その155:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その13
ソロモンの最前線ブイン基地に連続した轟音が鳴り響いた。
地上射撃用の的として広げられた
腹の底まで振動させるような発射音が、その機銃が尋常なものでないことを証明していた。
「すげぇなこれ」
鷹羽二飛曹は耳を塞いで言った。自分の声が鷲宮二飛曹に聞こえているのか分からない。
「ああ、三〇ミリだからな」
「そうだな」
辛うじて会話ができた。
機銃調整のための標的となっている帆布上に黒こげた穴が刻まれていく。
毎分二八〇発のレートで叩きだされる機銃弾は今までの二〇ミリ機銃の三倍以上の重さがあった。
射撃調整のための弾丸なので炸裂しているわけではない。が、布に穿つ穴が大きかった。
射撃が終わり、整備員が機銃取り付け角度の調整を始めた。
その様子を鷹羽と鷲宮のふたりは搭乗員として見ていた。
なにせ、この機銃を搭載して飛ぶのは彼らだ。
「やっぱへたりが大きいか」
鷲宮二飛曹はちょっと苦い顔で言った。
「まあ、弾が重いですからね」
整備員は言った。言外に「しょうがないでしょう」という響きがあった。
「でも、弾が重いので風の影響は受けにくいですよ」
「それはそうかもしれんが」
雷電に搭載され、調整が行われているのは二式三〇ミリ機関銃だった。
今や陸海軍航空機の標準武装となったエリコン二〇ミリ機関銃の拡大改造版だ。
この三〇ミリ機銃は海軍の要請で作られたものではない。
大日本兵器が独自で製造したもの海軍が採用したものだった。
強靭な防御力を誇るアメリカ大型爆撃機に対する運用を想定されていたが、今回は地上攻撃における威力検証を行うことになっている。
ガダルカナル飛行場を地上掃討するのだ。
「こんだけデカイ弾だ。威力はあるだろ。最高じゃないか」
鷹羽二飛曹は極めて前向き、ポジティブなことを言った。
頭の中では四散するB-17の映像が浮かんでいる。最高だ。
雷電に三〇ミリ。まさに、鬼に金棒である。
彼は強力な兵器が大好きだった。細かいことは気にしない分かりやすい男なのだ。
「あれは、陸さんの爆弾かい?」
鷲宮二飛曹は、相棒のウキウキした声を聞きながら話題を変える。
離れたことろで、懸吊装置の整備をしている整備員を見やった。
「そうですね。陸軍の五〇キロ爆弾ですけど。海軍機でも使えるようにしています」
「ふーん」
正式名称「九七式五〇キログラム投下焼夷弾(カ四弾)」。
この爆弾は零戦に搭載される予定になっている。
海軍の爆弾は三〇キロ、六〇キロ、二五〇キロ、五〇〇キロ、八〇〇キロというようになっている。
五〇キロという規格の爆弾はない。
が、海軍に地上攻撃用の爆弾がないかといえば、ある。
海軍の場合、対艦攻撃用の爆弾が「通常爆弾」であり、対地攻撃爆弾は「陸用爆弾」とされる。
装甲で防御されている戦闘艦を攻撃するための「通常爆弾」は特殊鋼の鍛造品だ。
敵の装甲板を貫いて爆破する構造になっている。
それに対し「陸用爆弾」は薄い弾殻に大量の炸薬を充填し威力半径を高めている。
カ四弾は黄燐焼夷弾で、陸軍の航空戦ドクトリンである「航空撃滅戦」の要求により製造されたものだった。
「航空撃滅戦」とは、乱暴に言ってしまえば敵飛行場を早急に破壊して、制空権を確保するという思想だ。
とにかく、対地攻撃用の爆弾の製造では、陸軍の方が一日の長があること。
海軍の爆弾製造を「通常爆弾」に絞込み、製造効率を上げること。
そういうわけで、陸海軍の戦力統合は爆弾の運用まで影響を与えていた。
◇◇◇◇◇◇
ブインではひときわ高い構造物である見張りやぐらの吹流しが揺れている。
風はさほど強くはない。
天候はいい。雲はほとんどなく青天といってもいいだろう。
ブイン飛行は爆音に包まれていた。
雷電四機、零戦四十八機の暖気運転が開始されていたのだ。
合計六万五〇〇馬力に迫るエンジンの咆哮だった。
機数にすれば零戦の1/10もない雷電であるが、独特の強制冷却ファンの甲高い金属音は耳朶に突き刺さる。
最高一八〇〇馬力の剛力を担保する叫びだ。
三〇ミリ機関銃という獰猛な牙を搭載した雷電は今や遅しと飛び立つ時を待っていた。
戦闘機だけでガダルカナルへの殴り込みを敢行する。
徹底的に敵戦闘機を掃討する作戦だった。
事前の簡単な訓示の中で「P-38が最優先である!」という指示があった。
鷹羽二飛曹は「ぺロハチかぁ~」と思いつつも、自分はまだ対戦してない機体であると気づく。
(ま、零戦の奴らがたいしたことないっていうからな。雷電の敵じゃねーだろ)
とにかく雷電に乗ってさえいれば、無敵であり無双であり不敗であり、絶対に自分は落とされないという信念を持っていた。
雷電の機体性能と己の技量に裏打ちされた信念だ。
操縦席に座り、右手で操縦桿を握りこむ。
エンジンの振動が手のひらに伝わる。
まるで雷電の鼓動のようであった。
「計器異常なし」
左手はスロットルを握っている。
強力無比な火星エンジンにパワーを吹き込む準備をする。
開けっ放しの風防からは、アルミと鋼でできた猛禽たちの雄叫びが流れ込む。
獲物を求める叫び。
ぶっとい胴体ではあるが、座席を最高位に調整すればなんの不自由もない。
「チョーク払え」
車輪のチョークが外される。
鷹羽二飛曹はスロットルを叩き込み、前方をみやる。
すでに、零戦隊の離陸は開始されていた。
推力式単排気管付きの一二〇〇馬力、金星エンジンが爆音を奏で、濃緑色の機体が舞い上がる。
風――
ソロモンの熱風ともいえる風が操縦席の中に流れ込む。
鷹羽二飛曹はスロットルをグいっと前に押し込んだ。
雷電が――
その
◇◇◇◇◇◇
海上に出ても天候は良好だった。風も弱い。
高度六〇〇〇メートルで編隊を組んで飛んでいく。
「月光」は陸軍の開発した「屠龍」の海軍名称であり、基本的には全く同じ機体だった。
双発複座なので、航法能力が高く、航続距離も長い。
戦闘機としての空戦性能は「戦闘ができる」という程度であるが、重宝な万能機としてなくてはならない存在になっていた。
「燃料は大丈夫だよな……」
飛び立ったばかりなのに鷹羽二飛曹は燃料計を気にする。
燃料消費量は予定通りであるが、零戦の巡航速度に合わせているのでイライラしている。
当初、艦隊決戦時の上空護衛を主任務とする要求仕様だった零戦は「滞空時間」重視される設計になっている。
結果として、長大な航続距離が実現され太平洋戦争の様相にこれ以上ないくらいマッチしていた。
エンジンを金星に換装した零戦五三型でも、航続性能は十分以上のものがあった。
一方雷電だ。
そもそも、迎撃機であり、航続距離は重視されていない。
それでも、ブインからガダルカナル間であれば、なんとか作戦行動の範囲内に治めることができた。
胴体下に三五〇リットルの増槽を懸吊すればの話であるが。
「帰りは向かい風かな」
現在は風は緩やかであるが追い風。
帰りの気象条件が鷹羽二飛曹に気になった。
「ま、なんとかなんだろ――」
考えるのが面倒くさくなってやめる。
そして、周囲を見張る。
この位置で奇襲の心配はないが、敵の長距離哨戒機と遭遇してしまう可能性はゼロではない。
(それも、そのときはそのときだけどな)
と、考えていたときだった。
敵のレーダー探知を回避するためだった。
高度二〇〇メートル。感覚からすれば海面を這いずるような飛行で進んでいた。
◇◇◇◇◇◇
相変わらず天候は穏やかだ。
海面の状態も静かだった。波も高くない。
小隊長機が増槽を切り離すのを見て、鷹羽二飛曹も切り離しを行う。
まるで、抜刀し脱ぎ捨てられた鞘のような増槽が空を舞う。
「ん?」
唐突に受信状態となっていた無線機から響く。
『ルンガ飛行場より迎撃機発進。奇襲不可。強襲となる』
月光からの通信だった。
無線封止が解除されたのだ。
『敵、F4F四〇機、F4U二〇機、その他P-40、P-38を含む』
続いて機種、機数の報告だ。
お馴染みのF4F戦闘機に、最新鋭F4U。
それに、なぜか今回の最重要標的となっているP-38も若干いるようだった。
この時点の迎撃は完全にこちらの動きが捉まれているということだ。
「やはり原住民のスパイがいるのか」
鷹羽二飛曹は噂になっている原住民のスパイの存在について思う。
無線機を持ち、基地を見張り、こちらの情報を連合軍に知らせる役目を負った連中がいるという噂は以前からあった。
しかし、宣撫工作の上で、むやみに原住民を敵対視することもできないでいる。
大陸で情報戦を展開していた、憲兵隊の一部を投入しているが、結果は芳しくない。
だからこそ、今も敵が迎撃準備を行ったのだ。
「まあ、上がってくれば叩き落すだけだけどな」
真っ赤な舌で唇を濡らし、鷹羽二飛曹は言った。
マフラーの下の口には獰猛な笑みが浮かび上がっていた。
小細工したければ、すればいい。そんなものは関係ないと、彼は思う。
操縦桿を握る手が震える。それは身の内からあふれ出す歓喜のためであったかもしれない。
九八式射爆照準機の電灯をつける――
三〇ミリ機銃の安全装置を解除する。カチっと金属音が響く。
計器を見る。戦闘緒元確認する。
『高度を上げる。一気に前に出るぞ』
隊長機からの命令が受信器に響くと同時だった。
操縦桿を引き、スロットルを叩き込む。
火星エンジンが軛を引き千切り、フルパワーを発揮する。
ペラが風を切り裂き、
やがて、彼方に――
水平線の向うに――
連なる島影が視界へ入り込んでくる。
『敵、高度六〇〇〇周辺に蝟集せり。更に多数機が離陸中。一部空中避難の大型機含む』
月光からの通信だった。
やけに詳細な報告に鷹羽二飛曹はちょっと首をひねる。
が、しばらく考え「電探でも詰んでおるんだろう」と、結論をひねり出す。
実際のところ、月光は電探など搭載していなかった。
情報はガダルカナルに潜む海軍特別陸戦隊の精鋭からのものだった。
少数部隊がガダルカナルに常在し、飛行場の監視、後方かく乱を実施していた。
その情報が月光を経由して、全機に伝えられたのだった。
◇◇◇◇◇◇
『突っ込め! 切り裂け! 蹴散らすんだ!』
『応!』
無線の声が耳朶を打つと同時に切っ先と化した雷電が突っ込んでいく。
ほぼ同高度だった。
毎分1000メートルを超える雷電の異常な上昇力は、有利な体勢で迎撃を実行しようとした敵機の目論見を粉砕する。
地上掃討もクソもない。
目の前の敵を粉砕しなければ、飛行場に接近することもできないのだ。
反航同位戦――
相手は古馴染みのF4F戦闘機。頑丈ではあるが、今のソロモンの空では陳腐化した機体だ。
「鷲宮!」
「なんだ」
「上昇反転してぶち落とすぞ」
「了解ぃぃ」
浮き浮きとした調子の鷲宮の声を聞く。
自分の声もそれ以上にウキウキしていることに鷹羽二飛曹は気づいていない。
相手も同じ考えのようだった――
機体を上に向けていく。
お互いが上昇姿勢をとりながら、高速ですれ違う。
ただ、あまりにも上昇角度と速度が違いすぎた。
機動の鋭さがまるで違う。
機銃を四丁にまで減らし、重量を絞り込んだF4F-5であったが、雷電相手に縦の機動をして敵うわけがない。
「この薄ノロが!」
鷹羽二飛曹は叫ぶ。
天空を貫くように機首を上げる。
急角度な失速反転により、敵の後ろに喰らい突く。
二門の三〇ミリ機銃が腹の底を痺れさせる轟音を短く連打。
四十八発搭載した貴重な弾丸の一部を吐き出した。
通常弾、曳跟通常弾、焼夷通常弾、徹甲通常弾の4種類が毎分二八〇発のサイクルレートで叩きだされる。
曳跟通常弾の
ボコッとF4Fの胴体がひしゃげた。
まるで巨人の鉄槌受けたかのように、鉄とアルミのボディを変形させる。
一瞬の間を置き、爆発閃光が走った。
グラマン鉄工所製の頑丈な機体が真っ二つに叩き折られた。
航空機だった物は、残骸となり、重力に捕まれクルクルと落ちていく。
どす黒い煙が風に拡散されていく。
強引に捻じ曲げたかのような逆ガルの翼が、突撃してくる。
編隊による力任せの攻撃。
上空から被られた。
「こなくそ!!」
フットバーを蹴飛ばし、機体を切り返す。
見た目からは想像もつかない俊敏さで雷電が唸り旋回する。
雷鳴の尾を引き、構造材が軋む
それでも――
12.7ミリの鋼の
ビシ、ビシッとジェラルミンの外板が削られる。
空に鋼のカーテンを作るような銃撃だった。
鷹羽、鷲宮の操る雷電に対する波状攻撃だった。
敵は死神の鎌を振り回し、一気に降下した。
「鷲宮!」
「大丈夫だ」
辛うじて両機とも致命部を交わしていた。
しかし――
「こりゃ、難儀な仕事になりそうだ」
ちらりとストップウォッチ式の残弾表示形を睨む。
元々弾数が少ない。
更にだ――
燃料系をみやる。
そちらは問題はまだない。今の時点であったらそれこそ大問題だ。
「やつら、一撃離脱が徹底してやがるのか」
上空から被さって、下方に抜けたF4Uコルセアは、新鋭機らしい高速機動で、反転上昇をしていた。
距離はまだある。
周囲では零戦隊と敵機の戦いも繰り広げられていた。
どす黒い煙――
閃光――
炎――
飛び散る曳光弾が、空を彩っていく。
狂気の色にだ。
「鷲宮! 後だ!」
叫ぶ。鷹羽二飛曹。
双頭の悪魔――
P-38――
『ライトニング』という稲妻の名を持つ悪魔が上後方より被さってきた。
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