第12話 日常のヒトコマ

 こうしてバイト先の上司改め、3つ年上の友達とのルームシェアが始まった。


 彼女は料理ができないと言う割に、ほかの家事は積極的にやってくれて、本当に料理だけが苦手だった。


 そのおかげで量は2倍になったけれど、家事を分担することで負担が大きく減った。


 深月の担当は料理と洗濯物をたたむこと。

 壬生の担当が掃除と洗濯だ。


 そのリズムがちょうどよかった。


 ルームシェアは色々と面倒とよく聞いていたけれど、部屋が別れていることもあってプライバシーが守られて、生活は快適だった。


 生活習慣はガラリと変わった。


 朝ごはんを作るために起床する時間が早くなって、逆に壬生が洗濯をしてくれるから就寝時間が早くなった。


 もともと深月が物置にしていた部屋を壬生の部屋にして、溢れていたものをリビングや深月の部屋に移した。

 しばらく使うことがなさそうなものは壬生の部屋のクローゼットに入れて、必要な時だけ彼女に取ってもらうことになった。


 こうして整理してみると、溢れかえるものも上手に管理できるもので、壬生用に完璧な空室を用意することができた。


 壬生はルームシェアをすると決めた日の夜に、さっそくネットでダブルベッドを注文したらしく、今は寝る時だけ彼女の部屋に行って、そこで朝を迎える。


 不眠傾向のある深月のためにアロマを焚いたり、加湿器を買ったり、いたれりつくせりだった。


 ふかふかのベットは本当に寝心地が良くて、彼女と眠る時はいつも深い眠りに落ちた。


 何もかもが順調に進んでいた。


 でもガラリと変わったのは生活だけじゃない。


 仕事も、環境が大きく変化した。


 深月が怪我をした次の日、朝食を食べ終えたあと、深月は自転車を、壬生は車を回収しなければいけなかったから、お店に向かった。


 長い時間をかけて、たくさん二人で話しながら歩いた。


 そして出勤していた店長と3人で話し合う場所を設けてもらって、今後について話し合った。


 壬生が提案したのは深月の担当替え。


 書籍のパート3人を辞めさせるのが今回は一番適当なのは誰もが理解していたけれど、一気に3人のスタッフがいなくなることはお店側にとって不都合だった。


 3人の勤務歴は長い。


 それが現状打てる手の中で一番誰も損をしない良策だった。


「大西さんはそれでいいんですか?自分に暴力を奮ってきた人とこれからも一緒に仕事するんですよ?」


 深月があっさりと承諾してしまったから、提案してきたのは壬生の方なのに、彼女が驚いていた。


 壬生はそうして真剣に考えてくれたけど、彼女が真剣でいてくれたからこそ、深月はそれでいいと思えた。


 彼女の選択はきっと間違いじゃない。


「ひとつだけ、社員の方にお願いしたいことがあります。私がそうしてもいいんですけど、また暴力を振るわれないとも限りませんから」


 壬生が深月の代わりに3人を許さないでいてくれる。


 だから深月は許せない気持ちをどうにか良い方向に持っていきたかった。


「3人から今回の1件が起きた理由を聞き出して欲しいんです。多分、むしゃくしゃした、とか、私が仕事できないから、とか適当に言うと思うので、それを根掘り葉掘り具体的に話を聞いてください。理由を知れば、私も気持ちの整理がつけられます」


 椅子に深々と腰掛け、腕組み足組みをしてふんぞり返っている店長が、くだらなさそうに鼻を鳴らした。


 思い切り手をにぎりしめて、それで殴ってやりたいくらいだった。


「許可しましょう。ただ、業務に影響がない範囲でお願いします。あとは壬生さんにお任せしますから」


 投げやりな店長はそう吐き捨てると、右手をあげてひらひらと揺らした。


「さ、さ、今日はもう帰ってください。営業時間内なので仕事をします」


 どうせ店にいたって大したこともしないくせに、と2人は心で同じことを思っていた。


 深月の隣にいる壬生は悔しそうに俯きながら、男らしく膝の上で拳を握っていた。


 立場上、自分より社員ランクの高い店長に壬生が文句を言うことはできなかった。


 そしてもちろん、深月はそれをわかっていたし、そうして欲しいわけでもなかった。


「帰ります。お疲れ様でした」


 そう言って、立ち上がった2人を店長は見てすらいなくて、深月の頭の中は疑問でいっぱいだった。


 どういう生き方してたらこんな人になるんだろうか。

 こんな極悪人だから、神様のイタズラで髪の毛もなくなってしまったんだろうか。


 無意識に口角が上がってしまった。


 ロッカーから昨日は持ち帰ってあげられなかったリュックを回収すると、カバンの中から1枚のメモが出てきた。


 LINEのIDと斎藤夢と言う名前がシンプルに書かれている。

 壬生と同じゲーム担当で、漫画の話で盛り上がることの多い彼女だった。


 昨日は彼女も出勤だったから、なぜそこにそんなメモが入っていたのかは何となく想像ができた。


 心遣いに感謝した。


「帰ろう。深月」


 壬生に声をかけられ、数人のスタッフの視線を感じながらも事務所を抜け、営業時間内なのでお店に通じるドアから他のお客さんに紛れて退店した。


 当初の予定通り、壬生の車に自転車を積みこんで、二人でそのまま買い物に向かった。


 深月の頭にはまだ包帯が巻かれていたし、出歩くべきでないことはわかっていたけど、そうしたかった。


 家に大人しく、なんて到底できるような気分じゃなかった。


「あのハゲ頭にさ、油性のマッキーで絵描いてあげたいよね」


「いいね、それ!私絵だけは得意だよ」


 車に乗り込んで、全力で店長の悪口を言った。


 何も悪くない人に対しての悪口はよくないけど、本当に悪意のある店長みたいな人にはこれくらいがちょうどいいんだと思う。


 それくらいしてやらないと不平等だった。


「さ、あんなやつ忘れて行こっか!」


 車が走り出してから、深月はさっきのメモにもう一度目を通して、斎藤のLINEを追加した。


『追加しました。大西です。ご心配おかけしました!元気です』


 と挨拶を交えたLINEを送ると直ぐに既読がついて、今日は彼女も休みであることを知った。


 となると、今日は本当にスタッフが少なくてお店が忙しいのか。


 店長が自分たちをただ追い払いたかっただけだと思っていたけど、本当に仕事が多いみたいで、なんだか残念だった。


 どうやら悪気のなかった人に悪口を言ってしまったみたいだった。


 しばらくLINE画面を開いたままにしていると、数分も経たずに斎藤からメッセージが帰ってきて、即既読をつけてしまったことが少しだけ恥ずかしかった。


『別に心配したわけじゃないよ。まあ、元気なら何よりだけどさ。直と一緒に暮らすんだってね。よろしく頼んだ』


 身長が低いのに、それに似合わずボーイッシュな彼女がそう言ってる姿が目に浮かんだ。


 そこら辺の男性よりも彼女は圧倒的にカッコイイ。


「直ちゃんは斎藤さんと仲いいの?」


「ん?夢?仲がいいって言うか幼なじみだからさ。前の会社辞めて、ニートしてたあの子を今のお店に誘ったの」


 なるほど。


 それならば斎藤の「よろしく頼んだ」も頷ける。


 今後なにかがあったら彼女に相談しよう。


 きっと深月より壬生のことをよく知ってるから。


『壬生さんのことお借りしますね。今後ともよろしくお願いします』


 そうメッセージを送って、LINEを閉じた。


 斎藤のLINEのアイコンが深月の描いている漫画の主人公で、思わずガッツポーズをしたくなるほど嬉しかった。


 あっという間に車は駅前の街で1番の繁華街にはいって、大型スーパーの駐車場でとまった。


 数える程しか来たことのないスーパーで壬生と買い物をすることが楽しくて、壬生の食べたいものを聞きながら買い物をしていたら時間があっという間に過ぎた。


 あまり見たことのない食材を試しに買って、それを作って壬生の喜ぶ顔が見れることが楽しみだった。


 今ならこの世の誰よりも美味しいご飯が作れそうな気がした。


「本当にいいの?警察に届けなくて……」


 お菓子売り場に入ると壬生は目の色を変えて、駄菓子コーナーに釘付けになっていた。


 こうしていると壬生と初めて出会った日のことを思い出す。


「いいの。許せるか許せないかで言ったら、そりゃもちろん、許せないけどさ」


 あの日、深月は勝手に作った分厚い壁の向こうから、まるで小説の中の人を見ているかのように、お菓子を見ている壬生を眺めていたのだ。


 期間限定に惹かれずに、美味しさをよく知ってる定番品を選ぶ彼女をただ眺めていた。


 今はそんなことはありえない。


 もしも彼女が今でも小説の中の人に見えるなら、きっと深月自身も小説の登場人物の1人に過ぎないんだろう。


 それくらい、深月と壬生の距離は縮まっていた。


「私は何もしてないのに、理不尽すぎるよね。でもさ、ここで私が警察に届出を出せば、無関係の彼女たちの家族が傷つくからね」


 自分のせいで誰かが傷つくところは、もう見たくなかった。


「だから、いいの!とりあえず理由だけ聞いてさ、そうだったんだね〜って思って早く忘れちゃいたい」


  深月は駄菓子を眺める壬生の隣に並んで、その肩にそっと寄り添った。


 深月は恐らく壬生が駄菓子を見つめているのはわざとなんだと、その仕草や言葉の返し方でわかっていた。


 深月の発言を促すために、多分彼女はわざと目を合わせなかった。


 だから、合図を出す。


 こっちを見て。


「美味しいご飯、頑張って作るから!お菓子はひとつにしよ」


 カゴに数え切れないほどのお菓子を入れている彼女に、どこかで聞いたことのある一言を投げかける。


 その一言が日常に戻るキーワードだった。


「大人買いはー?私子供じゃないんだよ?」


 冗談だと彼女も分かっているはずだったけど、本気で説得しようと深月の腕に絡んでくる彼女が本当に可笑しくて、深月は口を抑えて笑った。


 こんな風に誰かと気持ちが通じ合える日々が、ずっと続いていけばいいと心の中で願っていた。


 結局、買い物袋が3つになるまで買い物をしたが、2人分だと思えば重くもなかったし、コスパ的にもよかった。


 もう、コンビニでの買い物には戻れない気がした。


「明日、もう1回病院行くんだよね?」


「うん。それでもう1回手当したら頭の包帯も取っていいんだって」


「一人で行ける?明日も早番だから一緒にはいけないけど……」


「大丈夫。病院くらい一人で行けるよ」


 あまりにも彼女が深月を甘やかすから、恥ずかしくなって視線を逸らした。


 それを見ていた壬生は卵が入った袋を危うくぶつけそうになって、ギリギリのところで防いだ。


 電灯の柱の前に深月が立って卵がぶつかるのを防ごうとして、壬生は袋を両手で抱えた。


 アメリカンコメディーみたいに挙動不審なお互いを笑い合った。


 深月が柄にもなく大きな口を開けて笑っていると、彼女越しに手を繋いでスーパーの駐車場に入ってくる親子がみえた。


 小学生くらいの女の子と父親一人。


 ど平日の昼間になぜ小学生の女の子が買い物に来るのか、父親も仕事じゃないのか、2人の様子が気になったけれど、じっと見つめていると壬生が不審がって振り向いていた。


 それでもその親子は深月たちには気づいていないようだった。


「幸せそうなのを見てるのは辛い?」


「さすがにそこまで卑屈じゃないよ。まあでも、羨ましいなとは思うかな。私もよくわかんないんだけどね」


 スーパーの出入口から少し離れたところに停めた壬生の白い車が見えてきて、2人の足は自然とそちらに向いた。


 2つ袋を持った壬生は深月の頭を撫でたいのに、手があかなくて、代わりに自分の肩で深月の肩をポンと叩いた。


「私、深月と友達になれて幸せだよ。お互いのこと、まだよく知らないけど、一緒に暮らせることになって本当に嬉しい」


「何?急に……」


「周りから見たらきっと私たちもあの親子と同じように幸せに見えて、羨ましがられてるよ、きっと」


 もはや隠そうともしていない壬生が不思議すぎて、恥ずかしいことを言われたのに大笑いしてしまった。


「え、え?笑うとこ?」


「いや、もう……ストレートすぎて逆に尊敬するわ」


 深月が笑ったせいで不貞腐れてしまった彼女は、ようやく自分の車について、深月の隣から離れていってしまったけど、荷物を下ろして、運転席と助手席に座ると再び2人は隣に並んだ。


「私もだよ。直ちゃんと仲良くなれて……嬉しいし、幸せだよ」


「ん」


 ぶっきらぼうに返事をする壬生は、自分から言い出したのにその顔を赤面させて、それを隠すかのように真っ直ぐ前を見て、車を動かした。


 家に着いたのはおやつの時間の少し前。


 止めたのにお菓子を大量に買った彼女のものを少し拝借して、それを食べて壬生も深月も軽いお昼を済ませる。


 壬生はそのまま、荷物を取りに行くから、と言ってアパートから車で10分の場所にある実家に一度帰った。


 暇を持て余した深月は本棚から小説を1冊取り出して、懐かしい父のデビュー作を読み直すことにした。

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