「仕方ないな。武器繰りが難しくなるから、あまり使いたくはないんだが」

 ゼンはほんのわずかに距離を空ける。敵である男がいかずちを落とすことに躊躇いを持つ距離、ギリギリの境界線で、ゼンは咆哮した。

「……魔獣化、か。やはり、ただのバトルオークだな」

「いグぞ、ギゾー!」

『はいよ相棒。随分チャーミングに成ったな』

 一回り身体が大きくなり、肌が焼け爛れていく。牙が伸び、爪も鋭さを増し、鼻が削げ落ちたように潰れる。まさしく怪物、原生種たる通常のオークとは異なる、戦うためにだけ生み出された醜き獣。

 その全身を奔る文様もまたさらに輝きを見せる。

「ガァ!」

「所詮はオーク、伸び代は大したことないが……さすがに受け切れんか」

 今度の一撃は砕けず、薄皮一枚を裂く。まともなダメージには成らないが、ようやくその兆しだけは生み出すことが出来た。

 それでも攻防の中、このレベルの武器では数合と持たなかったが――

「……本当に魔族だったんですね」

「不細工だろう? 原生種のオークは豚のような一種の可愛げがあるが、シン・イヴリース謹製、戦うためにだけ生み出されしバトルオークには、そんな可愛げすらない。醜く、鋭く、凶暴、生殖機能すら奪われた、純粋な兵器、捨て駒だね」

「……醜いわ。それでも、手傷を負わせた」

 アリエルにとっては外見の醜さよりも結果を出された方が響く。

「あの文様もバトルオークの特性なんですか?」

 サラの問いにライブラは苦笑する。

「あはは、そんなおしゃれな特性なんてあれは持ち合わせていないさ。バトルオークの特性と言ったら、君、生まれた瞬間から戦闘技術がそれなりに扱えること、それだけだからね。他は全て後天的なものだ。あの文様の源泉、僕が施術した魔力炉の拡張手術。そして偽造神眼による物質創造。クソみたいな特性に合わせて、戦える方法を模索した。少ない手札を増やすために多くの対価と時間を要した。五年だ。五年分の経験値。僕らが出会ってから約二年半、施術を越え偽造神眼を手に入れてから二年。ここまで、来た!」

 ライブラは微笑む。最初はただの興味本位、そして自らの主である英雄がそうしようと決めたから、それだけの理由であった。人どころか魔人で試したことすらない、魔獣で数件試しただけの施術、しかも半分は息絶えたそれを何の躊躇いも無くあの男は受けた。

 偽造神眼の件もそう。彼はリスクを考えない。自らが傷つき、死に絶えるリスクを恐れない。いや、怖れてなお突き進む。壊れた兵器なのだ。心も、身体も、全て狂って――

(君は逃げる。それで良い。それこそが、今の僕にとって最も興味深い研究テーマだから。さあ、葛城 善であった者よ。死するか、突き抜けるか、僕に可能性を見せてくれ!)

 死を望みながら自死する勇気もなく、罪悪感から眼を背ける度量も無い。

 だからこそ、彼はこう成った。

「……何だ、その武器は?」

「ドゥエグが打ち鍛えしただの剣、だ!」

 ここに来て初めて上位種であるオーガの男は肉を裂かれた感覚を得る。久方ぶりの痛み、地上に置いて人はほとんど敵ではなかった。異邦人であるアストライアーの英雄たちであれば適うと思っていた程よい緊張感のある戦闘。まさか下位種であるオーク、同じ境遇でありながら劣等に身をやつした男が、此処までやるとは思わなかったのだ。

『シンプルだからコストも安い! しかも切れ味抜群ときた。奥さん一本どうですかっと』

「貴様、名は何と言う?」

 男はゼンを敵と認めた。ゆえに問う。

「ただ、ゼンとだけ」

「そうか。ゼン、覚えたぞ。冥途の土産だ、いずれ王クラスと成る俺様の名を抱いて逝け。俺の名は、春日 武藤(かすが たけふじ)。いかずちを抱く雷神であるッ!」

 自らを雷神と称したタケフジが吼える。全天が震え、咲き乱れるはいかずちの雨。凄まじい力と共に、男の身体もさらなる変化をする。まるで冠の如く生えしは十二の角、さらに雄々しく輝ける体躯は金色と化し莫大な力を溢れさせる。

『おっふ、こりゃあ、マジかこいつ』

「……強い」

 手の一振り、紫電まといし風圧だけでドゥエグから学んだ技法をトレースした剣が折れる。その圧で、後方に押し出されるゼン。

『招雷』

 ここに来て初めて開いた距離。そこに一筋のいかずちが降り注ぐ。

「ガッ!?」

『相棒ッ!』

 貫くは一人の男。瞬く間の出来事であった。誰もがそうと知覚した時には、すでに男は地に墜ち、ぴくりとも動かなくなっていたのだ。焦げ臭いにおいが、かすかに漂う。

「良く粘った。劣等の身で良く鍛えた。覚えておこう、ゼンとやら」

 雷速、一瞬の隙、それで死ぬ。それだけの差があった。

「……ゼンさん!」

 刹那の決着。サラは後悔する。自分は何をしていたのか、と。攻撃できる手段があり、それをしていれば防げたかもしれない結末。

「動くな、コニシ サラ。手出ししないのは正解だ。この距離で君の火力ではダメージを通せない。あれクラスに内蔵魔力(オド)をコントロールする時間を与えたら、並大抵の攻撃じゃ通らないからね。だからゼンはあの距離で仕掛けたんだ」

 ライブラは自分の見立ての甘さを痛感していた。魔人上位、今のゼンを試すにはうってつけの相手、そう考えた。魔人中位であれば相性差はあれど渡り合えるのは実証済み。上位との交戦経験はそれほど多くない。良いデータが取れる。そう思っていた。

 だが、相手は上位クラスでも片足、王クラスに足を突っ込んでいた。

「決して硬い外皮を持つわけではないオーガ種で、あの硬さという意味を理解すべきだ」

 自分が援護してなお、届かないレベル。アストライアー上位陣であれば渡り合えるだろうが、確実に勝てると断言できるのはそれこそ十人もいないだろう。

「……ならばどうするの?」

 アリエルの目に浮かぶのは恐怖。されど、彼女はそれに屈したりしない。それに屈する人材が英雄としてこの地に来るはずもないのだ。だが、この状況でのそれは枷でしかない。

「逃げると言ったらどうする?」

「御断りよ」「断ります」

 絶対的な力量差を前に、それでも彼女たちは折れなかった。その将来性に期待が浮かぶも、今この瞬間ではただの強がりでしかない。

「なら、祈ることだ」

「どういう――」

「愚者の一念が勝ることを、ね」

 ライブラの視線の先には、焼け焦げた身体で立ち上がるゼンの姿が在った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る