「じゃあ、いつもの……お願い」
ネイラの朝は早い。
朝日が昇るより早く起き、身支度を整えて外に出る。近くの空き地で格闘家の型を取り、鍛錬に励む。エルフと言う長寿種族が欠かさず続ける鍛錬。それが彼女の強さの根幹なのだろう。
「ドラゴンはだめだ。あいつら飛ぶしな。戦いになんねぇ」
クーが冗談で『強い子供が欲しいんなら、ニートドラゴンとたたかえばいーじゃん』と言ったときの返答である。一度戦ったことがあるのだろうか? 問い返そうと思ったが、そういう空気でもなかった。
ともあれ、ネイラは早朝から朝飯を食べるまでは部屋にはいない。隣の人もこの時間は熟睡している。いろいろあってあまり眠れなかったエリックとクーは、その状態が続いているのか眠るに眠れない状態だ。
「じゃあ、いつもの……お願い」
「う、うん」
いつもの、と言うのは<
「ふぁ……は、うぅ、っん!」
クーのどこか艶めかしい声もあって、人前で行うには憚られた。ネイラも隣人も干渉しないこの時間が最も適していることもあり、結果的に朝一に治療を行うことになる。それはまあ、流れとしては正しいのだが……。
(さっきまでのクーの胸とか太ももの感触がまだ記憶にあるから……やりにくい!)
(エリっちの匂い……。エリっちの匂い……)
エリックもクーも布団の中の感触がいまだに残っており、動きがぎこちない。
それに加えて<
出会ってからもう何度も繰り返している行為。いままでは何とも思わなかったわけではないが、どうにかトラブルなしで終わった行為。その垣根が互いに崩れていく。やがて二人は向き合い、互いを求める様に肌を重ね合――
……とはならなかった。
(あそこまで抱き着かれたのはベットが狭かったからで。それは僕が万年Eランク冒険者だからで、クーたちはむしろ被害者なんだから!)
(今ここでクーに抱き着いたところで、反撃されて終わるに決まってる! 僕は蟲使いで、クーは僕の治療が目当てで傍にいるだけなんだから)
(この関係はたまたま噛み合っただけで、僕なんかが誰かに好かれるわけない……)
散々拒否された過去。散々突き放した人の目。それがエリックの心にあった。
クーを抱きしめようとする手は、その記憶が押しとどめる。
『は? なにシヨうとしてるのよ。チョーシに乗るんじゃないわよ!』
『あんたなんかザコ、あーしが相手するわけないじゃない。何興奮してそんなモンみせつけてるのよ。ざーこ、ざこ』
『アンタはあーしに奉仕してればいいのよ。蟲使いなんて、それしかできないんだから』
『サイテー。ホント役立たず』
もしクーに拒絶されれば。あの目で、あの態度で言われれば。エリックは二度と立ち直ることが出来ないだろう。その未来を想像して、涙をこらえる様に口を結んだ。強く爪を皮膚に押し付け、感情を保とうとする。
クーはそんなこと言わない。そう分かっていても、エリックはその可能性に怯えていた。
(……エリっちは、やっぱり
そしてクーも心の中で葛藤し、動けずにいた。
エリックは人間で、クーはアラクネだ。人と魔物。その垣根は事実として存在する。クーがこうして人間の街に居られる理由は形を変えて人を食わずにいるからであって、本来なら他者の命を奪って
(エリっちは、あーしといるよりもあのエルフと子供産んだ方が幸せになれるのかな? 魔物に付きまとわれるよりも、その方がいいのかも)
(だよね。エリっち人間だもん。エルフと一緒の方が面倒ないし。だったら魔物よりもそっち選ぶよね)
(また、捨てられるのかな? 慣れてるけど……ヤだな)
(エリっちは優しいから何も言わないだけで、もしかしたらそんなことを考えているのかも)
(なんでもするから、捨てないでほしい……。あーし、独りになるのはヤダよ……)
遠い祖先が受けた呪いのせいで、アラクネ種族は皆嫌われる。同じ魔物同士でも相容れる事はできず、争いそして捨てられる。女神の呪いを逃れるために地獄の門に住む者もいるが、それでも孤独という空虚から癒されることはない。
(拒絶される)
(受け入れてほしい)
否定され続けた蟲使いと、拒絶され続けた魔物。
似た傷を持つ人間と魔物は、だからこそすれ違う。互いが互いのことを思いやるがゆえに、そして思いがゆえに受けるであろう傷の痛みに怯えるが故に。
「今日の分は、これで終わり……でいいかな?」
「うん。ありがと、エリっち」
<
変わらない関係。変わらない幸せ。それを壊したくない。
不等辺三角関係の一辺は、そんな歪なすれ違い。
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