その153:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その11

「なんだあれは……」


 海面が白く泡立つ。

 ボコリと半円形の盛り上がりができ小さな水柱が上がる。

 海面下で爆発が発生したのだろう。


(なんなんだ、爆雷か? 砲撃か?)


 鷹羽二飛曹は息を飲み、網膜に映る光景の解釈を試みる。

 ただ、最初に思った以上の答えに到達することはなかった。

 鷹羽二飛曹の思考に雷電の咆哮が割り込んでくる。

 強制冷却ファンの金切り音を劈き、重く響く轟音が雷電の機体をビリビリと振るわせた。


 カクカクとした安っぽい感じの艦艇からなにかが発射されたのは確かだ。

 しかし、鷹羽二飛曹はそれが何か分からなかった。

 その疑問に浸っている余裕はなかった。

 雷電の叫びに応えるかのように鷹羽二飛曹は頭を一瞬で切り替える。


(大鷹は!)


 すばやくそのを空母・大鷹に向けた。

 鷹羽二飛曹は息を飲む。身じろぎもせず操縦桿を硬く握った。

 スロットルレバーを叩き込む。

 眼下の光景に眼を据える。

 青いセロファン紙に塩を撒いたような航跡が大鷹に伸びていく。

 スルスルと静寂の凶器が護衛空母に向かっている。

 魚雷。 


(回避を―― 早く!)


 3本の航跡は既に標的を見失っている。

 だが、一本は大鷹と交錯するかのように見える。


「くそがぁぁ!!」


 火星1800馬力が蒼空に突き抜ける。

 砲弾のフォルムをもった機体が、弾けるかの様に加速。

 大気に焦げ目を作るほどの速度。

 しかし、間に合いそうも無い。

 雷電に乗った鷹羽二飛曹には出来そうなことは何もなかった。


(んっ!?)


 そのときやっとのことで大鷹は緩々と回頭し始めた。

 円弧と直線が接点を持つかどうか、ギリギリの動きだった。

 時間がカタツムリのようにヌルヌルと動く。

 鷹羽二飛曹は軋むほどに歯を食いしばり海面を凝視する。

 ただ彼がいかににらもうが観測しようが、その結果に影響を与えることは無い。

 戦闘兵器のリアリズムだけが、そこに出現するだけだ。


「ふぅ~」


 鷹羽二飛曹の全身の緊張が一気に緩んだ。肺の中で固まっていた空気を吐き出した。

 魚雷の航跡は大鷹と交差しなかった。

 定規で引いたような白い航跡は、大鷹の円弧と交わることはなかった。


(なんとか、かわしたか…… くそ野郎が)


 安堵とともに、日本軍の基地近くまで跳梁ちょうりょうするアメリカ潜水艦に対する憎悪が沸き起こる。

 鷹羽二飛曹は周囲を警戒しつつ、雷電を旋回さた。

 潜望鏡でも出そうものなら、20ミリを叩き込んでやると思っている。


「あ、またか…… なんだありゃ、爆雷?」


 

 眼下ではまたしても複数の水柱が立った。

 カクカクとした護衛の艦(駆逐艦? 海防艦?)が射出したと思われる何かだ。


「いったい何を撃っているんだ?」


 爆雷とも砲撃ともつかぬ味方の攻撃を鷹羽二飛曹は訝しげに見つめるのだった。

 その海面は泡立つような状態になっていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 鷹羽二飛曹は知らないことであった。

 カクカクとした直線的ラインを印象付ける艦は『丁型駆逐艦』と呼称される量産型駆逐艦であった。

 そして、その艦より射出され水柱を立てたのは『15連装15サンチ噴進散布爆雷』だった。

 鷹羽二飛曹が目撃したのは、その対潜兵器の実戦初使用の場面である。

 現在、実戦配備の進む対空ロケット砲である『28連装12.7サンチロサ弾』と同じ25ミリ三連装機銃と同じ架台を使用した前方投射型の爆雷である。

 最大射程3000メートル、時限信管と磁気感応信管を持った潜水艦にとっては悪夢のような兵器。

 現在は量産の進む『丁型駆逐艦』に優先で設置されているものだ。

 

『丁型駆逐艦』は、最大速度を28ノットで我慢することで機関生産の隘路あいろを回避。

 工作が容易な直線的なフォルムを持った駆逐艦となっている。

 一見、安っぽいマスプロ製品に見えること、統一感のない植物の名を付けたことで「雑木林」と揶揄されることになる。

 しかし、その外見とは裏腹に、対空対潜性能では従来の確実に駆逐艦を凌ぐものだった。


「進路そのまま。速度12」


 潮っ気をたっぷりと含んだ帽子を目深に被っている風祭駆逐艦長の声が響く。

 特設砲艦『第二天福丸』より丁方型駆逐艦『竹』の駆逐艦長のなった男である。

 ただ、それは今次大戦のことであり、風祭少佐のキャリアは第一次世界大戦までさかのぼる。

 今や帝国海軍が完全に忘却の彼方へ追いやってしまった「船団護衛」の実戦経験を積み重ねてきた。

 まだ、爆雷すら無く、潜望鏡を見れば艦を突撃させる攻撃しかなかった時代から。


「艦長やりましたか?」

「分からんな。油断はできん――」


 そう言うと風祭駆逐艦長は『噴進散布爆雷』の第三射の準備を命じた。


「念には念をいれるということだ」


 口の中で小さく風祭駆逐艦長は言った。


 時限信管と磁気信管を備えた最新の爆雷の効果を疑うわけではなかった。

 第二天福丸時代の八八式爆雷に比べれば、同じなのは『爆雷』という名前くらいなものだ。

 更に、聴音機、探信儀も最新のものとなっている。

 水に溶けやすいことから嫌われていた「ロッシェル塩」によるハイドロホンシステムを導入した『三式探信儀』は従来のものと比較にならぬ性能となっていた。

 であるからこそ、『噴進散布爆雷』の運用が可能になっている。

 正確な敵潜水艦の位置を測的できなければ、どんな爆雷でも意味は無い。


 『三式探信儀』は従来の可動コイルを使ったダイナミック型より高出力でも安定していた。

 現場では、なぜ早くロッシェル塩を使わなかったのかという声が上がっている。


「聴音どうか?」

「反響音確認できません」

「ふむ」


 反響音が聞こえない。

 敵潜水艦は無音潜航しているかもしれないし、すでに沈んでいるかもしれない。

 圧壊音は確認できていないが、散布爆雷の連続した爆発にまぎれてしまえば、確認できない可能性もあった。


「見張りより報告」


 狭い駆逐艦の艦橋に声が響く。


「重油および敵潜水艦と思われる浮遊物発見」


 報告を聞き、その方向を双眼鏡で確認した。


(なるほど)


 視界には大量の重油と残骸とおぼしき浮遊物があった。


「駆逐艦長、沈めたのでは?

「かもしれん、が。先任、警戒は怠るな」


 異常なほどに執念深そうな風祭駆逐艦長の目が帽子の下で光る。


「潜望鏡を見つけたら――」

「噴進爆雷ですな」

「そうだ。そしてその後、突っ込むだよ。この『竹』をぶちかます」


 風祭駆逐艦長は、最新爆雷の威力を信じてはいたが、第一世界大戦より続く潜望鏡への体当たりを最も信じていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「射出機があるなら、全部射ち出せばいいのにな」


 鷹羽二飛曹はブイン基地の搭乗員休憩所で紫煙を揺らしながら言った。


「それほど、搭乗員が余っていれば苦労はせんだろうよ」


 彼の僚機搭乗員である鷲宮二飛曹がけだるそうに言った。

 すでに、彼らの雷電小隊は上空護衛を終え、別の隊に交代していた。

 しかし、空母『大鷹』からの航空機輸送は続いていた。

 最前線でガダルカナル島に対峙するブインであるが、まともな航空攻撃はアメリカにとっても蜂の巣に手を突っ込むようなものだ。

 最近では大型のB-17による夜間爆撃が中心になっている。

 重爆にとっての死神ともいえる雷電も単座機の限界からは逃れられない。

 夜間戦闘はできなくはないが、効果的に行うのは困難だった。

 雷電の問題というより、海軍全体の問題だ。


「確かにジャクに空母からの発艦は無理かぁ~」

「だな」


 搭乗員の大量養成は軌道に乗り始めていたが、輸送任務に回せるほどあまっている訳ではない。

 ましてや射出機(カタパルト)で発艦するのは熟練者でも危険手当がでるくらいだ。

 空母に取り付けられた射出機(カタパルト)でも事情は変わらないだろう。


 そもそも大鷹で運ばれてきた機体は殆どが分解梱包され、艀や大発で輸送されることが前提になっている。


「分解梱包された機体じゃ、調整に時間かかるだろうなぁ」

「30ミリ搭載の雷電は、そのまま射出機でブイン基地まで飛んできたぞ」


 鷲宮二飛曹の言葉に、鷹羽二飛曹は「あの雷電がそうか」と思う。

 彼らの小隊が上空警戒していたときに、射出機で発艦した雷電だ。


「つまり、雷電はすぐ使えるってことか――」

「まあ、機銃の再調整や整備することはあるが、分解組み立てされた機体よりはすぐ使えるな」


 鷲宮二飛曹はそう言って吸っていたタバコを椰子の実をふたつに割って作った灰皿に押し付ける。


(ガ島攻撃まで、もう少しかかるのか……)


 状況からみて鷹羽二飛曹はそう考えた。

 輸送された機材が戦力化されてからの攻撃であろうとなんとなく思ったのだ。


 しかし、30ミリ機銃を搭載した雷電でアメリカのガダルカナル基地を攻撃する日は思いの他早くやってきたのだった。

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