「僕は……魔物を癒したんだ」

「この辺りから注意が必要かも」


 エリックは地図を見ながら、自分に気合を入れる様に呟いた。

 ここから先は、ゴブリンが歩いている可能性がある。過去に何度も何度も何度も遭遇し、辛酸をなめている。


「どうして?」

「この辺りにはゴブリンが出るんだ」

「ふーん。そうなの?」

「そうなのって……ああそうか」


 言ってからエリックは目の前にいる相手の正体を再認識する。

 アラクネ。ゴブリンなどとは比べ物にならない強さを持つ魔物だ。どれだけ現れようが怖いなんて思うはずがない。


「そーよ。ゴブリン如き怖くもなんともないんだから。ちょっとおこすれば帰っていくって」


 拳を振り上げてクーは言う。頼もしい半面、自分が情けなくなるエリック。

 だが注意するに越したことはない、とばかりにエリックは慎重に進む。耳に意識を集中し、僅かな音でも逃さないように――


「でもあいつらマジいろんなところに居るわねー。少しぐらい過疎ればいいのに」


 しても聞こえてくるのはクーの声だけだった。というか静かにする気が無いらしい。


「あの、出来れば静かにしてほしいなぁ……って。クーからすれば怖くもないんだろうけど、僕からすればかなり怖くて」

「マナればいいの? おけよ」

「マナ……? とにかく静かにね」


 こくこくと頷くクー。沈黙したのを確認し、エリックはゆっくりと進みだす。落ち葉を避けて地面を歩き、音を消す。頭を茂みより低く下げて、できるだけ見つからないような体制を取る。

 先に相手の音を捕らえたのはエリックだった。茂みを割って歩く音。そちらは隠すつもりはないのか、その音は大きい。だが逆に動きは速く、進路によってはぶつかるかもしれない。


「ねーねー。ゴブゴブこっちきてるよー」

「わあああああ……。走って逃げるか、このまま黙ってやり過ごすか……」

「んー? もしかしてあのゴブリン達、エリっちの仕事の邪魔になるの?」


 うんうんと頷くエリック。


「じゃあしょうがないなぁ」


 言うなり立ち上がるクー。そのまま無造作にゴブリンの方に歩いていく。

 え? とエリックが振り返った時には、勝負はもうついていた。

 白い糸に絡まり、木に宙づりにされているゴブリン達。意識はあるものの、目の前にいる少女の正体に気付き、恐怖の表情を浮かべていた。見た目こそ人間そのものだが、人間ではありえない行動をした少女に。

 指先から射出された糸がゴブリン達に絡みつき、そのまま木に吊るす。それだけのことを、二秒もかからず成し遂げたのだ。その速度、その手際、正に魔物――


「これでどう? 糸が解けるまでは動けないわよ」

「うわぁ……うん、十分だよ。ありがとう」

「あげぽよー。もっと褒めて褒めてー」


 エリックに褒められて、嬉しそうに喜ぶクー。


「ついでにサクッとやっちゃう? 今なら簡単よ?」

「いや……遠慮しておくよ」


 言って首を斬る動作をするクー。それを見てエリックは首を横に振った。


「なんでよー? エーテル貰えて強くなれるよ」


 全ての存在にはエーテルが存在する。そしてそれは肉体が滅びれば、そのまま霧散してあるべき場所――神の領域や邪神の領域など――に帰って別の生命となって生まれ変わる……というのがこの世界の常識だ。

 そしてエーテルが霧散する際、その一部が殺した者に流れ込むのだ。流れ込んだエーテルは自分自身のエーテルと融合し、成長する。流れ込むエーテルの量は元々のエーテル量に比例し、巨大なエーテルを持つ相手を殺せば、それだけ多くの成長ができるのだ。


「その……僕が捕まえたわけじゃないし。それを僕が殺すのは卑怯かな、って。それに、その、殺さないで済むならそれに越したことはないよ」

「んー…………? よく分からないけど、エリっちが殺さないならいっか。ゴブリン殺しても、あまり足しにならないし」


 クーが指を鳴らすと同時に糸が千切れ、地面に尻もちをつくゴブリン達。キーキー! と声をあげながら走って逃げていく。


(クー……本当にアラクネだったんだ)


 本人の言葉や情報探査などからわかってはいたが、その動きを見て改めて相手が人間じゃないと再認識するエリック。

 その気になれば、彼女は自分をあっさり殺すこともできるだろう。<命令オーダー>を使う間もなく急所を突き、命を奪う事が出来るほどの速度を持っている。

 彼女が今エリックを生かしているのは『傷を癒すことが出来る』からにすぎない。そうだ、相手は人を喰らうモンスターなのだから――


「行こ行こ! 早くお仕事終わらせて、治療してね!」


 屈託のない笑顔でこちらを見るクー。

 その笑顔に悪意は感じられない。邪気も打算も感じない。本当に言葉通りの意味なのだろう。エリックの仕事を手伝って、その後で傷を癒してもらう。

 それが終われば?

 利用価値があるから生かしてもらえるかもしれない。だけどそれはどのような形でだろうか? さっきのゴブリンのように糸で包まれて、身動き取れない状態で生かされている状態かもしれない……。


(僕は……魔物を癒したんだ)


 改めて、自分の行為の意味を心に刻むエリック。

 望まれてうれしかった。自分のジョブの価値を喜んでもらえた。そんな理由で危険な魔物を助けてしまったのだ。

 それでも――


「どーしたのよー、急にテンションサゲサゲになって? ぽんぽん痛むの?」


 こちらを心配そうに声をかける少女の姿を見て、エリックはあのままクーが死んでいいなんて思えなかった。



 ◇◆  ◇◆  ◇◆  ◇◆  ◇◆  ◇◆


 ここは昏き洞窟の中。たいまつに照らされた空間には、骸骨と祭壇のようなテーブルがあった。


「キーキー! キーキー!」


 叫ぶゴブリン。彼らは先ほどアラクネと出会い、逃げ帰ったゴブリン達だ。自分のアジトに戻り、それを参謀に伝えているのだ。


「ほう。糸を出す女性とは。それはアラクネでゴブ。女神の呪い持ちとなれば、さぞ上質な母体となるでゴブ」


 動物の犬歯を集めたネックレスをつけたゴブリンは、その報告を受けてしたりとほほ笑んだ。ゴブリンの中でも高い知能を持ち、司祭のジョブを持つゴブリンプリーストだ。

 だが他のゴブリンよりも知恵があるとはいえ、アラクネに勝てるほど強いわけではない。それはゴブリンプリーストもそれは理解している。だが――


「地の利は我にあるゴブ。ましてや女神の呪い持ちなら我らが神の加護との相性もいいゴブ!

 そのアラクネを捕らえ、我らが神の眷属を産むための母体とするゴブ!」

「キーキー! キーキー!」

「キーキー! キーキー!」


 昏き洞窟の中、宗教で熱狂したゴブリン達が熱狂していた。

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