第1章:二人の新人英雄

 ロディニアという超大陸があった。四方を海に囲まれし巨大な大陸、つまりはただ一つの、この星で唯一の大陸である。その中において一昔前、人間はその全てを手中に収めていた。エルの民、ドゥエグ、を中心とした亜人種はいるが、敵対種族たる魔族は全て駆逐し切ったのだ。

 ロディニアにおける対魔族の防衛を司りし大国、今は亡きその国家によって防衛線は大陸の南端にまで至る。人はようやく安寧と平穏を手に入れた。だが、人の欲には際限がない。かの国のみならず、ロディニア全ての王国、その集合体であるロディニア王国連盟の総意の下、『大穴』を越えて魔界の征伐に人は動き出した。

 かの国が擁する人間最強にして至高の魔術師が発明した魔術兵装により、一時は優勢に事を運ぶも、そのことが人を窮地に追いやることと成る。

 世界のルールが働き、カウンターとしてシン・イヴリースの欠片を宿す魔族側の救世主が異世界から召喚、かの国もろとも魔界征伐軍を虐殺し、そのまま人界へと侵攻を続け、今に至る。ロディニア全土を収めていた人は、その半分を魔族に喰い取られ、今もなおじわじわとその生存領域を狭め続けている。

 身から出た錆、されどシン・イヴリースの欠片を得た男の悪意、邪悪の資質、魔王としての素養は世界の目算すら誤らせ、バランサーとしての機能を遥かに超越した怪物の群れを形成した。

 絶対防衛戦線は日々押し込まれ、各地に創られた抜け穴たる『ゲート』から、虫食いのように世界地図を啄む。もはや人の生存圏に安寧は無かった。


 ここ、ロディニア王国連盟に加盟するエレバニア王国にも近郊に『ゲート』が形成され、其処から魔王軍が続々と投入されていた。その中の一角、レバナという都市でも連日激戦が繰り広げられていた。

 昨日までは劣勢であったレバナ駐留騎士団であったが――

「アストライアーの英雄が来たぞ!」

 その一言で市民の目に力が宿る。もう駄目かもしれない。そう思っていた彼らに勇気を、希望を与える名こそ、アストライアー。結成されてまだ二年半と日は浅いが、勇者オーケンフィールドを中心に『英雄』たちで構成された正義の組織こそ、正義の女神の名を冠するアストライアーという組織であった。

「一球入魂! 私の真っ直ぐは、ホップする!」

 一人の少女が魔族の軍勢を前に立ち塞がる。握るは革製の球体、誰がどう見ても野球のボールである。着ている服も、異世界の色が混じってはいるものの、野球のユニフォームに近い衣装であった。これでグローブでもあれば完璧に球児である。

「ラァイジングゥ――」

 少女は構える。堂々としたワインドアップ。ずっしりとした体重移動、右の本格派。リリースは鋭く、蹴り上げた足が天を衝く。

「――バスタァァァァアアア!」

 放たれたボールは凄まじい勢いで弾き出され、彼女の闘志が込められたボールは炎をまとう。豪速球と呼ぶには少し、それは――破壊的が過ぎた。

 直接当たった魔族はもちろんのこと、当たっていない者まで余波で千切れ飛ぶ。いわんや当たった者は原形すら残らず魂のボールに吹き飛ばされていった。

「……すげえな。あれで新入りなんだと」

「バスター! バスター! たまにスライダー!」

「すげえ、えぐい角度で滑るように曲がったぞ」

「これが異世界からやってきた英雄、アストライアーの戦い方、か」

 吹き荒れる破壊的な投球を前に、距離を詰めることすら出来ない魔族の軍勢。昨日まで彼らと激戦を繰り広げてきた騎士たちは唖然とその光景を見つめていた。

「……いや、違うけどね。彼女が特殊なだけなんだが」

 一人の騎士が放った頓珍漢な言葉に突っ込んだのは妙齢の魔女。若くも見えるし、老成しているようにも見える、何とも不思議な雰囲気を持つ彼女であったが、今の顔に張り付いている表情は、この光景に対する苦笑いであった。

「よーし、絶好調! 今日の出来なら甲子園優勝間違いなし!」

 気を良くした少女であったが――

「いってえな。ったく、雑魚がミットにもなりゃしねえ」」

 最後に投げた一球を群れのリーダー格である魔族が、仲間を盾にして受け止めてみせたことに呆然とする。受け止められたことにではない。一切の躊躇なく仲間を盾にしたことに、自分との価値観の違いに驚いてしまったのだ。

 その辺りがまだこの世界に慣れてない新人らしさ。

「おーし、俺も闘魂注入だ。ぶっ飛べ女ァ!」

 受け止めた男が身体を変質させていく。皮膚が真紅の眼と同じ色と化し、一本角がにょきりと生える。全身から炎熱が噴き上がり、それをボールに込めた。

 先ほどの少女とは違い、力任せの素人投法。されどその威力は当然人外。

 荒々しく吹き荒れる炎が地面を焼きながら少女らに迫る。少女はそれを迎撃せんと構えたが、それを別の少女が遮った。

「サラ、下がって。私がやる」

「アリエルちゃん」

 サラと呼ばれた豪速球少女とは対照的に、アリエルと呼ばれた少女は異世界の衣装を着こなしていた。すらりと剣を抜く様も板についており、とてもこの世界に来たばかりとは思えないほどの雰囲気を醸し出す。

「我が名はアリエル・オー・ミロワール。誇り高きフランス貴族の末裔にして――」

 口上の最中に空気を読まないボールが突っ込んできた。

「危ない!」

 サラの心配は杞憂、とばかりにアリエルは優雅に微笑んだ。

「無粋。これだから第三身分は……弁えなさいッ!」

 そして、冷徹な貌を魔族たちに向ける。其処には一片の情も無い。

「我が能力、『水鏡(オー・ミロワール)』は正義の盾。全ての悪意を跳ね返す!」

 アリエルは剣先をボールに向けた。接触の瞬間、剣先とボール、その境界面に水紋が浮かび、全ての物理法則を反転させボールは敵に跳ね返った。

「嘘だろおい!」

 勢いが減衰することなく、その一撃は全く同じ威力をもって鬼(オーガ)種である魔人に殺到した。とは言え、味方の被害さえ気にしなければ――

「反射か。そこのギャグみたいな能力と違って、便利じゃねえの」

 魔人はひょいとそれをかわし、後背の味方が爆発に巻き込まれるも特に気にも留めない。

「私が前に出るわ。援護を頼むわね、サラ」

「任せて!」

 とん、と体重を感じさせない浮遊感でもって、アリエルは動き出す。その動きの滑らかさに鬼種である男は警戒を強めた。もし、彼が目の前の相手を新人と知っていたら驚愕に顔を歪めていただろう。それほどに、内蔵魔力(オド)の流れが、動きと同様に滑らかであったのだ。いや、前後関係は逆、魔力の流れが流麗ゆえに、動きもまた流麗と化す。

「やるな、アストライアーの女ァ!」

「あら、貴方は大したことないのね」

「抜かせッ!」

 鬼種である男は衝突後、軽い準備運動のような攻防でアリエルの能力『水鏡』の厄介さを上方修正する。自身の魔力、炎の特性を帯びた攻撃が反射されるのは先ほども見たが、ただの物理攻撃でさえ力そのものを反射し、カウンターとして成立させてしまう。

 強い攻撃はそのまま強く跳ね返り、それも計算に入れねば迂闊に攻撃も出来ない。小手調べで放った攻撃は全て、反射されその五体で受け止めることに成ってしまった。

「そらよッ!」

 それに、何よりもアリエルと言う少女は――

「化け物に成った対価で得た力がそれでは、お話にならないのではなくて?」

 単純に強かった。普通、異世界から来た連中は、もう少し不自然な魔力の流れとなり、同じく動きにもどこか不自然さが付きまとうもの。あちらの世界では持ち得ない力ゆえ当然のこと。自分たちのように生まれ変わったモノであれば別だが――

「よっぽど経験値を積んだな、名が通ってないのが不自然なくらいだぜ」

「……何を驚いているのか知りませんけど、怠慢よ」

「は――」

 けん制した後、死角から殴ろうとした拳にボールが突き立つ。

「彼女も私と同じ、『英雄』としてこの時代の人々に召喚された者。七十億の人類、その中のひと握が私たちならば、屑の貴方が侮るなど、あってはならないと理解なさい」

「ほざ、けぇ!」

「クズはどこまで行ってもクズ。これ以上、私たちの世界の品格を損ねるな」

 鬼種の全戦力をすべて跳ね返しアリエルは当然怪物。かつアリエルの隙間から男を貫く豪速球。恐るべきはその精度。この距離で、これだけの球を、当たり前のように放れる人材。これもまた天才以外の何物でもないだろう。

「ばけ、もの、め」

「貴方方にだけは言われたくないわ。死になさい!」

 アリエルは剣先を背に向ける。サラが放った豪速球に触れ、その力をコントロールし、鬼種である男の脳天に叩き落とした。ただ跳ね返すだけではない。それが彼女の『水鏡』の汎用性。

 昨今の新人では最も期待されている存在が、彼女であった。

「これが、アストライアーの英雄。異世界からやってきた救世主、か」

 レバナの市民たちが歓喜に沸く中、騎士たちは複雑な表情で彼女たちを見ていた。助けてもらえたのは嬉しいし、感謝している。しかし、彼女たちは自分たちとは違い過ぎた。あれだけの戦力を一蹴し、魔人でも中堅上位とされる鬼種を容易く粉砕してのけた。

 自分たちの研鑽を遥かに超える力、武人である彼らは手放しには喜べないであろう。

「どう? ライブラ。私とサラだけで十分だったでしょ」

「いやはや、大したものだよ。特に君はね。だからこそ、お守りが必要だとオーケンフィールドは判断したんだ。油断しちゃいけない。あの鬼種も弱くはない。でも、あれは部隊のリーダーで、その取り纏めは別にいるのさ。近郊の『ゲート』を守護する敵の親玉を倒すには、やはり足りないよ。魔族はピンキリだからね」

「自分の有能を証明するのも辛いものね」

「あっはっは、百聞は一見に如かず、だ。そうだろう、ゼン?」

 ライブラと呼ばれた魔女の影から這い出てきたのは、長身の男であった。驚くサラをよそにアリエルはまるで敵を睨みつけるかのような眼をしている。

『おいおい相棒。いきなり熱烈な視線が向けられてるぜ。さては……モテ期だな?』

「相変わらずだねギゾー。ゼンも久しぶり。会いたかったよ」

「なら、『影穴』はもう少し見つけやすい場所に設置してくれ。探すのに手間取った」

「そこは愛の力で何とかならない?」

「ならなかったな」

「それは残念。さあ、二人ともとりあえず休もう。すでにレバナの長には話を通してあるし、美味しい食事とふかふかのベッドが用意されてるはずさ。ゼンはどうする?」

「来たばかりだから休んでも仕方がない。偵察に行ってくる」

「相変わらず働きアリだね、君は」

「気を紛らわせているだけだ」

 そう言って、来て早々ゼンは別行動をとった。サラはおろおろとアリエルはじとりとした眼をゼンに向け続けている。

(噂に違わぬ、オーケンフィールド信者、か。ゼンも災難だねえ。そりゃあオーケンフィールドはゼンのことが好きだよ。勝手に親友だと豪語しているほどだし、特別扱いもしている。それがやっかみの対象になるのも、仕方がないことだけど――)

 ライブラは苦笑する。自身とゼン、そしてオーケンフィールドの三人で設立した組織。勇者と魔女と魔人、何一つ噛み合わないはずの三名が奇跡的に噛み合った、と彼女とオーケンフィールドは思っている。だが、肝心のゼンは一事が万事あんな感じで単独行動。組織が大きくなるにつれ、それを許容し切れなくなってきたのもまた事実。

「まあ、仲良くしてくれたまえ。あれで意外と可愛げがある奴だからさ」

「ほ、本当ですか? すごく背が高くて、威圧感が」

(……まあ、種族が違うからねえ。僕から言うことでもないし、とりあえず黙っとこっと)

 とりあえずライブラは沈黙は金とばかりに口を噤んだ。


     ○


「俺は魔族だ」

「会って早々かい! これだからコミュ障ってやつは」

 ライブラの鋭い突っ込み。場を和ませる意図もあったのだが、残念ながらそちらの効果は発揮されなかった。スプーンを落とし愕然とするサラ。アリエルはもっとひどい。特別扱いが腹に据えかねていたところに、このカミングアウト。すっと剣の柄に手を伸ばす。

『おいおいねーちゃん。食事時だぜ、その物騒なもん仕舞いな』

「見て分からなかったか?」

「た、確かに紅い眼ですが、まさかアストライアーのメンバーに魔族がいたなんて」

「……メンバーに成った覚えはないんだが」

「「「『えっ!?』」」」

 全員の声が重なる。

「何故ギゾーまで驚く?」

『いや、だってよ。連絡用の魔術刻印まで刻んだじゃん?』

「ああ、便利だからな」

『それってメンバーじゃね?』

「何でそうなる?」

『やっべ、たまにあるんだよ。相棒の考えてることが読めねえやつ。理路整然としてねえから、俺でもこいつなりの理屈を拾うのは一苦労だぜ』

「アストライアーは正義の組織だ。オーケンフィールドが作った選ばれし者の。なら、其処に俺は居るべきじゃない。俺のやっていることは偽善だ。あいつとは違う」

「あら、意外と謙虚なのね。底辺にしては良い心がけだわ」

 アリエルの笑顔。彼女が敬愛するオーケンフィールドをひょいと持ち上げて、自分を下げればこの通り、意外とチョロかった。

(誰の正義を見てオーケンフィールドが心変わりしたと思っているんだい、まったく)

 ライブラはため息をつく。ゼンとオーケンフィールドが噛み合わないのは今に始まったことではない。初めから徹頭徹尾、根本が捩じれているためである。ゼンの自己評価が低過ぎることとオーケンフィールドの評価が高過ぎることが原因であるが、当人同士まったくそれを解消する気がなく、あいつはあいつの考えがある、で留めていたからさあ大変。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

『相棒、騙されてんぞ。褒められてねえからな』

 自己評価の低さ、過去の罪が彼を縛っている。問題はそれが原動力にもなっているという点で、だからこそライブラは何も言えなくなってしまう。そもそも言ったところで彼は聞く耳を持たない。言うだけ無駄と言うもの。

 何とも言えぬ空気の中、つつがなく食事は進む。


     ○


「ボス、赤鬼の兄さんがやられちまいました!」

 巨大な洞窟、中央に座す男の足元には金銀財宝が埋め尽くされていた。全て簒奪したもの、男の強さを証明するための飾り。男は敵にも味方にもその強さを誇示していた。

「……この前は青の奴がアストライアーの連中に殺されてたか。二度目、だな」

「青の兄さんは、ちょっと、相手が悪かったと言うか……連中でも上位の奴と鉢合ってしまいやして、ワンパンでした。超強いっす、『超正義』。ふざけた名前ですけど」

「あいつらが死んだのは仕方がない。あいつらが弱かっただけだ。問題は、あいつらが俺の傘下で、俺の部下だったってことだ。そうだろ?」

 男の全身に紫電が走る。部下たちは無言の圧に震えるしかない。

「俺のカンバンに傷つけられちまった。これは、許せねえ」

 大地が揺れる。天がざわめく。

「で、そいつらはどこにいる?」

 遠雷が轟く。

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