「愛しています」

 その日もリーゼは入念な護衛計画を練って行動していた。

 危険と思われる場所を特定し、そこを避けるように動く。予想される敵に対して事前に接触し、自らの貴族の地位と実力をもって黙らせる。そういった行動が護衛対象の安全を生み出していた。

 そのやり方は冒険者時代から蓄積された事だ。そして逆に言えば、冒険者時代を知るものが見れば、その動きは予測できる。


「リーゼ、探したよ」


 例えば――元冒険者仲間のカルス。元々リーゼが所属していた冒険者パーティの『ブルームーン』のリーダーだ。ジョブは『黒魔術師ブラックメイジ』。バッドステータスでデバブをばらまく魔法使いだ。


「カルス? 珍しい所で……なんて言わないわ。先日から私を探っていたのは貴方なのね」

「ああ。政略結婚で貴族に奪われた君を不幸と忍んで連れ戻しに来た。貴族なんて籠に捕らわれる君は、キミらしくない」

「良く言うわ。家から話があった時に、喜んで私を売ったくせに」

「あれは……! そう、あれは気の迷いなんだ。だけど今は違う。君の必要性が理解できたんだ!」


 かつて、冒険者だったリーゼはランゲ家からの誘いを断った。だが、次の日パーティ一同から『お前はクビだ』と放逐された。何のことはない。彼らは金で買収されたのだ。

 その一言で寄る辺を失ったリーゼは破れかぶれになって婚姻を承諾。そして今に至るわけだが――


「君がいないとパーティは成り立たないことがよく分かった。君の魔法と剣技がどれだけ必要だったか、いなくなって理解できたんだ!」

「あらそう、ご愁傷さま。話はそれだけかしら?」

「……え?」

「私、今の生活に満足しているの。貴方の元に戻るなんて考えもしなかったわ。

 それじゃあね、カルス。お互い頑張りましょう」


 ひらひらと手を振って、その場を去ろうとするリーゼ。

 だがカルスはその手を掴み、止めようとする。


「ま、待ってくれ! 昔の君は『貴族になるなんて願い下げだ!』とか言っていたじゃないか! そんな君を救いに来たのに、なんでそんなことを言うんだ!」

「昔は昔よ。そんな事も分からないのかしら? 少なくとも、私を捨てた場所になんか戻りたくないわ」

「……そうか。貴族に洗脳されたんだな。自由を愛する君がそんなことを言うなんて」

「あのカルス、人の話聞いてる? そういうんじゃなくて――」

「<限定麻痺パラライズ>」


 リーゼの話を遮るように、カルスはスキルを使ってリーゼの動きを封じる。そして動かなくなったリーゼを見て物陰から出てくる冒険者達。


「あのリーゼが貴族に洗脳されるなんてな。洗脳魔法は解除しておかないと」

「俺達が、しっかり『説得』しないとな。今後のために」

「自由は大事だもんな。貴族のおきてに縛られるなんて、不幸すぎる」

「だよなぁ。この鎧は脱ぎ捨ててもらわないとなぁ」


 そして、街の闇に消えていく『ブルームーン』。そしてリーゼ。

 彼らは国防騎士の目から逃れるために治安の悪いスラムに身を隠し、そこで動けないリーゼを『説得』し続けた。肉体的に精神的に。貴族令嬢となった女性を、自分達に染めるように。


「そこまでだ! 誘拐及び拉致監禁、その他もろもろの罪により貴様らを拘束する!」


 国防騎士の手が彼らに伸びたのは、誘拐から半月後。これでも捜査としては異例のスピードだ。リーゼは精神喪失状態だったが無事救われた。

 だがそれはリーゼが半月という期間、下賤な欲望に触れていたということになる。

 そしてその事実は、貴族として致命的な疵となった。その噂は貴族界隈に広がる。なまじ護衛として名が売れていたからこそ、それは深い傷となることは予想できた。かつて平民として繋がっていた貴族の妻が、その縁から穢された――


『ごめんなさい。アナタに迷惑がかかるのが耐えられません。■■■■■■』


 そう書き留め、リーゼは自らの喉に短剣を突き刺し命を絶った。そうすることで、ファーガストに降り注ぐ汚名を雪ぐように。


『■■■■■■』


 最後に書かれた言葉は、何度も塗りつぶされて読み取ることはできなかった。

 それでも、目を凝らせば辛うじて筆圧から判断できる一つの言葉があった。


『愛しています』


 その言葉を知ったファーガストは、その日全ての使用人に休みを出して一人きりになったという。そこで彼が何を思いどうしたか。それを知る者はいない。

 リーゼの自殺をもって、この騒動は終わりを告げる。自ら命を絶ったという殊勝な態度をとったことにより、ファーガストを責める者はいなかった。ファーガストと言う家名は疵付くことなく、守られたのだ。


『下賤のモノに妻を汚された可哀想な貴族』

『妻は穢れた子を産むことなく、貴族の血を保った』

『貴族の誇りは守られた』


 リーゼ・ファーガストに対する評価は、概ねそのような感じだった。ファーガストはその評価に反論も賛同もなく、既に終わったことだと触れることはなかった。喪に服し終えれば、国の運営という荒波に忙殺されていく。

 そう。それで終わるはずだった。オリル・ファーガストはその傷を抱えたまま、貴族として国の歯車に準じるはずだった。


 悪魔が、囁かなければ。

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