その154:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その12
1943年も半ばが過ぎようとしていた。
太平洋戦線で、日米が対峙する戦線のひとつ――
ガダルカナル島では、密林を拓いたアメリカ軍の航空基地整備が進んでいた。
精強な日本海軍のブイン基地と航空戦を繰り広げながらも、徐々に機能を拡充してきた。
今ではB-17の運用すら可能となっていた。かなり無理した状況ではあったが。
「航空掩体壕の進捗が悪いようだな」
アメリカ第一海兵師団を率いるアレクサンダー・ヴァンデグリフト少将は言った。
ケツのように割れた顎を突き出すようにしてだ。
頑丈そうな顎だなと、現状報告した部下は思う。更に、なんでも噛み砕いて食ってしまいそうだとも――
ただ、ガダルカナル島には、それを試すだけの食料はないことは周知の事実ではあったが。
「日本海軍による妨害は、やや低調となりましたが、こちらが思うに任せないという点では変化がありません」
「そんなことは、分かっていることだ」
君の言うことは問題ではないという風にヴァンデグリフト少将は言った。
何かを言う度に、見事に割れた顎を突き出す。
ありったけの空母、戦艦を投入したラバウル奇襲作戦で生起した『ラバウル沖海戦』は大きな被害を日本に与えた。
少なくとも、アメリカ側ではそう信じていた。
実際、ガダルカナルへの圧力は低下しているのだ。
こちらの損害も馬鹿にならなかったが、作戦目標はある程度達成できたといえる。
現状、駆逐艦を使った「ニューヨーク・エキスプレス」輸送団は、何度も補給を成功させていた。
日本海軍の水雷船体の妨害は低調な状況が続いている。
「田中の水雷戦隊が引っ込んでいる内に運び込める物は運び込まんとな」
ガダルカナル方面で、徹底した交通封鎖を行っていた日本の第二水雷戦隊は『ラバウル沖海戦』で多大な出血を強いられていた。
特に、第二水雷戦隊の被害は多大なものであり、戦力の再編が必要だった。
ソロモンの海から、恐るべき手だれの指揮官――
田中を叩き出しただけでも、効果があったというべきかもしれない。
「物資がない。少ない。だが、それで泣き言を言うような海兵隊ではない」
ヴァンデグリフトは言った。
食料、被服、弾薬、土木機材、航空機部品と、満足に充足しているものはほとんど無い。
だた、それで泣き言を言うほど海兵隊は惰弱ではないという思いはある。
しかしだ。
(オーストラリアが兵站基地として機能しないのは痛い)
と、いう思いはあった。
オーストラリアは、表玄関であるニューギニアに迫った日本軍に対し、積極的な攻勢に出ず、本土決戦を覚悟した方針をとっている。
イギリスが、欧州・アフリカ方面にあるオーストラリア軍の帰還を認めないのであるから、その判断も致し方なかった。
もし、オーストラリアが積極攻勢の方針に同意してくれるならば、同国の産業構造を変えてでも、補給拠点としてオーストラリアを活用する手段もあったのだ。
だた、この方法については、アメリカ側でも積極的に動く者がいない。
オーストラリアの重要性を理解している者が、陸海ともにほとんどいないのだ。
(マッカーサーがいればどうだったか……)
ヴァンデグリフトの脳裏にあの尊大ではあるが、有能と聞く男のことがよぎる。
所属する組織は違っているが、フィリピンの英雄と祭り上げられた男は今でもフィリピンで戦い続けていることは知っていた。
(最終的に、我がアメリカが勝利することは間違いないが……)
彼は、祖国の勝利を疑っていない。
神の恩寵を受けた選ばれた国だからじゃない。
日本とアメリカ、あるいはドイツを合わせてもいい。
その国力は、アメリカの足元にも及ばないからだ。
最終的に、国力が勝る方が戦争に勝利する。
これは公理といってもいい。
いや――
確かに、国力の劣った国家が、勝利することもある。
限定的な戦争で、仲介する有力な国家があれば、国力が小さい国が勝ち逃げすることも可能だろう。
しかしだ。
今回の戦争はそのようなものではない。
徹底した全面戦争。総力戦以上の総力戦だ。
勝ち逃げなど出来ないし、させるわけがない。
戦争は敵国 ―枢軸国― の徹底的な破壊で終わるだろう。
この戦争が日本が仕掛けた「真珠湾奇襲」で始まったのは、アメリカにとっては政治的な
2年以上の長期戦に耐えることが困難であると予測されていた世論が「復讐」を決意したのは大きい。
艦隊は壊滅したが、それ以上に貴重な物を我々は手にした。
戦争が始まって、1年半以上経過するが、世論はいまだ厭戦とは程遠い状況だ。
南海の孤島にいながらも、ヴァンデグリフトの元にはギャラップ社の世論調査の結果が届いていた。
(まだ、市民は戦争に
矛先の緩まった日本軍であるが、ガダルカナルは連日のように、空襲を受けている。
受ける被害、思うに任せない補給など、ここソロモンの戦況はまだ日本優勢といっていいだろう。
まだ、こちらは、足場を固めていかなければいけない段階だ。
「先日到着したP-38の航空隊ですが、掩体の割り当ては?」
ヴァンデグリフトの思考は、部下の言葉で断ち切られる。
「空きは?」
「B-17の掩体を開ければ、なんとか」
「それは、キツイな」
B-17はなんとも高価な機体であり、こちらから日本軍基地に攻撃できる唯一といってもいい兵器だ。
簡単に損耗していいものではない。まあ、損耗していいものなど、今のアメリカ軍にはなにひとつ無いのであるが。
「P-38は、密林に引き込むしかないか。その方向で調整してくれ」
「はい」
「P-38は、燃料タンクを改造して航続距離を伸ばしたものだと訊いていますが。ブインを直接攻撃に使用できませんか」
「その権限は私にはない」
P-38で編成された部隊は、ニミッツ直属の部隊だ。秘密任務に使用されるということだ
機体改造のことはヴァンデグリフトも知っていた。
任務の詳細まで知っているのだから当然だ。
ただ、知ってはいるが、指揮権が無い。あくまでも部隊はニミッツ直属なのだ。
(どうにも、気の乗らない話であるが)
実際、自分がある意味で部外者であることが、ヴァンデグリフトの気を楽にし、作戦の影響を冷静に考えることができた。
聨合艦隊艦隊指令長官、山本五十六を直接狙う、暗殺とも言っていいこの作戦の影響だ。
アメリカは日本に対し、明確で圧倒的な勝利を国民に知らせることができないでいる。
国力に圧倒的に差があったとしても、それが明確になるのは1944年前半ではないかと予測されている。
しかし、国民は明確な勝利を求めている。圧倒的な勝利を。愚かな黄色いサルの死体を量産することを望んでいる。
現実、それできないでいる。
であれば、どうするか?
国民にアピールするには?
目に見える復讐の結果を国民に届けるには?
世論に支えら得た政治権力。
民主主義とは言ってしまえばそのようなものだ。
であれば、戦争は世論に支持されなければならない。
日本軍を倒すには、長い補給線を確保できる拠点を建設して進まなければならない。
アメリカ海軍がかつて戦ったこともない強敵ともいえる日本海軍を排除してだ。
それは、どのくらい時間がかかるのか?
国力に勝るといっても、補給線の長さは、戦争を長引かせ困難にさせる要因だ。
山本五十六を殺して、それが解決するのか?
ヴァンデグリフトは個人を抹殺することで、近代戦の行方が左右されるという幻想に酔うことができなかった。
前線で戦っている彼が肌で感じる実感だ。
(むしろ、暗号を解読していると知られるのではないか?)
その危険性を考える。しかし、そんなことを言っていては、暗号解読の成果をいつまでも活用できなくなるとういう反論も成立する。
問題はそのリスクを犯してまで、山本五十六個人を殺す意味があるのかどうかということだ。
そして最悪は――
(五十六を撃ち漏らしてしまった場合、相手はどう考える?)
真珠湾攻撃を計画し成功させた山本五十六を葬り去るというのは復讐という意味でも非常にアピールできる。
しかし、それ以上の意味はない。
あまりにも政治的な作戦だ。
だからこそ、彼は気が進まないのだ。
すでに山本五十六はトラックまで進出してきてるという。
孔雀が飛び立つまでさほど時間はないだろう。
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