勘違い恋愛喜劇
リーズが寝るベッドに、まるで自分が持ち主であるかのように腰を下ろすリシャール。その傍若無人ぶりを見たロザリンデは、思わずその横面を張り倒してやりたくなったが、何とかその気持ちをぐっとこらえた。
だがリシャールは、そんなロザリンデの怒りを知る由もなく、さらに斜め上の言葉を口にしてきた。
「いや、気が付かなくて済まなかった。昔から君は何かにつけてルールだの規律だのやたらうるさくてどうも苦手だったんだが、なるほど、それは俺に対する嫉妬心から来たものだったんだね。今まで気が付かなくて悪かったよ」
ロザリンデは開いた口がふさがらなかった。そして、彼の言っていることの意味がしばらく理解できず、
理解したところでどうしてそんな思考に至ったのかが、また理解できなかった。
それどころか、リシャールは魔神王討伐の旅で、リシャールは女癖以外特に問題行動を起こす人物ではなかったし、ロザリンデも比較的リシャールはまともな人物だと思っていたのだ。
そんなリシャールがどうしてこうなったのか、彼女にはわからなかった。
尤も……リシャールは多忙なロザリンデの目を盗んで、リーズが寝ている天幕に忍び込むなど、色々と問題行動を起こしていたのだが、すべてもみ消されていたので彼女が気が付くことはなかっただけだった。
「君にはつらい思いをさせてしまったね。俺はリーズのことばかり見ていて、君のことを見ていなかった。けど、もう大丈夫だ! 俺は二人を同時に愛する器量も甲斐性もある!」
「…………それ、本気で言っているのですか?」
「もちろんだとも! 俺は美しい女性の前では嘘は言わないものさ!」
リシャールは自信満々にそう言い放った。
対するロザリンデは、改めてこいつは最悪だと実感した。
10000歩譲ってリシャールがリーズのことを心の底から愛しているのだとしても、その心から愛する人の部屋の――――それも、ベッドの上に腰掛けながら別の女性を口説き始めるとは、もはや言語道断だろう。
また、主人がまともでなければ仕える者もそれ相応なのか、リシャールがめちゃくちゃなことを言っているのも関わらず、彼の召使たちは主人の言うことに笑顔で頷いていた。
「見なよこのベッド、いいものだろう?」
リシャールが毛布を弄るように撫でた。その手つきを見て、ロザリンデの背筋に寒気が走る。
「王国一の職人に作らせた特注品だ。3か月くらい前にようやく出来上がったから、俺がリーズとの将来を見据えて贈った物なんだ! もちろんリーズはいずれエライユ公爵夫人として、公爵家の館で暮らすことになるだろうが、たまに実家に戻って過ごすときにも、専用のベッドがあった方がいいだろう?」
「……………それで、もともと勇者様が使っていたベッドは?」
「ああ、それなら公爵家の方で処分しておいたよ。なにしろストレイシア男爵家はもともと貧乏貴族だったからね! 大したベッドじゃなかったから、新しいのにしてあげたんだよ!」
もちろん、贈り物と言ってもリーズが承知して受け取ったわけではないことは明白で、大方公爵家の権力を笠に断れないように押し付けたのだろう。これもまた貴族社会ではよくあることだが、実際に目の当たりにすると、やるせないものがある。
(ああぁっ! これ以上……これ以上リーズを侮辱しないでください! これ以上私を怒らせたら……)
勇者の家で、エライユ公爵家の長男相手に聖女が怒鳴り散らすなど、これ以上ない醜聞だ。ロザリンデはもうすぐこの国から去る身ではあるが、だからこそ余計な波風を立てたくない。
ロザリンデは奥歯を強く噛み、両拳を強く握りしめ、自分自身に怒りを表さぬようひたすら言い聞かせる。
だが、そんな彼女の努力もむなしく、リシャールは決定的なことをしでかした。
「でもね、このベッドはリーズが帰ってきてないからまだ使われていないんだ。だから、どうだい? リーズが使う前に……俺と愛を語り合ってみないかい?」
そう言ってリシャールは――身体を少し横に移し、自分がいたところをわざとらしくポンポンと叩いた。
勇者の実家で、彼が「贈り物」として押し付けたベッドに、本人がいない間に別の女性を誘う。まさに悪魔的所業――――
瞬間、ロザリンデの中で何かが切れる音がした。
「失礼します」
ロザリンデはその場で踵を返し、何事もなかったかのように部屋を後にした。
ロザリンデの代わりに、リシャールに対して嫌悪感をあらわにしていた彼女の付き人たちは、ロザリンデがあまりにもあっさりと帰ろうとしたので、慌てて後に続く。
「せ、聖女様! 私が言うのもなんですが、どうかお怒りをお鎮めください!」
「勇者様のお父様はまだお戻りになっておりません! その前に帰るとなると……!」
彼女たちはついさっきまでリシャールを殴りたい気持ちでいっぱいだっただろうに、ロザリンデがあまりにも思い切った行動をとるものだから、逆に冷静になってしまったようだ。一応止めるだけは止めるが、これほどまでに聖女に無礼な態度を取られては、強く言い出せない。
ロザリンデは一刻も早くこの館から出ようと、足早に廊下を進み、階段を下りていく。その間彼女はひたすら無言で、身体から滲みだす怒りのオーラを隠しきれていなかった。
(エノー……助けてください! 私は今、穢されそうなんです!!)
彼女は今日ほど、そばにエノーがいないことを心細く思ったことはなかった。
聖女の尊厳を……いや、それ以上に女の尊厳を踏みにじった悪魔が、まだ近くにいる。そう思うだけで、心が恐怖で壊れてしまいそうだった。
「あ……あの、聖女様!?」
「お、お待ちください! 旦那様はすぐに戻られます故! いましばらくっ!」
エントランスで使用人たちが慌ててロザリンデを止めに入ろうとするも、彼女が一睨みしただけで、彼らは委縮して手が出せなかった。
ロザリンデは、使用人たちに「玄関を開けなさい」と命ずるまでもなく、なんと自分の手で分厚い扉を開いた。聖女に扉を開けさせたなどと噂でもされたら、貴族として致命的だ。そんな噂を相手に立てさせないことも気遣いの一つだというのに、それを完全に無視するということは、それだけロザリンデの怒りが大きい証拠だろう。
ところが、憤慨して我を忘れかけたロザリンデが玄関から出ると――――
「ロザリンデ――さん!? 一体どうしたのです!?」
「エノー……さん!?」
何たる偶然か、ストレイシア男爵を連れてきたエノーの姿がそこにあった。
エノーもロザリンデも、まさかここで顔を合わせることになるとは思っていなかったのか、危うく立場を忘れて呼び捨てし合いそうになった。
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