第11話 おはようとおやすみ
そうしてしばらく泣いて、汗と涙でぐしゃぐしゃになった深月を壬生はお風呂に入れてくれた。
泣いて、衰弱しきっている深月の服を脱がせ、頭に怪我があるせいもあり、首からからつま先までを丁寧に優しく洗ってくれた。
恥ずかしさはなかった。
あまり湯船に浸かると痛みが増すから、と湯船には入らずにお風呂からでて、服を来た後にもう一度お風呂場に呼ばれた。
「足湯しよ!」
バラが香るオイルをふくらはぎに塗られたと思ったら、そこから念入りにマッサージをされた。
「寝れない夜とか疲れた日はこうやって足先を温めようね」と凝り固まったふくらはぎをマッサージする壬生は、もうただの職場の上司ではなかった。
「迷惑かけて、すみません」
「だからさ、そこはありがとうだって」
「……ありがとう、ございます」
「お安い御用ですよ、お嬢様」
優しく笑いかけられて、深月もそれにつられて笑った。
足先が温まって、体がポカポカした。
暑さとは違う心地だった。
「眠い……」
「嘘!じゃあ、その眠さ忘れないうちに寝ちゃお」
彼女に足を拭かれて、そのまま寝室に連れこまれた。
布団なんてものはなく、泊まるということは必然的に一緒のベットで眠る選択肢しかなかったけれど、今日はちょうどよかった。
誰かと一緒に眠りたかった。
「大西さん。もうちょっとこっち」
お風呂に入る前にかけておいたクーラーは十分効いていて、タオルケットをかけても少し寒かった。
隣で眠る彼女が当たり前のように抱き寄せてくるから、深月は柄にもなく素直に抱きついた。
食器もあらってないし、洗濯もしてなかったけど、今日はもう眠ってしまいたかった。
「大西さんさ、その……深月って呼んでいい?」
彼女の胸に顔を埋め、そこで頷く。
傍から見れば、驚愕の状況だ。
友達と言えるかどうか曖昧な二人が抱き合って眠る。
でも、それは深月たちだから許された。
女同士だからできることだった。
「私、この家に引っ越してきてもいいかな?荷物はあるけど、部屋余ってるみたいだし」
「……突然ですね。私たち、今日で急激に仲良くなりすぎです」
「さすがにどさくさに紛れちゃってるかな?でもね、今の状態の、み、深月をね、私は1人にしたくないの」
深月の体に回されていた手がそっと頭を撫でた。
それは初めてのことだった。
生々しいが、古美門とはキス止まりでその先にいくことはなかった。もちろん女性同士にも性交渉というものがあることは深月も古美門も知っていたけど、抱きしめてもすぐ離れ、キスをしてもそれ以上触れたくなるなんてことはなかった。
古美門は深月に触れるのを怖がっているようだった。
「そ、それにさ。私、実家暮らしだけど、その……両親との関係がうまくいってなくて。近々家を出ようと思ってたの」
「私はちょうどいい女だと」
「そんなこといってないよ」と彼女は手を大きく振ってオーバーリアクションをし「そんなことはない」ともう一度静かに言い直した。
「深月の症状は良くなるかもしれない。でもそうやって解決しようとすることが正解だとは言いきれない。私には何もわからないけど、深月がお父さんに会いたいと思うなら」
深月は再び彼女の腕の中で頷いた。
「少しずつ一緒に考えてみよう。未来のこと」
また、涙が出そうになった。
それをぐっと堪えて、深月は歯を食いしばった。
父に会うのは怖い。今だって暗闇から父がこちらを見てるような気がしてならない。
でも、壬生が抱きしめて深月を隠してくれている。
守ってくれている。
彼女と一緒なら、父に会える気がした。
「よろしく……お願いします」
深月に断る理由はなかった。
「シフトが合う時は車で送り迎えしてくださいね」
壬生は一度体を離し、深月の顔をのぞきこんだ。
その顔は喜びに溢れていた。
「ホントに?いいの?!」
ここで出会った人や物に執着しないと決めていた。
だってもう期限は決まっている。
手放さなきゃいけないものを愛しても、ただただ自分が辛いだけだ。
それでも自分と向き合おうと、手を伸ばしてくれている人から、背を向けて離れていくことはできなかった。
決意が崩れ落ちた。
「詳しくは明日話そうね」
「はい」
「うん。おやすみ、深月」
彼女は深月の頭を撫でるのをやめなかった。
ぎゅっと抱きしめられて少し苦しいような気もしたけれど、その温もりに包まれて深月は目を閉じた。
体がだるくなって、動きにくくなった。
でもいつもみたいに意識が覚醒することもなければ、まるで石を積まれたみたいに体が重くなることもなかった。
そのまま深月は深い眠りに落ちた。
だから彼女がいつ深月を撫でる手を止めて、眠ったのかはわからない。
そんなことは初めてだった。
そんなことをしてくれる人は24年間生きてきて、父以外にいなかった。
深月にとってそれは13年振りの眠り。
眠りと言うものがこんなにも幸せだとは思わなかった。
××××××
目覚めるとまくらより硬いものの上に頭があった。
丸みのあるその硬さの上で首を動かすと、それがピクリと動くのを感じた。
「わぁっっ!」
その動きに驚いて飛び起きると、シングルベッドの上には力なく横たわっている右手があった。
どうやら深月はその上で一晩中寝ていたみたいだった。
持ち主がまるでもう自分のものではないかなように、上手く動かない右手を痛そうに体に引き寄せていた。
「朝から元気いっぱいのようで」
その声に深月は苦笑いで返すことしかできず、昨夜の出来事を思い出すまでに少しの時間を有した。
深月にとってこんな深い眠りは13年振りのことで、眠ると記憶が曖昧になることなんて知らなかったのだ。
ベッドに寝転んだまま左手で目をこする彼女は紛れもなく深月のバイト先の上司で、憧れの人だった。
「あれ?わ、私、昨日……。え?なんで?覚えてるのに、わけわかんない」
「おもしろい!普段冷静でクールな大西さんって、家だとこんななんだね」
壬生はベットから起き上がって深月の顔をみて笑った。
きっと、自分では想像出来ないほどおかしな顔をしていたんだろう。
昨夜病院から帰宅して、その後に何があったのかをひとつずつ、思い出す。
「寝れた……んですね。私」
「そう……。寝れたなら、よかったね」
「なんだか、不思議です。むちうちで体中痛いのに、今ならフルマラソンでも完走できそう」
天井に向かって両腕を伸ばして大きく伸びをした。
大好きな朝の日差しも今日は一段と美しく見えた。
恐怖を終えた朝を今までだって好きだったけど、明かりに包まれたいつもの家がこんなにも色鮮やかに見えたことはなかった。
アニメや漫画でよく、世界が色づいていった、という表現があるけれど、それはこういうことだったんだと身をもって知った。
「今日から、その……よろしく、お願いします、ね」
肘をついて頬杖をしながらこちらを眺めている壬生に深月はそっとつぶやく。
壬生が深月の髪に手を伸ばして、優しく撫でるから、その慣れない仕草がくすぐったかった。
「あとで、色々決めようね。まあ料理は深月に任せるとして、私もちゃんと家事できるように頑張るからさ」
「はい」
時間がゆっくり、進んでいった。
ここじゃない場所ではいつもの様に慌ただしく仕事に向かう人たちがごった返しているような時間帯。
深月と壬生の世界だけがゆっくりと進行していた。
「朝ごはん、食べたい」
「……私、いつも朝は食べないんですよね」
「そんなんダメだよ!諸説あるって言うけどさ、朝は絶対に食べなきゃ!」
前のめりで深月に訴える壬生がおもむろにベットから降りて深月の腕を引くから、深月はされるがまま彼女の後ろについてキッチンへ向かった。
朝食をつくるのはもちろん深月だ。
「私、洗濯機回してくるよ。洗い物ある?」
「んー。昨日出したと思います。あ、洗剤は洗面台の下です」
きっと、壬生じゃなかったらこの距離感を許せなかった。
いきなり深月の生活領域まで土足で足を踏み入れてくるなんて、他の人には絶対させなかった。
でも。
初めての朝からリズムが良くて、なんだかこれからの毎日が楽しくなる気配がした。
「いいな、誰かが隣にいるって」
脱衣場にいる壬生にはきっと聞こえなかったであろうその一言を、深月は胸の中で味わって、満足してから冷凍庫を開けた。
もう冷蔵庫には何も入ってない。
二人用の食材も買ってこなくちゃ。
そう思って、冷凍した余り物がないかと中を覗いていたが、奥に冷凍したパンがまだ2個ほど残っているのが見えた。
思い切ってそれを取り出し、夏場の気温で自然解凍するように日差しの当たる窓辺に置く。
もうそろそろ、このパンを食べきらなきゃいけない時だ。
バタースコッチとクロワッサン。
深月が大好きなパン。
「深月。洗濯機、回しておいたよ」
しばらく光を浴びたパンたちを眺めていたら、脱衣場から壬生が戻ってきて、それを見つめる深月の隣に並んだ。
「冷凍にしてたの?」
「はい。引越しの日に友達が持たせてくれたけど食べきれなくて」
袋についていた氷の結晶が溶けだして、下に敷いた新聞を濃い色に染めた。
じわじわと広がっていくシミを二人で一緒に眺めた。
「実はさびしくなっちゃうから食べ残してたりして」
「え?」
「食べきっちゃったらなくなっちゃうから、もったいなくて食べ残してたんでしょ〜」
深月の脇腹をつつきながら、壬生が笑った。
その言葉にドキリとした。
「ちがいますよ」
それにつられて深月も笑顔になったけれど、心の中は図星をつかれて冷や汗をかいていた。
「ホント。そういうんじゃないので」
彼女がこちらを見つめる視線には気づいていたけれど、気づかないふりをして、溶けかけのパンをオーブンにいれた。
どうやら彼女は変なところで察しがいいみたいだった。
「パンひとつじゃ足りないですよね?」
「んー。なんか、味噌汁?とかある?」
「ありますよ。昨日の残りのやつ」
「ん!それがいい!」
ねえ、怜。
深月は心の中で遠い場所できっと今日も頑張っているであろう元恋人で親友に語りかけた。
怒らないでね。
私は私の道を進んでいくよ。
香ばしい匂いがして、ちょうどいい焼け具合のパンをお皿に出した。
バターが香る甘いパンに合うようにとコーヒーを落として、マグカップに注ぐ。
既に席についていた彼女の前に、赤いマグカップを置いた。
「これからは赤を壬生さんのにしましょうね」
「ねえそれ!私が深月って呼んで敬語もやめてるんだから、深月もそうしてよ〜」
バタースコッチかクロワッサンか、選んで欲しくて彼女の前に差し出すと、彼女はバタースコッチを選んだ。
ご希望通りにコーヒーの隣に味噌汁を置くと、彼女は手を合わせずに深月の返事を待っていた。
「そんな、急にできないですよ」
「まず、名前!私の下の名前知ってる?」
素直に。
素直になったらよかったんだ。
母にも、妹にも、そして古美門にも。
そばにいて欲しいなら、抱きしめて欲しいなら、素直に言うべきだったんだ。
小さい頃からずっと悩んできた。
色々なこと。
なぜ自分は周りと違うのか。
ほかと同じようになれないのか。
まず、自分に向き合うことが多分、深月には必要だったんだと思った。
だから素直になろう。
自分の気持ちに。
「素直さん。
「なんだ、知ってたのか……」
彼女はそのあと手を合わせて「いただきます」と囁いた。
1番初めに味噌汁に口をつけた彼女はそこまで熱くもないそれにふぅーふぅーと息をかけた。
その姿が相変わらず可愛かった。
「直ちゃん、で……その、いいですか?」
「……うん。ちゃん呼びは、少し恥ずかしいけど。壬生さんよりはそっちのが嬉しい」
彼女が大きな口でバタースコッチを頬張った。
サクッといい音がして、普段は朝食なんて食べない深月も腹の虫が鳴きそうな予感がした。
「いただきます」
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