その156:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その14

 突き抜けるような真っ青な南海の空。

 陽光を反射し、キラキラした物が宙を舞っていた。

 雷電の機体から削られたジェラルミン外板であった。


 灼熱の温度をもった火箭が雷電に突き刺さる。

 降下しながら機体を滑らす雷電。

 鷲宮二飛曹の高い技量が分かる。


 が―― 


『P-38・ライトニング」の射撃修正も上手かった。

 射線に捉えられた雷電の外板が砕けて飛んだ。

 雷電と同じく、天空の稲妻に由来する名を持つ戦闘機。

 現時点で成功作として投入されている唯一の双発単座戦闘機だった。

 機首に集中装備されている武装は、M1二〇ミリ機銃1丁、おなじみのブローニング12.7ミリ4丁。

 機首に搭載された機銃は火力を集中され、相乗的な破壊力を持つ。

 『双頭の悪魔』と呼ばれるのは伊達ではない、恐るべき火力であった。


「鷲宮ぁ!」

 

 無線のスイッチをONとしたまま鷹羽二飛曹は叫ぶ。


「くそ、こいつ速いぞ!」


 火星1800馬力を誇る雷電の限界降下速度は大きい。

 計器速度で800キロ/時を突破することもある。

 初期加速つっこみも抜群だ。

 大地に向け加速した雷電に追いつく米軍機は今までなかった。

 新鋭F4Fですら引きちぎっていた。


「詰まらねぇぇ―― くそやろうがぁ!」

 

 けたたましく鳴り響く強制冷却ファンの金属音――

 鷹羽二飛曹の声が重なる。

 70ミリ防弾ガラスの向こう、もどかしいほどに距離が詰まらない。

 たまらず、機銃釦を押し込む。


 ゴゴゴゴゴ――

 重く響く音と反動。雷電の翼からは巨大な――砲弾ともいるような火箭が伸びる。

 しかし、重力に捉えられ弾道が捻じ曲がっていく。


(三〇ミリじゃ届かん)


 腹の奥底に声にならぬ声を叩きつける。

 いかにマイナスGの状態であっても威嚇にもなりはしない距離だ。


「おっ!」


 不意にだった。

 マイナスGという、機体にとっても負荷のかかる状態で雷電が空を切り裂く。

 世界有数の横転反応速度を持つ機体が傾く。

 風を切り裂き、風に舞い、急激に上昇反転を行った。

 機体強度に余裕のある雷電であるから出来る機動マニューバだ。

 P-38は追従できず前につんのめって行った。


「鷲宮ぁぁ!」


「おぉぉぉ、ビスが飛んだぁぁ!」


 どうやら翼のビスが吹っ飛んだらしい。

 それでも、あの窮地を脱出できれば儲け物だ。


 P-38はそのまま降下し、水平飛行に移る。


「喰ってやるわぁぁ!」


 鷹羽二飛曹は、酸素吸入器の下の口元に獰猛な笑みを浮かべた。

 猛禽の笑みであった。

 降下速度を生かし、距離を詰める。

 過速気味であったが、減速する気もない。

 

「死ね! ペロハチ! てめぇ!」


 三〇ミリ機銃が火を噴く。

 が――

 当たらなかった。


「メザシか! 凧の骨組みかぁぁ! なんでそんなに隙間がありやがるッ!」


 三〇ミリ弾は正確に機体を指向した。

 口は悪いが鷹羽二飛曹の射撃技術は卓越したものだった。

 ただ、全弾が、主翼、双胴、尾翼の作る四角形の空間に吸い込まれていた。

 狙ってもできることではない。


「止めとけ、鷹羽!」

「鷲宮ぁ、なんでじゃぁぁ!」


 敵を見ると頭に血が上り人格すら変わってしまう鷹羽二飛曹。

 その語勢はもはや軍人というよりゴロツキであった。

「地上銃撃のための三〇ミリだぞ! 忘れるな」

「あ…… そうだな」


 なぜ、雷電でわざわざガダルカナルまで飛んだのか?

 飛行場に銃弾の雨を降らせるためだった。

 

「いくぞ、鷹羽!」

「ああ、分かった」


 ペアとなった雷電はガダルカナルの米軍飛行場へ突っ込んで言った。

 強制冷却ファンの雷鳴が鳴り響く。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 敵機との戦いは、零戦隊が引き打ていた。

 はぐれていた、小隊残り二機とも合流。

 米軍のルンガ飛行場が視野に入る。

 

「でけぇな……」


 鷹羽二飛曹は整備された滑走路を見て、身が震える。

 敵機と空戦しているときには感じなかった感情が涌く。

 

(これがアメリカか……)

 

 連日、ラバウル、ブインからの爆撃を行っている。

 相当の戦果を上げていると聞いていた。

 しかし、その滑走路はまるで出来たてのように見えた。

 長さも、幅もブイン飛行場…… いや、ラバウルの飛行場よりも広く上等に見える。

 

「掩体壕がこんなに」


 べトンで固められたと思われる掩体壕、そして連結する引き込み線が延びる。


(露天に機体なんてあるのか?)


 そう思うほどに敵は完璧な防空体制をしいているように思えた。

 機体がビリビリと震えた。 

 高角砲の射撃だった。正確だった。

 蒼空に薄墨色の雲が次々に出来上がる。

 

(錬度が高いな)

 

 ブインの高角砲など、滅多に当たることがなかった。

 なんでも、大砲屋砲術科の中では高角砲や高射機銃は「腐れ士官の捨て処」と呼ばれているらしい。

 どうも、米軍も同じだと考えると痛い目に合いそうだった。

 編隊そろって機体を降下させる。

 高角砲の射撃レンジは三〇〇〇メートル以上からだ。

 角速度の問題で、砲が機体に追尾できなくなり、高射装置の計算も間に合わなくなる。

 低空に下りると、機銃の射撃が始まった。

 が、それほど密度は高くなかった。

 なにせ、飛行場が広すぎるのだ。


「あった! 隠してやがったのか!」


 密林と接している場所に、機体が置かれていた。

 

(掩体に入りきらない機体か?)と、一瞬思う。


「ペロハチじゃねえか!」


 それは、今回の最重要目標とされていたP-38であった。

 四機の雷電は、三〇ミリ機銃を叩き込む。

 アメリカ陸軍の誇る高性能双発単座戦闘機は、航空機から鉄とアルミニュゥムの塊となった。

 三〇〇〇キロを飛翔できる翼は、二度と空へ羽ばたくことがなくなった。


        ◇◇◇◇◇◇


「ちょっと、|厠≪かわや≫に……」


「長官先ほども行かれましたが?」


「おなか痛い」


「仮病はよくありません」


 樋端航空参謀は、冷静に言った。

 逸材と言われ、切れ者である彼にとって俺の仮病を見抜くことは簡単だった。


「いや、ほら暗号盗まれているかもしれないよね。時間どおり動くのはどうかな――って思うわけですよ。標的となっている孔雀としては」


「無駄です。理由はふたつ。トラックからラバウルまでの制空権は我が軍にあること。米軍最前線のガ島からでは攻撃可能な戦闘機がありません」


 知ってますよね?

 という感じで、樋端航空参謀が言う。

 わがまま言うんじゃありませんという感じだ。


「オヌシ、びびっておるのか? 当たると思うから敵の弾に当たるのだ! 腰抜けアメ公のひょうろく弾なんぞ、精神力で耐えるのだ!」


 相変わらず物理科学を超越した無茶苦茶を言う女神様。

 俺の南方視察に着いてきていというか、やはり神様(一応)なので遍在しているのだろうか。大本営に偏在しているような気がしているのだけど。


 というわけで、俺は改造『銀河』の座席に押し込められる。

 座席をひとつ追加ものだ。

 機体設計の優秀さからか、速度はほとんど落ちていない。

 最高で五五〇キロ/時以上を計測できる。

 防御力も一式陸攻など問題にならない。細身に見えて強靱な機体だ。

 一〇〇オクタン燃料の供給が、史実よりも誉エンジンの安定化に繋がっていた。

 

 宇垣参謀長は、別の銀河に乗っている。

 その他の要員は、防御力があり、一式陸攻より高速な二式大艇に座乗している。

 駆逐艦で使用される防弾鉄板が追加され、更に安全性を高めてある。


 宇垣参謀長は「見晴らしが良いので、偵察席にどうぞ」という搭乗員の言葉に乗せられ、機首先端の地面に近い偵察席に押し込められた。


「おお、さすが見晴らしがよい。これは良いネタになりおそうだ」


 と、手帳を開いてメモをしていた。

 知らないということは幸せなものだと俺は思う。

 俺も勧められたが断固として拒否した。


(知ってるよ。その席の恐怖は……)


 地面に近い偵察席は離着陸時の恐怖が半端ないというのは銀河で飛んだ搭乗員の談話で知っている。未来知識が俺をひとつの恐怖から救っていた。

 浮かれている宇垣参謀長に、可哀相だなだなと、思ったが「ワナビ参謀様」にとっては、いいネタにもなるだろうとも思う。

 

 とにかく、俺たちを乗せた銀河と二式大艇はラバウルまで無事飛んだ。

 ラバウルの港が見えてくる。

 米軍をして「竜の顎≪ドラゴンジョーズ≫」と呼ばれた死地。

 花吹山からは細い噴煙がたなびいていた。


「あ、海防艦か」

「そうですね。結構活躍しているようです」

 

 航法士が答えた。

 眼下にはカクカクとした直線的な構造の海防艦が数隻。

 徹底的に工数を削減し、量産性を重視した商船護衛用の艦艇だ。

 内地では徐々に量産体制に拍車がかかっている。

 史実では戦争末期に出現する「丙型、丁型海防艦」に近い物だ。

 それに、もっと小さな船がミズスマシのように動いている。


(機雷の掃海か……)


 重爆による機雷散布が、今のところもっともやっかいだった。

 掃海艇の数も足らず、あらゆる艦艇に掃海具をつみこみ、機雷の排除を行っている。

 が――

 それでも、しつこく仕事熱心にばらまくのが米軍だった。

 

(水圧感応式の機雷が投入されたら――)


 水中聴音などの分野は、この時代の日本では専門家もほとんどいない。

 幅広い科学技術の全範囲を網羅できるだけの人材はいないのだ。

 1943年の大日本帝国は科学技術の面でも「まだこれから」という国なのだ。


(俺の命を守るため、おおくの人を動かした――)

 

 眼下の船舶を見つめ俺は思った。

 銀河の改造も、ガダルカナルへの爆撃も、戦闘機による飛行場の掃討も――

 言ってしまえば、この視察で俺が生き残るためのことだ。

 なんとも、言えない気持ちになる。


「戦争、早く終わらせないとな……」


 俺は声にならぬつぶやきを口の中で転がした。



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