「クーには、叶わないなぁ……」

 背中を刺された、と気づいた時にはすでに膝から力が抜けていた。

 支える者もなく、そのまま地面に倒れ込む。呼吸をしてもどこかから何かが抜けていくような感覚。

 これは助からない、とエリックは冷静に気付いていた。地面に頭があるおかげで、走ってくる音が響くように聞こえてくる。


「くそ、大将! おいロリっ子!?」

「…………無理です。ピラミッドに戻っても治せません」


 そんなネイラとケプリの声が聞こえてくる。

 なんとか首を動かせば、二人の姿が見える。苛立つように壁を殴るネイラ。無表情を装いながら、哀しんでいるケプリ。


「二人とも……。エンプーサが近くにいるか、ら……!」

「喋るな大将! 何とかなるから!」

「エンプーサは引きました。とにかくファラオはゆっくりとしてください」


 ああ、そうか。もうエンプーサはいないんだ。だったら安心だ。

 安心したら、眠くなってきた。あ、もうダメかな。でも二人は無事みたいだし、クーも麻痺が抜ければ復帰する。三人が無事なら――


「あああああああああああああああああああ!」


 クモの糸を近くの柱に絡ませ、それを引っ張るようにしてクーが飛んでくる。まだニームで麻痺が抜けていないのに、無理をしたのだろう。何とか動く手足で這うように近づいてくる。


「やだぁ! エリっち死んじゃやだぁ!」

「…………クー。無理したら、体痛めるよ」

「馬鹿ぁ! もっと自分のこと大事にしてよぉ! あーしのことなんかどうでもいいじゃないの!」


 泣いていた。

 涙を流し、体を震わせ、大声をあげて泣いていた。

 そこにあの笑顔はない。表情豊かなクーの笑顔はない。もしかしたら、これからクーは笑わないかもしれない。そんな気すらする。


(それは……嫌だな……)


 こんな時に思うことではないが、クーには笑っていてほしい。こんなふうに泣いてほしくない。いつも通り、笑っていてほしいのに。


『だーいじょうぶよ。あーしにかかればゴブリンなんて何匹来たって全滅不可避だから』


 脳裏に浮かぶクーの笑顔。


(これって走馬灯とか、そういうのかな……?)


 初めて会ったあの日、ゴブリンに怯えるエリックに向けた言葉だ。


『そーそー。だからよろしくね、エリっち!』


 これはオータム初日。<治癒ヒール>をかければ安全なのだと聞いた時の笑顔。


『うへへー。エリっちいい笑顔じゃん! イケメンだよ!』

『もー、しまんないなぁ。んじゃ、行こ!』

『しょーがないわよね。エリっちだし』


 思えばクーの笑顔には助けられてきた。

 背中を押され、うつむいた時の励みになった。

 その笑顔は、今のクーには見られない。顔をぐちゃぐちゃにして、泣き叫んでいる。

 クーだけではない。涙こそ流していないが、ネイラは肩を震わせて拳を握りしめている。あの直情で迷いなく進むネイラが、どうしようもないとあきらめの表情を浮かべていた。心折れ、どうしようもないと。

 ケプリもだ。冷静に状況を判断し、最善手を考える彼女が思考を止めている。沈痛な表情でエリックを見下ろしているが、その心が大きく乱れているのはエリックにもわかる。何か言いたげな唇を必死に結び、叫びたい言葉を押さえているのだ。


「……ぁ」


 泣かせているのは誰だ?

 クーを、ネイラを、ケプリを泣かせているのは誰だ?


(そんなの、僕じゃないか……大好きな女を泣かせるとか、最低だよね。僕……)


 嫌だ。

 そんな顔の三人を見るのは嫌だ。そんなのは耐えられない。

 でも体に力は入らない。刺された背中は致命傷だ。この場に治癒魔法を使えるものもいない。いたとしても失われていく命を紡ぐのとなれば、それこそ大儀式並の術式で、そんなのは世界を変えるほどの――

 世界を――変える――

 エリックの脳裏に一つ、浮かぶモノがあった。


(……………いや。は流石に駄目だろ、僕!?)


 頭を振り払……う体力もないエリックは、全力でその案を切り捨てる。

 そんなエリックの頬を、クーの手が包み込んでいた。

 エリックを見るクーの表情は、泣き顔ではない。


(え? あの、クー……もしかして、?)


 怒っていた。頬を膨らませ、鋭い瞳でこちらを見て、怒りを隠そうともしないクーの顔。

 エリっちあーしから顔を逸らさずに答えなさい、と言わんがばかりの表情だった。


「……エリっち、今何か思いついたって顔した」

(いい!? そんな顔してたの僕!)

「しかもあーしに遠慮するような顔だった!」

(なんでそこまでわかるの!?)

「あーもう! そんなのずっと見てたんだからわかるわよ! こんな時までそんな考えなの、エリっちは! 馬鹿ッ! エリっちの馬鹿ッ! 遠慮しないであーしを頼れ!

 っていうか! 隠し事して死んだらマジ許さないから! あの世に行って魂をぐるぐるに縛って連れて帰るんだから!」


(はは……。クーには、叶わないなぁ……)


 目に涙を溜めながら叫ぶクーの姿に、エリックは観念した。

 本当はきちんと説明して承諾を得たいんだけど、今のエリックに喋るだけの体力はないしそもそもそんな時間もない。


(<命令オーダー>発動)

(『クー、僕と融合して、一体化して』)


 ――クーの身体が光り、エーテルとなって姿を消した。

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