「バッカじゃないの」

「あいた!」


 触手に宙づりにされて弄られていたクーは、突然の浮遊感と同時に地面に叩きつけられる。衝撃に悲鳴を上げ、頭を振りながら立ち上がる。

 触手の気配は何処にもない。念のために周囲に糸を飛ばして確認するが、異常は見られなかった。


「消えた……? 召喚主に何かあったのかな?」


 気が付けば『声』も聞こえなくなってきている。となると召喚トラブルがあったのだと考えるのが妥当か。何かしらの契約違反で召喚した相手の機嫌を損ねたか、或いは生贄不足による時間切れか。

 ともあれ、助かったことには変わりない。体内を汚染していた呪いも、中途半端だったこともあり大きな影響を及ぼすことはなさそうだ。元々所持している<女神の呪い>の方が強く、いずれそれにかき消されるだろう。

 土ぼこりを払い、自分の身体を確認する。深いダメージはなく、動くのに支障はない。さてどうしようかと考えていると――


 …………ォン!


 遠くで爆発音らしい音が聞こえてきた。そちらの方を振り向けば、何か巨大なものが召喚され、進行先にある木々を薙ぎ払いながら突き進んでいるのが見えた。

 黒い触手。先ほどまでクーを束縛し、自らの子を孕ませるために呪いをかけていた嫉妬神の眷属。

 そして向かっている先は、人間が住んでいるだろう街の方だ。


「あーあ、召喚コントロールから離れてプチ暴走? おこなのね」


 おこおこ、と頷きながらクーは軽く伸びをした。あの触手がこちらに向かってくることはないだろう。自分の身の安全は確保されたといってもいい。触手が街に入れば多くの人間が呪いにかけられるだろうが、クーには知ったことではない。


「人間……。そう言えば、エリっち――」


 口にしてから頬を膨らませるクー。自分を見捨てて逃げたエリックに怒りを感じていた。あの時は逃げて当然、と思っていたがでも少しぐらい気にかけてくれても、と助かったからこそ思う。


(あれから大して時間経ってないみたいだからまだ山の中にいるだろうし、捕まえてねちねち苛めちゃお。あのわたわたした顔見ると、Sっ気刺激されちゃう)

(ついでに体も癒してもらおうっと。うん、それぐらいは許されるよね)

(あの触手に巻き込まれたら可哀想だもんね。そうなる前に――!)


 クーは言って捜索用の糸を山中に飛ばす。見えないほど細い糸を四方八方に飛ばし、人間大の存在を探っていく。糸から伝わってくる振動で動物の反応が多数見つかり、その中から人間の体躯を割り出していく。


「あれ? 結構近くにいる? しかも寝てる?」


 クーの糸は地面に伏している人間の存在を感知する。さらに、近くにもう一人倒れているのを確認する。


「何それ? あーしが苦しんでいた時にエリっち誰かと一緒に寝てるの? ムカ着火ファイヤーなんですけど!」


 怒りに任せて歩き出すクー。幸いここからあまり離れていない。糸の感知を目印に真っ直ぐ獣道を進んでいくクー。洞窟を見つけ、その中に入っていく。


「ちょっとエリっち! あーしを置いて何してるのよ! ……って、本当に何してるの!?」


 大声で叫びながら進んでいくクーは、壊れた祭壇と魔法陣。そしてその近くで苦しむエリックを見つける。

 右腕に幾何学的な紋様が刻まれ、黒いエーテル流を発している。呼吸は荒く、体も上気しているのか熱っぽい。

 魔術に疎いルーでも、この状態が壊れた祭壇と関係しているだろうことは理解できた。おそらく、強引に祭壇と魔法陣を破壊した結果、こうなったのだ。そしてこの祭壇と先ほどの触手を関連付ける事は難しくない。


「え? なに? もしかして、エリっちこの祭壇を壊すために……? それでこんな目にあってるの?」


 証拠はない。当てずっぽうとしか言いようのない推理だが、それ以外の理由を想像できない。

 ゴブリン相手に逃げるしかない人間が、神の眷属が出る戦いにおいて逃げる以外に出来る事。それが召喚元を押さえる事で、それをやろうとしてこうなった。

 十分な魔術の知識があれば、魔法陣と召喚儀式安全に解除もできただろう。

 十分な戦闘能力があれば、召喚主を暴力で屈服させて解除させることが出来ただろう。

 それがない人間が出来ることなど、数知れている。祭壇を壊すぐらいだ。そしてそれを行えばどうなるかが分からない以上、躊躇するのが普通だ。

 だが、エリックはそれを行った。何もできない蟲使いが、出会ったばかりのアラクネを助けるために。

 その行為を、多くの人間はこういうだろう。


「バッカじゃないの」


 クーは脱力したように座り込み、エリックの額に手を当てる。


「ホント、バカ。あーしのことなんか見捨てて逃げればよかったのに。弱っちいんだから、木の上で震えてたらこんな目に合わなかったのに」


 なのにエリックはクーを助けた。

 それがどのよう感情で、どのような思いで行われたのかはクーには分からない。英雄的な行動に酔っただけなのかもしれない。本当に馬鹿なのかもしれない。それでも――


「どーせエリっちも、いつかあーしを見捨てるんでしょう。分かってるわよ」


 それでも――その優しさはクーの心の穴を少しずつ満たしていく。


「起きてよエリっち! ほら、キノコ採りに行くんでしょう! それ終わったら、あーしの傷、一杯一杯癒してもらうんだから!

 ねえ、起きて。起きてよ! よくわからない呪いなんかに負けたら、マジ草生えるんだから!」


 エリックを揺さぶり、叫ぶクー。

 その頬から、一筋の液体が流れて落ちた。


 

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