その157:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その15

 とにかく、1943年4月18日がやってきてしまった。

 俺たちは定刻どおりラバウルを発った。

 午前六時五分。

 じたばたしても仕方ないし、時間で小細工して裏目に出ない保証もない。

 史実通りの時間だ。


 本当は「あああああ!! また偵察席ですかぁぁ! この席じゃ執筆がぁぁ! 恐怖でペンが振るえ――」と、暴れる宇垣参謀長を無理やり押し込んだので、少しだけ定刻を遅れている。まあ、誤差の範囲だ。

 銀河の偵察席は地上に近く、その恐怖は戦後も伝説になっているくらいだ。

 宇垣参謀長には、いい執筆材料が出来たと感謝してもらいたい。


 銀河の誉エンジンは、軸受の強化と一〇〇オクタン燃料の供給のせいかかなり好調だ。

 力強いエンジン音を響かせている。


 俺は銀河の機上で周囲を警戒する。改造され座席がひとつ増えている。

 見張りは重要だ。俺程度の視力でも、無いよりはマシなのだ。


「あ―― 全然雲がないなぁ……」


 雲がない。

 快晴だ。

 見張りには丁度良いかもしれないが、それは敵にとっても同じ。


 銀河がいかに高速であるとはいえ、最高速度は三〇〇ノット(約五五〇キロ/時)だ。

 確かに、双発爆撃とすれば破格の高速だ。一式陸攻より一〇〇キロ以上速い。

 が、P-38の速度は六五〇キロ以上。いや、この高度だと六二〇前後か?

 銀河より70キロ以上は速い。


 とにかく、間合いを詰められたら雲の中に逃げるのが一番なのだが……

 その肝心の雲が一切ないのだから、恨めしいとしか言いようが無い。

 確か、史実でも珍しく雲ひとつない晴天だった何かで読んだ記憶がある。


「あははは! よく晴れて雲ひとつないのだ。気持良いのだ! 飛行日和なのだ!」

「敵機がいなければ、同意します」

「アメ公のぺロハチなどイチコロなのだ!」


 史実でイチコロにされたのは、こっちですという言葉を俺は飲み込む。

 女神様の超ポジティブというか能天気さが雲一つ無い快晴を呼んだのだろうか?

 厄病神じゃないのか、本当は?

 

 高度は二〇〇〇メートル。

 排気タービンエンジンのP-38にとっては決して得意な高度じゃない。

 が、それでも速度の優位は向こうにあるだろう。

 

「敵機がきたら這うように飛ぶしかないか……」


 その辺は、プロの搭乗員だ。言われなくとも分かっているだろう。

 銀河の高速性能と防御力で逃げ切れるかどうか……

 細く流麗なデザインの銀河だが、撃たれ強さは一式陸攻の比ではない。

 戦争末期、昼間に米機動部隊への通常攻撃を成功させることすらあった機体だ。

 一式陸攻のような脆弱性は無い。


「銀河は傑作機。銀河は速い。銀河は防弾されている」


「何を念仏のようにブツブツ言っておるのだ?」


「あッ…… つい。自己暗示モードに」


「心配せんでも、最新の零戦も護衛についておる」


「そうですね」


 零戦の数は史実の倍。

 十二機になっている。

 史実どおりであれば、P-38は十六機。

 守りに徹すれば、かなり鉄壁といえるだろう。

 史実どおりならばだ。


        ◇◇◇◇◇◇


「この天候は見張りには良いが、問題は上か――」


 護衛の零戦十二機、その飛行隊長である宮野善治郎大尉は操縦席の中で独りごちる。

 その声は金星一三〇〇馬力エンジンの奏でる音の中に掻き消えていく。

 

 雲は無い。

 見晴らしは抜群にいいといえる。

 それであっても、この広い空からゴマ粒のようにしか見えない敵機を早期発見するのは至難の技だ。

 二〇四空と同じくラバウル-ブインを拠点とする二五一空には、坂井三郎、西沢広義という「昼でも星が見える」という怪物がいる。

 さすがに、そんなことを言う搭乗員は海軍でも他にはいない。

 自分もそんな経験をしたことはない。

 が、敵に遅れを取ったこともなかった。

 今はそれで十分だ。

 我々は天文学者ではないのだから。


「ブインまでもう少しのはず……」


 航空チャートを確認する。

 銀河の航法があるとはいえ、万が一のことはある。

 自機の位置を把握しておくのは、重要なことだった。


「出てくるとしたら、P-38というが…… 決め付けていいのか?」


 上層部からは、航続距離の問題から襲撃してくるとすればP-38メザシであろうという情報が与えられていた。

 あの機体であれば、警戒するのは、突っ込みの良さ初期降下速度くらいなものだった。

 二〇〇〇メートルという高度であれば、どのようにも料理できると宮野大尉は思った。

 過信は禁物であるが、そう恐れる相手ではない。

 定石どおり料理するだけだ。

 

「メザシかぁ。悪くないよなぁ」


 どうとも意味の取れる言葉を呟き、宮野大尉は周囲を警戒する。

 そのとき、視界の隅にあるかなしかの違和感を感じた。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 第一中隊第二小隊の二番機である杉田庄一二飛曹は、飛長飛行兵長から昇進したばかりだった。

 飛行隊の拡充に伴い、経験豊富な搭乗員はどんどん下士官、仕官へと昇進している。

 そうでもしないと、増えた搭乗員を士気しきれないという面もあった。


 彼はTOPクラスの空戦技術を持っていた。

 この護衛隊の中というだけでない。

 ソロモン方面の猛者たちの中でも最上位に位置するだろう技術の持ち主だ。


「あれは…… 敵機か?」

 

 杉田飛長は、太陽の方向に黒い影を見た。

 もう一度確認する。間違いない。いる。

 敵機だ――

 それも……


 とにかく、敵機発見を知らせる必要があった。

 僚機ペアにて信号を送る。

 風防の中で首を回し、杉田の指示する方向を見ている。

「確認した」という手信号を返してきた。


 杉田はフットバーを蹴る操縦かんを引く、金星一三〇〇馬力のエンジンが咆哮を響かせ、機体は急激な機動で反転する。

 無線は封止中だ。

 とにかく、今は敵発見を伝えること。

 そして、敵の規模を確認することが最優先だった。


 低空では効果抜群の二速加給機が唸りを上げエンジンを猛回転させる。

 ブースト圧が高まり、零戦は弾かれたように加速上昇する。

 まず、機銃を敵方向に放った。

 陸軍との共通化がなされた十二.七ミリ機銃が真っ赤な曳光弾をたたき出す。

 それに、護衛機か気づいた。


『杉田か!』


 受信専用にしていた無線機から声が響く。 

 無線風止が解除になったとすばやく理解。

 無線を送信可能にした。


『第一中隊第二小隊は突っ込め。霍乱しろ。叩き落としてこい』

『了解!』


 言われなくともそのつもりであった。

 二〇ミリ二丁、十二.七ミリ四丁という強烈な牙をむき出しにして零戦五三型が突っ込んでいく。

 単位時間当たりの発射弾量では、ドイツのフォッケすら凌ぎかねない強火力だ。


「おいおい、ペロハチP-38だけじゃねえぞ! シコルスキーF4UグラマンF4Fまで…… かつお節P-40もか?」


 太陽を背景に突っ込んでくる編隊の規模は、予想以上だった。

 距離が詰まる。機種も分かってくる。

 それは、「メザシ」とか「凧」と呼ばれる特徴的なフォルムを持つ双胴のP-38ライトニングだけではなかった。

 米陸軍機、海軍機、海兵隊機の総力を叩きこんできたのだ。


 ――なぜ、ここまで飛ばせやがる? 空母か?

 一瞬その可能性を考えるが、空母の接近を許すほど、ブイン基地航空隊は甘くないはずだ。

 では一体?


        ◇◇◇◇◇◇


「あああああ!! 来た! 来たよぉぉ! どんすんだよ。変ってるよ歴史がぁ! P-38だけじゃないぞ!」


 俺でも分かる距離まで、敵機は接近してきた。

 零戦が突っ込んで数機に煙を吐かせていたが、急降下で逃げたのか、撃墜されたのかは分からない。


「三〇機か…… いや四〇機以上いるんじゃないか?」


 何が歴史を変えたのか?

 暗号の乱数表は変更した。

 頻繁なスケジュール報告も禁止した。

 くそ、これはコースとウォッチャーズでカバーできるのか? 

 

 しかし、この機体数は――

 徹底して地上掃討をしたはずだ。

 そのために、無理して三〇ミリ機銃を雷電に積んだ。

 ガダルカナル飛行場は、相当なダメージを受けたはずだ。

 いったい……


「長官、掃討戦が裏目に出た可能性があります」


 ラバウルまで二式大艇に登場していた樋端航空参謀が思案毛に言った。

 簡単な言葉であったが、慎重な言い方だった。


「どいうことだ?」


「こちらの攻撃が、むしろ敵を刺激しすぎたのかもしれません。手強さを意識させすぎたのかも……」


 そうだ。

 この戦争では。

 今回のこの世界の太平洋戦争では日本軍は大きな間違いを犯していない。

 アメリカ海軍に対し、大きな被害を与え続けているんだ。


 直前の飛行場掃討だけじゃない。

 アメリカは日本に対し、史実以上の戦争リソースをつぎ込んでいる可能性もある。

 欧州重視の方針に変化はなくとも、その割合には変化があるのかもしれない。

 いや、あったと考えるほうが真っ当だ。


 敵機はP-38だけではなかった。

 F4U、F4F、P-40が確認できる。

 もう、そこまで来ているのだ。


 搭載機銃を減らしたのか? 

 防弾版を降ろしたのか?

 大型増槽を使ったのか?


 飛行機の航続距離は燃料搭載量で左右される装備を減らし余計に燃料を積むことは、普通とはいかないまでもやられていることだ。

 うかつだった。

 歴史の流れは変っているんだ。

 

 俺はその歴史の奔流が兇器となって迫ってくるのをただ見ているしかなかった。

 敵機の翼がチカチカと光った――

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