「悪魔か」

「初めまして。オリル・ファーガスト」


 声は静かに、だけど確実にファーガストの心に届く。


「……なんだ? 何者だ?」

「私は悪魔。貴方の『夢』を介して話しかけています」

「夢?」

「そう。私は夢魔。夢を司る悪魔。七大邪神『色欲神ヘカテ』の三姉妹の一人、モルモー」

「悪魔か」


 ファーガストは唾棄するようにその言葉を呟いた。

 古今東西、悪魔により破滅したモノの話は枚挙にいとまがない。曰く、街一つが魔術の部隊となった。曰く、今なお続く戦乱の引き金を起こした。曰く、全ての人間が怠惰になり国が滅んだ。曰く、大陸に巨大な穴が開いた――


「帰れ。悪魔に用はない。私はこの国を憂う貴族だ。国を亡ぼす存在に用はない」

「ええ、その通り。私が国を亡ぼす存在なら、貴方は相容れない。

 ですがご安心を。私は願いを聞くだけ。貴方が国を良くしたいと思うのなら、私はそれに準ましょう。貴方の望む国を作りましょう」


 にべもなく断るファーガストに、声は届く。

 つまらない、と切り捨てようとするファーガストの耳に悪魔が囁く。


「憎くありませんか? 平民が」


 チクリ。


「自由奔放。そんな冒険者などいない方がいいと思いませんか?」


 チクリ。


「自由。それは管理されていない存在です。その暴走で失われる命がある。彼らを正しく管理することが、貴族の務めだと思いませんか?」


 チクリ。


「国を思うのなら、民は管理されなければなりません。その為の力、その為のジョブ。貴方にはそれを管理するだけの能力があります。

 ええ、そうですとも。これは国を守るため。国を良くするために必要な事なのです。私はその為の手伝いがしたい」


 悪魔は囁く。甘言を。都合のいい言葉を。

 無視すべきだ、という冷静な部分は確かにファーガストにあった。このまま無視すればこの声は消える。そんな確信もあった。


「……そうすることで、お前達に何の得がある」


 だが、聞いてしまった。悪魔の囁きに乗ってしまった。


「『貴方の願いをかなえる』と言う事を楔とし、世界に干渉できる。私達悪魔はそういったことがないとそちら側に干渉できないっひ弱な存在なのです」

「ぬけぬけと。悪魔が弱いなど誰が信じる?」

「ですが事実です。私達は契約内容の範疇内でしか力を振るえない。逆に言えば、貴方の願い以上のことはできないのです。

 貴方が国を滅ぼしたくないのなら、国は滅びない。それは約束します」


 突き刺さる言葉。突き刺さる願い。


「……いいだろう。契約を結んでやる」

「分かりました。では私の妹、エンプーサをお送りします。後、姿はサービスしておきますね」


 何のことだ、と眉をひそめたファーガストだが目の前に現れた存在を前にしてその意味を理解する。


「リーゼ……」

「いいえ。私の名前はエンプーサ。ですが貴方が望むのなら、その名前の持ち主を演じましょう。魂を卸し、その人格のままに生きましょう」


 その姿は、失ったリーゼそのものだった。

 悪魔め。ファーガストはそう心の中で呟き、そして――


「いえ、それには及びません。これからも、よろしくお願いします」


 と、うやうやしく首を垂れた。

 貴様はリーゼではない。ならば同じような態度などとってやるか。徹頭徹尾、リーゼに似た何かとして扱ってやる。卑屈に頭を下げ、まったく違いなにかとして慇懃に扱ってやる。


「私のことは、ファーガストとお呼びください。……けしてオリルと呼ばぬようにお願いします」


 その呼び方は、リーゼにだけ許された呼び名だ。


「ふぅん。いいわ、納得してあげる。早速だけどファーガスト。私は何をすればいいのかしら?」

「今使っていない私の館があります。先ずはそこで――」


◆       ◇       ◆


 エンプーサとの仲は、決して悪くはなかった。そして同時に、それ以上進行しなかった。

 ファーガストはエンプーサを徹底的に『亡き妻に似た何か』として扱い、エンプーサも契約相手以上の感情は抱かなかった。

 それは複雑な事情があってのことだが、だからこそ関係は続いたのだろう。


「冒険者を喰らって、殺せばいいのね。それで、最終的にはどうしたいの?

 人を殺したいならすぐにできるわ。なんなら派手に殺してもいい」

「それは駄目です。殺す数も管理します。国にとって不要なチンピラだけを殺し、そうでない者は国の宝として殺してはいけません」

「なら、あの店に居る者だけを殺すというのは?」

「それだと民に不安を与えます。冒険に出て、その先で死ぬ。冒険者として戦えば、死ぬ。そういう方向でなければ意味がないのです。

 自由に生きることの恐ろしさと愚かさを民が知り、自主的に自由に生きる者達がいなくなる。それが私の望みなのです」

「気の長い計画ね。それでどうしようもなかったら?」

「その時は、愚民は皆死ぬしかない。貴族のみが管理する街を作り、それに従わない者は死ぬのみ。

 そうだ。民は管理されるべきなのだ。税を収め、貴族の為に生きる。自由など害悪でしかない」


 こうして、オリル・ファーガストは悪魔の囁きに身を任せることとなる。

 自由に生きる者に愛する者を奪われた貴族は、自由を憎みそれを殺すために――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る