『だいじなことって、なんだっけ?』

「あわわわわわ!」


 四元騎士エレメンタル・ナイトカイン・バレッドは岩陰に隠れて移動していた。

 街に向かってくるモンスター。その報を受けて街の冒険者達に通達が回った。国防騎士が防衛の準備を終えるまで足止めしてほしい、という依頼だ。

 捨て駒扱いのように見えるがその分報酬は破額で、かつ街を守った冒険者、という名誉もつく。カインはその名誉のために――ありていに言えばそうすれば皆が褒めたたえてくれるからという理由で依頼を受けてそちらに向かったのだが、


「あんなもん、勝てるかー!」


 黒の触手を前に太刀打ちできずに逃げる羽目となった。

 地風火水の四代精霊の力を剣に付与させて斬りかかるのがカインの戦法なのだが、そのどれもが通じない。厳密には通じるのだが、その再生力を前に意味をなさないのだ。切っても切ってもすぐに再生する。

 そして触手が一掃され、冒険者たちは薙ぎ払われる。カイン以外の冒険者は全て倒れ、カインもたまたま意識を失わなかっただけで、戦意は完全に折れていた。


「命あっての物種だ。ここで隠れてやり過ごそう。

 幸い、こっちを殺すつもりはないみたいだしな。後は国防騎士に任せるか」


 カインの言う通り、黒の触手は邪魔する冒険者たちを薙ぎ払うだけで、命を奪う事はしなかった。どれだけ傷つけられても、道を切り開くように動くだけで倒れている者にとどめを刺すこともしない。むしろ避けて通っている。

 こちらのことを歯牙にもかけていないのか、あるいは誰も傷つける事を望んでいないのか。

 例えるなら、街に帰りたい。それだけの目的のために動いている異形――


 ◇◆  ◇◆  ◇◆  ◇◆  ◇◆  ◇◆


 エリック・ホワイトは嫉妬神の呪いに身を蝕まれていた。

 劣等感をむき出しにして、その感情を糧に神の眷属<ガルストン>を動かす儀式。その感情を爆発させる呪いがエリックの霊魂エーテルを侵食していた。

 エリックが生まれて受けた屈辱や恥辱。そう言った過去を強く発露させ、増幅させる。そうすることで眷属を動かすエネルギー源となる。

 ゴブリンプリーストが最初に<ガルストン>を召喚した時は、50体のゴブリンの劣等感を糧にしていた。元々誰かを恨むことに抵抗のないゴブリンは嫉妬神の呪いに同調し、そしてゴブリンプリーストが扇動することでクーを襲った。

 だがその儀式祭壇は破壊され、新たな嫉妬の力を求めた。エリックの持つ嫉妬は、他者へのそれではない。自分自身への恨みだ。


『弱い自分』『役立たずのジョブを持つ自分』


 それに対し、一般的な冒険者や強いジョブを持つ騎士達は嫉妬の対象となった。そう言った人間に勝つことで、その心は晴れた。

 故に殺さない。勝つだけで十分だから。

 故に奪わない。勝つだけで十分だから。

 心のどこかで、これは違うと分かっている。呪いに侵されて大事な事を見失っていることは理解している。だけど――


『だいじなことって、なんだっけ?』


 熱にうなされ、エリックは正常な判断が出来ないでいた。

 大事な事を忘れ、そのまま嫉妬を増幅され、その感情のままに<ガルストン>は冒険者が集まる街に向かう。その力を誇示し、今まで下に見られていた心の淀みを晴らすように。

 止まるはずがない。なぜならそれはエリックが今まで受けてきた過去の結果だ。過去はなかったことにはできない。忘れたつもりでも、ふとしたことで思い出してしまう。そしてその過去こそが、エリック・ホワイトを構成する要素なのだ。

 だから、エリックの力だけでこの呪いを跳ねのける事はできない。エリックの過去を否定することは、エリック自身の否定でもあるのだから。

 この呪いを跳ねのけるのは、過去を否定することではない。


『バッカじゃないの』


 聞こえてくる声には、どこか元気がなかった。

 明るく自由なとは思えない、どこか憂いを含んだ声。


『起きてよエリっち! ほら、キノコ採りに行くんでしょう!』

『それ終わったら、あーしの傷、一杯一杯癒してもらうんだから!』


 出会ってまだ少ししか経っていないけど、その元気の良さと自由奔放な彼女。失敗続きのエリックを必要としてくれる彼女。それが彼女の都合で、たまたま自分にそれが出来ただけなのだけど。


 ――誰かを助けるのが、冒険者なんだぜ。


 遠い昔、聞いたことがある言葉。

 ああ、そうだ。

 僕が冒険者を続ける理由は、誰かを助けたかったからだ。

 誰かに勝ちたいとかじゃなく、成功したいとかじゃなく、誰かを助ける事が出来るのなら――


「ねえ、起きて。起きてよ! よくわからない呪いなんかに負けたら、マジ草生えるんだから!」

「草……とかはよくわからないけど、うん」


 目を覚まし、額に置かれたクーの手に触れるエリック。

 呪いに打ち勝つために必要なのは、過去を否定することじゃない。

 現在を糧に、過去の苦しみを乗り越えることだ。

 蟲使いとアラクネ。歪だけど、確かに結ばれた関係。自分に当てられた手の温もりが現実のものであることを確認するようにクーの手を握るエリック。

 握り返される手の感覚が、エリックのきずを癒していく。

 それは不完全な治癒だけど、それでも確かに痛みは和らいでいた。


「エリっち……?」

「ありがとう、クー。助けに来てくれたんだね」

「バカ……助けられたのは、あーしの方だよ……」

「ああ、そうか。あの魔物はあれで消えたんだ。良かった……」


 僕はクーを助ける事が出来たんだ。

 それを確認して、エリックは安堵のため息をついた。


 そして<ガルストン>を現世につなぐための嫉妬の供給が途絶える。

 神の眷属を顕現させる繋がりは途切れ、契約履行により召喚者であるゴブリンプリーストのエーテルを喰らって、音もなくこの世から消滅した。

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