私の愛しきメイドのこと

林きつね

私の愛しきメイドのこと

「それでは、御用があればお呼びください」


 機械的な言葉と共に、扉が閉められて、もはや私専属と言っても過言ではないこの家の使用人──イルだ。

 少し痩せすぎかとも思わなくもないスレンダーな体型、同じ女としても認めざるを得ない整った顔立ち、膝の裏まで伸びた銀髪。ちなみに波打つようにふんわりとしている。などなど、まあ私から見て百点満点のメイドだ。

 内面の方は──ちょっと、いやだいぶ?

 私としては別に気にすることじゃないと思うんだけど、感情に乏しい。常に無表情だし、声に抑揚はない。

 彼女の喜怒哀楽を読み取ることは不可能に近い──私じゃなければ。

 私なら、微生物クラスのイルの感情の変化も読み取ることが出来る。

 彼女との付き合いも、もう三年を超えた。その間に、私が読み取れるようになったのか、徐々に感情というものが芽生えつつあるのか、それはわからない。

 けど、正直私にとってそれはどうでもいいことなのだ。イルが私と一緒にいてくれるのなら、イルがもっと元気になって、普通の女の子のように過ごしてくれるのならそれで。


 イルの故郷は紛争下にあった。そして彼女の家族は、彼女の目の前で殺された──。そしてそのショックで、小さい頃金色を称えていた髪から色が抜け落ちて、今のような私目線では大変綺麗で出来ることなら一晩頬ずりをしていたい銀髪になってしまったということ。

 私が知っている彼女の過去はその程度で、本当はもっと色々あるんだろうけど、それはまあいつか、本人の口から聞くべきことだと思っているから。

 けれど、それにはまだ時間がかかるだろう。

 私は知ってる、イルはあの美しい銀髪を疎ましく、思っていることを。今でも彼女を襲う悪夢を断ち切るように、髪にハサミをたてて、その度に嘔吐して結局伸ばしっぱなしになっていることを。

 無尽蔵に伸びるだけなら不潔になるだけなので、私が定期的に、丹念に、精根込めて手入れしているわけだ。そのおかげであのふわふわ感。皆に見せたい、けれどこの感触は私だけのものだ。少なくとも今は。


「はふぅ〜〜〜良いよ良いよ〜ふわふわだよ〜気持ちいいよ〜」

「……」


 特に意味もなくイルを呼びつけて、私は彼女の髪の毛を堪能していた。

 ちなみに、髪を触っているだけなら彼女のトラウマは蘇らない。それは街の野良猫達で鍛え上げた私の触り術のなせるところというのもあるのだろう。

 うん、嘘。これは私の憶測だけれど、ハサミで髪を断ち切るという行為が、そのまま過去を断ち切るという意味を持つとして、イルの頭の中で繋がってしまっているのだろう。

 だからこうしてただ無遠慮に触っている分には問題ないのである。ちょっと嫌そうだけど。


「んふふふふ〜」

「……」


 いつものように、彼女は無表情のまま終わるのを待っている。

 別に私は、なにもの頭をただただまさぐりたくてこんなことをしているわけじゃない。

 辛い過去なんて、無理に乗り越えなくていい。そんなことしなくたって前に進めるはずだ。

 そう例えば、彼女があの髪を受け入れることが出来れば──。

 そのために私は本心からイルの髪を褒めているし、弄っている。けれどいくら褒めても、未だに少し困ったような顔をするのだけど。

 もしかして私が今こうしてわしゃわしゃと、髪を触っているのも、折檻されているなどと思っているのではないだろうか。

 さすがに三年ともなると、そんな誤解も無くなっていると信じたい。


 あまりにも反応がないので、髪にあった手をそのままゆっくりと下に下げていく。

 耳をつたって、頬に添えて、首の下をそっと撫でて、ちょっとでばった鎖骨を流れて、そのまま胸に──


「んっ──」


 イルの声が漏れる──。つい、よだれが出そうになってしまいそうになる。普段あまり喋らない分、こういう声が出た時のお宝感が凄いのだ。


「ごめん、ごめん。ちょっとした出来心だから許して」


 イルが、抗議というような視線を向けてきたので慌てて謝る。つい調子に乗りすぎてしまった。

 けれど、嬉しい。こういう目をしてくれるようになったのだ。

 今でも大概されるがままのイルだけど、出会った頃は酷かった。


 イルがこの家に来てから数日といった頃のことだ。

 イルが運んで来てくれた夕食のパンを、謝って床に落としてしまった私は、それを拾おうとするイルを止めて、ほんの冗談のつもりで


「なにしてるの?貴方の晩御飯よ。這いつくばって犬のように食べなさい」


 冗談でもちょっとタチが悪いと今なら思う。けれど、この時の私は新しい使用人と打ち解けようという思惑からのお遊びのつもりだったのだ。

 けれどイルは、「はい……」と短く返事をして、床に這いつくばり、そのまま落ちたパンを食べ始めた。

 それを見た私はパニックになって、あらん限りの声で叫んだ。


「ママーーーーーパパーーーーーーーー!!来てーーーーーー!!」


 絶叫のような私の声を聞いて、何事かというように、仕事で忙しく普段はあまり食事も一緒にとらない両親が飛んで来た。

 その間も、イルは床を舐めながらパンを食べていた。

 私は泣いていた。そしてパパとママにこれでもかというぐらい怒られた。私はもっと泣いた。食べ終わったイルはただ静かに立っていた。


 そんな忘れられない出来事に比べると、やっぱりイルはいい意味で変わってきている。

 私の謝罪を聞いて、イルは何事も無かったかのように済ました顔で佇まいを正す。


「やっぱり、綺麗だよイル。身体も顔も髪も」

「…………私は」

「うん。いつか絶対、私が気付かせてあげるね。髪、ちょっと乱れちゃったから整えるね」


 今度は丁寧に、イルの髪を綺麗にとかして整える。

 会話はないけど、私はこの時間が好きだ。イルもそうだといいな。少なくとも、嫌ではなさそうだけど。


 ゴーン──という音が鳴る。誰かが来たみたいだ。ちょうどいい感じにイルの髪もふんわりしている。

 来客となると迅速に対応するイルが、少し渋っている。

 時間帯的に──アイツだろう。


「私が出るよ。イルも行こ」


 短く返事をして、イルが後ろを着いてくる。


「やあ、ムーラ」

「こんにちはイルちゃん!げっ……ミトナもいるのか」

「げっとはなんだ、げっとは。私の可愛いメイドは私が守る」

「守るってなんだ、人聞きの悪い。あっ、イルちゃん今日も綺麗だね、特別に限定品のパン持ってきたよ!値段はいいから持ってて!」


 ムーラ──私の幼なじみの男でパン屋の息子だ。毎週末にパンを届けにくる。そして誰が見ても一目瞭然、イルのことが好きだ。チャラい見た目に反して初恋らしい。


「イルちゃん、一緒に明日どこかいかない?」

「いえ、私は……」

「そうかあ……それじゃあまた来週!」


 すげなく断られたと言うのに、傷つくこともなくムーラは帰っていく。流石、初期のなにを言っても無視なイルを乗り越えて今も尚アピールを続けている男は違う。むしろ、最近は遠慮がちな断りに脈を感じているぐらいだ。

 けれど、それはムーラの勘違いというわけでもなく、私もそう思っている。

 半年ぐらい前までは、ムーラに対する嫌悪感から断っていた様子だったけど、最近はなんというか、違う。

 イルが自分の劣等感から断っている、そんな感じがする。それを喜ぶべきかどうか、私は迷っている。けれど、これは大きな前進への足がかりになる、それは確かだ。

 私はイルのことが大好きで、一生一緒にいたいと思っているけど、どう頑張ったところで私とイルは主人と使用人でしかない。その関係性だと必ず限界が来る。

 だからこそ、なんだかんだ付き合いが長くて、信頼しているムーラに期待している。アイツなら、イルに新しい景色を見せてくれるのかもしれない。

 ムーラはイルの過去をなにも知らない。それが凶と出るか吉と出るかはわからないけど、それでも、賭けてみる価値はある。


 私が一言、「ムーラとデートしなよ」と言えばイタは何も言わずに従うだろう。けど、それじゃあなんの意味もない。それはあくまでイル本人の意思で踏み出さなければならない一歩だ。

 どうしたものかと、夜の屋敷を歩く。

 目の前に、薄明かりがみえる。

 イルの部屋だ。


「はっ…はぁ…はぁ……」


 中で、女の子が肩を震わせて荒い息を吐いている。

 座ると床までつく髪を片手で持って、もう片方の手にはハサミを持って。


「はぁっ……うっ……うぇ…」

「大丈夫──大丈夫だよ」


 えずく女の子に、大好きな使用人な、大大好きなイルを後ろから、そっと抱きしめた。

 銀色の綺麗な紙に顔を埋めてみる。うん、凄くいい匂いだ。


「最近、よく頑張ってるね」

「…………」

「どうして?……ムーラのこと?」

「──わかりません……けど、私なんとかしないと。このままじゃ……駄目なんです」

「うん」

「ムーラさんも、ミトナさまも、他の皆も、とても優しいから……だから……」

「うん」

「どうしたらいいのか、わからないんです。けど、なにかしなくちゃって……」


 いつもの様に、無機質な声だった。けれど、そこにあるのは確かな──確かな──なんだろう、わからない。

 私だって、こんなことを言われてどうすればいいのか、なにが正解なのかわからなくなってしまっている。

 駄目だ、イルのことなんて全部わかっているつもりでいたのになあ。


「──え」


 イルが驚きの声を上げる。それはそうだ。自分の頭の上で主人が泣いているんだから。


「あの……なんで……」

「わかんない、わかんないから、面白いこと言って」

「えっ……ごめんなさい……わかりません」

「ふふっ、そっか、それはまだ早いか」


 私はイルの髪から顔を上げて、イルの正面に座って、今は震えていないハサミを持った手の上に、自分の手を添えた。


「イル、私はイルのこと大好き。でも、イルのこと全然わかんない。だから、一緒に、頑張ってもいい?」

「わたっ…しは…。知ってます……。ミトナさまのこと……。優しくて、綺麗で、ちょっと変で、笑えない冗談をよく言って──私の大好きな、主人です」


 初めて、私はイルと正面から抱き合った。

 泣いているのは私だけだったけど、私の服を遠慮なく、強く強く握ってくれていて、それがなんだかとても嬉しかった。



 ゴーン──という音が響く。

 ムーラが来たみたいだ。イルが私に視線を送る、私も視線で返す。

 部屋から出る時、もう一度私を見てきたが、それには応じずに紅茶を啜る。


 玄関に向かうイルの後ろ姿を見て、私は思う。やっぱり綺麗だと。

 ちょっと痩せすぎかと思うぐらいのすらっとした体型も、ずっと眺めていたいような整った顔も、綺麗に肩まで切りそろえられた銀髪も──。


「いっよっしゃあああああああああああああ!!」


 しばらくしてから、よく知る幼馴染の雄叫びが聞こえた。

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