「最後にエリっちの声、聞きたかったなぁ」
木の上に居るエリックにも、地面から伸びる影の姿は見て取れた。
長さにすれば3mほどだろうか。ヘビのようにうねり、その数は時間とともに増えている。その全てがクーを狙っているのは明白だ。
「神の眷属……邪神の手下を召喚した。その命令はクーを捕まえることで……」
逆に言えば、木の上のエリックはノーマークだ。
それを示すように、エリックの真横を触手が通り抜けていく。おそらくは『クーを捕まえる』以外の事はできないようだ。召喚された際の命令を忠実に守る一方、それ以外の事に関しては無関心なのだろう。
つまり、エリックはここから逃げる事が出来る。
召喚主もわざわざエリックを捕らえようとは思わないだろう。言葉を聞く限りはエリックに興味はない。あくまでクーの肉体が目的のようだから。
エリックは携帯していたナイフでクーの糸を切る。そのまま木を飛び降りて、一目散に走りだす。
クーがいる場所とは真逆の方向に。
◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆
エリックの糸が切られたことを感知したクーは、耳を澄まして足音を探る。遠ざかる足音を聞きながら、どこか平坦な表情になった。
(とーぜんか。ゴブリン相手にオタオタするのに、こんなの相手に助けに来るはずないじゃない)
エリックは逃げた。その事実を確認して、ため息をついた。
考えてみれば当然のことだ。エリックは人間。クーは魔物。知り合ったのもつい先ほどだ。出会って数時間もたっていない相手に何を期待していたんだろう?
「バッカみたい。あんなよわっちいだけの人間に、何期待してたんだろ、あーし」
エリックは優しかった。自分を癒してくれるスキルを持っているだけじゃなく、逃げることなく自分を癒してくれた。その優しさを勘違いしていたのかもしれない。ピンチの時に助けに来てくれる英雄と。
「あーしはいつだって一人じゃない。ダンジョンのモンスターと仲良くやれるわけでもないし。好き勝手やったんだから、もーいいかなー」
言って指先から糸を出す。背中から8本のクモ足を生やし、地に突き付けた。まだ癒えきっていない足だが、それなりの機動力は確保できるだろう。もう少し癒してもらえばよかったかな、と苦笑いする。
「でも……ただじゃやられてあげないんだから! ムカ着火ファイヤーな八つ当たりしてやる!」
叫ぶと同時に跳躍するクー。そのまま戦闘用に鋭く研ぎ澄まされた糸を出し、影の触手に絡みつかせる。糸は一瞬で触手を切り刻み、影はそのまま解けるように空気に消えていく。先ずは一本――
「ウソ!? 再生早っ!」
クーは目の前で再び隆起する影の触手を見て、驚愕する。切り刻んで五秒も立たないうちに、元の大きさに戻ったのだ。
『当然ゴブ。<ガルストン>は50匹のゴブリンの嫉妬の心が宿っているゴブ。生前モテたかったな、とかおっぱい触りたかったな、とか太ももすべすべしたかったな、とかそれ以上のことをしたかったな、とかそういう想いゴブ!』
「…………うわー。どんだけー」
『そうやって見下す女をどうこうしたい、という思いもあるゴブよ。その嫉妬の心をとくと味わうゴブ!』
「モテない男の妄想とかマジキモいんですけど!」
『その高慢な口を屈服させてやるゴブ。泣き叫び、許しを請うまで念入りに甚振ってやるゴブ!』
声に反応したのか、あるいは同調したのか。影の触手が一気にクーに迫る。クーはそれを糸で切り刻み、八つ足で跳躍して交わしたりしながら凌いでいく。
しかし決定的な斬撃は与えられない。何度切り刻んでも、すぐに再生する影の触手。それを前にクーは少しずつ逃げ場を失っていく。如何に八本の足があっても踏みしめる場所がなければその性能を十分に発揮できない。
そして――触手の一本がクーの足を捕らえる。そのまま地面にたたきつけられて、肺の中の空気を吐き出してしまう。
「か……はぁ!」
吐き出した空気を吸うために大きく息を吸い込むクー。だがその間動きが止まってしまう。その止まった隙を逃すことなく、触手はクーの動きを封じるために絡みついていく。
八本の蜘蛛脚と、人間状態の四肢。背中やお腹、首などにも絡みつく。体の動ける部分全てに絡みついた触手から、じわじわと注ぎ込まれる『何か』。それが邪神の
『さあ、諦めるゴブ。いまお前の身体に嫉妬神の印を刻んでいる所ゴブ! 印が完全に体に刻まれれば、母体の感性ゴブ!』
「く……やめ、この変態! ちょ、変な所触るなぁ!?」
「その前にたっぷり甚振ってやるゴブ。マジキモいとか変態とか根暗だとか偏屈だとか趣味悪いとか言った恨みを晴らさせてもらうゴブ!』
「えーと……あーし、そこまで言ったっけ?」
『問答無用! ゴブリンキングに頭でっかちのひ弱と罵られ、ゴブリンリーダーにパシりにされ、この山に逃げ込んで勧誘した野良ゴブリンには情けないリーダーと陰口を叩かれ! その苦労がようやく……ようやく報われるゴブ! うう、苦節5年、嫉妬神様を信じて供物をささげてきた苦労がようやく……うううううううう!』
「その……いろいろ苦労したのね。うん、お疲れさま?」
『ありがとう! ありがとう! これからも嫉妬神の為にまい進する所存ゴブ! 母体に眷属を産ませて近くの街を占拠し、ゆくゆくは嫉妬神様の神殿を建てるゴブ! 当然神官長はオイドン! アンタは栄えある聖母として祭ってあげるゴブ!』
「わーい。ぜんぜんうれしくねー」
感極まって素が出ている『声』。だがそうしている間にも邪神の魔力はクーを蝕んでいく。
(あ。これ、もうどうしようもないヤツだ……)
(このまま流されちゃうのも、いーかな?)
抵抗する意思が削げていくのが自分でもわかる。このままだと暗い未来が待っていると分かっていても、戦おうとする意志は生まれなかった。
(ここでどうにか逃げられたとしても、その後どーしろって話だもんね)
(どうせなら、誰かの役に立つ方がいいかも? この『声』の人、本気で喜んでるみたいだし)
(うん。その方がいっかぁ……)
瞳を閉じる。何も見えなくなったクーは、すこしだけ高望みをした。
(最後にエリっちの声、聞きたかったなぁ)
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