人の目
ロザリンデは、エノーの姿を見た瞬間、その胸に思いきり飛び込んで泣きはらしたい衝動に駆られた。
しかし、周囲には大勢の人がいる…………彼女は甘えたくなる気持ちをぐっとこらえるほかなかった。
「エノーさん、どうしてここに? それにフェリクスさんも」
「王宮でたまたまフェリクス殿……ストレイシア男爵を見かけまして、急いでいるとのことなので俺がここまで送ってきたのです」
エノーの隣にいたストレイシア男爵――――フェリクスは、地に膝をつけ、頭を深々と下げてロザリンデに平伏していた。
「聖女様…………国王陛下からの呼び出しがあったとはいえ、予定されていた会談に大幅に遅参してしまい、大変申し訳ない!! この無礼はもはや許してもらおうと願うことすらおこがましく、いかなる罰でもお受けする所存でございます!」
「……お顔をお上げくださいフェリクスさん。今回のことはあなたのせいではないのですから、仕方のないことです」
リーズの父フェリクスは、そろそろ齢60になろうかという高齢な武人である。リーズとよく似た燃え盛る赤毛にはまだ白髪が少なく、その顔にいくつか皺が刻まれてなお壮健な面差しだった。
フェリクスは元々貴族に仕える下級騎士の生まれだったが、若いころから100を超える戦闘に参加し、そのほとんどで多大な戦果を挙げたため、王国から男爵の位を授かったという立志伝中の人物でもある。
だが、そんな命知らずな戦士であるフェリクスも、結局は貴族社会のルールに逆らうことはできない。彼は潔く頭を下げ、ロザリンデに正々堂々と非礼をわびたのだった。
さすがはリーズの父親だけあって、かなり肝が備わっている。ロザリンデは出来ることなら彼の誠意に応えたかったのだが…………
「ですが、本日はやや気分が優れないのです。大変勝手で申し訳ありませんが、会談はまた後日行いましょう。日程は、神殿から追って指示をいたします」
「聖女様……っ! それは……!」
「ご安心ください。関係各所への説明はこちらで行いますから。念書もすぐにお送りいたします」
仕事と私情は分けるべきではあるが、ロザリンデは気分を害したままフェリクスと会談を行う気にはなれなかった。それに、いざ会談に入っても、リシャールがなんだかんだ理由をつけて乱入してくる可能性も高い。
「エノーさん、手が空いていましたら神殿までの護衛をお願いします。私の馬車に同乗してください」
「承知しました」
打ちひしがれるフェリクスをその場に残し、ロザリンデはエノーを連れて、馬車に乗り込んだ。
「ああ、それとあなたたちは念書の作成と、関係者各所への調整を今すぐに行いなさい。この度の不始末はすべて私の責任にして構いません」
「え? ですが聖女様……」
「国王陛下の急な呼び出しが理由とは言え、このままではストレイシア男爵は針の筵です。それはあまりにもかわいそうではありませんか」
ついで、連れてきた神官たちに今回の会談の中止理由と、そのことが間違いないという書類の作成を命じた。もちろんこれは、そのままにしておくとフェリクスの名誉がガタ落ちになってしまうので、それを防ぐというのもあるが――――
「それに、その…………」
「どうしました? 言いたいことがあるのならはっきりと申してみなさい」
神官は、ややばつが悪そうに手をもじもじしながら、ロザリンデに申し出た。ただ、ロザリンデは何を言をうとしているのか、あらかた見当はついていた。
「護衛は……エノー様だけで、よろしいのですか?」
「エノーさんの強さなら、一人でも十分です」
「ですが、聖女様……二人きりというのは……」
「私がそのままエノーさんの家に連れ込まれるとでも?」
「いえ、それはその、あの……」
「くだらないことを考えている暇があったら早く仕事をしなさい」
こうしてロザリンデは、強引に神官と護衛兵士たちを馬車から外した。
聖女は職権乱用してでも、エノーと二人きりになりたかった。人の目があるところでは愛する人の手を握ることすらできない――――こんな生活は一刻も早く終わらせたいと、ロザリンデは願った。
「そうか……リシャールの奴がいたのか。しかもリーズだけじゃ飽き足らず、ロザリンデにまで手を出そうとするとはな。あいつ、いったいどんな神経をしていやがる」
ロザリンデから話を聞いたエノーは、御者台で馬を操りながら悪態をつく。そしてロザリンデは誰にも見られないように、エノーに後ろから寄りかかっていた。
こうしてようやく二人きりになれたことで、エノーもロザリンデもだいぶ心に余裕ができた。リシャールがロザリンデを口説いてきた時には吐き気すら覚えたが、愛する人の背中に身体を預けていると、不思議と心が落ち着くものだ。やはり彼らにはいつもお互いの存在が必要なのだろう。
「そういうエノーも、王宮で何か嫌なことがあったようですね。いえ、あそこで嫌なことがあるのは毎度のことですが、今日は特に…………エノーさんの怒りが伝わってくるようです」
「ああ、わかるんだな」
「勿論です。私はエノーの…‥恋人ですから」
そう言ってロザリンデはゆっくりと目を伏せる。
彼女自身もだいぶひどい目に遭ったが、どうやらエノーの方はそれに輪をかけて酷かったようだ。
「そちらはセザール殿下が?」
「行くまではどうせ延々嫌味でも言われるのかと思っていたが、甘かった。殿下は、俺たちが王国を脱出すると決めて正解だと教えてくれたよ」
エノーは、自分の背中に寄り添うロザリンデの熱を感じながら、彼の身に降り注いだ最後の試練について語った。
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お知らせ:
書籍化に伴う加筆のため、今後更新頻度がもう少し落ちます。加筆が終わり次第、またペースが戻るといいな。
カクヨムでは加筆分を掲載していますので、良かったらこちらからどうぞ。
→https://kakuyomu.jp/works/1177354054888027699/episodes/1177354054889685101
あと、最近糖度不足なので、よければこちらで口直ししてください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889731542
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