第13話 許す理由

「なにこれ。事情聴取みたいじゃない」


 壬生はその人をお店の倉庫、深月が閉じ込められて倒れていた場所に呼び出した。


 折りたたみの椅子とテーブルを置いて、ほかの場所とはちがう、安い蛍光灯の明かりが、一昔前の刑事ドラマのワンシーンに似ていた。


「みたいじゃないです。事情聴取なんです。どうぞ、こちらへ」


 壬生が、座っていた椅子から立ち上がり、一礼しながら正面の椅子を勧めると、不愉快そうに顔をしかめながら、柴田は席に着いた。


 体は細いが、態度が大きい彼女がその部屋に入ってきただけで、急に圧迫感があった。


 38歳。

 彼女には夫と幼稚園に通う一人息子がいる。

 つり目に細いメガネをかけた姿はどう頑張って見てみても、優しい母親のようには見えなかった。


 彼女は座るや否や机の上で両手を重ね合わせて、リズムを刻んでいる。


 見ているこちらがイライラした。


「まず……。今回こういう機会が設けられた意味は理解していますか?」


 問いかけると彼女は鼻で笑った。


 それはそれはわざとらしく。


 女性が取る態度とは思えないほど下品で、相手を嘲笑っているかのように。


「何もしてないよ?倉庫で本を整理していたら手が滑ってあの子に当たっちゃっただけ」


 きっと鼻からシラを切るつもりで、罪悪感すら抱かず、彼女は深月に暴力を奮ったのだ。


 深月が処理できない葛藤をどうにかして良い方向に持っていこうと努力しているのに、当の加害者がこれでは深月が報われない。


 壬生はもうこの時から既に、正面に座る彼女を殴り飛ばしてやりたくて仕方がなかった。


「別にその話を言ってるわけじゃありません。私はまだ機会を設けた意味を聞いただけであって、何の件で呼び出したかは言ってません。わからないなら、わからないと答えてください」


「……」


「認めましたよね?今の発言で。自分が大西さんに何かをした、と……」


 正面の柴田は、壬生の斜め上の方を見つめたまま視線が動かなかった。


 感情の見えない表情が気味悪かった。


「ね?柴田さん。手が滑って飛んでいった本が大西さんに暴力を奮ったんです。その寸前まで自分の手の中にあった本の過失責任を、柴田さんが負うべきなんじゃないですかね」


 リズムを刻んでいた柴田の手がゆっくりと停止して、ハッキリとその口から舌打ちが聞こえた。


「……クソが」


「暴言は控えてください」


 壬生はまさか彼女の本性がこんな人間だとは思わなかった。


 この行動を見て、ショックを受ける人はおそらく壬生だけではないだろう。


 普段の彼女は黙って仕事をこなす普通のスタッフだった。

 確かに、勤務歴の長い書籍担当のパートはとても仲が良かったけれど、問題行動もなければ、仕事のミスも少なくて、誰も3人が仲良くしていることを咎めたりはしなかった。


 でもそう感じていたのは、壬生を始め、ここで働く多くのスタッフが蚊帳の外にいたからだ。


 蚊帳の中の事件は、薄い1枚の布がモザイクとなって、外からは見えなかった。


 だから何が起こっているのか、社員を始め、ほとんどのスタッフが把握できていなかった。


 深月は、こんな、優しさの欠片もない人たちと3ヶ月もの間、毎日毎日仕事をしていたのか……。


 この時、壬生は深月が味わっていた苦しみをようやく理解して、胸が痛くなった。


 うまく隠されていたのかもしれないけれど、これは責任のある立場である以上、気づかなければいけない事件だった。


「それで……今回はどう言った理由で大西さんに暴力を奮ったんですか?」


「だから、あれは手が滑っただ……」


「ここまできてまだ認めないんですか?!」


 彼女が逃げようとする言葉を食い気味に遮った。


 許せなかった。


 まったく反省していない目の前の女性が。


「私はこんな面倒な事情聴取は警察に任せたいんです。今すぐ警察を呼んで、いくつもある証拠を提示して、傷害事件として扱って欲しい!あなたは、法のもとに裁きを受けるべきです」


「……」


「でも被害者である大西さんがそれを望まない!何の罪もない、あなたの旦那さんや息子さんを自分が傷つけてしまいたくないから、彼女は辛い気持ちを隠してあなたを許そうとしているんです。少しは反省してください!!」


 合うことのなかった視線が壬生のものに重ねられた。


 彼女は壬生のことをじっとみつめていた。


 瞬きもせず、ただひたすらに壬生の黒目を見つめて、そこに写った、いるはずのない深月をみつめていた。


 深月は笑っていた。


 無邪気な笑顔。


 そこには自分たちに出会わずに、きちんと仕事を習って楽しそうに働いている深月がいた。


 本当はそうなる予定だった。


 柴田さえいなければ、深月はそうして楽しい毎日を送るはずだった。


「……ぁ」


 柴田は急に自分が惨めになった。


 自分が暴力を奮った相手は、柴田の家族のことを思って、事を穏便に済まそうとしてくれている。


 それなのに……自分は。


 罪を認められない。


 それは、深月に出会って初めて、柴田が深月に抱いた罪悪感だった。


「柴田さん、話してくださいよ……。どうして、こんなことをしたんですか?」


 怒っていた壬生が必死に自分を抑えて、優しく聞いた。


 深月が、何も理由がないのに暴力を奮う人ではないと思う、と言っていたことを信じて、柴田の発言を促した。


 数分の沈黙のあと、柴田の目からは、静かに涙が零れた。


 憎たらしい顔が歪み、その目は苦しみを訴えていた。


「新人をいじめたかったわけじゃないの。なんでも良かった!誰かが不幸になっていく様子が見れれば」


 その発言は本当に人として最悪だったけれど、悲痛に歪んだ彼女の顔が、話を聞いて欲しいと叫んでいた。


「ゆっくりでいいので、話してください。大西さんも、それを望んでいます」


 そして柴田は言葉に詰まりながら、ポツリポツリとこうなるまでの経緯を話してくれた。


 柴田の夫は関東でも有数の大手電気機器メーカーで働いている営業マンだった。


 出会った頃は今とは違う場所で会う機会も多く、決して多くはないが安定した収入もあったことから2人はすぐに交際して結婚したらしい。


 その後、彼が今の部署に異動となり、全国、時には海外まで営業に飛び回ることになった。


 そんな生活が5年ほど続いて、子供を産むのが遅くなった。


 6年前にたまたま息子を授かって、息子はほとんど父親の顔を見ずに大きくなった。



 それが彼女の家族の事情だった。


「でも……私、最近わかったんですよ。あの人は若い女性と不倫してるんです。見かけちゃって……。私は息子を私立小学に入れたくて頑張ってるのに、あの人は家庭は放り出して仕事三昧。オマケに別の女まで……。このストレスを誰かに投げつけたくなったんです」


 そうして始まった新人へのいじめ。


 自分のストレスを他人に押し付けることで発散するなんて、信じられなかった。


 ただ、彼女がひとつだけ強調したこと。


「でも!暴力を奮ったのは今回が初めてです!嘘じゃありません!!」


 その言葉を信じるに足ることを柴田がしてきたとは到底思えなかったけど、その真剣な瞳が嘘を語るならば、もう壬生は騙されても構わなかった。


 何より、この部屋に入ってきた横柄な態度をとる彼女と、目の前で涙ぐみながら話をする彼女と、どちらが本物の彼女であるかは一目瞭然だった。


 強い人間は人の目を気にしたりしない。


 逆に言えば、弱い人間は他人からの評価ばかりを気にして、弱い人間に見えないように取り繕う。


 自分より何かが劣る存在を探し、見つけたら、その人の痛いところだけを突く。


 無心に、なんの意味もなく。


「……まあ、全て話してくれたあなたに免じて、その話は信じるとしましょう」


 壬生はそのあと、「ただ……」と続けて、困ったように眉を寄せた。


「悪かったとは、思ってます。悩みやストレスがあったとしても、私の全ての行動がやりすぎでした。すみません」


 ようやく自分の罪を認めた柴田だったが、壬生はどうしてもこの部屋に入ってきた時の彼女の行動が頭から離れなかった。


 理由があったとしても、あんな暴言を吐く人とこのまま仕事をしていっていいんだろうか。


「謝る相手は私ではないですよね。自分のしたことをよく考えて、きちんと大西さんに謝罪してください」


 深月は自分が倒れたのは精神的な面も関係しているから柴田たちのせいばかりではないと言っていた。


 でもその事情を柴田は知らない。


 きっと今後もその話を彼女にするつもりはないんだろう。


 それなら、二度と同じことが起こらないという保証はどこにもない。


 本当にこれで終わるんだろうか……。


「とりあえず今日は柴田さんしか出勤じゃなかったので、これで終わりにしますが、あなた達3人は自分がしたことをきちんと反省してください」


 恐らく主犯格だった柴田さえ罪を認めてしまえば、他のふたりが暴力を奮った理由を話すことはわかっていた。


 学校で起こるいじめと同じ。


 集団心理が働いて、個人のトラブルなら起こりえない暴力的な事件が起こったりする。


 今回もそれとほとんど同じだ。


 柴田以外の2人には深月を貶めるための暴力性も計画性も、持ち合わせてはいなさそうだった。


「あの……本当に、ごめんなさい。大西さんにもきちんと謝ります。お手数おかけしました」


 ドアノブに手をかけた彼女がこちらに振り返ってボソボソとつぶやいていた。


 これが演技じゃないと判断できる材料がない。


 次はもっと酷く、なんなら二度と深月が立ち直れないほどに暴力を奮われたら。


 自分の考えの甘さが、また深月を傷つけたら。


 あの子のように、死んでしまったら……。


「失礼します」


 そんなことを考えているうちに柴田はあっけなく倉庫から出ていってしまった。


 彼女が出ていってしまった部屋は、昼間だというのに雰囲気が悪くて、一気に寂しげになった。


 壬生は大きくため息をついて、正面の小さなテーブルに体をあずけた。


 テーブルに顔をつけるとひんやりと気持ちが良くて、そう言えばこの部屋には冷房がついていなかったことを思い出した。


 話に夢中で忘れていた。


 ユニホームに触れると中にインナーを着ているにも関わらず、背中のあたりが湿っていて、それを自覚した途端、急に体が暑くなった。


 時計を見ると5時50分になっていた。


 この部屋に入ったのが4時半くらいだったから、ざっと1時間はここにいたはず……。


 緊張しすぎて、時間を忘れてしまっていた。


「夢に作業指示出して早く帰ろう」


 ため息と一緒に独り言が零れて、自分の意志に抗って休もうとする体を叩き起した。


 即席の椅子とテーブルを畳んで持ち上げる。


 体でドアを押し開けて、書籍の作業場を抜けると、事務所はキンキンに冷えていた。


 汗をかいていた服が一気に冷やされて、寒気がした。


 いくらなんでも、冷房が効きすぎじゃないか……。


 壬生はまっすぐエアコンの温度を調節しに向かって、操作している途中でレジから戻ってきた斎藤に話しかけられた。


 なぜだか不機嫌な彼女は壬生目がけて小走りでやってきて、なんの遠慮もなくその背中をグーで殴った。


 普通に笑えないほど痛かったけど、不機嫌な理由の一つが恐らく自分であることに、薄々気づいていた壬生は、荒ぶった彼女に何も言えなかった。


「あのハゲ頭、マジで許さねぇ」


 どうやら壬生の大嫌いなハゲ人間も、斎藤の怒りに関わっているらしかった。


「その……一昨日はごめんね?約束すっぽかして」


「直が謝ることじゃないでしょ?あんたは社員としてやることをやっただけだし」


 斎藤は小柄で可愛らしい見た目に反して、ボーイッシュでハッキリとした物言いをする。

 こんな彼女だからこそ、壬生は10年近くになる付き合いを辞めようとは思わない。


 人付き合いには時に、はっきりと本音を言い合える時間が必要だ。

 でもその時間を良いものにできるかどうかは、やっぱり相性なんだろう。


 壬生は齋藤のことを最高の友人だと思っていた。


 友情以下になることも以上になることも永遠にない。


「悪いのはあのハゲだよ。何が起こってからじゃ遅いのに何もしようとしなかった!!」


 斎藤が深月と過ごした時間は本当に極わずかだったけど、無邪気な深月の一面を知っている齋藤にとって、彼女が傷つけられたことは許せないものだった。


「今回の件、大西さんは特に大事にしたくないみたいなんだよね……。でもそうなると、店長は管理不行きを誰にも指摘されないことになる」


「大西さんはその事について何か言ってた?」


「いや。さすがにまだそこまでは気が回らないかな、とは思うんだよね」


「そか」


 斎藤は怒りを沈めて、レジで作っていたPOPを片付け始めた。


 人気タイトルの続編の発売日が近づいている。


 売り場の展開も、販売上注意しなきゃいけないことをスタッフに認知してもらうことも、やらなければいけないことはたくさんある。


 本当はゲームの仕事だけをしていたいけれど、社員である以上、そうすることはできない。

 働く、ということは、人が関わる、ということだ。


 それをうまく循環させるのも仕事のうちだ。


「考えると頭痛くなってきた……」


「働け働け〜若者よ。今のうちらには、きっとそれしかできないよ」


 小学校中学校、高校。高校に至っては部活まで同じの齋藤は、壬生と離れていた社会人の期間に、壬生とは違う価値観を培った。


 社会が理不尽であることも、正しさを訴えてもそれが誰の耳にも届かないことがあるのだということも、彼女は知っている。


 彼女が働いていた前の会社はいわゆるブラック企業だった。


 寝る間も惜しんで働いても働いても、頭を下げて相手の顔色を伺う日々。


 だから斎藤は、人として生きられなくなる前に仕事を辞めて実家に戻った。


 高校卒業後に大学に進学した壬生と就職した斎藤。


 ずっと一緒だった2人が1度離れてしまえば、二度とその道が重なることはないと思っていたけど、壬生が社会人3年目を迎えた頃に、斎藤が実家で今はなんの仕事もしていないと言うのを聞いて、このお店に誘った。


 もちろん給料がいいわけではないし、契約社員という非正規の雇用だ。


 でも、もともとゲームも漫画もアニメも大好きな斎藤にとって、その職場は十分だった。


 人として生きられるのなら、もうどんな仕事でもできる気がしていた。


 だから齋藤には壬生への感謝の気持ちがある。


 別にあのまま何者にもならず、実家で遊んでいるのも悪くはなかったけれど、やっぱり生きる条件は最低限必要だった。


「うん。そうだよね」


 壬生の頭にそっと斎藤の手がのってくる。


 ギリギリの身長差で頑張って手を伸ばさないと届かないけど、そのスキンシップが今の壬生には勇気になった。


「ま、って言いましても、私は今日はもう帰ります」


「ちょい!この流れで帰るか普通!!」


「定時退勤大事。我社isホワイト!だからね」


 よほど店長なんかよりも斎藤に相談した方が、深月のされたことを早く解決できるだろう。


 でもそう出来ないのが現実だ。


 斎藤にはその権限がない。全くと言っていいほど、今回の1件には関係ないのだから。


「ありがとうね、夢」


「うん。頑張れ。あ、あと大西さんにもよろしく言っといて」


 遅番の斎藤を置いて、壬生は退勤した。


 柴田と面接したこともあって、酷い疲労感があったから早く帰ってしまいたかった。


 タイムカードをきって、自分のロッカーへと向かう。


 数時間ぶりにスマホを開くと深月からのメッセージが入っていた。


『お仕事お疲れ様。無事怪我の治療が終わって、頭の包帯が取れたよ!今日の夕飯はハンバーグだから、気をつけてかえってきてね』


 親からもこんなメッセージを貰ったことがない。


 こんなにも帰宅することを待っていてくれた人が今までいただろうか。


 壬生は自分の胸がきゅっと締め付けられるのを感じて、荷物を片付けることでそれを忘れようとした。


 これまでの27年間、結婚願望なんてものはなかったけど、待っている人がいるというのも悪くないな、と思って急いで職場を後にした。

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XYZ_a 白うさぎ @usagi365

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