「お仕事中ごめんなさい。ちょっと協力してください」

 尾行のコツは足音を立てない事――ではない。

 エリックは心の中でギルドで教わったことを反芻する。大事なのは相手にバレない事で、つまり『そこにいても怪しくない』事を心がけることだ。見つからない事はその手段でしかない。

 人通りの多い所では何気なく歩き、人通りが少なくなっても無理に隠れずに堂々とする。それでも、


(相手が盗賊系スキルを持っていたら、お終いなんだよなぁ)


 盗賊系スキルの中には、<気配察知フィールサイン>や<隠密シークレッシィ>などと言ったものもある。それらを相手が持っていれば、スキルのないエリックの知識や行動など無意味となってしまうのだ。


「エリっちー。いつもの虫で観察とかはできないの?」

「うん。都合よく虫がいればいいんだけど……」


 小声で問うクーに、同じく小声で返すエリック。

 人が行きかう区域では、虫を見つけることは難しい。エリックのスキルは対象をしっかり認識していないといけないものばかりで、『あいつの近くにいるかもしれない虫』といったふうには使えない。直接的であれ間接的であれ、エリックがしっかり対象を認識しないといけないのだ。


「あの、ところでクー。そんなに密着しなくても」

「えー? だって怪しまれないために重要でしょう。あーし知ってるよ。多少会話しても怪しまれないんだって」


 クーはエリックの腕に腕をからませ、顔を近づけて会話していた。これなら声のボリュームは最低限で済むし、他の人から見れば場違いにいちゃつくカップルにしか見えない。怪しまれはするが、声をかけるほどでもない。

 ただ――


(当たってるから! 柔らかいのが! その、すごく気になるんだけど……!)


 腕に当たる感覚に心拍数が上がるエリック。落ち着くために財布の中身と今後一週間の食費を計算した。現実は恐ろしく心を冷静にしてくれる。


「今んところ、気付かれてないぽいよ」

「うん。気づかれてないフリかもしれないけど」

「エリっちネガネガしすぎー」

「用心するに越したことはないから。こういう時は」


 尾行に関しては素人なのだから、注意するに越したことはない。

 ただ幸いにして相手も盗賊ではなかったため、気付かれることはなかった。何か不満げに文句を言いながら、建物に足を踏み入れる。

『クリス治療院』……そう書かれた建物だ。診療所のようだが、休診日なのかそれとももともと寂れているのか。客足が向いている様子はない。


「んー? お医者さんなのかな?」

「医者がネコを捕らえる為に、罠を仕掛けた……?」


 あまりにちぐはぐな組み合わせである。

『罠を確認しに来た人が、診療所に入った』以上の事実は、ここにいては解らないだろう。これ以上の事を知りたければ、あの建物に入るしかない。


「でもこういう場所なら……」


 エリックは誰にも見られないように注意しながら……素人なのは重々称しているが、それでも注意を怠らずに病院の庭に移動する。クーも何も言わずにその後ろをついてくる。

 エリックが探していた者はすぐに見つかった。地面に開いた小さな穴。アリの巣だ。そこから数十匹のアリが列を作って歩いている。


「お仕事中ごめんなさい。ちょっと協力してください」


 エリックはそういうと、エーテルにある枝葉ジョブを揺らすようにして力を行使する。


命令オーダー(虫限定)>&<感覚共有シェアセンス(虫限定)>

 

 列の中から十匹のアリにジョブを行使し、『家の中を調査』するように命令し、同時に感覚を共有して何を感じたのかをエリックに伝わるようにした。

 命令を受けたアリたちは『クリス治療院』の中に入ると部屋中に散っていく。体は小さいがそれ故に見つかる確率は低く、複数を一気に捜索できるので効率はいい――

 というモノではなく、


「うー……。気持悪い」


 アリから送られてくる感覚に眩暈を起こしたかのように頭を揺らすエリック。隠れる意味も含めて木陰に移動し、木に背を預ける。


「どしたのエリっち。生理痛?」

「いや、それはないから」


 軽く手を振って、エリックは意識を保とうと努力する。正直、こういう意味がない会話でもありがたい。

 アリは人間と感覚が異なり、嗅覚がメインとなる。視界がないわけではないが、複眼で人間の脳で受け止めてもまともな画像にはならない。それが十匹分、脳の中に飛び込んでくるのだ。

 目まぐるしく飛び込む感覚に立ってられないほどに視界が揺れ、強烈な匂いに王としそうになる。その状態のままスキルを維持し、エリックは捜索を続けていた。


「てなわけなんで、すこし迷惑かけるかも」

「…………ふーん」


 説明されたクーは、言葉少なく頷いた。


(あーしを助けてくれた時も、そうやってくれたのかな? しかも山の中だよ? どれだけ頑張ってくれたの? 今の比じゃないよね?)

(もー、馬鹿じゃないのエリっち。だいたい召喚儀式の魔法陣に飛び込むとかどんだけ馬鹿。あーしなんかほっといてもよかったのに。あー、うん。エリっち馬鹿なんだ。うん、うん)

(…………ほーんと、馬鹿)


「……クー?」

「エリっち辛いんでしょ? 手、握ってあげる」


 突然握られた手。エリックはクーの手を弱々しく握り返す。


「ありがと。すぐに終わると思うから」

「おけおけ。なんかあったら言ってね。秒で飛び込むから」

「何もない方がいいんだけどね……」


 言いながらエリックはアリから伝わってくる感覚に集中する。

 薬品に交じった腐臭。血や肉などが混じった不潔な香り。それがある部屋から漂ってくる。人間では感じられない微細なものだが、アリの嗅覚はそれを捕らえていた。

 その部屋にいるアリに意識を集中させて、さらに捜索を続ける。


「地下室……かな?」


 匂いは部屋の床から流れてきていた。カーペットを引いているその裏側。これ以上はアリでは無理だろう。スキルを解除して、一息つくエリック。


「地下? じゃあ行ってくるね」

「へ? 行ってく――」


 るって? といおうとした時にはすでにクーは診療所の戸を開けていた。手をあげて、元気よく来訪を告げる。


「ちょりーっす!」

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