「その契約は――」

「おや。ホワイト様、お久しぶりです」


 ここはオータム冒険者ギルド。その事務室内。

 本来冒険者が入る正面口ではなく、職員が利用する通用口から事務室内に潜入したエリックは、まるで待ち構えていたかのような事務員の出迎えを受ける事となった。


「ええと……こんな所からで申し訳ありません。真正面から入ると国防騎士の見張りがいるかな、と思って」

「ご安心を。今は正面にも通用門にも国防騎士はいません。ホワイト様は冒険者ギルドから離れた、と判断されたようです」

「そっか……。とりあえずは良かったのかな」

「そうですね。ただホワイト様への疑いは晴れてはいません。ただそれ以上に重要な事項が発生したのです。

 そうそう、その件で依頼を一つ。ハクショクカラカサを――」

「いや、今はそれどころではなくて」


 流れるように冒険者用の依頼書を出そうとする事務員に静止のポーズをとるエリック。今は依頼を受けている余裕はない。


「その……クーから聞いたんだけど。事務員さんは、地獄の……悪魔なの?」


 後半は声をすぼめて問いかけるエリック。


 時間はわずかに巻き戻る。

『やっぱり犯人を捕まえるしかないんだよなぁ。でももう手掛かりはないし』

 言って唸るエリックに、クーはものすごく深いため息をついた。

『あーしはすっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごく嫌なんだけど』

 そう言ってクーは言葉を続ける。

『情報収集とか知識に関して、この上なく適しているヤツがいるわ。

 ヴィネっていう悪魔なんだけど』


「はい。そちらのアラクネの言う通りです」

「……マジか。傲慢系列の伯爵アール級悪魔がなんでこんな所に居るんだよ」

「あれ? ネイラ知ってるの?」

「ざっくり言えば、エンプーサと同列かちょい上ぐらいの悪魔だ。おいおい、ここは悪魔の見本市か?」

アラクネクー<森>の聖人ネイラダストオーバー世界の太陽神ケプリが堂々と闊歩する状況では、ちょうどいいバランスかと」


 肩をすくめるネイラに、淡々と告げる事務員ヴィネ。状況が理解できないエリックは、ただただ戸惑うだけだった。


「アンタに頼るなんて本当にムカツクんだけど、エリっちの為に仕方なく頼ってあげるわ」

「でしょうね。糸を紡ぐだけのアナタでは手詰まりで、こちらを頼ることはました。なのでお待ちしていた次第です」

「うわやっぱムカつく! 地獄のいい子ちゃんが!」


 クーとヴィネの相性は、水と油のようだ。感情優先のクーと、理性優先のヴィネ。性格的にも相容れないようだ。


「……ええと。正直よく分かっていないんだけど。

 事務員のお姉さんが、その……僕の状況についての情報を見ることが出来る……というのは確かなの?」

「はい。過去、現在、未来に置いて知ることが出来ます。当然、ホワイト様の事件に関しても」

「相変わらずずっこいチートな目。そうやってお高く留まってるのがあーしは気に入らないのよ!」

「ではお帰りになられますか?」

「それが出来ないってわかってるのに聞いてくるのが……あー、もう!」

「落ち着いて。クー」


 怒りの声をあげるクーを押さえるエリック。クーが知り合いだけどあまり話をしようとしなかったのがよくわかった。


「出来れば色々教えてほしいけど……その、悪魔っていうからにはやっぱり代償とかが必要なのかな?」

「はい。契約を結び、相応の代価を頂きます。今回の場合ですと、過去の削除、あるいは未来に得るはずだった栄光の削除となります」

「え? え? 過去と、未来?」

「はい。アラクネとの出会いから今までの事実。ホワイト様が築く未来。そういった『事実』か『可能性』を頂きます」

「あの、それは……記憶がなくなるとかそういうこと?」

「いいえ。過去そのものを改変します。『アラクネや聖人や元太陽神に出会わなかった世界線のエリック・ホワイト』をホワイト様に挿入召喚インストールする形になります。物語をリセットして書き直すようなものです」

「全然わからないんだけど……」

「気にしないでください。ホワイト様はそれに気づくことはありません。何事もなかったかのように、時間は過ぎていきます」


 現在の確かな情報。その代価は過去、もしくは未来。人間では理解できない価値観を持つ悪魔にとって、それは得難い事なのだろう。


「アンタ――!」


 クーは激昂しそうになって、息を止める。

 エリックの今の状況は崖っぷちだ。社会的に殺されたも同然と言えよう。それを挽回できるのなら、どんな犠牲を払っても構わないと思うかもしれない。

 例え、過去をなかったことにしても。


(だって、寂しいのは、孤独は、いやだし)


 集団コミューンに属せない。その辛さは戦女神の呪いを受けたクーは身をもって知っている。誰にも愛されず、誰にも必要とされない。一人で生きていくだけの実力があっても、それでは一人で死んでいくのに等しい。

 クーはエリックの傍を離れない。離れたくない。一人になんかさせない。

 でもクーはアラクネで、エリックは人間だ。その種族差は絶対で、そして人間は人間同士寄り添い合うのが一般的だ。

 アラクネの出会いをなかったことにして、人間としての生活を得る。

 それは人間として、とても正しい判断なのではないだろうか?


(あ――そうだよ。あーし、ばかだなー。ヴィネがそういうのを欲しがるのを分かってたのに)

(でも、それでエリっちが救われるのなら。あーしは……)


 胸に手を当てて、拳を握る。

 自分でも馬鹿だと思うけど、エリックが救われるのならそれでもよかった。ヴィネの言う通りだ。糸を紡ぐだけの自分ではこの状況を打破できない。ならばいっそ、やり直した方がいい。

 だから、エリックが選ぶべきはヴィネと契約を結ぶこと。クーとの記憶と思い出を捨てて、人間の集団の中で生きるのだ。


「その契約は――」


 エリックの口が開く。

 クーは思わず目を伏せ、涙をこらえていた。

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